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MUJIキャラバン展
「同じようで違うもの、違うようでおなじもの」
MUJIキャラバンで掲げていたテーマの一つです。
狭いといわれる日本の中にも、
異なる風土や気質、歴史から生まれた多様な生活文化が存在します。
MUJIキャラバンでは、実際に日本各地をめぐることで
"同じようで違う、違うようで同じ"という、
それぞれの風土に根ざした"個性"を発見することができました。
その一部をご紹介させていただく展示会を、
無印良品 有楽町店2F ATELIER MUJIにて
7月26日(金)~9月1日(日)まで開催しております。
会場には、同じ名前を持ちながらも、各地の風土や歴史によって
異なる進化を遂げてきた「同じようで違うもの」を、
実際に展示させていただいております。
いつの時代にもくらしに寄り添う陶磁器は、
その地で採れる土を用い、異なる釉薬、技法で作られる、
「同じようで違うもの」の代表格ではないでしょうか。
また、縁起物として知られる「だるま」も、
養蚕の盛んだった松本では、眉が繭をモチーフにしていたりなど、
各地の歴史によって姿形が異なり、どれもとてもユニークです。
かつてどの地域でも日用品として作られていた「和紙」は、
現代のくらしにも活かされるよう、様々なものへと進化を遂げていました。
グローバルで均一化されていく現代社会ですが、
こうした地域ごとの微差を大切にし、楽しんでいくことも、
くらしを少し豊かにしていくヒントのように思います。
また、それらを生み出しているのは、
その地に根ざしながら、不断の努力を惜しまずに、
現代のくらしに合わせて工夫と改良を重ねる職人たちです。
今回の展示会では、キャラバンで出会った各地の職人もお招きして、
各種ワークショップも開催させていただきました。
第1弾は、
香川県から全国でも希少な木型職人、市原吉博(よしひろ)さんをお招きしての、
「かわいい菓子木型で作る、まろやか和三盆」のワークショップ。
和三盆とは、主に香川県と徳島県で生産されている、
まろやかで口溶けのよい砂糖で、和菓子づくりには欠かせない存在です。
そんな和三盆を、市原さんが作った菓子木型に詰めて抜くだけで、
とてもかわいい干菓子のできあがり!
大人から子供まで楽しんでもらえるワークショップで、
参加者のみなさんも、コロンと和三盆が木型から出てきた瞬間には、
歓声が上がるほどでした。
作った和三盆はお土産として、お持ち返りいただきました。
第2弾は、
岐阜県関市より、刀づくりで発展した鍛冶の技術を、
ハサミ製造に活かしている長谷川刃物(株)さんをお招きして、
ワークショップ「ギザギザはさみで切り絵を作ろう」を開催。
ギザギザに切れたり、ナミナミに切れたりするハサミを使って、
「海」をテーマに、子供たちに自由に創作していただきました。
画用紙をはみ出る大タコが出現したり、
平面のはずが飛び出す絵本のように立体になったりと、
子どもたちの溢れんばかりの創造性に、終始驚かされっぱなしでした。
第3弾は、柳田國男の遠野物語の舞台で知られる岩手県遠野市より、
間伐材を利用した積み木のおもちゃ「もくもく絵本」の開発者である
前川敬子さんと松田希実さんをお招きしてのワークショップ、
「もくもく絵本で物語をつくろう」。
はじめは、大半が森林で占められる遠野市で、
厳しく美しい自然の息吹を感じながら語り継がれてきた昔話を、
松田希美さんの作った紙芝居でお楽しみいただきました。
その後は、「だれが」「どこで」「なにを」「どうした」の
4つのキューブを組み合わせて1296通りもの物語で遊べる木のおもちゃ、
「もくもく絵本」を使って、子供たちが各々物語づくり。
積み木というのは、積み重ねたり、並べたり、崩したり、
乳幼児が初期に覚える遊びらしく、創造力を伸ばす効果があるそうです。
子どもたちは自分で作った無数の物語に、終始、喜びっぱなしでした。
私たちが旅路で出会ったヒト・モノ・コトを、
少しでも多くの人に五感を通じて感じていただければ幸いです。
ATLIER MUJIでのMUJIキャラバン展は、
今週末9月1日(日)まで開催しておりますので、
お近くお越しの際には、是非お立ち寄りください!
そして、MUJIキャラバンの次回展示は、
東京駅にほど近い、
「MUJI to GO KITTE丸の内」にて、
9月13日(金)より行います。
今度の展示では、実際にキャラバンで取材した産品の一部を、
展示とともに、その場でお買い求めいただける予定です。
これからも、MUJIキャラバンでは、
人と人、地域と地域をつないでいく活動を続けて参ります。
どうぞご期待ください!
もしも無印良品が今日生まれたら
「もしも、無印良品が今日生まれたら」
そんな想像をベースにつくられた店舗が、大阪・梅田に誕生しました。
4月26日(金)にオープンしたばかりの
「無印良品 グランフロント大阪」。
無印良品としては、有楽町店に次ぐ世界で2番目に広い店舗面積を誇り、
西日本最大の旗艦店となるそうです。
Cafe&Meal MUJIを併設した店内へ一歩入ると、
その広大な敷地を余すところなく利用した展示に心躍らされました。
まるで一つひとつの商品が訴えかけてくるような感覚です。
定番のノートもこの通り、一目瞭然のディスプレイ!
これならどんな種類があるのか、分かりやすいですね☆
旅行関連グッズの「MUJI to GO」のラインでも、
旅行のシーンに合わせて、利用シーンを想起させるような
提案型のディスプレイになっているんです。
私たちもキャラバンの道中、「この商品、こんな使い方があったんだ!」と、
使い道を知らないまま、その価値を見過ごしていた商品が多くありましたが、
こうして訴求されると、改めて新しい発見があったりします。
そして、まるで収穫祭を想起させるのは、食のコーナー。
「あ、これおいしそう!」「これって何だろ?」
といった具合に、次に何が出てくるのかワクワクしてしまいます。
食品のみならず、通常の無印良品では見かけないものも 。
これらは、「Found MUJI」と呼ばれる、
日本各地・世界各地の文化・風土で育まれてきた食品、
普遍的な日用品を集めたラインです。
大量生産システムではつくることのできない、
その土地固有の伝統文化から生まれたものがほとんどで、
私たちがこのキャラバンで取材してきたものもたくさんありました。
このように、くらしを豊かにするためのものであふれた店内ですが、
なんと店舗の一角には、家もありました!
無印良品の家には、現在「窓の家」「木の家」「朝の家」の3タイプがありますが、
こちらは「木の家」の1/2サイズのモデルハウス。
半分の大きさのため、一室空間の家を俯瞰して見ることができるんです。
くらし方やライフステージの変化にも無理なく対応できる無印良品の家を、
この目で見たいという方に、気軽に見ていただきやすい場ですね。
その名の通り木の特徴を活かした「木の家」ですが、
店内の什器の所々には、大阪産の木材が使われており、
店舗全体から木のぬくもりを感じることができました。
また、店内には「東京おもちゃ美術館」監修のもと、
子供の頃から木に親しみ、森を想う気持ちを育んでほしいという思いを込めた
「木育広場」なる遊び場が設置され、木のおもちゃも多く取り扱われていました。
日本の森林の現状を垣間見てきたキャラバンでしたが、
国土の2/3を森林が占める日本において、森林に対する関心が
子供の頃から育まれるのは素晴らしいことだと感じます。
さらに、「OPEN MUJI」と呼ばれる店内常設の展示イベントスペースもあり、
現在、「木育キャラバン」と称して、親子で一緒に木と触れ合える場が提供されていました。
「マイ箸づくり」「ぶんぶん独楽づくり」「無印良品の紙管こどもイス」など、
親子で参加できるワークショップが5月中旬まで開催中です!
店長の松枝展弘さんは、今回の新店舗についての想いをこう語ります。
「"今あるものを見直す"という無印良品の根底にある考え方。
それには、無印良品自身を見直すことにも当てはまります。
このお店は、いつも見慣れている無印良品とは何かが違うと、
お客様に新鮮に感じていただけるように努力しました。
ぜひ、人と情報が交わる新しい梅田を感じてほしいです」
その言葉通り、今までと違う無印良品は、店舗のみならず、
こんなところにも表れていました。
買い物用の手さげ紙袋。
「無印良品」のロゴは紙テープにあるだけで、
紙袋そのものにはロゴが印字されていないんです。
紙テープを剥がせば、無地の紙袋として使えます。
これぞまさに「無印」!ではないでしょうか。
「もしも無印良品が今日生まれたら」
のコンセプトがふんだんに感じられる無印良品グランフロント大阪。
無印良品に対する"新しい"発見が、たくさん詰まっている場所です。
無印良品のすべてがそこに!
無印良品の世界最大店舗「無印良品 有楽町」へ行ってきました!
3階建ての店内はとても広々としていて、
ほぼすべての商品が取りそろえられています。
他のお店ではあまり見かけなかったモノもたくさん♪
なんと、店内に"無印良品の家"までありました!
店内をぐるぐる見て回るだけでも、1日過ごせそうです。
そんな有楽町店の人気商品を店長に尋ねてみると
しばらく考えてからこんな答えが返ってきました。
「平日はビジネスパーソンが中心。法人のお客様もいらっしゃいます。
一方、休日はガラッと客層が変わって、ほとんどがファミリー層。
外国人観光客にも来ていただいており、
場所柄、様々なお客様にご利用いただくので、人気商品も幅が広いですね」
他店舗では、女性服が男性服よりも人気が高いそうですが、
有楽町店では、ビジネスマンのお客様がスーツを買いに来られることも多いそう。
また、男女ともにビジネスパーソンに人気が高いのが、
限定店舗で展開している「MUJI Labo」。
無印良品の定番ラインの服よりも、少しデザインに遊びを持たせたもので、
素材や仕立てにも、よりこだわっているそうです。
綿には、農薬を使わない土地でできたオーガニックコットンを使用し、
トップスのファスナーと、すべてのボタンには、
回収されたペットボトルから作ったリサイクルポリエステルを使用していました。
続いて、ご家族連れに人気なのが、子供服や家具。
お子様用の「こども広場」には、
国内杉で作られた"スギコダマ"と呼ばれる木のイスもあり、
お子様が遊んで待っていられるようになっています。
さらに、外国人観光客にも大人気のこんなサービスも!
無印良品のシンプルな文具に自由に押せるスタンプです☆
日本を象徴するこけしや富士山などもあり、みんな夢中になって押していました。
やってみると、確かに楽しくてついつい押し過ぎて、
センスのなさ丸出しになってしまいましたが
。
商品では展開しきれない無印良品の考え方を伝える、
情報発信スペース「ATELIER MUJI」では、
"人と生活とモノ"を見つめる企画展を随時、実施。
訪れたタイミングには雑誌『POPEYE』とのコラボで、
自分の手で紡ぎだす「Handcrafted Life 手を動かそうよ展」が開催されていました。
※「Handcrafted Life 手を動かそうよ展」は4月21日(日)までで終了しています
有楽町店へ訪れると、あれも、これも、それまで!と、
改めて無印良品の商品展開の広さを実感します。
そう思いながらお店を後にしたら、
日比谷公園近くで自転車に乗った外国人観光客を見かけました。
よくよく見てみると
その自転車には「無印良品 有楽町」と書いてあるではないですか!
有楽町店では、レンタサイクルも可能なんですね!!
東京観光にとっても便利ですね♪
Found MUJI 青山
このキャラバンをスタートさせた「Found MUJI 青山」へ、
約1年ぶりに来訪。
Found MUJIとは、永く、すたれることなく活かされてきた日用品を、
世界中から探し出し、それを生活や文化、習慣の変化にあわせて少しだけ改良し、
適正な価格で再生して販売する取り組みのこと。
その活動の起点がこの青山店であり、
Found MUJIの商品すべてを結集した場所でもあります。
私たちもこのキャラバンで、いくつかFound MUJIの産地も巡らせてもらい、
改めてこの場で商品を見ると、我が子を見るようなうれしい気持ちになりました。
どれも逸品ばかりですが、Found MUJI 青山での人気商品を聞くと、
「これなんです」と教えてくださったのは、
昔ながらの"お道具箱"を彷彿とさせるボックスでした。
「これはもともと、フランスで公文書を保管するための箱で、
一つひとつ、手作りなんですよ。
工場の創業者の名前にちなんで『コシャーさんの箱』と呼ばれているんです」
と店長が説明してくださいました。
なんでも一般向けに販売されているのは日本が初めてとか!
店長の個人的なお気に入りはこちらだそう。
「これは、ドイツのベジタブルブラシなんです。
ドイツにはマイスター制度があるので、一般的にハンドメイド品は高いんですが、
これらはハンディキャップのある方たちの作業所で作られているので、
価格もお求めやすいんですよ」
一つひとつの商品の裏にあるストーリーを丁寧に説明してくださり、
どれも欲しくなってしまいました。
また、最後にこんな興味深いお話も。
「このお店に携わるようになって、私自身の"Found"にもなりました。
福岡県の日田市にある祖父母の家には、小鹿焼の器があって。
昔は何とも思っていなかったんですが、
先日祖父母の家に遊びに行った時に、いろいろと話を聞いてみました。
そうしたら、私の家系にも職人さんがいたことが分かったんです」
私たちが普段なにげなく使っている日用品にも、
必ずそのモノが作られるようになった背景があり、
そして、そのモノを手掛けた作り手の想いが詰まっています。
今日、その手で持ったモノがいつ・どこで・誰によって作られたものなのか。
想像してみるだけで、違った世界が見えてくるかもしれません。
日本の農業を3K産業に!
神奈川県藤沢市で、定期的に開催されているBBQがあると聞きました。
参加費さえ払えば誰でも参加可能なこのBBQは、
いつも各方面から大勢のお客さんで賑わっているとか。
実はこのBBQは、お肉屋さんやスーパーなどの小売店では
手に入らない豚肉を食べることのできるBBQ!
その豚肉とは、宮治さん一家が育てる「みやじ豚」。
「みやじ豚」のおいしさの秘訣は、血統とエサ、そしてストレスなく育てること。
一般的に30~100頭の群れで育てるところ、宮治家では飼育頭数を制限し、
小屋には10頭前後の兄弟のみの環境で育ててあげるんだそう。
現社長の宮治勇輔さんのお父さんの代から養豚を専業で始め、
当時は地域の組合の養豚場運営と並行して、自分の豚を育てていたといいます。
宮治さんは大学卒業後、一般企業に就職。
出勤前に毎朝、将来について考える時間を設け、
その中で自然と実家の養豚業を何とかしたいと思うようになりました。
どうしたら養豚や農業のような一次産業が、
"かっこよくて・感動があって・稼げる"3K産業になるのか?
そんな時、思い出したのが、
宮治さんが学生時代に、コンテストに出した自宅の豚のお肉を使って、
家でBBQを開いた時のこと。
「この豚肉、どこに行けば買えるの?」
という友人のひと言に答えられなかったのです。
「これまでの養豚業では、生産して卸会社に出荷すると、
どう流通して誰が食べているのかわからないのが現状でした。
生産者に価格決定権がなく、消費者の顔も見えない。
BBQならそれが変えられるかもしれない!そうひらめいたんです」
宮治さんは2005年に実家に戻り、友人・知人を誘ってBBQをスタート。
すると、みやじ豚の噂は、参加者による口コミで瞬く間に広がりました。
実家の養豚業は、BBQに加え、飲食店などへの独自流通網を確立し、
軌道に乗ってきたものの、勉強していくうちに、
「このままでは日本の農業がヤバイ!」
そう思うようになったといいます。
「当時、日本の農業の担い手の平均年齢は66歳で、
5年後には6割が70歳を超えている。それって全員が定年してるじゃん!」
宮治さんは
「日本の農業を3K(かっこよく・感動があって・稼げる)産業に」
を自身のミッションに置き、
日本の農業を変えるためには、
自分のような都会で働く農家の"こせがれ"が
実家に戻って農業を始めることが最短最速の道である、
という結論にたどり着きました。
「ビジネスで培ったノウハウ・ネットワークと、
親父の技術力が合わされば、やっていける!」
宮治さんは、2008年10月から
「農家のこせがれネットワーク」と題し、
農家の"こせがれ"の帰農支援を行っています。
全国各地の農家から旬の素材を直送で仕入れて提供する、
"農業体感レストラン"の「六本木農園」などで、
農家と消費者の距離を近づける"農家LIVE"等のイベントを開催したり、
毎週土曜日に、六本木アークヒルズで、
全国各地の農家が出店できる「ヒルズマルシェ」を企画・運営したり、
『「ジブン専用農家」をつくろう!』をコンセプトに、
農家と消費者を直接結びつける「マイファーマー」
というサイトを運営したり、様々な活動をしています。
また、宮治さんは都心だけでなく、他地域でも
農家と異業種の人々のネットワークづくりの支援を行っています。
講演やイベントで訪ねた地は現在42県。
「自分で考え、自分で行動できる"自律型農家"をどれだけ増やせるか。
各地域に"自律型農家"がたくさん出てこないと日本の農業はよくなりません」
私たちが全国を回った中で、「農家のこせがれネットワーク」や
宮治さんの話はよく耳にしてきました。
宮治さんの取り組みによって、日本の農業は確実に変わり始めています。
湘南×ナチュラル
神奈川県では「テラスモール湘南」の無印良品を訪ねました!
