「特別編」カテゴリーの記事一覧
ソトデナニスル? 2014
この夏、外あそびしましたか?
私たちは、夏休みシーズンが始まって早々、
無印良品カンパーニャ嬬恋キャンプ場にて開催された、
「Outdoor Summer Jamboree ソトデナニスル? 2014」へ行って来ました!
「ソトデナニスル?」とは、その名の通り、
広々としたアウトドアの環境で、様々な外あそびを楽しめるイベント。
5年目を数える今年も、
マウンテンバイクからパラグライダー、クッキングに天体観測まで、
50近くのワークショップが催され、1000名近いお客さんたちで賑わいました。
各界のエキスパートたちから、道具の選び方、使い方、そしてあそび方を
直接教わることができる場とあって、どのブースも大盛況。
無印良品からは、「いつものもしも」のために、
家族が集まる場所などを書き留めたメモを入れておける、
残布を使った家族のお守りづくりのワークショップも。
そのなかで私たちも、MUJIキャラバンでお会いした日本各地の職人さんによる
様々なモノづくりのワークショップをアレンジさせていただきました。
なだらかな高原のなか、ひときわ目を引くブースは 、
愛知の有松・鳴海絞りの技法を活かし、
新しい感覚で提案する女子2人組ユニット「まり木綿」です。
「絞り染めをもっと身近に感じて欲しい、触れて欲しい」
という思いの2人から生み出されるのは、
キュートでポップな日用使いのシャツや小物。
3色だけの染料で、同じように染めても、一つひとつ柄が変わる絞り染めに、
参加者の皆さんも、魅了されている様子でした。
青空のもと、参加者のみなさんで記念撮影!
続いて、レースのような柄の木製品が飾られたこちらは、
高知県より、レースのような木のコースターづくりのブースです。
森林率84%の高知県。
そんな地で生まれたのが、間伐材を用いたレース模様の
木のコースター「moku-lace(もくレース)」です。
レーザーカッターで半分まで切り込みを入れたレース編みの模様を、
彫刻刀でくり抜いたり、色を塗ったり
。
杉製なので軽く、とても繊細です。
力の入れ方を間違えると、割れてしまうこともあります。
そこには「丁寧に暮らす、大切に暮らす」というコンセプトが隠されていました。
「もくレースが、気に入ったものを大切に使うという、
丁寧な暮らしへのキッカケになればうれしいですね」
と、生産者(ばうむ合同会社)は話します。
子供たちも、自分だけのオリジナルコースターに、大満足な様子でした。
そのお隣は、温かみのある手書きの看板が印象的なブース。
間伐した越後杉の端材を用いた、かわいい型の着火剤づくりです。
こちらを手掛けるのは、新潟県の越後杉に囲まれた
自然豊かな環境にある福祉作業所「あおぞらソラシード」。
自然の資源を生かしたものづくりで、
障がい者が社会とつながってお金を稼いでいく取り組みが行われているんです。
新潟県の越後杉の間伐材と、
神社などで不要になったろうそくを用いて作るため、なんと天然素材100%。
安心安全の素材で、キャンプでもすぐにお使いいただけたため、
子供から大人まで、気軽に楽しんでいただけていました。
また、滋賀県の福祉作業所で働く人たちによって、
繊維工場で不要になった糸で編まれたカラフルな織り物。
こうした織物を商品化し、売上を織り手に還元して
障がい者の賃金向上アップに寄与しているのが「Team coccori」です。
今回はTeam coccoriオリジナルの
ミサンガ織り機を使ったワークショップを実施いただきました。
織り込むのは、びわ湖畔でつくられる色鮮やかな糸や残布。
キャンプ場の木の枝や草木も一緒に織り込む事ができて、
子供たちも自分だけのミサンガに思わず笑みがこぼれていました。
自分でやってみる、手を動かしてみる。
その過程で、背景にあるストーリーを知って、
モノへの愛着が湧くきっかけとなればうれしいですね。
期間中は、アニメソングを一緒に歌うキッズ向けライブや、
キャンプファイヤー、
朝ヨガに、
夜のステージライブまで。
休む間もないほど、盛り上がりっぱなしの3日間でした。
こうして今年の「ソトナニ」は大盛況のなか幕を閉じましたが、
無印良品のキャンプ場は、まだまだ夏まっただ中!
夏休み期間は、たくさんのアウトドア教室が催されていますので、
興味ある方は、是非キャンプ場のHPも覗いてみてくださいね。
この夏、外あそびしませんか?
