MUJIキャラバン

ファブリカ村

2013年02月06日

滋賀県東近江市にある「ファブリカ村」。

琵琶湖の東に位置する東近江市は、
湖からもたらされる湿気が麻の製織に適していたことから、
麻織物の産地として栄えてきました。

ファブリカ村の前身である、北川織物工場は1964年に建てられました。
ちょうど東海道新幹線が開通したり、
東京オリンピックが開催されたりした年のこと。

当時、北川織物工場では、
麻織物を用いた布や寝装品、和装小物などを作っていたそうです。
京都や名古屋が近い立地から、
婚礼布団や婚礼座布団のニーズが高かったんだとか。

「昭和初期は、織機をガチャンと動かせば万単位で儲かる。
当時は麻織物が"ガチャ万産業"っていわれていたんですよ」

そう教えてくださったのは、北川陽子さん。

繊維産業は下請けから脱却して
提案型の産地になっていかなければならない…という、
「産地の高度化プロジェクト」がスタートした1980年代に、
京都の美大で染色コースを卒業した北川さんは、家業の北川織物工場に入りました。

それまで洋服をただ着ていた時代から、ブランドの時代へと変遷。
ヨウジヤマモトなどの有名デザイナーが直接素材を探しに産地へ赴き、
素材からデザインしていた面白い時代だったと、
北川さんは振り返ります。

「うちには、おじいちゃんの時代から作っていた、
手仕事の括り絣(かすり)が残っていたので、
絣に特化してデザインを起こすようになりました。
当時、うちにもヨウジヤマモトさんが来て、絣を見て
『モダンだ!』っておっしゃって。
その時、地域の素材は残していかないといけないな、と思ったんです」

しかし、次第に素材は海外のものを使う時代に…。
半年間かけて作った絣に少し傷があっただけで
焼却処分されてしまう現場を目にし、
北川さんはものづくりに対して疑問を持つようになったといいます。

この頃から素材として絣を作る一方で、
直接販売できるクラフト市などに参加するようになり、
値段だけの取引ではなく、産地について考えるようになったそう。

「実際に自分で販売してみると、近所の人でも
近江が麻の産地であることを知らないんですよ。
ここの土地にできてきた意味を考えないと…って、
この頃から地域を意識するようになりましたね」

もともと人と話すことが大好きという北川さんは、
地域の集まりや組合、異業種交流会などにどんどん参加し、
それまで関わってこなかった人たちとの関わりを通して
ものづくりに加えて、「ことづくり」の楽しさを知ります。

そして、"きちんと地域のものを残していきたい"、
"北川織物工場が守り続けてきた手仕事の良さを伝えたい"と
休んでいた工場を「つくるよろこびにふれる場所」として復活させました。

それが、「ファブリカ村」です。

「ファブリカ村」では、染めや織りなどのワークショップを行ったり、
地元の食材を使ったカフェや、地域の作家が作ったものを買える場を提供したり。

「海外との価格競争に巻き込まれるのではなく、
本当に欲しい人にものを届けられるように。
この空間を共有してもらい、
生活者の意識を少しでも変えられる場所にできたら」

そんな想いを形にし、場の大切さを実感した北川さんは
次々に行動を起こします。

"まずは自分たちが地域のことをもっと知ろう"
"横のつながりを作ろう"
と、異業種の作り手を集めた「湖の国のかたち」を結成。

地場産業の産地めぐりツアーを企画したり、
様々な勉強会や交流会を実施したりしています。

時代とともに自身の考え方が変わってきた北川さんが中心となり、
学び、出会い、そして体験することで
新しいものを生み育てていきながら、
自らの感性と次の世代の感性を育んでいこうというこの取り組み。

その裏には、近江の国から多くのものを全国へと流通させていった、
近江商人の商訓「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」
が今でも残っていました。

もちろん、北川さんは本業のものづくりも続けていらっしゃいます。
近江の麻を使った服や小物のオリジナルブランド「fabrica」を展開中。

北川織物工場は、ものづくりの現場に加えて、
滋賀県のモノ、コト、ヒトが集まる情報発信基地「ファブリカ村」として、
その活躍の幅を広げていっています。

「滋賀は面白いですよ!独立してもやっていける」

北川さんのこの言葉は、地元を知っているからこその言葉だと感じました。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

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