2011年11月にオープンした、テラスモール湘南は、
東京ドーム3.6個分の敷地に、281店舗が集う大型ショッピングモール。
無印良品の店内も、天井が高く広々とした印象で、
「Found MUJI」や「MUJI Labo」といった限定店舗の取り扱い商品も
多数取りそろえてありました。
「いらっしゃいませ!」と迎えていただいたスタッフさんは、
"爽やか"という単語がぴったりと当てはまる湘南ボーイ☆
こちらのお店の人気商品は、このスタッフさんも着ている、
「オーガニックコットンオックスフォード ボタンダウンシャツ」でした。
「湘南という土地柄、ナチュラル志向のお客様も多いんです♪」
と、爽やかな笑顔で教えてくださいました。
ちなみに、店内には刺繍工房があり、シャツやバッグなどに
好みの刺繍を施してくれるんだそう(500円~)!
テラスモール湘南の他に、有楽町・池袋西武・自由が丘の4店舗で、
刺繍サービスを受け付けているそうです。
無印良品のシンプルなシャツやバッグなどにワンポイント刺繍を入れることで、
オリジナルの逸品になりますね。
また、お子様やお友達の名前を入れてプレゼントしたら、
喜ばれること間違いなし♪
私も試してみたいと思います!
木の家
3タイプある「無印良品の家」。
以前、滋賀県では「窓の家」を訪ねましたが、
今回は埼玉県の熊谷市にある「木の家」に行ってきました♪
「木の家」と聞いて、木造のログハウスのような家を想像していましたが、
外観の様子はどうも違います。
しかし、玄関を開けてみて納得。
内部に木のぬくもりを感じることのできる造りになっていました。
そして、家に入ってすぐに感じたのが「暖かい」ということ。
私たちが訪れたのは3月初めで、外はまだ肌寒い頃でしたが、
部屋の中はポカポカしていました。
温度計を見てみると、外気温が「11.5℃」の時に、部屋の中は「27.6℃」。
これが暖房をつけていない状態というから驚いたのですが、
その理由はこの「木の家」の最大の特徴にありました。
見てください、この美術館のような一面の窓を!
「木の家」は自然エネルギーを最大限に活用した造りで、
この窓から注ぎ込む太陽が、部屋を暖めてくれていたのです。
でも冬はいいけど、夏は逆に暑すぎるのでは?
そんな疑問を伝えてみると、
「深い軒が、夏は入射光をカットし、
冬に優しい自然光を取り入れるための設計になっているんです」
と無印良品の家 熊谷店の店長が教えてくれました。
また、ご覧の通り「木の家」にはほとんど壁がなく、
1階と2階が吹き抜けでつながった"一室空間"を実現していました。
圧倒的な開放感を味わえるとともに、部屋中の空気が常に対流し、
急激な温度変化がなく体にも優しいんだとか。
「窓の家」と同様、「SE構法」と呼ばれる、
骨組み全体で家を支える構造を採用していて、
家族構成の変化にともない、パーティションや家具などで、
自在に住みたい間取りへと変化させることができます。
いいこと尽くしに思える「木の家」ですが、実際住んでみるとどうなのか?
暮らし心地は、昨年実施された「ぜんぶ、無印良品で暮らそう。」
キャンペーンで選ばれた、三鷹の家大使が日々ブログで綴っていて、
生の声を聞ける貴重な場となっていますが、
せっかくなら自分の目でも現場を見てみたい。
そう思っていたら、運よくその週に「入居者宅見学会」なるものがあり、
1年半前に熊谷市で「木の家」を建てられたAさんのご自宅に
お邪魔してきました!
こちらでも最初に感じたのが、
暖かい!明るい!開放感がある!ということ。
これも大きな窓のおかげですが、一つ気になっていたことを
ぶつけてみました。
「外からの視線は気になりませんか ?」
奥様いわく、
「少し奥まった場所に建っているので角度によってほとんど見えません。
お向かいの家が逆に気にしてくれるし、家の中を極力キレイにしておこうと思えます。
何より、この開放感がお気に入りですね」
だそう。
家の軒下にあるウッドデッキには、ブランコが設置されていて、
子どもがブランコで遊んでいるのを、
家の中から見守ることもできるような仕立てになっていました。
もう一つ、印象的だったのが家の中がかなりスッキリしていたこと。
キッチンの後ろの壁は全面収納になっていて、
食器をはじめ、電子レンジや炊飯器などの調理器もしまえてしまうのです。
Aさん宅は、小さなお子様のいる3人家族でしたが、
それにしても物が少ない。
すると、今回の見学会で1ヵ所だけ見てはいけない"開かずの間"があったのですが、
そこが4畳の広さのクローゼットでした。
「みなさん収納を広く取りたがるのですが、広ければ広いほど、物を増やしてしまう。
私は、居住者様の今持っている物の量を聞いて、
それに合わせた収納を提案していますね。
物だけでなく、無駄なスペースを設けることになりますから」
と店長さん。
モデルハウスだけを見ていると、
それは雑誌に載っているモデルさんの姿を見て憧れているようなもので、
後で実際にその洋服を買ってガッカリ
というようなことにもなりかねません。
すでにその場所で暮らしている方の様子を見ることができ、
お話を伺える見学会はとても参考になりますね。
ご興味ある方は、モデルハウスで夢を膨らませ、
見学会で現実を知ったり、疑問をぶつけてみるのがいいかもしれません!
「無印良品の家」といっても、一つとして同じものはありません。
自分たちだったら、どのタイプのどんな家にしようか!?
夢は膨らむばかりです☆
子育てしやすい町の人気商品
続いて無印良品 ララガーデン春日部店へ!
すると春日部情報をばっちりリサーチされたスタッフさんが
「春日部は子育て環境が整っている町なんです」
と教えてくれました。
春日部市は、待機児童も少なく、不登校児童も少ないんだとか。
そうそう、春日部はクレヨンしんちゃんの舞台の町でもありますね。
そんな春日部店の無印良品の人気商品とは!?
ご紹介いただいたのは、"ノンカフェイン"のドリンク。
お子様連れや妊婦のお客様も多いことから、
これらがとっても人気だそう♪
そもそも、カフェインというとコーヒーに含まれている成分
といったイメージが強いと思いますが、
日常的に飲まれている緑茶をはじめとする一般的なお茶にも
含有量の違いはあれども、カフェインが含まれているし、
ココアと同じカカオを原料とするチョコレートにも含まれているものだとか。
無印良品ではノンカフェインドリンクのバリエーションも豊富。
寝る前など、ほっとひと息つきたい時にいいですね。
手前みそ
海外へ行くと、いつも恋しくなる日本の味、
「味噌汁」。
私の生まれ育った関東では「米味噌」が主流でしたが、
九州では「麦味噌」、愛知界隈では「豆味噌」と、
地域によって味噌の味も様々でした。
そして、終盤に訪れた山梨県では、
これまでに味わったことのない味噌に出会います。
「甲州味噌」
米と麦を用いた、いわゆる「調合味噌」です。
「これらの地域性の違いは、"主食が何か?"で決まってきたんですよ」
甲州味噌の蔵元のひとつ、五味醤油(株)の6代目、
五味仁(ひとし)さんに、分かりやすく解説していただきました。
「大まかに米どころでは米麹、麦どころでは麦麹を味噌づくりに用いましたが、
甲府は狭い盆地で斜面が多く、稲作には適していませんでした。
ですので、米の不足分を、田畑の裏作で作った麦で補ったんでしょう」
時はさかのぼること、戦国時代。
たんぱく質と塩分が賄える味噌は、陣中の兵糧としても重宝され、
各地の戦国武将は、こぞって味噌づくりを推進したそうです。
甲斐の国を治めていた武田信玄も同様で、
冬にほったらかされていた田畑で麦を作ることを指示。
こうして世にも珍しい米麹と麦麹を用いた
甲州味噌が誕生したといわれています。
五味醤油では、今も代々引き継がれてきた製法で、
甲州味噌が造られていました。
「発酵のスピードが違うので、米麹と麦麹は別々に仕込まなくてはなりません」
そう五味さんが語るように、
米麹と麦麹はそれぞれ別々に仕込まれていました。
一般の味噌と比べ、麹の種類が多い分、手間もかかりますが、
それでも、五味さんは甲州味噌を造り続けていきたいと話します。
「甲府の人たちにとって慣れ親しんだ味ですからね」
山梨名物のほうとうも、この甲州味噌が用いられていました。
ほうとうもまた、米飯が食べられなかった甲州の庶民にとって、
収穫量の少なかった小麦を補うために、
かぼちゃをはじめとした多くの野菜を加えた郷土料理でした。
「先代から引き継がれてきた甲州味噌。ずっと造り続けていきたいんです」
そんな想いの五味さんは、甲州味噌を広く伝えていくために、
「手前味噌づくり教室」も開催していました。
そのために「手前味噌づくりキット」も開発。
さらには、なんと「手前みそのうた」まで!
「味噌 味噌 味噌 味噌 手前味噌~♪」
この曲、繰り返し聞いていると、
思わず味噌づくりをしたくなってきますよ!
YouTubeでもアップされていましたので、
よろしければお聞きください♪
思えば、昔は各家庭で味噌が造られていたわけでして
。
私たちも帰京したら「手前味噌づくり」にチャレンジしようと思います!
山梨県の意外な県民性
山梨では、無印良品「ラザウォーク甲斐双葉」を訪ねました。
果樹王国の山梨県、さぞかしフルーツ系の食品が人気と思いきや、
スタッフさんの持っているこちらの人気商品は、なんと
、
海産物系のおつまみでした!
島国日本において、海に面していない県は山梨含め8県ですが、
山梨県民は実は、無類の海の幸好き!
マグロや貝類の消費量は、毎年上位にランクイン(総務省「家計調査」)しており、
「あわびの煮貝」なんかも名産品として数えられるほどです。
駄菓子「よっちゃんいか」で有名なよっちゃん食品工業株式会社も、
山梨県内にありました。
意外なる山梨県の県民性 。
ただ、海産物でしたら、
山梨生まれの白ワイン「甲州」にも合いますものね☆
中伊豆の沢わさび
お寿司やお蕎麦などの日本食に欠かすことのできない「わさび」。
わさびは学名を"Wasabia japonica"と呼ぶように日本原産の香辛料です。
抗菌効果や抗虫作用があり、独特の鼻を突き抜けるような辛みと香りは、
食欲を増進させるのにも役立つといわれています。
もともとわさびは山や渓流に自生しているものですが、
江戸時代に現在の静岡市有東木(うとうぎ)地区で栽培が始まり、
徳川家康がそれを愛好し、門外不出の御法度品にしたと伝えられているそう。
そんなわさびの市場出荷量が日本一を誇る、
中伊豆のわさび農家・飯田哲司さんを訪ねました。
飯田さんはちょうどお父様と一緒に収穫後のわさびの出荷準備中でした。
一本一本包丁の角を使って細かい根などをきれいに取り除きます。
この状態(写真右上)だと、見たことのあるわさびの姿ですが、
わさびがそもそもどのように栽培されているのか気になって、
現場へ連れて行っていただきました。
すると、そこには山間に広がる段々畑の緑の絨毯が!
すぐ横には川が流れていました。
わさびの栽培方法は、大きく分けて2つ。
渓流や湧水で育てる「沢わさび」(水わさび)と、
畑で育てる「畑わさび」(陸わさび)があるそう。
飯田さんが育てる沢わさびの栽培には、日陰の立地で
12~13℃の豊富な水が必要だといいます。
「うちのわさびは湧き水のおかげで、露地栽培なのに一年中採れるんです」
飯田さんのわさび田は、天城山の北側に位置し、温度を一定に保つために、
地盤を深く掘り、大きな石から小さな石の順に敷き詰めて表面に砂利をのせた
「畳石(たたみいし)式」が取られていました。
これは、この地区で開発された栽培方式で、
天城地区と中伊豆地区では一年を通じて、わさびが栽培・収穫されています。
自然の湧き水による栽培のため、肥料や農薬は基本的には使うことができず、
水の管理や防虫、除草の手入れを日々行うんだそう。
そんななか、最近とある問題が起こっているといいます。
「温暖化の影響か、渇水や夏に温度が上がりすぎる問題があるんです。
わさびが自然環境を敏感に受ける、こういう場所で育っていることを
まずみんなに知ってもらいたい」
そう話す飯田さんは、わさびの収穫体験を実施しています。
体験に来た子どもたちは、わさびの収穫にはもちろん、
沢に泳ぐカニやカエルなどにも大興奮するんだとか。
水が綺麗だからこそ、見られる光景です。
「あとは、わさびの本物の味も知ってもらいたいですね」
そういって、収穫したばかりのわさびをその場ですりおろしてくださいました!
わさびは反時計回りに笑いながらするのがおいしくするコツだとか。
その理由は「笑うといい具合に力が抜けるから」と飯田さん。
細胞を細かく摩砕できるサメの皮のおろし器を使った、
すりたてのわさびはというと
爽やかな風味とともに、ほんのり甘みすら感じる衝撃の旨さでした!
種類が豊富なわさびのうち、飯田さんが栽培するのは、
わさびの最高級品種といわれる「真妻(まづま)」のみ。
他の品種と比べて、色みや辛み、甘みなどのバランスが一定していますが、
栽培期間が他よりも長く、栽培できる場所を選ぶといいます。
一度真妻を食べたら、別のわさびを口にできなくなると話す飯田さんは
最後にこう加えました。
「やっぱり自分がおいしいと思うものを届けたいですから。
真妻が育つ、この自然を大切にしていくことも大事な役割だと考えています」
静岡といえば
静岡といって思い浮かべるものといえば
お茶!
緑茶の生産量全国1位として知られる静岡県ですが、
その栽培は13世紀に聖一国師という高僧が宋から種子を持ち帰り、
生まれ故郷の静岡市に蒔いたのが始まりといわれています。
静岡のお茶は、徳川家と縁が深く、
幼少期や晩年を駿河(現在の静岡県中部から東部にかかる地域)で過ごした
家康が好んで飲んだそう。家康は、そのおいしさを満喫するため、
夏の間は、標高1000mを超える静岡市北部の井川大日峠に、
お茶を保管するための蔵を建てさせたんだとか。
また、現在お茶の最大生産地である、牧之原台地とその周辺地域は、
大政奉還後に徳川慶喜を、駿府(現在の静岡市)まで警護した
300人にのぼる幕臣の精鋭たちによって、開拓された地でした。
静岡県内を車で移動中には、何度も茶畑のある光景を目にしましたが、
そんな静岡県でお邪魔した、無印良品 アピタ静岡でも、
ご紹介いただいた人気商品は、やっぱりお茶!でした。
この春登場したばかりの「アロマティー」です!