MUJIキャラバン展 in中国
海外にも広がっている、無印良品。
そのなかでも、中国は出店数の一番多い国です。
そんな中国の上海と杭州にあるMUJIの店舗で
「MUJIキャラバン展」を行うことになり、
キャラバン始まって以来、初めての海外訪問を果たしてきました!
中国最大級の都市・上海はご覧の通りの大都会ですが、
建設ラッシュで、まだまだ発展中という感じです。
上海で意外だったのが、街がクリーンなこと。
街中ではゴミ箱や清掃しているシーンをよく見かけました。
そして、掃除には、やはりほうきが活躍していました!
でもよく見てみると、ほうきの掃く部分が葉っぱでできています。
これが中国内での一般的なほうきかどうかは分かりませんが、
ほうき一つを取ってみても、やはり違うものですね。
国が変われば"色"も異なります。
中国のポストは緑色、花嫁のカラードレスは赤色。
また、洗濯物の干し方やお茶の飲み会、乾杯の仕方も日本とは違いました。
洗濯物は、窓から垂直にニョキッと竿が出ていることが多く、
お茶は茶こしを使わずに、茶葉を直接グラスに入れて
茶葉が沈むのを待って飲み、
円卓での食事の際には、人と人との距離があるので、
グラスとグラスではなく、グラスの底を円卓につけて乾杯をするんだとか。
同じ日本の中でも地域によって、文化や風習が違うように、
国土が日本の約26倍もある中国国内では、
おそらく地域によっても、くらし方に違いがあるのだと思います。
さて、今回展示会を行う上海の店舗は、
今年の8月にオープンしたばかりの商業施設iapmにありました。
お店の外観は、ほとんど日本と変わらず、
お店の中に入ると、ホッとすると同時に、
ここが中国であることを忘れてしまいそうになります。
展示会は店内にある、アトリエスペースで行っており、
今回のテーマは「日本のものづくり」。
MUJIキャラバンの旅路で出会ってきた、
"日本のくらしにまつわる道具"を展示しています。
左上から時計回りに、愛知県の「有松鳴海絞り」(まり木綿)、
神奈川県の「中津ほうき」(まちづくり山上)、
京都府の「茶筒」(開化堂)、青森県の「こぎん刺し」(弘前こぎん研究所)。
これらはいずれも、その地の風土や歴史の中で育まれてきたものですが、
伝統をそのままのカタチで守り続けるのではなく、
現代のくらしに合わせて発展させながら継承してきているものの事例です。
それは、無印良品のものづくりにも同様に言えることで、
福井県で作られている無印良品の「河和田塗り」や、
奈良県で作られている「足なり直角靴下」などもご紹介しています。
また、私たちがMUJIキャラバンの取材を通して感じた、
日本のものづくりの特徴の一つに、
「素材を大切に使い続ける」という概念がありました。
それを表現するために、沖縄県の「琉球ガラス」と、
新潟県佐渡島の「裂き織」の工程を見せる展示も行っています。
中国でのMUJIキャラバン展は、11月末まで、
上海 iapm店と杭州 MIXC MALL店で開催中です。
中国在住の方や中国に行く予定のある方がいましたら、
ぜひお立ち寄りください!
