食器が持つ役割
数ある有田焼のなかでも、
ふと目に留まった食器がありました。
持ち手が大きく、つかみやすいマグカップ。
さらには、
お皿の縁が盛り上がっていて、すくいやすそうなお皿。
その名も「すくい易い器」シリーズ、
そう、ユニバーサルデザインの食器です。
こちらを手がけるのは「しん窯」。
1830年、有田の地で鍋島藩の藩窯として創業した窯元です。
「そこに目を付けられるとは、お目が高い!
この器がしん窯の原点ともいえる作品なんですよ」
しん窯の8代目、梶原茂弘さんが、
くったくのない笑顔で迎えてくれました。
梶原さんがこの「すくい易い器」を手がけ始めたのは、
今からなんと37年前! 1975年のことでした。
きっかけは、ハンディキャップのある方のための食器づくりに意欲を燃やす、
「でく工房」という木工制作の青年たちとの出会いでした。
それまで料亭などで使われる営業用食器を作っていたしん窯も、
当時、何かを求めていた、と梶原さんは思い返します。
「社会的に意義のあることですから」
といって引き受けた梶原さんでしたが、
そこから試行錯誤の毎日だったそうです。
施策と改良を重ねること約3年、
「すくい易い器」の原型が誕生。
ハンディキャップのある方の使いやすさも考慮に入れた磁器食器の開発は
当時、初めてのことでした。
この食器によって、
介添えなしで食べることができるようになった子どももいたそうです。
「ハンディキャップのある方にも使いやすいと言うことは、
我々、健常者にとってはもっと使いやすいということ。
つまり、我々が一番使いやすいものはなんだということを、
自然に追求していたんですね」
梶原さんは、この食器づくりを通じて、
食器が持つ本来の役割を教えられたといいます。
そして、その翌年、今ではしん窯の柱の商品ともいえる
「青花(せいか)」シリーズが誕生することにつながるのです。
生地は生地屋さんが、と分業制の進む有田において、
できる限りの工程を自社で賄うしん窯の食器からは、
一つひとつ丁寧に作り上げられた温かみが感じられます。
そして、何といっても青花の特徴は、
この呉須(藍色に出る顔料)で描かれた"異人"模様です。
この異人を描いたのは、
梶原さんとともに青花シリーズを立ち上げた職人、藤井さん。
佐賀から目と鼻の先の出島へ訪れた異人(オランダ人)を
イメージして描いたようです。
有田焼というと和食器を連想しますが、外国を思わせる絵柄ゆえに、
この異人シリーズは和洋中、どんな料理にも合うから驚きです。
こうした料理を盛った見せ方をするようになったのは、
梶原さんの甥、藤山雷太さんでした。
「食器は、あくまでも料理の引き立て役。料理が盛られて完成なので。
母が作った料理が映えることからヒントを得ました」
そう話す藤山さんは、
しん窯で作られる食器をショップやネットを通じて販売しながら、
有田焼の見せ方に創意工夫を凝らします。
全国の登録店などを訪問することで与えられる仮想通貨「プラ」を使い、
携帯電話内で自分の町を作り上げるゲーム、
『コロニーな生活☆PLUS』(コロプラ)とコラボレーションしたのも、
有田焼の窯元としてはもちろん、
全国のものづくり現場の中でも初めてのことだったそうです。
実際に、このゲームを通じて、
有田焼「しん窯」に興味を抱き、訪れた人も数多くいるんだとか。
伝統産業を、現代の見せ方で紹介していく。
ここにも一つの伝統産業のヒントがありました。
最後に、梶原さんに、焼物の原点を教えていただきました。
「自然の織り成す5つの要素、地・水・火・風・空。
実は、焼物はこのすべてに関係しているんですよ。
土や陶石といった『地』を使い、『水』を加える、
それを『風』で乾かして、『火』で焼く。
そして『空』は、空間を作るわけですね。
つまり、焼物は自然の恩恵そのものなのです」
梶原さんの言葉で、
思わず納得し、首を大きく縦にふっている私たちがいました。