6種類の果実の香りに合った茶葉が組み合わせてあるのですが、
なかでもこのお店で特に人気なのが、
「アロマティー 白桃&緑茶」だそう♪
飲んでみるまで、その味の想像がつかなかったのですが、
白桃の芳醇な香りが漂うホッとする味でした。
ティーバッグなので、水筒に熱湯と一緒に入れて、
私たちもいつも持ち歩いています。
6種類の香りの中から、みなさんもお気に入りを見つけてみてください☆
せともの
一般的に陶磁器のことを総称して「せともの」と呼んだように、
日本人の食卓で慣れ親しまれた存在の「瀬戸焼」。
その名の通り、愛知県瀬戸市周辺で作られる焼き物は、
朝鮮から伝わった焼き物の産地とは成り立ちが異なり、
備前・信楽・越前・丹波・常滑と並んで「日本六古窯」のひとつに数えられています。
その歴史は、古墳時代にまでさかのぼるようですが、
他の産地と異なる特色を出すようになったのは、鎌倉時代。
高温で吸水性がなくなるまで焼き締める方法が一般的だったなか、
本格的に釉薬(うわぐすり)をかける技法を駆使していたのは、
当時、瀬戸が唯一の存在だったのです。
瀬戸焼に代表される1977年に伝統工芸指定された「赤津焼」には、
赤津七釉と呼ばれる代表的な7種類の釉薬が用いられています。
平安時代からの「灰釉(かいゆう)」にはじまり、
「黄瀬戸釉(きぜとゆう)」、
茶器に多く見られる「織部釉(おりべゆう)」、
「御深井釉(おふけゆう)」、
他にも「鉄釉」「古瀬戸釉」「志野釉」と、
茶華道の発展にともない、優雅な美しさの釉薬が生み出されていきました。
その後も、強度に優れ良質な美しい白土が取れた瀬戸は、
尾張徳川家の御用窯として栄え、焼き物の一大産地に発展していきます。
19世紀には、九州から伝わった磁器の生産もはじまり、
日用雑器から茶道具、美術工芸品まで、あらゆる陶磁器が作られるように。
さらに、現在の瀬戸を語るうえで欠かせないのが、
戦後、海外輸出用に生産されてきた「セト・ノベルティ」の存在です。
まるで布地で作られたようなこの人形は、
実は陶磁器で作られたものでした。
明治期には陶彫技術や石膏型製法が確立していたという瀬戸では、
その技術の高さが海外から評価され、戦後の瀬戸窯産業を牽引するほど、
陶磁器製の置物や装飾品が輸出されていたのです。
現在では円高の影響で、輸出品はほとんどなくなってしまいましたが、
この頃に礎を築いた石膏型製法が、今の瀬戸の産地としての特徴のひとつになっています。
「陶磁器の一大産地として栄えてきた瀬戸は、どんなものでも作れてしまう産地です。
なかでも、"ガバ鋳込み(いこみ)"製法は得意といえるかもしれません」
そう話すのは、瀬戸の地で古くから産地問屋を務める、
霞仙商会の加藤陶忠社長。
ガバ鋳込みとは、石膏型に液状の粘土を流し込み、
石膏に面している粘土が乾いてきたところで排泥し、成形する製法のこと。
泥をガバっと捨てることから、ガバ鋳込みと呼ばれているのだとか。
ローラーマシンによる大量生産を得意とする至近の美濃に対して、
この"ガバ鋳込み"は瀬戸の得意とする分野。
ポットなど、いわゆる"ふくろもの"に使われる技法で、
近年、この技術を持つメーカーが少なくなりつつある貴重な技術です。
無印良品のふくろものの磁器ベージュ商品も、
実はここ瀬戸で作られています。
型の継ぎ目にどうしても付いてしまう"バリ"は、
一つひとつ、職人によって舐めされていました。
驚いたことに、そのほとんどが手作業によるもの。
ひとつ、またひとつと、丁寧に次の工程に進んでいきます。
「常に使っていただく人の気持ちに立って、ものづくりに励んでいます。
いつもこうして仕事ができることに感謝しているんですよ」
自ら窯を立ち上げて四十余年になる酒井五鈴子さんは、
ものづくりに対する姿勢を笑顔で語ってくれました。
お孫さんが窯を継ぎたいと自ら志願してきたというのも、
そのイキイキと仕事をする姿を見てきたからに違いありません。
栄枯盛衰を繰り返しながらも、
1000年以上にわたって日本の焼き物を牽引してきた瀬戸焼。
それを支えてきたのは、紛れもなく
代々ひたむきに陶器づくりに励んできた瀬戸の陶工たちであって、
これからもそうあり続けることを願ってやみません。
名古屋名物!
かつて織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の歴代の名将を生んだ
尾張(現愛知県)の中核都市、名古屋。
豪華絢爛を誇った名古屋城の金のシャチホコが、
現代においても「名古屋嬢」や「豪華結婚式」に表れるような
名古屋人の気質を象徴しているかのように思います。
そんな名古屋の繁華街、栄にある、無印良品 栄スカイル店を訪ねました。
日本三大都市圏の人気商品とは!?
スタッフさんたちにご案内いただいた先は、飲料コーナー。
「こちらなんです♪」と手に持たれているものは 、
コーヒー豆でした!
そう、名古屋といえば喫茶店文化の中心地。
朝の時間、コーヒーを頼めばトーストなど軽食が付いてくる
通称「モーニング」のサービスも、名古屋が発祥といわれています。
名古屋市以北の一宮市で、
早朝から喫茶店に集まった繊維産業で働く従業員のために、
店がピーナッツやゆで卵を付けたことがきっかけとか。
実際、愛知県民の喫茶代への家計の支出額は、
同じくモーニングの盛んな岐阜県に次いで全国2位。
喫茶店に足を運びながらも、自宅用のコーヒーが人気というから、
愛知県民のコーヒー好きは本物ですね!
雑誌や新聞が置いてありゆっくりできる喫茶店も多く、
モーニングしたいがゆえに早起き!
なんてモチベーションが湧くのも良い効果かもしれません。
この文化、全国的に広がったらうれしいものです☆
三重の美味いもん
三重県では、無印良品イオンモール鈴鹿にお邪魔しました。
鈴鹿といえばF1の日本グランプリが開催されるサーキットを想起しますが、
そんな店舗での人気商品とは一体!?
ボーダーでそろえた爽やかなスタッフの方たちが持っているものとは 、
「春色のお菓子」シリーズです!
桜と抹茶、それぞれの香りと味を生かしたお菓子で、
見ているだけでも春を感じることができます。
もう春も目前ですし、お花見しながら春色のお菓子を頬張る、
なんていうのも乙ですね♪
ご子様連れのお客様も多く、季節のお菓子に敏感だということですが、
実は三重県は日本有数のグルメ県で、海の幸から山の幸まで楽しめるんです。
「伊勢海老」や「あわび」、
「松阪牛」「伊賀牛」などは言わずもがな、
お伊勢参りの参拝客に提供されてきた、
極太もちもち柔らか麺の「伊勢うどん」など。
その名が全国に知られるグルメが多い印象です。
また、意外にもその発祥が三重といわれるグルメも多数ありました。
まずは、名古屋名物として知られる「天むす」。
津市にある天ぷら定食店が、まかない料理として考案したのが始まりとか。
その後、名古屋にのれん分け店がオープンし、名古屋名物として知られていったそう。
同じく、名古屋名物といわれる「味噌カツ」も津市が発祥という説も 。
こちらは津市のとある洋食屋さんが、当時まだなじみの薄かったカツに
和風味を加えるために、味噌を混ぜたのが始まり。
近所で工事中の名古屋の業者が毎日通い、名古屋に広めたんだとか。
発祥には諸説あるようですが、
味噌カツの普及に一役買ったことは間違いなさそうです。
さらに、私の大好物でもある「いちご大福」も、
津市を代表するグルメの一つにありました。
津市の和菓子屋さんが、たまたま紅白餅といちごを同時に食べたところ
おいしかったことから、考案されたんだそうです。
今となっては定番ですが、当時はあまりにも斬新すぎる組み合わせだったため、
なかなか売れなかったそうですが、試食サービスを始めたところ、
それが口コミで広まり大ヒット商品に。
どれも津市民のグルメに対する探求心から生み出されたものです。
他にも、四日市の「とんてき」をはじめ、
食べきれないほどのご当地グルメがありました。
さすがは、衣食住の神様「豊受大御神」を祀っている
伊勢神宮を有する三重県ですね。
食に関して、話題を欠くことがなさそうです。
無印良品のシール織り
和歌山県では、無印良品 ガーデンパーク和歌山を訪れました。
「待っていました!」と店長に連れられて向かったのは、寝具コーナー。
「これ、和歌山県で作られているんですよ!!!」
そういって見せてくださったのは、「綿シール織毛布」でした。
この毛布は日本の中でも和歌山県の高野口地区だけで、
昔ながらの製造方法で作られているものなんだそう!
高野口とは、弘法大師空海が修行の場として開いた高野山の麓。
私たちも週末に、プチ修行体験に出掛けていた場所でした。
既に通ってきてしまった後で、
この旅路では取材に訪れることができない場所で残念がっていると、
「こうやって手作業でよこ糸を引き抜くんですよ」
と、店内でまさかの実演を見ることができました。
実は、昨年10月に近畿エリアのスタッフのみなさんで、
高野口の綿シール織毛布の生産現場に、実際に足を運んでいたのでした。
シール織りとは、SEAL(アザラシ)の毛皮のようにふわふわとした風合いの織り方で、
両面のパイル糸がしっかりと挟み込まれて織られていて、
パイル糸が抜けにくい構造になっているといいます。
シール織りの歴史は明治時代の初めに、
シール織りのルーツとなる再織(さいおり)という特殊織物の製法が
高野口に住む前田安助氏によって創案されたことに始まります。
再織は世界的にもチェコスロバキア以外に類のない手工業的技術の特殊織物で、
当時の外国商館からカーテンやテーブルクロスなどの注文を受け、
アメリカに輸出して好評を博していたとか。
その後、大正時代に研究が繰り返され、シール織物が考案されて、
量産可能な機械化にも対応するように。
とはいえ、生産工程には、手作業の部分が多分に残っています。
よこ糸を引き抜く作業は熟練の職人さんが2人ペアで、
息の合ったテンポで行うそうです。
1本でも抜き漏れると、スジになってしまうので、
集中力と腕力が必要なことの想像が容易につきます。
私たちも店舗で体験させてもらったのですが、
なかなか力のいる作業で、均等に引き抜いていくのは至難の技でした。
表面は機械的に毛羽立たせた起毛ではなく、
糸の撚り(より)を糸に傷がつかない掻き方でブラッシングしてほぐしていくので、
肌触りが抜群! ふんわり綺麗に仕上がることから"花を咲かす"と呼ばれるそうです。
起毛の場合は掻きだすので、
綿だと洗濯後の形状変化や毛羽落ちの問題が出てしまうのですが、
シール織りは使用中に毛玉にもなりにくく、
洗濯を重ねても、毛羽落ちしにくいという優れた特長があるそうです。
裁断も機械ではなく手作業で、
2人組で目視検品しながら行うので、ほとんどのキズなどはこの工程で止められ、
仕上がりがキレイなのはこのためでした。
実際に生産現場へ行ったスタッフからは、以下のような感想が挙がっていました。
「当たり前のように無印の店頭に並んでいると感じていた商品が
『大工場』による『大量生産』でなく、
『職人の手仕事』により『一つひとつ丁寧に作られている』
という事実に改めて驚き感動した」
「国内生産、地場産業により地域の歴史と伝統の継承、
雇用促進、経済活動へつながっていることを知った」
「一つひとつの商品には作り手の想い、愛情、熱意が込められており、
それをそのままの温度でお客様へお伝えしていければ
」
シール織り毛布のよこ糸抜き体験にご興味ある方は、
無印良品 ガーデンパーク和歌山のスタッフさんにお声がけしてみてください♪
吉野の葛菓子
小さい頃、私が風邪を引いた時には
母は決まって「くず湯」を飲ませてくれました。
以来、くずとは何なのかを調べることもなくきましたが、
奈良県でついにその正体に出会うことになりました。
吉野葛(くず)。
多量のデンプンを含む葛の根を原料としたもので、
全国的にも山野に自生しているものなんだそう。
吉野葛は全国シェアの約4割を占めていますが、
修行の地であった大峰山を登る際に、
修行僧が持ち歩いていたというほど、葛は栄養価が高いものだといいます。
葛湯に葛餅、葛きりなどの和菓子から、
揚げものの小麦粉や片栗粉の代わりにも万能な素材として使われています。
葛のあんは、常温でも固まるし、冷めてもとろみが取れないのが特徴だそう。
奈良県下では、この葛を使った和菓子屋さんを多く見かけましたが、
なかでも、ひと際目を引いたのがこちらのパッケージ。
千本桜で有名な世界遺産の吉野山にある、
「TSUJIMURA」が手掛けたものです。
葛を使った干菓子に、
黒糖から和三盆、上赤糖など各種糖を配合してあり、
一つのパッケージで様々な風味が楽しめます。
3代目の辻村佳則さんご夫妻は、奈良県の商業振興課が行う
「奈良ブランド開発支援事業」の一環である勉強会に参加し、
講師に「歴史に甘んじるな」と怒られたといいます。
「世界観があってモノが売れる時代。
これまでのいいところを残して、今の時代に合わせてやっていこう」
と、店舗のリニューアルを含めて取り組んでいました。
新しいパッケージで提供する葛菓子「TSUJIMURA」のコンセプトは"贈り物"。
「自分が好きなものをみんなにも紹介してきたい」
と佳則さんは話してくれました。
それぞれのお菓子のタイトルも
「雪あかりの小路」「森の中へ」「星とダンス」と秀逸で、
さらにパッケージには、地元ヒノキの経木や吉野和紙を使い、
吉野ブランドで演出しています。
今春、吉野の山に桜の花が咲き始める頃に、
「辻村芳栄堂」は新スタートを切る予定。
地元のお茶屋さんとのコラボ企画なども準備中といい、
今から春が待ち遠しいです。
家の中を快適に
「東大寺」の大仏や、猫も見つめる聖徳太子ゆかりの「法隆寺」など、
数多くの世界遺産を持つ、古都・奈良には
昔から声をかけずとも、多くの人が訪れてきました。
私もそうですが、修学旅行でこの地を訪れたことのある人も多いのでは?
奈良は、大阪の"食い倒れ"、京都の"着倒れ"に対して、
"寝倒れ"という言葉で表現され、
人々はあくせくせず、のんびりと過ごしてきたといいます。
奈良公園周辺にいるシカさんたちを見ても確かにおっとりしていたかも 。
そんな奈良県でお邪魔したのが、無印良品 イオンモール橿原(かしはら)店。
ここでご紹介いただいた人気商品を聞いて、
その理由とともに「なるほど!」と納得しました。
イオンモール橿原店の人気商品は、
「超音波アロマディフューザー」でした!
お店の中でもよく見かける品ですよね。
でもなぜ奈良県でこの超音波アロマディフューザーなのか、
不思議に思っていると、店長からこんなお話が。
「奈良県って、専業主婦率が全国1位なんですよ!」
なるほど☆アロマディフューザーが人気なのは、
過ごす時間の長い家の中を快適にする工夫かもしれません♪
ちなみに一緒に使う、エッセンシャルオイルは20種類近くありました。
たくさんあっていろいろと試してみたいけど、どれから選んでいいか分からない。
そう思っていたら、ネットストアに「香り選びチャート」がありました!
"ホッと癒やされたい"+"お休み前にゆったり過ごしたい"を選んだら、
「ラベンダー1滴」+「ベルガモット3滴」を、
"元気を出したい・いきいきしたい"+
"仕事や家事をひと頑張りする元気がほしい"を選んだら、
「ゼラニウム1滴」+「グレープフルーツ3滴」を提案されました。
これまで1種類のオイルしか使ったことがありませんでしたが、
ブレンドして使う方法もあるんですね★
良い石鹸
江戸時代、生活物資の多くが集積し、
それを全国の消費地へと送っていた大阪は、
「天下の台所」と呼ばれていました。
その名残からか、大阪は今もものづくりが盛んです。
そのうちの一つが「石鹸」。
石鹸の起源は紀元前にまでさかのぼるようですが、
日本に伝わったのは種子島に鉄砲が伝来した頃といわれています。
明治初期には、日本で本格的に石鹸生産が始まりましたが、
当時は高価なもので、一般的に普及していったのは明治後期以降のこと。
CMソングで知られる「牛乳石鹸、良い石鹸♪」が大阪に誕生したのもその頃で、
当時から既に日本の石鹸産業の中心地は大阪でした。
そんな地で、創業以来、
天然素材と伝統製法で作り続ける石鹸メーカーがありました。
桶谷石鹸株式会社。
伝統の釜炊き製法で作られる、
無添加・無着色・無合成界面活性剤の国産純正石鹸です。
「グツグツ、ポコポコいってるのが聴こえるやろ。
今、石鹸が良い石鹸になりたいって、ワシに語りかけてきてるんや」
と、まるで我が子のことを語るかのように石鹸のことを話すのは、
2代目の桶谷正廣さん。
蒸気を吹き込みながら煮込まれた原料は、
ちょうど界面活性剤の一種、石鹸へと変化を遂げる過程でした。
「常に自然環境は変わるやろ。
毎日同じ作り方しとっても、同じ変化はしてくれへん。
だから舐めて味を見たり、五感を使って確かめるんや」
桶谷さんが使う原料は、牛脂とヤシ油、苛性ソーダに食塩水のみなので、
舐めても刺激を感じることはありません。
さらに排水後、成分は1日以内にバクテリアによって分解されるため、
環境に負担をかけることもないそうです。
現在、一般に多く流通している、香料など化学成分が添加されている合成洗剤は、
バクテリアによる自然分解に時間がかかるうえ、その歴史も浅いため、
何世代にもわたり使い続けた際の人体や生態系への影響は
まだ判明していないのが実態だそう。
「合成洗剤は安くて、匂いや効果など即効性があるように感じる。
一方の石鹸は、体に刺激を与えない。敏感肌の人はすぐ分かるで」
桶谷さんは、石鹸は漢方薬のようだと話します。
「良い石鹸を使い続けることで、冬場の肌のトラブルなどを緩和してくれる」
その自信はあると語ります。
6~7時間ほど炊かれた釜には、
できたてホヤホヤの石鹸の姿がありました。
これを2~3日枠に入れて成型し、カットして自然乾燥させ、
製品となって出荷されていくのです。
「何も語らんけど、かわいいやろ」
できたての石鹸を眺めながら微笑む桶谷さんは、
まさに石鹸の父親の表情をしていました。
自然にも体にも優しい桶谷石鹸には、
作り手の優しさがにじみ出ているかのようでした。
西の旗艦店で人気の逸品!