同じくらしの道具でも、国や地域によって異なるもの。
日々のくらしの中では、当たり前だと思っていることでも、
外から見てみると違うこと、普通ではないことがあります。
ふと立ち止まって、一つひとつの物事が
「他の地域だったらどうかな? 他の国だったらどうかな?」
と考えてみると面白いかもしれません。
MUJIキャラバン展
「同じようで違うもの、違うようでおなじもの」
MUJIキャラバンで掲げていたテーマの一つです。
狭いといわれる日本の中にも、
異なる風土や気質、歴史から生まれた多様な生活文化が存在します。
MUJIキャラバンでは、実際に日本各地をめぐることで
"同じようで違う、違うようで同じ"という、
それぞれの風土に根ざした"個性"を発見することができました。
その一部をご紹介させていただく展示会を、
無印良品 有楽町店2F ATELIER MUJIにて
7月26日(金)~9月1日(日)まで開催しております。
会場には、同じ名前を持ちながらも、各地の風土や歴史によって
異なる進化を遂げてきた「同じようで違うもの」を、
実際に展示させていただいております。
いつの時代にもくらしに寄り添う陶磁器は、
その地で採れる土を用い、異なる釉薬、技法で作られる、
「同じようで違うもの」の代表格ではないでしょうか。
また、縁起物として知られる「だるま」も、
養蚕の盛んだった松本では、眉が繭をモチーフにしていたりなど、
各地の歴史によって姿形が異なり、どれもとてもユニークです。
かつてどの地域でも日用品として作られていた「和紙」は、
現代のくらしにも活かされるよう、様々なものへと進化を遂げていました。
グローバルで均一化されていく現代社会ですが、
こうした地域ごとの微差を大切にし、楽しんでいくことも、
くらしを少し豊かにしていくヒントのように思います。
また、それらを生み出しているのは、
その地に根ざしながら、不断の努力を惜しまずに、
現代のくらしに合わせて工夫と改良を重ねる職人たちです。
今回の展示会では、キャラバンで出会った各地の職人もお招きして、
各種ワークショップも開催させていただきました。
第1弾は、
香川県から全国でも希少な木型職人、市原吉博(よしひろ)さんをお招きしての、
「かわいい菓子木型で作る、まろやか和三盆」のワークショップ。
和三盆とは、主に香川県と徳島県で生産されている、
まろやかで口溶けのよい砂糖で、和菓子づくりには欠かせない存在です。
そんな和三盆を、市原さんが作った菓子木型に詰めて抜くだけで、
とてもかわいい干菓子のできあがり!
大人から子供まで楽しんでもらえるワークショップで、
参加者のみなさんも、コロンと和三盆が木型から出てきた瞬間には、
歓声が上がるほどでした。
作った和三盆はお土産として、お持ち返りいただきました。
第2弾は、
岐阜県関市より、刀づくりで発展した鍛冶の技術を、
ハサミ製造に活かしている長谷川刃物(株)さんをお招きして、
ワークショップ「ギザギザはさみで切り絵を作ろう」を開催。
ギザギザに切れたり、ナミナミに切れたりするハサミを使って、
「海」をテーマに、子供たちに自由に創作していただきました。
画用紙をはみ出る大タコが出現したり、
平面のはずが飛び出す絵本のように立体になったりと、
子どもたちの溢れんばかりの創造性に、終始驚かされっぱなしでした。
第3弾は、柳田國男の遠野物語の舞台で知られる岩手県遠野市より、
間伐材を利用した積み木のおもちゃ「もくもく絵本」の開発者である
前川敬子さんと松田希実さんをお招きしてのワークショップ、
「もくもく絵本で物語をつくろう」。
はじめは、大半が森林で占められる遠野市で、
厳しく美しい自然の息吹を感じながら語り継がれてきた昔話を、
松田希美さんの作った紙芝居でお楽しみいただきました。
その後は、「だれが」「どこで」「なにを」「どうした」の
4つのキューブを組み合わせて1296通りもの物語で遊べる木のおもちゃ、
「もくもく絵本」を使って、子供たちが各々物語づくり。
積み木というのは、積み重ねたり、並べたり、崩したり、
乳幼児が初期に覚える遊びらしく、創造力を伸ばす効果があるそうです。
子どもたちは自分で作った無数の物語に、終始、喜びっぱなしでした。
私たちが旅路で出会ったヒト・モノ・コトを、
少しでも多くの人に五感を通じて感じていただければ幸いです。
ATLIER MUJIでのMUJIキャラバン展は、
今週末9月1日(日)まで開催しておりますので、
お近くお越しの際には、是非お立ち寄りください!
そして、MUJIキャラバンの次回展示は、
東京駅にほど近い、
「MUJI to GO KITTE丸の内」にて、
9月13日(金)より行います。
今度の展示では、実際にキャラバンで取材した産品の一部を、
展示とともに、その場でお買い求めいただける予定です。
これからも、MUJIキャラバンでは、
人と人、地域と地域をつないでいく活動を続けて参ります。
どうぞご期待ください!
大自然の中でくらし方を考える
真っ青な空、
そして、どこまでも続く広い草原、
1年ぶりに、無印良品カンパーニャ嬬恋キャンプ場に戻ってきました!
