父から息子へつないだお茶
「よかったらお茶をどうぞ」
旅路の途中にも、幾度となく振る舞ってもらったお茶。
ホッと一息、緊張が緩和されるとともに、
その慣れ親しんだ味に、日本人であることを実感します。
そんなお茶の一大産地といえば、静岡県。
江戸末期、大政奉還で追われた徳川慶喜が静岡に移り住み、
その従者たちが生業を作るべく、お茶栽培に専念したことが、
茶葉の一大産地となった要因といわれています。
そんな静岡県に、完全有機栽培を手掛ける一軒の茶農家がありました。
藤枝市の「葉っピイ向島園」。
「父は、敷かれたレールの上を歩むことに疑問を持ち、
常に"生きるとは何か"について考えていました。
そこで、人間と自然は共存していくべきだということに、気付いたんです」
代々引き継がれた農園を担う、
向島和詞(かずと)さんはそう語ります。
「地上にあるものすべて一つひとつが、
自然の仕組みの中では掛け替えのない役割を担っています。
確かに農薬・化学肥料はある面から見ればとても妥当な方法ですが、
生命の次元で見た場合には、つながっている命の流れを断ち切ることになる。
生あるものすべは、単独で生存できているのではなく、
みな一つの輪としてつながっていることを思い出し、
今まで、私たち人間が立ち切ってきた輪を元の状態に戻すことが、
何よりも大切なことなのではないか」
そんな想いから、周囲の反対にあいながらも、
父・和光(よりみつ)さんが無農薬・無肥料栽培に挑み始めたのは、
今から30年ほど前のこと。
初めの頃は、農薬や化学肥料の影響で、
茶木の生命力が弱く、ほとんど収穫することができなかったそうですが、
試行錯誤の末、6年後には以前の収穫量にまで戻すことができたそうです。
しかし、そんな確固たる信念を貫きながらも、
手塩にかけてきた茶畑と家族を残し、9年前に父・和光さんは他界。
18歳にして息子、和詞さんは茶畑を継ぐことに。
父からは何も教わっていないという和詞さん。
というのも、かなりヤンチャだったという青春時代、
アルバイトを2、3掛け持ちしながら、ひたすら稼ぐことに精を出していたそうなのです。
そんな和詞さんが茶畑を継ぐことを決めたのも、
父親の残してくれた茶畑に強いコンセプトを感じたから。
「父は、想いは強かったですが、経営は下手でした。
事実、蓋を開けてみたら借金まみれ。
いくら想いがあっても、つぶれたら周りに面目が立たないですよね。
父の想いを形にしてあげたいと思ったんです」
茶畑には、父から残された向島園ならではの、様々な工夫がありました。
茶樹の種は自家受粉できないため、
同じ茶葉を育てるために挿し木で増やすのが一般的。
しかし、種から育てる場合と比べ、幼少期に経験が少なく、
得てして農薬が必要なほど、弱い木に育ってしまうそうなのです。
そこで向島園では、できるだけ強い茶樹に育てるため、
一葉の段階で挿し木をし、育苗室ではなく、畑に直接植えていました。
また、一般的には収穫量を増やすために、下の写真のように茶樹は密植されていますが、
これでは人間が満員電車に乗っているのと同じで、茶樹にもストレスがかかるそう。
向島園では、茶樹がのびのびとした環境で成長できるようにと、
一本一本ゆとりを持って植えられています。
この一本仕立てによって、しっかりと出来上がった幹は、人の腕よりも太く、
幹を切ると茶樹には珍しく年輪が見えるほどだとか。
根も4~8mほど地下に伸び、病害虫に対しての自己防衛力・自己治癒力、
そして何よりも、生命力の強い茶樹に育っているのです。
そして茶葉からお茶に加工していくのも、茶農家ならではの仕事です。
通常、外部の工場で他の茶葉とともに加工されることが多いそうですが、
向島園は自社に設備を構え、裏山から湧き出る清水を使って
自社で完全オリジナル加工まで行っていました。
明らかに工程の多いお茶づくりですが、
和詞さんは「実に奥が深く、面白い」と語ります。
そして、そのお茶の奥深さを消費者に伝えていく必要がある、と。
「人間なんて、お茶がなくても生きていけるんです。
だからこれからは、"歌って踊れる生産者"が必要。
農業を発展させていくためにも、
その面白さを伝えていくことが求められると思っています」
そのために和詞さんは、お茶にまつわる様々なワークショップを開催し、
新しいニーズを開拓することにも余念がありませんでした。
「有機農家に限って、同業界と付き合わない人も多いんですが、
僕は逆にお茶屋さんと仲良くしてもらっています。
それは、万民と付き合ってもらえるものを作っていきたいし、発信していきたいから。
農家はアーティストたるべき。これからも自分たちの信念を伝えていきたいです」
お茶づくりにおいては、まだまだ父を超せていないと語る和詞さん。
しかし、和詞さんによる新しい展開によって、
向島園へは新しい光が差し込んでいるようでした。
父から子へ引き継がれたお茶からは、とても優しい味がしました。