大阪の二大繁華街の一つ、ミナミの玄関口「難波(なんば)」。
その一角の一等地に、無印良品難波店がありました。
難波センタービルB2~3Fの5フロアを占有する
無印良品、関西の旗艦店です。
B2フロアには、Cafe&Meal MUJIのレシピ本で知られる
松岡シェフが腕を振るう『Meal MUJI』を構え、
食品コーナーには、
全国の良品が集められた「Found MUJI」のラインナップが展開されています。
上階は、ゆったりとした店舗スペースをふんだんに活かしたレイアウトで、
ファーニチャーを扱う3Fでは、収納アドバイザーの相談を受けながら、
オーダー家具の注文をすることもできます。
これだけ大きな無印良品の人気商品とは一体、何でしょう?
さぞかし大きな商品が人気だろうと思いきや、
スタッフさんにご案内頂いた先は
、
なんと化粧品コーナーでした!
そして、その手に持っている人気商品はなんと、
「洗顔用泡立てネット」!
空気と水分をたっぷりと含ませ、石鹸を包むようにしてよく揉むと、
ふわふわの泡ができ、優しく洗顔ができる逸品です。
奇遇にも石鹸つながりの商品でした。
それもそのはずで、
店舗面積の広い難波店では、ビューティー&コスメコーナーで、
よく泡立て方のデモンストレーションも行っているんだそう。
情報に敏感なエリアに位置しているがゆえに、
お客さんにもスキンケアに敏感な方が多いのかもしれませんね☆
ダンボールの可能性
このカフェ、一見普通のカフェと同じようですが
何かが違うのが分かりますか!?
実はこのカフェの机も椅子もライトも、全部ダンボールでできている、
その名も「cafe だんぼうる」なんです!
これは、天王寺にあるダンボールケース製造会社・矢野紙器の運営するカフェ。
矢野紙器では、就労領域の拡大のための活動の一環として、
「cafe だんぼうる」を3年ほど前から行っています。
というのも、矢野紙器は"障がい者雇用"という概念がほとんどない時代から、
聴覚障がい者をはじめ、障がいのある方を複数採用してきた歴史があり、
昨今増えている発達障がい者やニートと呼ばれる人も含めて
彼らの職業体験の場としても機能させるべく、カフェを始めたのです。
「僕のいる部署は、『人の可能性とダンボールの可能性を
もっと社会に役立てること』がミッションなんです。
ダンボールを使った工作教室や、
ダンボールでできた遊具や展示品のレンタルなんかもやっていますよ」
Able Design事業部 プロダクトマネージャーの
島津聖(しまづきよし)さんが説明してくださいました。
「工作教室は材料と道具だけ用意して、あとは自由にするんです。
子どもの発想力って面白いですよ。
親子で教室をすると、大人は自由といわれると悩みますが、
子どもがテーマを与えてくれるんですよ。
『これで家作りたい!』『飛行機がいい!』とか」
「子どもと一緒にお父さんがたくさん参加してくれる人気のイベントです。
お母さんと一緒のイベントはあっても、
お父さんが活躍できるイベントはあまりないので」
材料はもちろん工場で作っているダンボール箱や端材、
折り紙、紙コップなどできるだけ手に入れやすいものを用意。
それは、家庭でもできるように考えてのことです。
「ダンボールが親子のコミュニケーションのツールになれば」
と、島津さん。
ダンボールでできた巨大なボウリングや、
全長4.6m、高さ2.6mにも及ぶダンボールのマンモス、
通称「ダンモス」は人が集まるイベントなどで大活躍だそう!
矢野紙器のダンボールを使ったこれらの斬新な取り組みが
なぜ行われるようになったのか、
気になって尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。
「僕自身がものすごい田舎で育って、遊び場がないから
自分でものづくりして遊んでいたんですよね。
近所のおじちゃんに手伝ってもらったりして、
そこで大人との対話が生まれて。
僕の原風景を形にしているのかもしれません」
広島県出身の島津さんは、大学のゼミで「福祉と経営の融合」
について勉強しており、
事例を調べていく中で矢野紙器と出会い、卒業後に入社。
その際、社長から「ダンボール」「障がい者」
「ダンボールを好きな形に切れる機械」をキーワードに
やりたいことをするようにいわれ、今の活動があるといいます。
「よく"ダンボール=強い"って思われがちなんですが、
箱が頑丈すぎると中に衝撃が伝わってしまって意味がないんです。
"ダンボール=弱い"という特徴も伝えていけたら」
また、今後は地域のクリエーターと組んで、
ダンボール製品も増やしていきたいと、島津さんは話します。
尊敬する人の言葉で「やればわかる やればできる」
をモットーとする島津さん、
そして矢野紙器のダンボールへの挑戦は今後さらに広がりを見せそうです。
大阪文化の象徴!?
大阪万博のシンボルとして、
今も存在感を発揮する「太陽の塔」。
その場所に程近い「無印良品イオン茨木」で、僭越ながら、
我々、MUJIキャラバン隊がイベントを開催させていただきました!
この日本一周前に果たした世界一周の話も交えながら、
旅路で見つけてきた逸品が当たるというトーク&クイズイベント。
札幌、福岡に引き続き3回目にして、初めてのクイズ形式だったのですが、
さすがは大阪の方々です!
正解かどうか定かでなくても、お構いなし。
手が挙がる!挙がる!
積極的に参加していただけたので、
話しているこちらも楽しくて仕方がありませんでした。
イベントにご来場いただきました皆様、
誠にありがとうございました!
そんな、こちらの店舗での人気商品もご紹介!
MUJIキャラバンのハッピでそろえた
素敵なスタッフさんたちの持っているものは
、
「優しい昔菓子」。
このシリーズ、私たちも好きなんです!
マーブルチョコに、ふがし、ボーロ、きなこ棒、わた菓子等々
。
その名の通り、昔懐かしいお菓子ばかりで、
見ているだけでもワクワクした気持ちになれます☆
店長によると、
「大衆文化の色濃い大阪ならではの人気商品じゃないでしょうか!」
とのこと。
確かに大阪には、
「中野の都こんぶ」や「当たり前田のクラッカー」など、
昔ながらの名物おやつが生まれていますからね。
無印良品にお立ち寄りの際には是非、おやつコーナーへ♪
大阪人ならずとも、童心に返った気分に浸れると思います。
窓の家
この旅で初めて本格的な雪に見舞われたなか、
琵琶湖東を車で走っていると、「無印良品の家」の看板が。
そこは「無印良品の家 彦根店」でした。
今まで、なかなか機会に恵まれなかったのですが、
37県目にして、ようやく無印良品の家と巡り合いました!
現在、3タイプの家が販売されている無印良品の家のうち、
ここ彦根店は「窓の家」と呼ばれるタイプ。
その名の通り、窓が映えるデザインです。
中に入ると、そこには明るく広々とした空間がありました。
「SE構法」と呼ばれる、骨組み全体で家を支える構造を取り入れており、
柱や区画の壁が少ない分、広々とした吹き抜け空間が実現できているのです。
そして、この窓からの採光と景色。
ベランダは雪模様ですが、空には青空が広がっていました。
まるで絵画のように風景が切り取られる工夫が凝らされており、
窓には木製のものをアルミで保護したサッシが使用されています。
余剰木材を使用した木製サッシにすることで、断熱効果を上げ、
それをアルミで保護することで、木材の耐久性を上げる。
エネルギー効率も良く、かつ、
窓の数だけ美しい風景が生まれる家になっているのです。
「この窓の家は、イギリスのピーターラビットに出てくるような家を
モチーフにしているんですよ」
彦根店のスタッフ、矢谷幸子さんが教えてくださいました。
窓の家の発想の原点は、ピーターラビットの作者も愛したという、
イギリスのコッツウォルズ地方の小さな村。
イギリス人にとって心の故郷の光景といわれるほどに美しい街並みは、
地元で産出される石で造った三角屋根の家が連なったもの。
何代にもわたって住まれてきた家の歴史の重みが詰まっていて、
「なにもないが、そこにすべてがある」光景が広がっているそうです。
そこにヒントを得た窓の家には、
仕上げ材として使われる塗り壁や、床材に使われる無垢の木など、
「永く使える」という理念に基づいたものが使用されていました。
そして、SE構法ゆえに、間取り変更が自由なのも大きな強み。
柱や壁の制約を受けずに、間取りが変更できるため、
子供がいる間、巣立っていった後と、
家族の状況に合わせて空間を設(しつら)えていけるんです。
「無印良品の家のコンセプトは"永く使える、変えられる"。
窓の家は、家の中にも窓を構えられるので、
ここからの景色が私のお気に入りなんです♪」
2階にある出窓からの眺めは、
家族で団らんしているリビングシーンを想起させてくれました。
まるで幼い頃、絵で描いていたような家の形に、
隣合わせの家の状況によって自由に窓の位置や大きさをアレンジできる、
「無印良品 窓の家」。
一度知ってしまうと、忘れられないほどの魅力がありました。
この旅を終えた後の、住まい候補に考えたいと思います。
まずは、土地探しからですが
。
滋賀で人気の無印良品
そんな滋賀県の無印良品の人気商品は意外な逸品でした!
大津パルコ店のさわやか店長が座っているこちら 、
「落ちワタ入り座ぶとん」(1000円)です!
紡績工程から出た落ちワタが入っており、
エコでありながら、その弾力性は抜群。
店長いわく、
「滋賀には古い家屋が多いため、和室でのニーズが高く、
金額的にもお買い求めやすいのではないか?」
とのことでした。
クッションよりも座ぶとんの方が売れるというから、
店長の推測もあながち間違っていないかもしれません。
また、カバーのバリエーションも
以下の通りたくさんあるのがうれしいところ!
ここに載せきれないほど、他にもまだまだ
↓
ネットストア > 座布団・座椅子
新しい無印良品の発見が多くあった滋賀県での滞在でした。
つくるビル
歴史と伝統が息づく町、京都。
近代的な街並みのなかにも、自然と古い町家が溶け込む風景からは、
京都らしい風情を感じます。
そんな京都の中心地に、
一風変わった特色のビルがありました。
外観は一見、古びた建物ですが、名前が「つくるビル」。
なんと、その名の通り、
ビル全体がつくり手たちの「ものづくり」の拠点となっているんです。
しかもこのビル、昨年の12月にオープンしたばかり。
今は入居したての作家や作り手たちが、
まさに自分たちの居場所(アトリエ)を作っている最中でした。
平面作品アーティスト向けの共同部屋(シェアアトリエ)も入居募集中で、
部屋によっては陶芸家向けの電気窯付きの部屋もあります。
中にはショップ機能を持つアトリエや、地元産の野菜を扱う八百屋、
古本から新刊までインスピレーションを与えられる本を取りそろえた
本屋も入居しており、
広々としたカフェも併設。
思わず何かを作りたくなってしまうような空間です。
噂を聞きつけフラリと訪れたのですが、幸運なことに、
この「つくるビル」の仕掛け人の方にお会いすることができました。
石川秀和さん、37歳。
内装デザインの会社で勤務した後、独立を果たしました。
「京都はその土地柄、伝統工芸にまつわる
作り手が制作・活動する場は多分にあるのですが、
現代でアナログ的なものづくりをされている
クリエイターたちが制作・活動する場は少ないんです。
また別の話ですが、町家や古い洋館などは、
京都市など行政から保護もあって残されているんですが、
60~80年代に多くに建てられた一般的な築30~50年程度の古いビルは、
景観保護や文化財等の保護計画から漏れてしまい、
取り壊されてしまったり、使われず廃墟になっていたりするんです。
つくるビルは、このふたつの異なる事情をつなぐアイデアがあり生まれました」
このビルも築50年を迎え、リノベーション前までは、
10年以上入居者がいない部屋がいくつもあるような廃墟的ビルだったとのこと。
石川さんいわく、60年代から80年代(高度経済成長期)に建てられ、
老朽化したことにより、人けのない廃墟となっているビルは多くあるようで、
そのビルの活用方法については、ビルオーナーも頭を悩ませているんだとか。
ビルオーナーにとってはビルを残しながらリニューアルでき、入居者から家賃が得られる、
クリエイターにとっては、古さを生かした自由で魅力的な空間が格安で借りられる。
そんな両者のニーズをマッチングすることで、
廃墟ビルが付加価値を得て蘇ったのです。
これまでの道中にも見つけてきた「今あるものをどう生かすか」の視点。
ただ、この角度でニーズを掘り起こしている方は初めてでした。
「京都には伝統という土台がある、だからこそ、
常に新しい多種多様なモノ・コトが生まれる」
と話す石川さん。
現代の作り手たちが「作る」場から、何が生まれるのか。
今後も目が離せません。
人気商品から見える京事情
京都駅南口近くに構える洗練されたモール。
なんと「イオンモール京都」でした。
こちらの無印良品も、基調をグレーにおいた風格ある門構え。
これまで訪ねてきた郊外型のイオンモールとは一風異なり、
さすがは京都といった洗練された雰囲気が漂っています。
さて、そんな京都らしい無印良品の人気の逸品とは!?