昨年、群馬県をキャラバン中に立ち寄った際には、
平日だったこともあり、お客様がそんなに多くなかったのですが、
今回はGW真っただ中ということもあり、満員御礼でした☆
キャンプ場って、人がいない時にはありのままの自然ですが、
人が来るとそこに家(テント)が建ち、"くらし"が始まる。
しかも、大勢の人で賑わっていながらも、
ガヤガヤした喧噪はなく、鳥のさえずりや風の音が聞こえるんです。
なんだか不思議な空間ですね。
3月末で1年間の長期キャラバンを終え、
しばらく都心近郊で過ごしていた私たちにとっては、
久しぶりの大自然の中で、おもわず大きく伸びをしたくなりました。
それは人間だけでなく、ワンちゃんにとっても同じかもしれません。
ほら、このうれしそうな顔♪
利用者からは、
「都心からも近いから便利」「テントサイトが広くてお気に入り」
「アクティビティーが充実している」
などの声を聞くことができました。
見ていて感じたのは、みんなそれぞれに思い思いの時間を
楽しそうに過ごしていること。
子どもたちは大草原で、サッカーをしたり、たこ上げをしたり、
大人たちは昼間からお酒を片手に語り合ったり、ひたすらのんびりしたり。
また、アウトドア教室が開催されていて、
高原や湖などの大自然の中で様々なことを体験することができます。
今回、GWの5/3~5/5の3日間は、
「OUTDOOR FIELD EXHIBITION 2013」と題したイベントも開催中でした。
アウトドアメーカーのスペシャリストが勢ぞろいした、
フィールド展示会です!
キャンプの中で使う道具を、お店の中で見るのではなく、
外で実際に、見て・触って・試して・感じてみることができる場。
アウトドアに欠かせないイスをゆっくり体験できる野外カフェもあり、
無印良品のリクライニングチェア(写真右下)含め、
各メーカーのイスをじっくり味わうことができました。
思えば、キャンプにはこのキャラバンで見つけてきたヒントが
たくさん詰まっていました。
場所選びから始まり、日当たりや風向きによって、いかに快適にテントを張るかは、
"今ある大自然というフィールドをどう生かすか"という視点です。
ガスや水道、電気が身近にない環境で、どんな食べ物を、いつ・どうやって調理するかは、
不便を楽しみながらも、"自然の摂理に従うこと"が大切であり、
何かしなければならないことがあるわけでない、自由な時間をどう過ごすかは、
"自分の心の声に素直に耳を傾けること"から見えてきます。
また、ちょっとした道具や例えば調味料がなかった場合、
コンビニに買いに行くのではなく、隣のテントの人に声をかけて借りる。
自然と"コミュニティの大切さ"に気付くかもしれません。
「百聞は一見にしかず、百見は一考にしかず、百考は一行にしかず」
ということわざがありますが、
人は体験してこそ、深く実感するものだと、
私たち自身の経験から日々感じています。
"どのようなくらしを送りたいか"を毎日の生活の中で考えるのは
容易なことではありませんが、
体験しながらそれを感じることができるキャンプは、
自分たちのくらし方を考える、いいチャンスかもしれません。
無印良品には、群馬県のカンパーニャ嬬恋キャンプ場の他に、
岐阜県の南乗鞍キャンプ場、新潟県の津南キャンプ場という、
3ヵ所とも、大自然に囲まれた、それぞれ異なるフィールドがあります。
「そのままの自然を、そのまま楽しむ」
というコンセプトの元にできた無印良品のキャンプ場を
ぜひ体感してみてください!
