紫香楽研究所
先日、京都の綾部で訪問した半農半X研究所の塩見さんが
世の中には多種多様な"研究所"があると話していましたが、
お隣の滋賀県で早速、とある研究所に遭遇しました。
「紫香楽(しがらき)研究所」
奈良時代、近江国甲賀郡(現在の滋賀県甲賀市)には
聖武天皇が造営した離宮「紫香楽宮」があったそう。
聖武天皇は742年に紫香楽の地に都を移し、
大仏建立のプロジェクトが紫香楽の地で進められ、
各地から技術を持った人々が集いました。
しかし、天災が続き、都は平城京に戻り、
大仏像は現在の東大寺で造立。
この時残った技術者が定住し開発したのが、
日本六古窯の一つの「信楽焼(しがらきやき)」です。
昔、琵琶湖の湖底だった場所の山から採れる土は、
粘り気が強く成型しやすいため、
大物を作るのに適しているといいます。
火鉢やすり鉢から始まり、
現在の信楽焼は、食器や花器、植木鉢、傘立てやタイルなど幅広く作られ、
常に人々の生活とともに歩んできた焼き物であることがうかがえます。
無印良品でも、信楽焼の飯碗を扱っていますが、
こちらは白土の素朴な風合いを生かしたものです。
信楽焼は各窯元の土のブレンド方法によって、
その表情の幅がとても広いのです。
また、全国のお店の軒先などで見かける、
愛くるしい狸の置物、これも立派な信楽の焼き物。
信楽町には、もしかしたら人よりも狸の方が多いんでは!?
と思うほど、あちこちで狸の置物が迎えてくれました。
ご案内いただいた、紫香楽研究所の寺脇達夫さんは
長年、信楽陶器工業協同組合に勤めた後、
「信楽焼に欠けている部分を担いたい」と58歳で独立。
紫香楽ラボ株式会社と、紫香楽研究所を立ち上げました。
「社会に必要な産地であり続けるためには、歴史と伝統的技法を改めて耕し、
デザイン力や流通力、知恵を持つ人々と情報交換し
連携してやっていく必要がある」
紫香楽ラボをマネージメント母体として、
紫香楽研究所は、時代を先取る
ソフトウェアを生み出す孵化(ふか)装置と考えていると話します。
そんな紫香楽研究所で研究・企画された商品は、
従来の焼き物に現代生活者向けの機能を持たせたものばかり。
例えば、ラジウム鉱石を粉砕して釉薬に使用したボトルで、
中に入れた水がアルファ線の作用によってイオン化して
味がまろやかに感じられるようになるという「魔法のボトル」や、
信楽焼のメーカーと一緒に開発した陶製のスピーカー、
また、東京のデザイン会社とのコラボ商品である
フタと本体の間の溝からお茶が流れ出る仕組み(昔からある伝統技法)の
茶こしを使わない絞り出し方式の急須の提案などを行っています。
1250年の歴史を持つ信楽の地で改めて"研究所"を作って、
信楽焼の研究開発を続ける、紫香楽研究所。
「自分たちから発信しない限り、何も始まらない。
コミュニケーションと情報の交流ができた時に
初めてモノが売れる時代ですから」
伝統を生かしながらも、現代のニーズに合わせた信楽焼が生み出されているのも、
寺脇さんを筆頭に、情報の流通を促す方々の存在があってこそだと感じました。