「スタッキングシェルフ」です♪
一体、なぜ?と感じる方も多いかもしれませんが、
京都の住まいは町家に代表されるように、
入り口が狭くて細長いつくりのものが多く、
その様は、「鰻(うなぎ)の寝床」とも呼ばれているそうです。
そのため、大きな家具は搬入不可となるケースがあり、
狭い入り口からでも搬入可能で、空間を最大限有効活用可能な
「スタッキングシェルフ」が支持されているというわけなんです。
組み合わせ自由だから、様々な間取りにも合わせられ、
和風にも洋風にも合うから不思議です。
各地の人気商品から、
地域ごとにその土地柄を把握することの大切さを痛感させられます。
デザイン都市神戸の発信基地、KIITO
神戸は古くから、海外の「人々」「情報」「物資」を受け入れ、
多様な文化の融合の中から、特色ある神戸文化を生み出してきました。
さらに、平成7年の「阪神・淡路大震災」からの復興の過程で、
人の豊かな感性に基づく想像力と、それを生かすデザインの力が
人への思いやりと未来への力となって神戸の復興を支えたと認識できたといいます。
そんな神戸市では、
「住み続けたくなるまち、訪れたくなるまち、そして、継続的に発展するまち」
を目指して、神戸の今と未来をデザインしていくことで、
人間らしい幸せを実感できる創造都市「デザイン都市・神戸」を実現させると宣言し、
2008年10月に、"ユネスコ創造都市ネットワークデザイン都市"に認定されました。
そして、2012年8月には、「デザイン都市・神戸」のシンボルとなる
創造と交流の拠点「デザイン・クリエイティブセンター神戸」(愛称:KIITO)を設立。
"KIITO"という愛称は、"生糸"から来ており、
もともとは旧神戸生糸検査所だった場所なんだそう。
建物内にはその名残があちこちに見受けられました。
KIITOは、神戸で暮らす人や働く人、子どもから大人まで、
すべての人が集まり、話をして、次々に何かを生み出していく場所であり、
一部のアーティストやデザイナーだけでなく、
様々な人や世代が交流し、そこから生まれるアイデアや工夫で
新しい神戸を作っていくということを目的としています。
例えば、「+クリエイティブゼミ」というプログラムを実施。
福祉、防災、環境、医療
など様々な社会的課題に対して、
小グループでディスカッションを行い、
クリエイティブな視点で今あるものを編集していく場を提供しています。
昨年10月には、神戸の子どもたちとクリエイターが一緒に、
「食」をテーマにした夢のまちを作る体験プログラム「ちびっこうべ」を開催。
子どもたちが「シェフ」「建築家」「デザイナー」の中からなりたい職業を選び、
プロの指導のもと、体験ワークショップを通して、
みんなで食べ物のお店を作っていくというものです。
建築家チームは模型づくりから、
シェフチームはメニューのスケッチから手掛けたというから
とても本格的ですね。
また、体験ワークショップから参加できなかった子どもも、
ハローワークに並んで、警察や銀行など当日のお仕事を体験し、
10日間で1万人の来場者を記録し、大成功に終わりました。
「学校教育ではカバーしきれない"本当の創造教育"を
子どもたちにしていかないと」
「ちびっこうべ」のアイデアは、
ドイツのミュンヘンで30年以上の歴史がある「ミニ・ミュンヘン」からヒントを得て、
KIITOの副センター長を努める永田宏和さんが2年以上温めてきて、
ようやく実現させたものでした。
「自分たちで一から考えて作り上げる。
ワークショップは、今の社会へのアンチテーゼかもしれませんね」
永田さんは、NPO法人プラス・アーツの理事長でもあり、
阪神・淡路大震災の教訓を生かす防災教育を中心に活動しています。
2005年から美術家・藤浩志氏と共同で新しいカタチの防災訓練プログラム、
「イザ!カエルキャラバン!」をスタート。
子どもたちや若い親子を対象に、
楽しみながら震災時に必要な「技」や「知識」を身につけてもらい、
"カエルポイント"を集めて、好きなおもちゃのオークションに参加ができる
という仕組みになっているそう。
神戸で始まった「イザ!カエルキャラバン!」は評判を呼び、
東京、横浜、新潟、大阪、宮崎など国内各所で開催するとともに、
2007年以降、その活動は海を渡り、インドネシアやグァテマラ、
エルサルバドル、モンゴルなどでも開催されています。
「"不完全プランニング"を大切にしています」
永田さんは、1つの企画の中で、作るプロセスにいかに人がかかわって、
後に何が残せるかを重要視していると語ります。
「企画を成り立たせるためには、3つの人が必要だと思っています。
『土の人=地域の人』『風の人=いい種を運ぶ人』
『水の人=地域に寄り添って、中間的立場で地域支援をしてくれる人』。
企画はローカライズされればされるほど、定着するんです」
インドネシアに輸出された「イザ!カエルキャラバン!」は形を変え、
学校の先生たちによる有志団体によって、現在も継続されているそうです。
「防災の分野では、日本は進んでいると思います。
それを世界に発信していくことで、
日本人としての海外におけるポジションを築いていきたいですね」
実は無印良品もこのたび、KIITOの運営パートナーとして、KIITO内に、
「MUJI+クリエイティブスタジオ」を構えることになりました。
NPO法人プラス・アーツ、アートディレクター寄藤文平氏らの協力で
2008年より、「日常から備える防災」をテーマとした商品の編集展示、商品開発、
キャンペーン等を継続的に実施してきており、
この活動が今回の協働のベースとなっています。
KIITOを拠点とする、無印良品の今後の活動にも
ぜひご注目ください♪
神戸の無印良品
神戸港の開港以来、いち早く洋菓子文化が定着し、
今なお全国一の洋菓子激戦区でもある神戸。
そんなスイーツが大好きな神戸の人たちに人気の商品を
無印良品 アクタ西宮店で聞いてきました。
アーモンド入りの生地をまるく焼きあげ、粉糖をまぶして仕上げた、
"白い雪の玉"を意味する名前のフランス菓子です。
紅白2色あるので、おめでたい席への
ちょっとした手土産にもいいかもしれませんね。
このブールドネージュ、そうしたギフトニーズも多いらしく、
パッケージに直接値段表示がされていません。
パッケージ裏の☆の数で価格が分かるようになっているんです。
ひとつ食べ始めると、なかなか止まらないおいしさですよ!
極上の甘み、和三盆
江戸時代、鎖国中の日本で唯一、開かれていた長崎県の出島には、
外国との交易のために、日本で大量に採掘された金銀が集められていました。
それら金銀で取引されていた主要な輸入品の一つが、「砂糖」。
当時、輸入のみで賄われていた砂糖は貴重品として扱われていました。
京、大阪、江戸へと運ぶのにたどる長崎街道は別名「シュガーロード」とも呼ばれ、
街道筋では古くから甘い菓子づくりが盛んに。
「長崎カステラ」や、飯塚銘菓「ひよこ」もその類です。
しかし、産出する金銀が枯渇してくると、
幕府は砂糖の輸入を減らすため、国内でのサトウキビの生産を推奨します。
各藩が砂糖生産にしのぎを削るなか、特に高松藩がサトウキビ栽培を奨励。
サトウキビから抽出される黒糖を白糖に精製する技術も確立し、
これらは「和三盆(わさんぼん)」と呼ばれる高級砂糖として流通しました。
この和三盆は、今でも香川県と徳島県の一部地域で生産され、
和菓子づくりには欠かせない砂糖として使用されています。
香川では、この和三盆を干菓子にするための「木型」を作る職人を訪ねましたが、
徳島県では、和三盆そのものを作る現場を訪ねることができました。
徳島県上板町にある「岡田製糖所」。
吉野川の下流域にあたる上板町の土壌は非常に痩せており、
芋さえも満足に育たなかったそうですが、
日照時間の長さと温暖な気候は、サトウキビの栽培には適していたそうです。
訪れた12月中旬は、ちょうど収穫真っ最中で、
50軒弱の契約農家から収穫されたサトウキビが次々運び込まれてきました。
ここで栽培されているのは「竹糖」といって、
沖縄などのサトウキビとは品種が異なり、背丈が低く茎が細いのが特徴です。
ゆえに、搾り汁も限られるため、生産量も多くは確保できません。
ただ、寒さにも強い品種で基本、農薬も必要とせず、
きめの細かい糖分が搾取できるんだそう。
この竹糖の搾り汁から、あくや沈殿物を取り除き、
撹拌しながら煮詰めて、「白下糖」を作っていきます。
この時点では、まだご覧のようなキャラメル色で、糖蜜が含まれています。
糖蜜はミネラル分などの不純物を多く含み、風味が豊か。
ただ、調理の現場からは、風味が少なく甘みの強調されたものが求められるため、
ここから不純物を取り除いた白い砂糖へと加工されていくのです。
ある程度、寝かした状態の白下糖を麻袋に入れ、
酒造りと同じように「押し船」と呼ばれる原始的な器機にかけられます。
徐々に石の重しを加えていくことによって、
ゆっくりと糖蜜を搾り出すのです。
ある程度、蜜を抜いたら、いよいよ和三盆の要ともいえる「研ぎ」の作業へ。
研槽(とぎぶね)と呼ばれる桜の木の台上で、
熟練の職人が精力を注ぎ込みながら、ギュッギュッとこねていきますが、
この時、加える水の量と力具合がポイント。
かつては盆の上で3回研いでいたことから、
和三盆と呼ばれるようになったんだとか。
これを現在では1週間にわたって5回も繰り返し行い、
徐々にとろみのある白色の砂糖へと研いでいくのです。
これを乾燥させ、ふるいにかけるとサラサラの「和三盆」が完成。
ひと舐めさせてもらうと、
ふわりとした上品な甘みが口の中に優しく広がりました。
現在、市場に流通する「上白糖」や「グラニュー糖」といった精製糖の多くは、
機械によって脱色・結晶化したもので、糖度はほぼ100%。
ただ、こうして手作業で研がれた「和三盆」の糖度は85~90%で、
微量のミネラル等がまだ含まれているのです。
父親の後を継いで、研ぎ職人になった坂東永一さんは、
和三盆づくりに対する想いをこう語ります。
「この地域で慣れ親しまれた甘みですから。
父親に負けない和三盆づくりをせんとね」
サトウキビ畑に囲まれて育った坂東さんにとって、
和三盆は小さな頃からの記憶の塊といえるのかもしれません。
この地域で愛されてきた極上の甘みは、父から子へと引き継がれ、
今では全国の甘味ファンの舌を満たしています。
意外な四国の文化圏
訪れるまで四国は一つの文化圏として成立しているのかと思っていましたが、
実際は4県ともにそれぞれ向いてる方向が異なっていました。
香川は岡山、愛媛は広島、徳島は関西、そして、
それら3県に囲まれて独自の文化圏を築く高知は海の先のアメリカ、
というのが、四国人の中でのまことしやかな定説なんだそう。
確かに香川での天気予報は、四国括りではなく岡山と一緒に放送されていましたし、
徳島では関西の放送局が映りました。
そんな徳島で訪れた無印良品「ゆめタウン徳島」では、
影響の強い関西TVの番組で紹介された商品が大人気なんだとか。
それは 、
「マイルドオイルクレンジング」です!
オリーブオイル・ホホバオイル配合で、
うるおい成分にはアンズ果汁、桃の葉エキス使用。
無香料で仕上がっています。
スタッフさんいわく、ポイントメイクにも素早く馴染んでしっかり落とし、
目に入ってもくもりにくいそうですよ♪
私も次のクレンジングに試してみたいと思います!
高知の人気商品
高知県を車で走っていると、その緑の豊かさに目を奪われます。
日本は国土の67%が森林という国ですが、
なかでも高知県は県土の84%が森。
日本でいちばんの森林率を誇る県だそうです。
そんな高知県では、人口の半数弱が暮らす、
高知市のイオンモール高知にある無印良品にお邪魔してきました。
早速、人気商品をうかがうと、
ご案内いただいたのがノートコーナーでした。
新学期前になると、高知県内からノートをまとめて買いに来る
お客様もいるくらいだとか。
なかでも、こちらの「植林木ペーパーノート5冊組」が人気だそう♪
計画的に植林された木を原料に使っているので、
再生紙と比べて、CO2排出量や薬品を使う量が少なく、
環境への負荷が少なくなっています。
森林に囲まれて育った高知県民は、自然のうちに、
木に対する畏敬の念を持ち合わせているのかもしれませんね。
また、こんなノートも愛好家が多いようです。
「再生紙週刊誌4コマノート・ミニ」
高知県はアンパンマンの生みの親、やなせたかし氏を始め、
多くの漫画家を輩出しており、
毎年高校生を対象とした「まんが甲子園」を開催するなど、
鳥取県と張り合う"まんが王国"なんだそう!
もしかすると、漫画家を目指す方などに
お使いいただいているのかもしれません。
このノートは以前、取材でお世話になった方にお渡しした所、
大変喜ばれました。
お子様はすぐに漫画を描くのに使っていましたし、
他にも企画書のラフ作成やコレクションを貼ったり、
TO DOリストに使ったりと、人それぞれの使い道があるようですね。
もうすぐクリスマス★
12月初旬にお邪魔した、松山市近くの無印良品 エミフルMASAKI、
その店内はすっかりクリスマスモードでした☆
スタッフさんいわく、無印良品が年で一番カラフルになる時期なんだそう♪
店内を見ていると、"あの人にはこれあげたいな
"
"あの子にはこれかな
"と次々に贈り物をしたい相手の顔が浮かんできます。
そんなこの時期に選びたいクリスマスギフトの中から
このお店の人気商品をうかがうと
ご紹介いただいたのが
「自分でつくる お菓子づくりを楽しむヘクセンハウス」
楽しみながら"お菓子の家"を作れてしまう手づくりキットで、
完成した食べられるお家には、作り手の個性が表れますね。
こちらは無印良品の店舗スタッフが作ったヘクセンハウスです。
また、こちらの手づくりキットもお薦めだそう!
「モカシンルームシューズ手作りキット」
自分で作ったモノって、より愛着が湧きますよね。
大切な人へのギフト、頑張った自分へのギフト、
みなさんはこのクリスマスに何を選びますか?
受け継がれる灯
店舗スタッフの紹介で、内子町(うちこちょう)を訪れました。
今でも白壁の町並みが残っている、趣のあるこの地区は、
かつてハゼの木の流通で財をなした商人の町でした。
住宅街に突如として現れるこの建物は、
大正天皇の即位を祝して、地元有志の出資により創建された「内子座」。
地元の人々の娯楽の場として発案されたそうですが、
当時の彼らの裕福さを物語っています。
ハゼの果実から採れる木蝋(もくろう)は、
和ろうそくをはじめ、お相撲さんの髪につけるびんつけや、
木工品の艶出し剤、医薬品や化粧品の原料として幅広く使われてきました。
当時、内子町には、約20軒の和ろうそく屋があったそうですが、
大正時代に入ると、石油系のパラフィン蝋が流通し、
現在も木蝋を使った和ろうそくの生産を続けるのは
「大森和蝋燭屋」1軒のみとなりました。
中をのぞくと、奥の作業場で男性が2人、作業をしています。
6代目の大森太郎さんと、7代目の亮太郎さん親子です。
亮太郎さんはアパレル関係の仕事を4年ほどした後、
家業を継ぐために実家に戻りました。
もともと和ろうそくに興味を持っていなかった亮太郎さんですが、
前職場の上司やお客様に家業の話をすると
「それは素晴らしい仕事」とたびたびいわれ、
いつしか自然と継ぐことを考えるようになったといいます。
和ろうそくづくりの工程は、
竹串に和紙と灯芯草(とうしんそう)と呼ばれるい草の茎の皮を剥いだ髄を巻きつけて、
真綿で留めて芯を作り、
その上から溶かした蝋を何度も、何度もかけていくのですが、
なんとその作業は素手で行われていました!
右手で竹串を転がし、左手で40~45℃ぐらいの蝋をすりつけては乾かし、
この作業を何回も繰り返しながら、少しずつ大きくしていくのです。
最後に50℃ぐらいの温度に溶かした蝋をすりつけてツヤ出しし、
先端部分を削って芯を出して、最後に竹串を抜いたら出来上がり。
一連の作業は、途中で置いてしまうと蝋が乾燥してしまうため、
1日で完結させてしまわないといけないんだそう。
1本1本に魂を込めて作られた和ろうそくの断面は、
まるで長年の歳月を経て生み出される年輪のようです!
「これからもこの和ろうそくを作り続けていきたい」
そう話す亮太郎さんの前には、父の背中がありました。
ふと、店内を見回すと、
5代目の弥太郎さんと6代目の太郎さんの仕事風景の写真が。
時を経て、今は手前に6代目の太郎さんがいて、
奥に7代目の亮太郎さんが座っています。
200年余の歴史の中で、代々、父から子へと継承されてきた
内子の和ろうそく。
すべて自然素材で作られ、着色や絵付けも一切されていない
とてもシンプルなものですが、
その蝋の年輪が生み出す炎はとても大きく、
ゆらゆらとゆっくり揺れる灯が、不思議と見る者の心を癒やしてくれました。
うどん県のうどん事情
「このたび香川県はうどん県に改名いたします」
と斬新なキャッチフレーズで観光キャンペーンを打ち出したのは、
記憶に新しい2011年のこと。
事実、香川県民の家計における「うどん」の消費量はずば抜けており、
観光客も香川の魅力について、第一に「うどん」を挙げるというデータもあるそうです。
滞在した1週間のあいだ、うどんを食さない日はなかったぐらい、
うどん三昧の毎日を送った私たちでしたが、不思議と飽きがきませんでした。
それもそのはずで、その食べ方も具材も実に多彩。
釜あげにぶっかけ、しょうゆにダシ汁、カレーはもちろんのこと、
トッピングは肉、人気のちくわ天、ゴボ天、かきあげ、
なかにはたまご天なんていうものまで!
そのお店のスタイルも「一般店」をはじめ、「製麺所付属店」、
最近では「セルフ」といって、カウンターでうどんの玉数を注文し、
あとは自由にトッピングを加えることができるスタイルのお店も多く、
なかには、自分でうどんを湯通しするところもありました。
県内に700店舗ほどあるといわれるうどん店が、
しのぎを削り合っているわけなので、
そりゃどこもおいしいし、様々な創意工夫が生まれるわけです。
そもそも香川県でここまでうどんが食されるようになったのには、
その風土が大きく影響しているといわれています。
降水量が少なく、たびたび干ばつに悩まされてきた香川では、
お米の安定的な生産ができなかったため、代わりに小麦の生産に力を入れてきました。
また、19世紀はじめには全国の約90%の塩が瀬戸内海沿岸で作られていたほど、
香川でも塩づくりが盛んでした。
さらに、先日ブログにアップした良質な小豆島の醤油、
豊富な瀬戸内海産のダシの素になるイリコ(カタクチイワシ)と、
うどんの原料となる素材が手に入りやすい環境にあったのです。
つまり、香川ではうどんは米の代用食のようなものだった様子。
これが、昭和45年の大阪万博で「讃岐うどん」の名が全国に広まり、
その後の瀬戸大橋開通などによって、店舗展開に拍車がかかったそう。
今ではその圧倒的な安さとおいしさゆえに、
他の外食麺レストランの進出は困難だそうです。
それにしても、なぜ讃岐うどんはここまでおいしいのでしょうか?