ちなみに、夏休みには、子ども向けの「キッズサマーキャンプ」も開催予定★
※キッズサマーキャンプの申し込み受付は定員に達し次第、終了致します。
ご了承ください。
旅路の果てに
2012年4月1日、青山の「Found MUJI」からスタートを切った、
『MUJIキャラバン~日本全国の良いくらしを探す旅~』。
ちょうど1年後の先月末、47都道府県を巡り、無事に旅を終えました。
総走行距離2万9203km。
キャラバンカーも不具合を起こすことなく、よく走ってくれました。
各都道府県1週間(北海道だけ2週間)という滞在期間のなか、
それぞれの風土に根ざした「良い物」や「良い食」などについて取材して回りましたが、
巡り合えた方たちの数は650人近くにも上る、壮大な旅となりました。
日々、動き回っていくなかで、巡り合えた方たちとのご縁に、本当に感謝です。
思えば、この日本一周の前には、夫婦で果たした世界一周の旅がありました。
「海外で受け入れられている日本文化を見つけ発信する=COOL JAPAN」
「日本が学ぶべき海外の文化を見つけ発信する=BOOM JAPAN」
と称し、夫婦それぞれのテーマで40カ国を巡った世界一周の旅。
海外から日本は一定以上の評価を受けている半面、
正しい日本が伝わっていないことに対するもどかしさを覚えたことを思い返します。
同時に、私たち自身もどこまで日本について知っているのか
。
そんな想いから、今回の企画へとつながっていったわけです。
この旅では、以下のようなテーマを持って、
その土地らしさを見つけて回りました。
「同じようで違うもの、違うようで同じもの」
世界から見れば極小の島国、日本ですが、都道府県で数えて47カ所、
実際に各県に入ってみると、県内でも東西南北の地域によって文化や産業が異なり、
実に多様な「同じようで違うもの」にあふれていました。
その種類は、醤油、味噌、酒、野菜、焼物、縁起物など
上げれば切りがありません。
何も海外に頼る必要はない。
そう感じるほど、高品質でキメの細かいものばかりでした。
それらの多くは、その地で代々、引き継がれてきた技術を用い、
時代に合わせて"改良"を重ねてきた人たちの手によって作り出されているものです。
そして、それをまた後世につないでいこうと努めています。
そこには、地域の人と人とが手を取り合って、自然環境を大切にしながら、
決して無理をせずに、前向きに取り組んでいる姿がありました。
この人と人、人と自然、過去と未来を有機的につないでいこうとする姿勢こそが、
この旅路で見つけた「違うようで、同じもの」でした。
日本には四季があります。
1年というくくりで回ったこの旅路のあいだにも、
春になれば桜の開花を喜び、秋には紅葉を楽しむといった、
季節の移ろいを感じる日々でした。
常夏やツンドラの地域では味わえないようなこの風土は、
日本人の精神性を生み出している一つの要素のように感じます。
そのため、同じ「青」でも、日本の伝統色には60の色彩があるほど、
同じ「箸」でも、男箸、女箸、子供箸と大きさや形状が異なるほど、
昔から日本人には、この"微差"を楽しめる感覚が備わっているのではないでしょうか。
そして、この"微差"を生み出しているのは、紛れもなく、
各地の風土であり、不断の努力を惜しまない職人たちの追求する姿勢です。
各地に残る「同じようで違うもの」を尊び、楽しんでいくこと。
この多様性を認め合えることが、日本らしさなのだと感じました。
過去から現在へと続く、そこにしかない魅力。
それが磨かれていけば、日本はきっともっとおもしろい。
これからも私たちは、それを丁寧に見つめ直し、
発信していく活動を続けていきたいと思います。
まずは、自分たちもどこかの地域に根ざしながら 。
ブログをご愛読いただいてきたみなさま、これまで誠にありがとうございました。
旅ブログとしてはいったん終わりですが、今後も「MUJIキャラバン」として
各地の魅力を発信するブログは続いていきますので、
引き続きどうぞよろしくお願い致します。
本格カレーをレトルトで♪
忙しくて食事の用意をする時間がない時や、
外食も飽きたし家でごはんを食べたいけれど疲れている時など、
みなさんどうされますか?
そんな時、我が家ではカレーをはじめとする、
レトルト食品が大活躍してくれます。
レトルト食品はアメリカ陸軍が缶詰にかわる軍用携帯食として
開発したのが始まりで、その後宇宙食にも採用されたことで
食品メーカーの注目の的になりました。
その後、一般向けのレトルト食品が世界で最初に開発されたのは日本で、
中身はカレーだったといわれています。
今ではスーパーやコンビニでも
複数種類のレトルトカレーを見かけますが、
レトルト食品の元祖はやはりカレーだったのですね!
ちなみに、無印良品には現在11種類のレトルトカレーがあります。
(※季節によって変わります)
バリエーションが豊富なので、選ぶ楽しみがあるんです!
今回はこのレトルトカレーの生産現場を訪れました。
まず、初めて知ったのがレトルト食品の定義です。
レトルト食品とは、気密性及び遮光性を有する容器で密封し、
加圧加熱殺菌した食品のこと。
この大きな殺菌機の中で120℃の熱水シャワーを浴びて、殺菌されるのです。
レトルト食品=保存食であることは理解していましたが、
保存するために保存料を少しばかりは入れているものかと思っていました
。
後から高温で加熱処理をするため、事前に具材に火はほとんど入れないそう。
家庭で作るカレーと違うところですね。
具材といえば、食べたことがある人は分かると思いますが、
無印良品のカレーの特徴は何と言っても、具材がしっかり入っていること!
