「無地極上」の器
出雲市斐川町(ひかわちょう)にある「出西窯」(しゅっさいがま)へ向かうと、
モクモクと煙の立つ建屋が目に入ってきました。
そう、この日は年に3~4回行っているという、登り窯の火入れ日。
これまでも、登り窯は何度か目にしてきましたが、
実際に火入れ日に遭遇したのは初めてのことです!
窯内の温度を測ることが困難な登り窯においては、
ゼーゲルコーンと呼ばれる粘土や釉薬の成分を固めたものを窯に入れ、
焼成具合を測るんだそうです。
焼物の大きさによりますが、4000~5000個を一気に焼き上げられる登り窯では、
準備に1週間、焼くのに2日間、冷ますのに3日間を要するんだとか。
少人数で運営している窯元が多い昨今、
手間も時間も要する登り窯を、単独で焚ける窯元は珍しいのではないでしょうか。
工房へお邪魔すると、バランスの取れた年代別の陶工たちの姿が。
地元から、県外から、出身地も人それぞれです。
ろくろ成型から釉薬掛けまでをそれぞれが一貫して行っているため、
個人作業になりそうですが、
そこには不思議と和気あいあいとした雰囲気が流れていました。
「出西窯の成り立ちか関係しているのかもしれません」
そう教えてくれたのは、出西窯の2代目代表理事を務める多々納さん。
「1947年、戦後の焼け野原からはじまった出西窯は、
父を含む5人の青年によって創業されました。
民藝運動にかかわった島根県出身の河井寛次郎氏に手紙を送るなど、
積極的に良いモノを作ろうと励んできた窯元なんです」
積極的で柔軟な姿勢の出西窯は、
河井寛次郎や濱田庄司、バーナード・リーチといった、
名だたる民芸運動家たちに手ほどきを受けながら、
その技術を向上させてきたようです。
実際に、出西窯のカップ&ソーサーでコーヒーを頂きました。
鮮やかながら、落ち着きのある釉薬の風合いからか、
不思議とほっとした気分に浸れます。
「カップを手にした時、コーヒーを口に含もうとした時、
その存在を忘れてしまうような器を目指しています。
そこで違和感を覚えてしまうものは、日常使いの器としては適していない」
多々納さんがそう話す通り、出西窯の焼物のコンセプトは「無地極上」。
倉敷民芸館の初代館長、外村吉之介(とのむらきちのすけ)の言葉で、
「日常的に使い勝手が良いものほど無地の品が一番である」
という意味だそう。
また、多々納さんはこう続けます。
「一般の食器棚を想定して、きちんと収納できるよう、
現代の食生活の用途に合うような器を目指しています」
確かに、出西窯の器を見ていると、
これは朝食プレートや取り皿に、これはサラダにもラーメンにも使える、
など使用シーンを想起させてくれます。
食器棚に収容できるように、様々な用途に使えるようにと、
そこまで考えて作られている器とは、うれしい限りですね。
出西窯では創業期の想いを忘れないために、今でも朝礼時に
河井寛次郎氏の「仕事のうた」を全員で音読しているようです。
「仕事が仕事をしてゐます 仕事は毎日元気です
出来ない事のない仕事
どんな事でも仕事はします いやな事でも進んでします
進むことしか知らない仕事 びっくりする程力出す
知らない事のない仕事 きけば何でも教へます たのめば何でもはたします
仕事の一番すきなのは くるしむ事がすきなのだ
苦しいことは仕事にまかせ さあさ吾等はたのしみましょう」
民藝運動のDNAを受け継ぐ窯元は、
現代における民陶を今日も提案し続けています。