せっかくなので、讃岐うどんの本場、琴平町で、うどん打ちを体験してきました!
まずは中力粉に食塩水を加え、全体にまぶしていきます。
この食塩水の塩加減を、冬<春秋<夏と変えることが、
年間を通してコシのあるうどんに仕上げるポイントだそう。
そして、しっかり手でこねあげたら、それを袋に入れて足踏み。
これがコシの強さを生みます!
その後、ある程度(季節に応じて1~3時間)寝かせて熟成。
これに打ち粉を振りかけて手で広げ、麺棒で延ばしていくんです。
麺棒を生地に巻きつけながら前方に押し出すように延ばし、
そのまま生地を浮かせながら手前に戻すという「すかし打ち」は、
讃岐独特の高度な技法だそうです。
こうして均等に延ばした生地を重ね、3~5mm間隔で切っていきます。
これをたっぷりのお湯の中に入れて茹でること約10分。
讃岐うどんの完成です!
これをダシ汁で食べるもよし、ぶっかけで食べるもよしですが、
今回はしょうゆで頂きました。
つるつるしこしこの麺は、
ちょっとした味付けだけで極上の味でしたよ♪
その土地に根ざした食には、
その土地ならではの背景、秘伝がありました。
うどん県での人気商品とは!?
そんなうどん県の県庁所在地にある
「無印良品 高松店」の人気商品はなんと
、
自転車でした!
平地の多い高松市内では、自転車で通勤・通学する方も多いんだそう。
高松店は、市街地の中心地にあるため、
自転車を買って、すぐに乗って帰るお客様もいらっしゃるそうです。
なかには、三輪車から始まって、16→20→26インチと
ずっと無印良品の製品を使い続けてくださる方も!
おいしいうどんをたくさん食べて、自転車で消費する。
これがうどん県のライフスタイルなのかもしれませんね!
地域ならではの宝
岡山県中央部に位置する美咲町(みさきちょう)が、
ある食べ物で町興しをしているという噂を耳にしました。
公園内の空き店舗を再利用した、「食堂かめっち」に行ってみると、
そこには40分待ちになるほどの人だかりが!
このお店が提供している食べ物とは
そう、「たまごかけごはん」です。
美咲町出身で、明治時代を代表するジャーナリストの
岸田吟香(ぎんこう)氏が、「たまごかけごはん」を愛好し、
日本に広めたという説があることと、
町内に西日本最大級の養鶏場があることを理由に
2008年に「たまごかけごはん」専門店の同店をオープン。
ごはんとお味噌汁に、たまごとお新香というとてもシンプルなメニューですが、
お米は町内の棚田で栽培した棚田米、
たまごは町内の養鶏場から毎日入荷する生みたて、
そしてお醤油も地元のものという、美咲町づくし。
それも300円で、ごはんとたまごのおかわりが自由なんです!
お醤油をベースとした「しそ、ねぎ、のり」のオリジナルのタレで、
いろいろな味を楽しめるのもうれしいところ♪
それにしても不思議です。
ごはんにたまごを乗せて、お醤油を数滴かけただけのこの食べ物が
どうしてこんなにおいしいのでしょう
。
これも"地産地消"だからこそ、
この新鮮さを実現できているのだと思います。
地域ならではの資源を発掘し、磨いていくことで、
人を惹きつけることができるんですよね!
同じく美咲町に、地域の資源を活かして、
とあるファンを魅了している場所がありました。
吉ヶ原(きちがはら)駅。
ここは同和鉱業「片上鉄道」の駅で、
鉱山の閉鎖にともない、1991年6月に廃駅となったのですが、
ファンからの熱烈な要望により、駅と一部線路が残されました。
今では毎月第1日曜日にだけ、片上鉄道保存会によって
保存車両の展示運転が行われています。
鉄道は片道約300メートルだけ走り、
片上鉄道保存会の1日会員になると、車両に乗車することができるんだそう。
また、駅の入り口にはこんな看板が。
駅長猫!
残念ながら、その日は在宅勤務でしたが、
毎月第1日曜日には勤務姿がお目にかかれるそう。
代わりに見つけたカフェらしき小屋に入ってみると、
駅長猫には会えませんでしたが、ネコラテがありました☆
このラテを作ってくださったカフェ店主の森岡さんにお話を伺うと、
ご自身も片上鉄道保存会の方でした。
「片上鉄道の一部を残したことで、ここは人が集まる場所になりました。
それも、ゆっくりとですが徐々に人も増えていっているんです。
この"ゆっくりと"というのがポイント。田舎ではこのぐらいのペースがいいんです。
猫駅長のおかげで鉄道ファン以外の方もお越しいただけているんですよ」
とても印象的な言葉でした。
新しいものを作ることは簡単かもしれませんが、
古いものを壊してしまったら、それは二度と戻ることはありません。
「たまごかけごはん」にしても、「吉ヶ原駅」にしても、
地域ならではの資源を磨いていったことで、
それは今、地域の宝として陽の目を浴び始めています。
そんな美咲町の宝を味わいに、
月初めの日曜日には、2大スポットに出掛けてみてはいかがですか?
岡山県の愛され商品
あれ? なんだかくつろいでいますね!
スタッフさんが座っているのは、
「体にフィットするソファ」!
岡山は倉敷で立ち寄った、無印良品 イオンモール倉敷では、
この「体にフィットするソファ」がとっても愛されている商品なんだそう。
私たちも以前から自宅で使っていますが、
座ると本当におしりにフィットして、座り心地抜群なんですよね!
「みなさん家族の分をそろえていらっしゃったりするんです。
平屋の家が多くて、家も広いからじゃないでしょうか」
カラーバリエーションもこの通り★
自宅に色違いでそろえられたらかわいいですね♪
まんが王国とっとり
2012年は鳥取県が地域のマンガ・アニメカルチャーの豊かさをアピールする
「まんが王国とっとり」を建国した、
記念すべき年であることをご存じでしたか?
私たちが鳥取県に入った週末には、偶然にも米子(よなご)で
「国際マンガサミット鳥取大会」が開催されていました。
鳥取県は、『ゲゲゲの鬼太郎』の著者である水木しげる氏を始め、
『名探偵コナン』の青山剛昌氏や『神々の山嶺』の谷口ジロー氏など、
多くの著名なまんが家を輩出してきた県であり、
この素晴らしい鳥取県自慢の「まんが文化」を世界に広めていこうじゃないか!
ということで、「まんが王国とっとり」を建国したそうです。
といっても、鳥取県のまんがによる町興しは今に始まったことでもありません。
水木しげる氏の故郷・境港市には、1993年に
水木しげるの代表作である『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』
に登場する妖怪をモチーフにした銅像を設置する「水木しげるロード」を設置。
また、米子から境港市までをつなぐJR境線では、
「鬼太郎列車」が同年から運行されています。
普段、キャラバンカーで移動している私たちですが、
せっかくなので車を置いて、「鬼太郎列車」に乗って境港へ行ってきました!
各駅名には、「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪名がついていて、
出発は「ねずみ男」駅(米子駅)から。
車内も鬼太郎一色で、アナウンスは鬼太郎と猫娘の声優さんが担当♪
もちろんれっきとした移動手段であり、地元の乗客も多く乗っているので、
はしゃぎ過ぎてはいけませんが、
なんだかアトラクションの一種のように、ワクワクしました!
45分ほど電車に揺られ、ついた先は「鬼太郎」駅(境港駅)。
ゲート(写真下)をくぐって、いよいよ"妖怪の国"へと入国すると
そこには水木しげる氏の世界が広がっていました。
浮き立つ気持ちを抑えながら水木しげるロードを進むと、
なんと!!!
向こうから鬼太郎が歩いてくるではありませんか!
あまりにも自然に歩いていたのでビックリしましたが、
さすがは人気者、すぐにみんなに囲まれていました。
平日にもかかわらず、この人だかりです。
これまで他の地域でも、キャラクターによる町興しは見てきましたが、
ここまで徹底して行っている町は初めてだったかもしれません。
町と鉄道と市民、すべてが協力しないと、こうした町興しは難しいと思いますが、
その壁を乗り越えて実現しているとは素晴らしいですね。
「まんが王国とっとり」が次に何を仕掛けてくるか、楽しみです。
冬支度
鳥取県では、米子近くの無印良品 イオンモール日吉津に
お邪魔してきました。
店長さんいわく、
「鳥取って西日本なので温かく思われがちなんですけど、
北陸と同じ日本海側でして、冬はとっても寒いんですよ」
とのこと。
店長さんは冬に雪で電車が停まって家に帰ることができず、
年末年始をお店近くのホテルで過ごしたこともあるんだとか
。
最近めっきり寒くなってきましたが、
これからもっと寒くなると思うと身震いしてしまいますね。
そんな冬に備えて、これからの時期活躍すること間違いなし!な、
こちらの人気商品をご紹介いただきました。
「タッチパネル手袋」です。
3本の指先部分に導電性の糸を編み込んであり、
手袋をはめたままで、タッチパネルの操作ができるんです!
私たちも去年から愛用していますが、寒い中で手袋をはずさずに
スマートフォンをスムーズに操作できて気に入っています。
今年も間違いなく活躍してくれそうですが、
願わくは、もうしばらく手袋をはめなくてもいい気候が続きますように
。
"民藝の器"を生み出す、湯町窯
流れるような直線と波線が織りなす文様に、
くまのプーさんのはちみつ壺を連想させる、黄色い釉薬が印象深い器たち。
素朴だけれど、どこかモダンで手づくりの温かさを感じます。
これらは、松江市玉湯町の玉造温泉駅から程近い住宅街にある、
「湯町窯」で作られており、
その地で育まれてきた歴史を踏襲した器たちです。
江戸時代に松江藩の御用窯として始まった"布志名焼(ふじなやき)"のひとつで、
大名茶人でもあった第7代藩主の松平不昧(ふまい)公の好みを反映した
茶器を中心に発展してきた歴史を持ちます。
大正11(1922)年に開窯した湯町窯では、当時、
火鉢を中心に作っていたといいます。
各家庭で会合があり、手を温めたり、灰皿代わりに使ったりと、
1軒で10~20個も火鉢が使われていたんだとか。
昭和に入り、民藝運動(毎日使う実用雑器にこそ美が必要という考えから、
それらを生み出す名もなき職人たちの手仕事に光を当て、それを広めようとした運動)
にいち早く参加し、その創始者である、柳宗悦やバーナード・リーチ、河井寛次郎らから
直接指導を受ける機会に恵まれ、洋食器が多く作られるようになりました。
湯町窯の3代目・福間琇士さんは、当時、2代目である父親の貴士さんの後ろから
その様子を見ていたそうです。
飾られていたこの写真は、バーナード・リーチ氏(左)が作る様子を見守る、
湯町窯・2代目の福間貴士さん(手前)と柳宗悦氏(右奥)。
そして、これはバーナード・リーチが1953年に湯町窯で作ったお皿。
これまで各地で見てきた焼き物の裏には、
必ずといっていいほど、民藝運動の足跡があり、
ここに来て、その実施者と直接かかわりを持った方にお話を伺うことができ、
なんだか感無量でした。
湯町窯では、地元産出の粘土や釉薬を使っていますが、
美しい黄色の釉薬が、英国のガレナ釉(鉛の硫化物)に似ていたこともあり、
バーナード・リーチがとりわけ興味を持ったのだそうです。
「いつも初心に返って、リーチ先生、ご先祖様、諸先生のおかげで
やらせてもらっていることを忘れずに作っています」
そう謙虚に話される、3代目の福間さんに、
バーナード・リーチ直伝の技を見せていただくことができました。
粘土と水を混合した泥漿(でいしょう)釉で化粧掛を施し、
乾かないうちにすぐ別の釉薬が入ったスポイトで模様を描いていきます。
「スリップウェア」と呼ばれる手法です。
その作業の早いこと!
スルスルと描かれ、あっという間に終わってしまいました。
ちなみに、焼き上がった器が、冒頭の写真にある黒いお皿です。
続いて、実演してくださったのがコーヒーカップの取っ手付け。
粘土を細長く伸ばし、コーヒーカップの側面上部に付けると、
指で生地を伸ばしながら、下部になじませていきます。
「取っ手を取って付けるのではなく、木に枝が生えるように付けるようにと、
リーチ先生から教わりました。
長さと厚さをつかむまでに随分と苦労しましたが、指一本が入って、
触れると熱い側面に指がくっつかないような持ちやすい仕立てになっています」
通常、型で取っ手の形を作ってから付ける手法が多いそうですが、
手で生地を伸ばして付ける方が圧倒的に速いといいます。
福間さんがニコニコ笑顔でこう続けました。
「ひとつ自慢してもいいですか?
この手法で1時間に150個取っ手を付けたことがありますよ。
当時それだけ買っていただけたので、上手になったんですけどね」
どこまでも謙虚な福間さんが、「これもうちの代表的な器です」
とご紹介くださったのが、このエッグベーカー。
ふっくらとしたフォルムが愛らしいエッグベーカーは、
50年以上のロングセラー商品で、これもバーナード・リーチ氏のアドバイスをもとに
生まれた逸品だそう。網の上やオーブンで調理して、
そのまま食卓に並べられる、お洒落で機能的な器です。
フタを開けると、ふわりと卵の香りが漂い、
出来上がった目玉焼きはトロリと絶妙な半熟具合に仕上がっていて、
これまでに食べたことのないおいしさでした!
盛りつける器によって、ごはんのおいしさは変わると思いますが、
「これを使って次は何を作ろうかな
」という、調理が楽しみになる器には
初めて出会ったように思います。
そう思わせてくれることこそが、暮らしの中に溶け込む
"民藝の器"である証なのかもしれません。
お茶文化が根づく町
島根県では、出雲市にある無印良品 ゆめタウン出雲へ。
いつものように人気商品を伺うと、紹介してくださったのがコレ↓
スタッフさんが手にするのは、
有機ハーブティーティーバッグ ルイボスティー(写真左)と、
スティック切れ端干しいも(写真右)です。
上述の通り、大名茶人の第7代松江藩主・松平不昧公の影響か、
出雲人はお茶が大好きだそうで、
お茶とお茶に合うお菓子が人気のようですね!
出雲地方では「ぼてぼて茶」という珍しいお茶も見かけました。
煮出した番茶を茶せんで泡立たせ、
その中にごはんやお豆、たくあん、こんぶなどを入れて飲むというもの。
名前の由来は、泡立たせる際の音から来ているそうですが、
そのルーツは、奥出雲のたたら製鉄の職人さんたちが高温で過酷な作業の合間に、
立ったまま口に流し込んでいた労働食だったという説や、
不昧公の時代の非常食だったという説、
上流階級の茶の湯に対抗して庶民が考え出した、
趣味と実益を兼ねた茶法だとする説などいろいろあるようです。
そういえば、富山県では「バタバタ茶」というものに出会いました。
なんだか響きが似ていますね。
ちなみに、ルイボスティーは南アフリカに伝わるノンカフェインのハーブティーで、
口当たりがとても滑らかで、なんだかホッとする味。
スティック切れ端干しいもは、その生産者を茨城キャラバンで取材しました。
無印良品のお茶もお茶菓子も種類がたくさん。
あなたのお気に入りの組み合わせを見つけてみてください!
100年後の家具づくり
無印良品広島パルコ店を訪ねました。
なんとも温かみのある店構え。
中に入ると、店構えに負けない温かいスタッフたちが、
10月下旬からスタートしたキャンペーン
「ウール地球大」を体現しながら迎えてくれました。
すっかり寒くなってきた今日この頃、
世界中の寒冷地帯に生きる動物たちからの恩恵をまとって、
温まってみるのもいいですね☆
そんな広島パルコ店での人気商品は、
こちら!
「リアルファニチャー」無垢材家具シリーズです!
無垢材は、木のぬくもりが感じられて、心安らぐから不思議です。
ところで無垢材って、一体何のことなのでしょうか ?