今回このシーンを見て、それもそのはず★と納得しました。
各具材をきちんと手作業で量って入れているので、
具材の偏りがなく仕上がるんです。
工場を見学後には、試食をさせていただきました。
無印良品のレトルトカレー、実は
インドカレーのラインナップが新しくなりました!
「バターチキン」と「キーマ」がより本格的にリニューアルし、
新しく「チャナマサラ」「バラックチキン」「チキンクルマ」が仲間入り♪
生産現場の皆さんに、開発秘話を聞くことができました。
「インドで食べたカレーをもとに、スパイスを自分たちで配合して
より本格的な味に近づけました」
このリニューアルに際し、開発チームは
実際にインドに足を運び、現地のシェフにカレーの作り方を教わってきたのだそう。
バターチキンとキーマの、リニューアル前のものと後のものを
食べ比べてみましたが、確かにその第一印象はどちらも
「スパイスの風味が効いていてインドで食べたカレーに似ている!
リニューアル前のものより大人な味かも!?」というものでした。
日本で食べるカレーはどうしても日本人好みの味で、
ましてやレトルトカレーで本場インドの味に巡り合ったことは
これまでありませんでした。
開発チームは、試作当時をこう振り返ります。
「本場のカレーの味を日本にある調味料でいかに作り出すかにとても苦労しました。
北インドで食べたカレーは、チャパティやナンで食べるケースが多く、
ごはんに合う味にするのも難しかったですね」
本場インドの味に近づけながらも、
日本というインドとは違った環境で食べられることを前提に味を調整する。
また、レトルト食品なので加熱処理後に味が多少変化することも
想定しながら味を作っていくのが一筋縄ではいかないところだとか。
新しく生まれ変わった「バターチキン」と「キーマ」は8月22日発売、
「チャナマサラ」「バラックチキン」「チキンクルマ」は8月29日の発売です。
いずれも自信作とのことなので、お楽しみに!!!
※なお、通常のキャラバンブログは9/3(月)より
九州編の連載がスタートになります。
これまで同様、毎日更新していきますのでご期待ください!
石徹白人(いとしろびと)たち
今回のキャラバンを通じて分かったことは、
人は繋がっているということ、
そして集まってくるということ。
これは自然の摂理と言ってしまってもいいのかもしれませんね。
「石徹白洋品店」で紹介した平野馨生里(かおり)さんの周りにも、
石徹白を愛する多くの方が集まっています。
まずは馨生里さんにはあまりに近い存在ですが、
ご主人の彰秀(あきひで)さんの紹介から。
平野彰秀さんはNPO地域再生機構の副理事長として、
また岐阜県小水力利用推進協議会事務局長として、
石徹白の水資源を活かしたマイクロ水力発電事業の推進に従事されています。
馨生里(かおり)さんも、元はといえばこの水車の仕事に携わってこの地に巡り合ったそう。
「途中から難しいことが分からなくなったので、主人に引き継いだんです(笑)」
と馨生里さん。
2007年から導入されたこの事業は、今では石徹白のシンボルのような存在に。
様々に取材されて、石徹白のことをより多くの人に知ってもらう
きっかけになっているようです。
水力発電とはいっても形はさまざまですが、
2011年にはこのように美しい水車式が設置されています。
また、畦道の水路にはこんなタイプもありました。それにしてもすごい水量。
雨の日も雪の日も、昼も夜も流れる水路の水。
まだこれらの電力だけで自給するには至っていないそうですが、
この取り組みが地域の活性化に繋がることで、
将来的にはより多くの電力供給のできる設備を作ることを、
彰秀さんは目指していらっしゃいます。
「今あるものを活かしながら、焦らずに確実に前進していく」
という地域活性の王道を行くこの水力発電は、この土地にとってだけでなく、
エネルギー源のほとんどを海外からの輸入に頼るこの国にとっても
ヒントとなる取り組みに違いありません。
エネルギーの問題は、その地域の人々がまず自分自身の問題として捉えることが
始まりであることを我々に示してくれているようです。
次にご紹介したいのは今回のタイトルでもある
「石徹白人」のTシャツがお似合いの稲倉さん。
10年前にここに移り住み、2005年から無肥料無農薬の自然栽培で
ズッキーニ・ナス・ほうれん草などの野菜を育てていらっしゃいます。
