ポンピン堂
1867(慶応3)年に浅草で創業した、江戸型染屋の「更銈(サラケイ)」は
昭和中期に広い染場を求めて埼玉県に移転。
5代目の工藤資子(もとこ)さんがその技術を引き継ぎ、
現在、さいたま市でご家族と一緒に、工房「ポンピン堂」を構えています。
彼らが作るのはちょっとポップでかわいらしい型染め。
"素材・技法・意匠(日本の文様)"を引き継ぎながらも、
どうしたら今のくらしに合わせられるかを考え、生活雑貨を中心に作られていました。
デザインを手掛けるのは、資子さんの旦那様の大野耕作さん。
「妻にとっては家業だったのでなじみ深かったのですが、
日本の伝統に触れる機会がそれまで少なかった僕には、
型染めの伝統文様が新鮮で、素直にかっこいいと思ったんです」
日本の伝統文様はただの柄ではなく、
そこには人々の想いや願いが込められていました。
例えば、「福良雀(ふくらすずめ)」というこちらの文様は、
ふっくらと太った雀がその年の豊作を意味することから、
"豊かさ"の象徴として、女性の帯によく使われてきたそう。
また、伝統柄と聞いて驚いたのがこちら。
「サイコロ」はどう転んでも目が出ることから、
"芽が出る"の語呂合わせで、"出世開運"の縁起柄とされてきたんだとか。
ある文様を使って別の文様を表す「見立て文様」という高度なものもありました。
これは5つの茄子を梅の花の形に並べた「茄子梅」。
「一富士・二鷹・三なすび」でも有名な茄子は、物事を"成す"の語呂合わせから、
縁起の良い模様とされており、"心願成就"の縁起が込められています。
一方、梅の花は学問の神様・菅原道真公の象徴とされることから、
"学業成就"の縁起が重ねられた文様だそう。
日本の家紋も伝統文様が発展していったものといい、
デザインの際に紋帳を参考にすることもあると、大野さんはいいます。
「200~300年続いてきた柄ってすごいですよね。
自分がそれだけ続くデザインを作れるかっていわれたら
。
昔の人はモチーフの意味まで分かって使っていました。
奥行きのあるこの文化をきちんと伝えていきたいと思っています」
そう大野さんが話すと、奥様の資子さんが付け加えました。
「製作にあたっても、一つひとつストーリーを話せるように心がけています。
型染めのよさを出せるように、効率を求めすぎないことを大切にしていますね。
和紙の型紙ともち糊を使うことで、独特のゆるやかな線を出すことができるんです」
型染めは、布の上に型紙を置き、防染部分に糊(のり)をのせます。
型紙は和紙を柿渋で加工した地紙に模様を彫刻したもので、
糊はもち粉と米ぬかから作られ、刷毛はシカの毛でできたもの。
昔からの技法のため、道具もすべて天然素材でできていました。
一つひとつ手仕事で作られる「ポンピン堂」の型染め。
「商品を作っているのではなく、
メッセージを届ける媒体を作っているという意識でやっています。
伝統に興味がなかった人にこそ、これをキッカケに
日本文化に興味をもってもらえればいいなと思っています」
「ポンピン堂」=
「日本(ニッ"ポン")の逸品(イッ"ピン")」
その想いは、「ポンピン堂」の名にも表れていました。