「純粋無垢」という言葉がありますが、この場合の無垢は
「けがれがないこと」を意味します。
それと似たニュアンスで、無垢材とは、天然木をそのまま切り出し、
余分な手を加えていない木材のことを指すようです。
その分、重たいですが、木本来の質感が楽しめ、
使うごとに色艶が深まり、味わいを増していきます。
実は、これらの無垢材家具シリーズは、広島県で作られていました。
広島県は、全国でも有数の家具の町としても知られているんです。
早速、広島県府中市にある、
無垢材のダイニングテーブルを生産する工場を訪ねました。
案内してくださった瀬尾さんに、
府中市が家具の産地になったゆえんについて教えてくれました。
「もともと、旧松永港(現・尾道糸崎港)に入ってきた桐材を使って、
農閑期に家具を作り始めたのが由来です。
その後、タンスなど婚礼家具の需要にともない、発展していきました。
他の産地に比べ、そこまで木材が多くあった土地ではないので、
ノミ・カンナを使わせたら一丁前ですよ」
職人によってなんと40年も使い込まれたノミ・カンナを
特別に見せていただきました。
「機械化された現在でも、商品の良し悪しを決めるのは、
最後は人の手。木は生き物ですから」
その道40年の職人は、そう語ります。
実際、工場内には、大型機械が導入され、
家具用の大きな木材も自在に姿を変えていきます。
しかし、その多くの工程で、職人の手が加わっていました。
瀬尾さんは、
「何より、木を見る目がとても大切」
と語ります。
FSC(Forest Stewardship Council、森林管理協議会)等が認証した、
世界の森林保全のために、適切に管理された森林からの木材の中でも、
最高クラスの木材を仕入れ、
その中でも、良質な木材が職人の目によって厳選されるのです。
現在では、なかなか手に入りにくい節ありの木材を、
アメリカまで直接、仕入れに行って作られたダイニングテーブルも展開中。
節ありの木材は、そもそも少量しか採れず、扱いにくいため、
これまではあまり市場で使われてこなかったそうですが、
あえてそんな木材に注目し、味のある家具として世の中に蘇らせていっています。
「世界に一つとして同じ模様のないオリジナルのテーブルを、
ぜひ、店頭で見て、触ってみていただきたい」
瀬尾さんがオススメする無垢材(節あり)ダイニングテーブルは、
全国の無印良品大型店舗で、数量限定で販売中です。
続いて、無垢材のチェアを生産する工場を訪ねて、広島市佐伯区へ。
日本で最も古いデザインの椅子を生産し続けている工場で、
木材の複雑な加工を得意としています。
こちらでも同様に、
FSC認証の木材から厳しい目で木材が選ばれていっていました。
工芸の工業化を牽引した工場でもあり、
技術力の結晶のような機械が、目まぐるしく稼働しています。
「高価な機械でも、それを使いこなせるかが鍵です。
複雑なプログラミング技術を要しますが、それが技術力の差を生みます」
生産本部を担う三井さんは、そう語ります。
事実、座り心地を追求した曲線を実現するために、
こちらの機械では、縦×横×高×角度×回転の、
なんと5次元を制御しながら稼働させていました。
優秀な技術者でもプログラムを組むのに、
約2カ月を要するほど高い技術力が求められるそうです。
「ただ、仕上げはやっぱり人の手です。
ここで良品か否かが決まるといっても過言ではありません」
ここにも、日本の職人のていねいな手仕事がありました。
営業部門を統括する千葉さんは、
家具づくりにかける想いをこう語ります。
「100年後も世界で愛され続ける家具を作りたい。
そのために、長くものづくりを続けることが大切だと思っています」
一つひとつ異なる、生きた木材を使って、
常に同じ形のものを作り続ける難しさ。
その背景には、細部にまで手を抜かない、
日本の確かな技術力が生きていました。
国産の無垢材家具シリーズには、
日本のものづくりの技術と想いが結集しているように思いました。
琉球ガラス
日本のガラスの産地といって、
真っ先に頭に浮かんでくるのが「琉球ガラス」。
沖縄県内のお土産屋さんでは、
必ずといっていいほど目にします。
北海道の小樽もガラスで有名ですが、その由来は全く異なるようです。
明治中期、開拓中で電気の普及が遅れていた北海道では、
ガラス製の石油ランプが重宝され、漁業用の浮き玉とともに、
国際貿易の玄関口だった小樽で、ガラス製造が栄えていきました。
一方、アジアとの国際貿易の拠点の一つであった沖縄では、
明治中期にはガラス製造の技術は伝わっていたようですが、
その生産が本格化したのは、第二次世界大戦後。
駐留する米軍によって持ち込まれたコーラやビールの空き瓶を、
戦後の資源難を乗り切るために、溶かして再生したことに由来するのです。
再生の過程で混入する気泡や、厚みのある琉球ガラスは、
南国的情緒のある工芸として広まっていきました。
そんな琉球ガラスのルーツともいえる工房が、
那覇市内にある「奥原硝子製造所」。
ガラスの原料を手に入れやすくなった今日では、
多くの琉球ガラスの工房が、原料を業者から仕入れているようですが、
奥原硝子では、今でも廃瓶を使い続けています。
例えば、本来捨てられていた窓ガラスの切れ端は、粉砕され、
このように淡いグリーンがかった、美しいガラス食器に生まれ変わります。
バヤリースの廃瓶も、ロゴマーク部分を削ったうえで粉砕され、
この通り、日常使いのコップに様変わり。
一升瓶も渋い輝きを放つグラスに、
緑の瓶は、見ているだけでも心満たされるような器になりました。
その色みとポッテリとした厚みからは、
独特の素朴さと暖かみを感じます。
こうして再生されたガラスは、
当時、米軍基地内やアメリカ本土にも輸出されていたほど、
その技術が評価を受けてきました。
琉球ガラスは、主に「吹きガラス」の製法で作られますが、
吹き竿の先に溶けたガラスを巻き取り、息を吹き込んで膨らませる「宙吹き法」と、
型の中にガラスを吹き入れて形成する「型吹き法」の2種類があり、
その過程の多くはチームプレーで行われています。
ただでさえ暑い沖縄で、約1400℃の窯の焚かれた工房内は
灼熱のような暑さに見舞われますが、
ガラス職人たちは黙々とガラスを作り続けていました。
代表の上里さんは、ガラスづくりに対する想いをこう語ります。
「廃瓶を使ったガラスづくりこそが、琉球ガラスの原点。
これからも廃瓶を日常使いできるガラス食器として蘇らせたい」
琉球ガラスには、こうした深い歴史が刻まれていたのですね。
物事の原点を忘れないためにも、
その歴史的背景を知ることの大切さを痛感しました。
沖縄ならではの人気商品
沖縄県にも、もちろんあります!「無印良品」
県内3店舗あるうちの、国際通りに最も近い
「パレットくもじ」店を訪れました。
こちらの人気商品は、一大観光地ならでは↓
「ハードキャリー」です。
その人気は沖縄県民からというよりも、
なんと観光客からのものでした!
それにしても、なぜでしょう?
国内はもちろんのこと、中国や韓国からの観光客が多い沖縄には、
琉球ガラスをはじめとした魅力的なお土産品が多く、
それらお土産を大量に買った観光客たちが、
持ち帰るためのケースが必要になるわけなのです。
また、海外にも展開している無印良品ですが、
ジャパンブランドのアイテムは
もちろん日本で買うのが一番安いということで、
海外からの観光客が洋服などをハードキャリーに詰めて、
買って帰るんだとか。
他にも、インナー向きのTシャツや、
携帯用サイズの化粧水シリーズも人気☆
これらも、旅先に忘れ物をした観光客からの需要だそう。
修学旅行生からは、お菓子も人気です♪
店長のオススメは「ぶどうのクッキー」!
レーズンとココナッツを活かした素材の甘さが
控えめでおいしいそうですよ!
食欲の秋に
いつの間にやらすっかり秋ですね。
秋といえば
読書の秋、スポーツの秋、そしてやっぱり「食欲の秋」!
脂ののったおいしいさんまの季節ですね☆
無印良品アミュプラザ長崎では、
さんまの季節にピッタリの人気商品、その名も
「白磁 さんま皿」
をデデーンと見せていただきました!
このお皿は昨日のブログでもご紹介した、
長崎県の中央部にある波佐見町で作られているんです。
さんまを丸ごと一尾のせることができて、
仕切りがあるので、大根おろしの汁も気にしなくて済みます。
「さんま皿」という名はついていますが、
もちろんその他のお魚料理にも使えます。
実は長崎県は日本一、島の数が多い県。
つまり、海に囲まれていて海産物に恵まれている土地なのです。
長崎でこのお皿が人気なのも納得ですね♪
そして、長崎では「かまぼこ」も人気って知っていましたか?
通称"かんぼこ"として親しまれ、
様々な種類のかんぼこが売られていました。
そう言われて見てみると、長崎の名物料理、
「長崎ちゃんぽん」にも、
「茶碗蒸し」にも、
「具雑煮」(島原のお雑煮)にも、
しっかり"かんぼこ"が入っていました。
でも残念ながら、長崎が"かんぼこ"で有名って
県外にはあまり知られていない事実。
それをもっとPRしていこうと、
長崎市内のかんぼこ屋さんや飲食店、行政や各種団体が一緒になって
「長崎かんぼこ王国」を昨年、建国したそうですよ!
その戦略商品第1弾として、「長崎おでん」なるものを開発。
飛魚(あご)ベースの出汁に、長崎のかんぼこ屋さんが作った
練り製品を入れるのが条件だとか。
スーパーでも見かけましたし、県内の飲食店で
これからの季節にお楽しみいただけるようです。
「食欲」は冬になっても変わらなそうですね !
Found MUJI九州
4月1日にスタートしたキャラバンも半年が経ちました。
9月末に訪れた福岡県で23県目、ようやく折り返し地点です。
福岡県といえば、昨年度リニューアルオープン時にもお邪魔した、
「MUJIキャナルシティ博多」。
素材や着心地を吟味した衣料品シリーズMUJI LABO、
流行を追わない簡素で美しい家具シリーズREAL FURNITUREなど、
日々の暮らしを丁寧に、より豊かに整えたい方々に向けた商品を揃えた
MUJIとして、東京以外の初の地方都市店舗としてオープンしました。
世界中から無印良品の考えをもとに見つけてきた「Found MUJI」も
数多く取り扱う大型旗艦店です。
無印良品はもともと、ものを作るというより、探すとか見つけ出す
といった姿勢で生活を見つめてきたといいます。
永くすたれることなく活かされてきた日用品を世界中から探し出し、
それを少しだけ生活や文化、習慣の変化に合わせて改良し、
適正な価格で再生するというのが基本姿勢だったのです。
2003年からはこの活動を「Found MUJI(見出されたMUJI)」と命名。
さらに世界の細部にまで入り込みながら良いものを探す旅を始めています。
当然、こちらの人気商品は、
このFound MUJIの商品だそう!
なかでもスタッフさんのお薦めは、
200年以上の歴史を持つチェコの文具メーカー、
「コヒノール社」の文具シリーズ。
チェコでは大統領への贈答品として用いられるほど、
信頼を持つ文具だそうです。
海外ならではのポップなデザインが目を惹きますね☆
そして今回、リニューアル1周年を記念して、
MUJIキャナルシティ博多では「Found MUJI九州」を開催。
昨日のブログでも綴った、福岡の伝統工芸「小石原焼」を
今の食生活に合わせた形で開発された「COCCIO」シリーズや、
椎茸ドレッシングをはじめとした、厳選された食品まで。
九州中から集めた良いもの、良い食が集まっています。
他にも、陶芸体験(9月のみ開催)をはじめとした、
各種ワークショップも開催。
この「Found MUJI九州」の一つのコンテンツとして、
我々キャラバン隊もトークイベントを行わせていただきました♪
九州の文化や習慣に根ざし、永く愛されてきた素材やものを中心に、
このキャラバンの前半戦のハイライトをお話ししました。
この「Found MUJI九州」のイベントは、
MUJIキャナルシティ博多で、10月28日(日)まで開催中。
お近くの方、ぜひお立ち寄りください♪
今までとは一味違うMUJIが見られると思います。
私たちキャラバン隊も、後半戦に突入しました。
これからも健康、安全運転を心掛け、
地域の素晴らしい文化を発信していきますので、
応援のほどよろしくお願い致します!
大人のおやつ
お茶の請け菓子としても、お酒のおつまみとしても
どちらにも合うお菓子に出会いました。
佐賀県鳥栖(とす)市にある、高砂屋さんの作る
「豆菓子」です。
豆菓子といっても、ピーナッツ(落花生)から
エンドウ豆を使ったものまで、原料の豆の種類はさまざまありますが、
高砂屋さんでは"そら豆"をメインに扱っています。
自分たちにしかできない商品は何かを考え、
他があまり手掛けていなかった、そら豆に目をつけたそうです。
もともと佐賀県内ではそら豆を生産しており、
乾燥そら豆を焼いたものが、腹持ちがよく保存も利くことから
筑豊炭田で作業する人々のおやつとして食べられていました。
しかし、現在、野菜として食べられるそら豆は、
四国と九州の一部で栽培されているようですが、
乾燥そら豆についてはほとんどが輸入だそうです。
「うちは中国の"青海そら豆"を使っていますが、
安いからではなく、質がいいからそれを選んでいます」
と、社長の森光さん。
青海そら豆は、中国最西部のチベットに近い青海地区で栽培されており、
標高約2500mの高地なので、害虫がいないため農薬を使っていない、
安心・安全の原料だといいます。
また、粒が大きく、味が濃いのが特徴だそう。
豆菓子を作るには、まず原料の乾燥そら豆の皮を剥いて、
一晩水につけておきます。
そうして柔らかくしたものを揚げて、フライビーンズに。
この状態で味見をしてみましたが、
サクサクしたスナックのような食感です。
そして、その後の工程は、味つけによって異なります。
黒糖そら豆などりんかけ(砂糖をからめる作業)をするものは、
熱の通りやすい銅鍋に移し、
手作業で糖蜜をゆっくり絡めていきます。
高砂屋さんでは、このりんかけを12~13回も繰り返すのです。
とっても手間のかかる作業で、
さらには全体に均等にかかるように、経験が活きる職人技。
りんかけ後のそら豆を噛むと、
じっくりとした甘さが口の中に広がりながらも、
そら豆のサクサク感と、そら豆自体の味も残っていて
なんとも深い味わいです。
一方のおつまみそら豆は、
フライビーンズをさらに焼いてから味つけします。
よりサクサクッとして、黒こしょうを絡めたものは
まさにビールが進みそうな味に!
他に、みそ味、カレー味、ゆず味など
バリエーションが豊富なのもうれしいですね。
「そら豆の味がしなくなったら意味がないので、洋物は作らないんですよ」
とおっしゃるように、見てみると確かに厳選された
"和"の味が並んでいました。
高砂屋さんでは、そら豆をいかにおいしく食べてもらうかに注力して、
味つけに合わせて製造工程も変え、
また、注文が入ってからしか作らないそうです。
素材の味を存分に引き出したこの豆菓子は、
上品で贅沢な味わいです。
ふと、「大人のおやつ」というワードが頭に浮かんできました。
高砂屋さんの豆菓子は、Found MUJIの商品として
MUJIキャナルシティ博多で一部商品を販売予定です。
ぜひお試しください♪
※MUJIキャナルシティ博多での販売商品は、別パッケージになります
1年ぶりの再会
佐賀県は実は昨年の今頃にもお邪魔していました。
このMUJIキャラバンの前身企画で「なるほど調査隊 in 福岡周辺」
と称して、福岡・長崎・佐賀の3県を旅しながら
"なるほど"を探す旅をしていたのです。
その際に訪れた、無印良品 ゆめタウン佐賀へ
1年ぶりに行ってきました!
すると、うれしい再会が♪
ちょうど1年前にも迎えてくださったスタッフさんが
今年も笑顔で迎えてくださいました。
早速、恒例の人気商品を伺うと
「あえるだけのパスタソース」をご紹介いただきました。
しかも、このパスタソースシリーズ、
佐賀県唐津市で作られているんだそう。
現在、8種類の味で展開していますが、
スタッフさん一押しの味は「うにクリーム」!