農園の名は「サユ―ルイトシロ」。
除草剤などを使わず、畑に生えた雑草は人の手で
草刈りや草取りで除草されているそうですが、
「最初は草まるけ(だらけ)だったけど、
無肥料を続けると余計な草はだんだん生えなくなったよ」
と笑いながら話してくださいました。
また、そうして無肥料で育った野菜をその場でいただくと、その味の濃さにびっくり。
あまい、うまい、ちょっとにがい、重層に味が混在していてとてもおいしかったです。
稲倉さんに教わった中で印象的だったのは、土の話。
元々この農法を選んだのも「なぜ山林の木は肥料もやらずに育つのか」
ということを考えたからだそう。
今でも、弱い苗が土に植えられた途端に、ぐーっと伸びる姿を見て
「土の力は、すごい!」と実感されるそうです。
「一番かわいいのは成績がいい畑」
とユーモアも忘れない稲倉さん、とっても素敵でした。
続いても、大手情報関連企業から転職して農業を始めた黒木さん。
「えがおの畑」という農園を経営されています。
「畑は腸のようなもので、微生物をどう活性化させるかがポイント」
と教えてくれました。
そんな黒木さんは、無農薬栽培ですが肥料については
海水と野草などと合わせて液体肥料をご自身で作られています。
「ことさらに農法を宣伝するのではなく、いかにおいしいものを作るか」という姿勢で、
この地の高原気候に適した「ほおづき」を主力に栽培されています。
「ほおづき」はジャムにしても販売。
甘くてとてもおいしいだけでなく、色目も鮮やか。
まだ師匠から独立して2年という黒木さんですが、
これまでのサラリーマン生活は無駄ではないと言います。
むしろコスト意識や事業としての感覚は、最初から農業をやっていたのでは
持てなかったかもしれないと教えてくれました。
「えがおの畑」の名の通り、お忙しい中にも関わらず、
ずっと笑顔で答えてくださる爽やかな黒木さんでした。
先ほどの平野さんの水車横の加工所で、農作物を加工して販売する
特産品開発担当の伊豆原さん。
元々は東京でお勤めの後、公募でこの地域にやってきました。
半値品にしてしまうNG品を加工して粉末にしたコーンパウダーが一番のおすすめ。
粉末にしても色も香りも濃厚に残っていて、糖度が高く、
パンやケーキの原料に最適です。
伊豆原さんについて驚くのは、この地域のことや食材のことなら
何でもご存知などではと思うほどの知識。
そして細かな気配り。
どこに行っても石徹白人たちを繋いでいる伊豆原さん。
颯爽とキャップを被り、オープンカーで
キャラバンカーを先導して道案内してくださいました。
この地を訪れた日の夜、今週の特別編でご紹介する石徹白人たちの多くが、
集まってくださいました。
産業が衰退すると同時に人口が流出し、
基盤であるネットワークや共同体が機能低下した結果、
自然や文化を守ろうと努力してもまだまだ食べていくことは難しい現状。
しかし、また新たな方法で人と自然が向き合って繋がりあって暮らす中に、
都市の人々こそが羨むものがたくさん見出されています。
夜深くまでお話を伺う中で確信したのは、
「大切なもの」が失われゆくのはここだけではなく、
私たちの住む都市でも同じではないかということでした。
ここから学べることはまさに、私たち自身の問題なのではないでしょうか。
割り箸も、ジビエも
世界一周の旅を終えて、帰りの飛行機の中から久しぶりに日本列島を見たとき、
「日本はこんなに緑の豊かな国だったのか」
と二人で話したことを思い出しました。
現在の日本は有史以来最大となる森林面積を誇り、
国土の約3分の2を森林が占めています。
この国は先進国の中では有数の森林大国と言えるのです。
ただ、その多くが30年から40年前に植林され育てられた人工林。
外材解禁に加えて燃料革命の進んだ現在、国民の関心が山から離れ、
せっかく戦後に造林して育てられた人工林が放置されている現状です。
「林業は変わらなくてはならない」
そう話すのは、岐阜県郡上市で10年前から林業に従事されている小森さん。
「一度、手を加えてしまった森は、ケアし続けなくてはいけません。
日本の多くの森は木が多すぎるままに放置されてしまっている。
ある程度、木を間引いてあげないと、新しい木が育たないんです」
小森さんによると、木々が密集しすぎている森には
日光が下部に十分に行き届かないため、立ち枯れを起こしたり、
