MUJIキャラバン

地域と歩む、とうふ工房わたなべ

2014年07月16日

日々、食卓に並ぶことの多い「豆腐」。

原料の大豆は良質なタンパク質や脂質の含有量が多いとされており、
栄養面で優れた健康食品といわれています。

かつては全国各地に小さな豆腐屋がありましたが、
戦後、食の工業化が進み、大規模メーカーが台頭し、
豆腐も量産化の時代になりました。

「全国の豆腐屋は1万軒を切っていると思いますよ。
それでも、他の食品に比べると生き残っている方かもしれませんね」

埼玉県ときがわ町にある、
「とうふ工房わたなべ」の代表・渡邊一美さんにお話を伺いました。

確かに、全国の醤油メーカーはおよそ1500社、
味噌メーカーはおよそ1000社というから、
豆腐屋の数が多いことが分かり、
それだけ豆腐が身近な食材であることがうかがえます。

「戦前までは皆、国産地大豆を使っていましたが、
戦後に食料統制が解けて、安価な外国産大豆を使うようになった。
そうなると他社との違いを出すのも難しく、
価格競争で勝負するしかなくなり、面白くなかったですよね」

とうふ工房わたなべでは、お客様からの要望で、
15年ほど前から国産地大豆を使うようになりました。

当時、食品添加物や魚の水銀汚染など食への不安が高まるなか、
東京・武蔵野市の境南小学校では、
"作った人の顔が見える給食づくりを"実践。

ときがわ町の隣の小川町で作られている有機野菜を扱うようになり、
境南小学校の給食担当者が小川町に来た際に、
渡邊さんのところにも立ち寄っていたそうです。

有機農家の金子さんのお話はその時から噂で聞いていましたが、
後に縁があって金子さんと出会って、大豆づくりをお願いしたんです」

全量買い取りの契約でしたが、
実際に小川町の在来大豆(青山在来大豆)を使ってみると、
それまで使っていた大豆と同じようには、うまく豆腐づくりができなかったといいます。

渡邊さんは3年かけて、青山在来大豆での豆腐づくりを成功させました。

「青山在来に含まれる糖質は申し分がないのですが、
たんぱく質が少ないから固まりにくいのです。
単純な話、その分大豆を多く使えばいいのですが、
それだと豆腐自体も高くなってしまう…」

それまで一丁80円で販売していた豆腐が、
在来大豆を使うことで一丁230円に。
売れないという不安はなかったのでしょうか?

「最初は35人の仲間が『買い支えるよ!』と言ってくれていたんです。
そのネットワークがどんどん広がり、何百人になって、
その人たちが友人を連れてお店に来てくれるようになりました」

こうして、「とうふ工房わたなべ」は、
製造・直販スタイルを確立させたのでした。

お店の奥にある工房では、なんと深夜2時頃から仕込みが始まります。
今回、私たちが取材に伺った午前9時頃にはすでに仕上げの作業に入っていました。

豆腐の製造方法は、大豆をすりつぶしたものを水と合わせて煮て、
豆乳とおからに分け、豆乳ににがりを加えて固めるというもの。

「豆腐づくりのポイントは"一臼 二釜 三大豆"ですよ。
これは江戸時代から変わらない」

渡邊さんいわく、まず大豆をきちんとすりつぶせているか、
次に大豆の煮加減、そして最後に大豆に関する知識が重要だそう。

「製造業は商品力が命です。そこがゆがまないようにしていかないと。
また、いいものをリーズナブルに提供するには、直接販売しないとやっていけない」

お店には開店と同時にたくさんのお客様が、
作り立ての豆腐を買いに訪れていました。

お店では、豆腐に加えて、地域で作られた野菜や加工品を販売し、
豆腐スイーツなどをその場で味わことができます。
また、製造工程で出るおからや仕込み水である地下水を
無料で持ち帰ることもでき、人気を集めていました。

さらに、「とうふ工房わたなべ」では、
より多くのお客様に商品を届けたいと、数年前から移動販売も行っています。

週1回のスタッフとのコミュニケーションを楽しみにしている
年配のお客様も多いといい、
顔の見える新たな販売方法もしっかりと地域に根づいていました。

「そこでしかできない3つの"しか"(原料・製造方法・販売方法)を武器にすれば、
誰でも勝負できるのではないでしょうか。
わざわざ県外から来てくれた人が、どこでも買えるものは買わないですから」

「とうふ工房わたなべ」では、渡邊さんの代になり、
それまで家族経営で5~6人で運営していたところから、
現在では、50人のスタッフを雇うまでに成長しました。

また、周辺地域で作られている大豆の大方は
渡邊さんが買い取っているといいます。

「生産者とお客様と顔見知りになれて、両者に喜んでもらえるのがうれしいですね。
地域が活性化しないのは、そこに雇用がないから。
小規模の豆腐屋が元気になれば、もっと地域が活性化するはず」

渡邊さんのところで豆腐づくりを学んだ人が
将来のれん分けで独立し、地域に豆腐屋が増えることが夢と、
最後に語ってくださいました。

業界は問わず、「とうふ工房わたなべ」と地域の取り組みに
学べることは多いのではないでしょうか。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

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