実は、私のお気に入りもこれでして。
パスタを茹でて絡めるだけなんですが、本当においしい☆
バリエーションが豊富だと、全部試してみたくなってしまいますね。
地域のためにできること
地域のために何かしたい。
ただ、何をしていいのか分からない。
そんな人も多いのではないでしょうか。
熊本で、地元熊本のためにできることを、
自分の結婚式で実践された方にお会いしました。
熊本市内で設計や地域計画の仕事をする宮野桂輔さん。
仕事上、県内あちこちで様々な職種の人々と知り合い、
その人々が作りだすモノやサービスの魅力に触れてきました。
その人々の仕事の様子が熊本の大事な風景であるとも感じ、
それを結婚式の招待客に紹介したくて作ったのが
引出物カタログでした。
「肥後尽くし」
その名の通り、肥後(現・熊本)のモノ・食・体験を
集め地域別にまとめたのがこのカタログです。
48人の人が登場し、120種類のラインナップ。
塩、瓦、炭、焼物、食事券、宿泊券など様々です。
熊本県内の面白い人や美しい風景を紹介する読み物のようでもあります。
「なにも海の向こうから取り寄せなくても、
この熊本にもいいものは結構あるんです。
すぐ近くにそれを作り続ける人たちが今もいるわけで、このカタログを通じて
少しでも買い手と作り手がつながってもらえればと思いまして。
余計なお世話かもしれないんですけどね(笑)」
そう、恐縮しながらも話す宮野さんの作ったカタログには、
ほとんどの生産者の写真が掲載されていました。
しかし、その中で後継者が決まっている人は少ないといいます。
各地の産業が置かれている厳しい現実が垣間見えます。
買い手と作り手の新しい接点が、その産業に小さな活力を生み出し、
結果的に熊本の美しい風景を残したり、作ったりすることができないか。
宮野さんはこのカタログで、最後にこう締め括っています(一部略)。
「少しでも良いものを作ろうと不断の努力をしているエネルギーが、
なかなか世間に知れ渡らないとすれば、それは残念なこと。
一方で、誰かが作っているモノの存在を知らないばかりに、
それを買い、身近に置く楽しむ場面がなかなか増えないとすれば、
それも残念なこと。この二つの残念を繋ぐことができれば、
この披露宴にもささやかな意味があったのではないか
」と。
地域のためにできること。
それは自分の周りの人々を繋いでいくことからでも、
始めることができそうです。
熊本で人気の無印良品
無印良品熊本パルコ上通りへお邪魔しました!
パルコというからテナントビル内かと思いきや、
パルコ駐車場1階の路面店。
店内もこの通り広々していながら、
とても素敵に商品を陳列されていらっしゃいました。
さて、気になるこちらの店舗の人気商品は、こちら↓
なんと、「電卓」です!
さらに、「キャンドルミニ・無香・36個」に、
オーガニックコットンの白シャツ各種まで!
これらに共通する理由は何だと思われますか?
その理由は、こちら。
熊本市内の繁華街に位置するため、
周囲にはレストランやショップがたくさん立ち並んでいます。
これらのお店の備品として、
無印良品の商品を選んで愛用いただいているようです。
桜島のあるくらし
鹿児島市内を車で走っていると、目の前に大きな島が!!!
世界有数の活火山・御岳(おんたけ)を有する、「桜島」です。
鹿児島市の市街地からわずか4km、
フェリーを使うと15分で行けてしまう場所なんです。
しかも、このフェリーは約10分間隔で24時間運行!
24時間運行の公共交通機関って、初めて聞きました。
錦江湾に浮かぶ桜島は、以前はその名の通り「島」でしたが、
1914年の大正噴火で流れた溶岩によって海峡が埋まり、
大隅半島の一部となり、車で行くことも可能になりました。
桜島というと、噴火のニュースを時々耳にしますが、
島に着いて最初に訪れたビジターセンターで、衝撃の数字を目にしました。
「860」
なんとこれ、今年になってから9/5までの間に
桜島が噴火した回数なんです!
単純計算して、1日平均3.5回の噴火。
しかも爆発的噴火も1日に約3回起こっている
。
私たちが滞在していた数時間の間にも、
ふと見ると、黒煙がもくもくと上がっているではないですか!?
驚きです。
現在、桜島には2312世帯、5116人が暮らしているそう。
(2012年1月1日現在)
古くは縄文時代から、人々はこの地での生活を始めていたんだとか。
島内には、大噴火や土石流など、火山災害の跡や、
この地に暮らす人々の工夫が所々で見受けられました。
これは大正3年の大噴火で3mの鳥居がほぼ埋没してしまった跡。
道路には、火山灰の入った袋が積まれていたり、
大噴火の際に避難する避難壕が設置されていたり。
子供たちはヘルメットを被って登下校。
また、灰がかからないようにお墓に屋根がついているのも
当たり前だそうです。
身に危険が及ぶ可能性がありながらも、人々がここに暮らす理由、
それは火山の恵みがあるからです。
日々の疲れを癒やしてくれる豊かな温泉もそのひとつですし、
土砂流でできた土地は、水はけがよく、
世界で一番大きな大根「桜島大根」や
世界で一番小さなみかん「桜島小みかん」を生み出してくれています。
さて、そんな桜島を持つ鹿児島市で訪れたのは、
無印良品 アミュプラザ鹿児島。
このお店の人気商品をご紹介いただくと、
連れていかれたのはランドリーコーナーでした。
「鹿児島市内も、桜島の火山灰が飛んでくるので、
気にする方は洗濯物を室内で干されるんです」
と店長。
この「アルミ壁面用ハンガー」はその名の通り、
壁に沿う部分が、洗濯物が壁に触れないように
半月形の構造になっているんです!
家の中で干すのにストレスなく使えそうですね。
最近、洗濯バサミ部分の素材が変わり、
より耐久性がアップしたそうですよ★
それから、鹿児島ならではのこちらも人気だそう!
「奄美大島風 鶏飯」
温めてごはんにかけるだけで、簡単に食べられます♪
この鶏飯(けいはん)は、
古くは1613年に琉球王国が薩摩藩の支配下になった折、
時の代官のもてなしの料理として出された料理で
当時は炊き込みごはんだったのが戦後アレンジされ、
現在の形となったそうです。
市内で鶏飯を試してみました↓
ごはんの上に、蒸した鶏のささみを細かく裂いた物、
錦糸卵、きのこ、パパイヤの漬け物、ネギをのせて、
熱々のとりだし汁をかけて食べます。
優しいホッとする味がしました。
そうそう、無印良品の鶏飯はレトルト食品なので、
"もしも"の時には温めずにそのまま食べることもできます。
ふだん使いできる「いつもの」品で「もしも」の備えにも、
鶏飯はうってつけ。
キャラバン隊お墨付きです☆
宮崎に並んだ"あれ"
年間快晴日数、年間日照時間、年平均気温、降水量、
どれをとってみても上位にランクインする宮崎県。
そんな宮崎には、南国情緒あふれるこんな木々が並んでいます。
県の木としても制定されているフェニックス(ヤシ科の樹木)です。
並んでいるといえば、どこかで見たことのあるこんな顔ぶれも
。
なんとモアイです!
サンメッセ日南に立ち並ぶこのモアイ像(レプリカ)は、
イースター島を司っている長老会が、世界ではじめて認めた
島外のモアイ像なんです。
イースター島のモアイ像を修復する際に、日本企業が貢献をしたことから、
それに感謝をする証として認められたんだそうです。
日本が貢献したモアイ像修復については、こちら。
そして、無印良品イオンモール都城駅前では、
こんなものが立ち並んでいました。
歯ブラシです!
そう、こちらの店舗での人気商品が、
この「白磁歯ブラシスタンド」なんです。
この最低限の大きさにして、歯ブラシが倒れない優れもの。
店長の手の上でもこの通り、倒れません。
並んでいるといえば、店内にはこんな旗まで!
MUJIキャラバン隊へ向けた「都城へ ようこそ!」の旗を、
店内の至るところに飾っていただいていました。
うれしかったです。
無印良品イオンモール都城駅前店の皆さま、ありがとうございました!
それから私たちが宮崎県に滞在中の8月31日(金)に、
県内3店舗目の無印良品がオープンしました!
向かった先は、イオンモール宮崎。
無印良品 イオンモール宮崎店、堂々のオープンです!
当日は快晴に恵まれて、平日にもかかわらず大盛況でした。
こんなに元気な店長と副店長が迎えてくれました。
宮崎の皆さま、宮崎にお立ち寄りの皆さま、
ぜひ、遊びに行ってみてください♪
ようこそ、大分へ!!!
大分市の無印良品トキハわさだタウン店へ。
すると、「ようこそ、大分へ!!!」の旗を掲げて
スタッフさんが迎えてくださいました。
とってもうれしかったです♪
早速、こちらのお店の人気商品を伺いました。
「大分って30代前半で家を建てる人が多いんですよ!
それもあってか家具や収納用品の人気が高いですね」
以前、福島県でその工場を訪ねた「ポリプロピレン収納用品」は
その代表格だそう。
そういえば、この収納用品は日本だけならず、
ヨーロッパのMUJIでも大人気なんだそうです。
"この隙間を利用して物を収納したい"という要望に
幅広いサイズで応えてくれます。
それから、オーダー家具も注目度が高いそう!
新築のお宅に合わせて家具をオーダー
憧れます☆
続いて、スタッフさんお手製の旗に描かれていた
大分のおすすめグルメ情報をお裾分けします。
水産品の高級ブランドとして知られる「関サバと関あじ」は
大分市の佐賀関で水揚げされるもの。
関サバ・関あじが漁獲される豊予海峡は、
波が高く、海底の起伏が複雑で漁網を使った漁が難しいため、
伝統的に「一本釣り」が行われているんだそうです。
どちらも身がギュッと締まっていてすごい弾力でした!
こちらは大分県の郷土料理「とり天」
大分県の鶏肉消費量は全国でも上位にランクインしていますが、
その理由がこの「とり天」にあると言われるほど、
県民にとっては極めて一般的な料理なんだとか。
唐揚げ粉ではなく天ぷら衣を用いる点や、
ポン酢醤油などのつゆにつけて食べる点が特徴です。
最後に「だんご汁」と「やせうま」
これらも大分県の郷土料理で、
県内の飲食店でよく見かけたメニューです。
「だんご汁」を食べてみて最初の感想は、
「あれ? だんごじゃない!」ということ。
そして、「やせうま」を食べてみて気づいたことは、
「あれ? だんご汁と一緒だ!」
この2つに共通しているのが、小麦粉で作った平たい麺。
「だんご汁」は味噌仕立ての汁に、ごぼうや人参、しめじ、白菜
などの野菜と平たい麺が入った家庭料理で、ほっとする味でした。
「やせうま」は同じ麺を使っていますが、
それにきな粉と砂糖をまぶしたもので、
おやつ感覚で小腹が空いた時に食べるんだそうです。
それを知らなかった私たちは、両方を同時に頼んでしまったのでした 。
お部屋に緑を☆
北海道、岩手県に次いで、3番目に面積の大きい福島県。
県南北に連なる奥羽山脈、阿武隈山地を境に、
太平洋沿岸を「浜通り」、中部を「中通り」、西部を「会津」と
大きく3つの地域に区切られます。
その中通りの北部に位置する福島市は、県庁所在地としては珍しく、
人口で、浜通りのいわき市、中通りの郡山市に次ぐ3番手。
ただ、生産量日本一を誇る桃、日本三大けんか祭の一つ飯坂けんか祭、
日本三大こけしに数えられる土湯こけしなど、
様々な名物名産を数えます。
そんな福島市にある無印良品エスパル福島を訪ねました。
一体、どんな商品が人気なのでしょう?
「福島では、こんな緑が人気なんです」
笑顔で迎えてくれたスタッフに紹介してもらったのが、
観葉植物シリーズ。
無印良品って観葉植物も扱っているんだ!
と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
我々も一瞬そう感じましたが、
店内をよく見ると、ありました。
まるでディスプレイの一部のように棚に溶け込んでいます。
「底面給水鉢なので、慣れていない方でも、
水をやりすぎたりして枯らすリスクも少ないんですよ」
店長がそう教えてくれた通り、外側の白い鉢に水を入れておけば、
綿が水を吸い上げて土が潤う仕組みです。
「桃園とか梨園とか多い土地柄もあって、
もともと、自分で植物を栽培することが好きなんですよね。
ただ原発事故以来、なかなか外でガーデニングなどができないため、
室内で楽しめる観葉植物が支持されているのかもしれません」
人気の理由について、エスパル福島店の店長はそう語ります。
実際、観葉植物があるだけで、部屋が明るく感じます。
植物には、人の心を癒してくれる効果がありそうですね。
七つの願い☆
東北3大祭りのひとつに数えられる、「仙台七夕まつり」
七夕といえば、織姫と彦星が年に1度だけ会うことを許された日
というのはよく知られたお話ですが、
ではなぜ年に1度しか会うことができないのか、
その理由を知っていますか?
これはもともと、中国で生まれ日本に語り伝えられた伝説なのだそう。
むかし、天に織女(しょくじょ)という、手芸にすぐれ、
機織(はたおり)が巧みな娘がいました。
ところが、牽牛(けんぎゅう)という青年と結婚してからは、
手芸をおろそかにし、機織も怠けだしたため、
父親の天帝(てんてい)は怒って、牽牛を銀河の対岸に別居させ、
年に1度、7月7日の夕べにだけ逢うことを許しました。
織女は牽牛と逢える七夕の日以外は、せっせと機織りしているため、
手芸の神様と考えられていました。
七夕まつりは本来、7月7日の2人が逢えるめでたい日に、
織女に対して手芸上達を願う祭なのです。
短冊に願い事を書いて笹に飾る風習は、日本ならではですが、
仙台においては、風流を好んだ伊達政宗が奨励したともいわれ、
藩政時代から各戸の軒先に笹飾りを出していたそうです。
そう、「仙台七夕まつり」の特徴といえば、やっぱり笹飾り!
商店街の各お店が数ヵ月間かけて毎年手づくりし、
その豪華さを競い合うのです。
飾りの内容は当日まで企業秘密だそうで、
蓋を開けてみると、それぞれの個性が際立ちます。
子供向けのかわいらしい動物柄のものもあれば、
涼しげな色だったり、ビビッドにまとめていたり。
どれも手づくりなので、ほのぼのとした温かみが感じられます。
これらの七夕飾りですが、実は「七つ飾り」と呼ばれる伝統の飾り物を守り、
それぞれに深い意味が込められていました。
まず、飾りつけの主役になっているのが「吹き流し」。
くす玉の下に垂れている部分のことで、これは織姫の織り糸を象徴し、
機織や手芸の上達を願います。
続いて、着物の形をした「紙衣(かみごろも)」。
これは病や災いの身代わり、または、裁縫の上達を願うもので、
七夕竹の一番上に吊るす習わしがあります。
「千羽鶴」は家の長老の年の数だけ折り、延命長寿を願います。
「投網」は昔から重要なたんぱく源としての魚介を欠かさないように
仙台近海の豊漁を祈願し、「短冊」は学問や書、手習いの上達を願います。
今年の短冊は、オリンピックへの願いが目立ちました★
また、「巾着」は富貴を願いながらも、無駄遣いを戒め、商売繁盛を願います。
「くずかご」は七つの飾り物をつくり終えた
裁ちくず、紙くずを拾い集めてくずかごの中にいれ、
ものを粗末にしないで役立て、清潔と倹約の心を育てます。
「七つ飾り」のそれぞれに込められた願いを感じながら笹飾りを見ていると、
この七夕まつりが仙台市民に愛され続け、
昔から変わらず今も続いている意味が少し分かる気がしました。
かつて、天明の大飢饉、第一次世界大戦後の不景気など、
数々の窮地を乗り越える力になってきた「仙台七夕まつり」。
今年、震災復興の大きな原動力となっていることは、
言うまでもありません。
もしもの備え
仙台市内ではお祭り期間中、駅前を中心に屋台が並んでいますが、
今年はここに無印良品 エスパル仙台店も参戦。
お祭りは見るのもいいですが、参加するのもまた盛り上がりますね!
さらに仙台駅前には、無印良品 仙台ロフト店もあり、お邪魔してきました。
仙台では昨年の震災を受けて、スタッフのみんなで
災害時のもしもの時に使える無印良品グッズについて話し合ったそうです。
例えば、この「柔らかい ランドリーボックス」
普段は通常通り、洗濯物入れもしくは収納BOXとして、
一方、もしもの時には「貯水のためのバケツ」として使えます。
続いて「キャリーバッグ」
普段はビジネスの出張や旅行時に、
一方、もしもの時には「食料ほか、避難グッズ入れ」に。
ほかにも、普段はキッチンや玄関などで使える「アミノ酸 無香消臭スプレー」は、
もしもの時、ニオイが気になる衣類にかけて消臭ができます。
それぞれが自分自身で考え、家族や友人と話し合うことが何よりも、
備えることで一番大切な事かもしれません。
新しいモノを買って備えるのもいいですが、
もしもの時を想定して今、身の回りにあるモノを再度考えてみませんか?