地表部分に草が生えないため、雨による土壌流出が起きる可能性さえあるそうです。
これが実際に間伐した状態の森ですが、
日光が地表まで届き、森全体が明るい印象です。
林業を活性化し、森林の管理を持続させる為の取り組みとして、
小森さんは"郡上わりばしプロジェクト"と題し、
地元産のスギ材を使った割り箸を製造し、流通を始めました。
現在の市場に流通している白くきれいな割り箸は、
漂白剤や防腐剤の使用された安価な海外産のものがほとんどですが、
あえて市場価値の低い芯の黒いスギ材を使用することで、
化学薬品を一切使用していない安全な箸であることを表現。
さらに箸は料理の邪魔をしないためにも無臭であることが求められてきましたが、
この箸はスギ材の香りをそのままに流通させています。
「この取り組みで、山や森の問題がすべて解決されるわけではありません。
ただ、割り箸という身近な存在を通じて、少しでも多くの人に、
自然と人の関わりを見つめ直すきっかけになればよいと考えています」
と小森さんは語ってくれました。
これまで私たちも、無駄に森林を伐採することに繋がる為、
割り箸を使うことはエコではないというイメージを抱いていましたが、
今回お話を伺ったことで、本当の森の実態を初めて知りました。
割り箸は木材全体に比べれば消費量も算出額も小さな需要です。
しかし間伐材を利用した割り箸を利用することで、少しずつでも日本の林業が活性化すれば、
地域経済の復興に繋がり、また新しい森を育て管理していく未来に繋がるんですね。
20世紀初頭のドイツの林学者であり、森林監督官でもあったアルフレート・メーラーは、
「もっとも美しき森は、またもっとも収穫多き森である」
という言葉を残したそうです。
"人と自然が共に生きること"の意味を教えてくれる名言です。
もう一つ、山から人が離れた為に起きている問題があります。
猟師の減少にともなって、森で増加した猪や鹿が、
餌を求めて農村部の田畑を荒らす事件が増えているのです。
この問題に取り組もうと立ち上がったのが、自然体験インストラクターとして活動している
「特定非営利活動法人 メタセコイアの森の仲間たち」によって組織された
「猪鹿庁(いのしかちょう)」。
高齢化でごく僅かとなった猟師から狩猟のノウハウを教わりながら、
里山の保全を行う、若手による新鋭組織です。
「まずは、猟師のイメージを改善したいんです」
そう話す彼らによって生み出されたのが「猪鹿ジャーキー」。
携帯するジビエ、だそうです。
牛肉などと比べても、低カロリー、高タンパク、低脂肪なんだとか。
東京ミッドタウンにあるTHE COVER NIPPONでも、2012年7月末まで
期間限定販売されているそうです。
加工が難しく、これまでは捨てられることの多かった猪や鹿。
割り箸と同じように、少しずつでも山に関心を持つ人が増えれば、
という願いが込められています。
このように、岐阜県郡上市では、ふたたび
「自然と共に生きる」ための取り組みが始まっています。
自然は慈母であると同時に厳父であると言われます。
人間にとって自然が故郷であるならば、離れて想うだけでなく、
近くで触れることが何より大事なのだと気づきました。
いい子になぁーれ!
石徹白から車で30分ほど走った郡上の山里に
1軒の工房があります。
ここでは、2人の女性が石鹸づくりをしています。
「いい子になぁーれ!
っていつも話しかけながら作っているんですよ」
そう、和やかに話してくださったのは
「アトリエキク」の上田さん(右)と中島さん(左)。
もともと郡上に生まれ育った上田さんの
実家のお母様が立ち上げられた「アトリエキク」は
夏は農業、冬は和雑貨の製作を中心とした活動でしたが、
昨年末、薬剤師の中島さんが加わり
化粧品づくりを始めました。
「石鹸づくりは季節や温度・湿度によって出来が違って、
作るのがとても難しいんです。
今でも時々始めたことを後悔したりもしますが(笑)、
でも"ここ"でできることをやりたかったんです」
アトリエキクの石鹸も、もちろん平野さんの石徹白洋品店で
販売されていました。(上)
これらはすべて、郡上の天然水を使用しています。
他にも、地元で採ったドクダミの葉を使った石鹸や
地元の日本酒を使った石鹸を作っているとのこと。
実は工房の中には無印良品の商品がいっぱい。
「ずっと好き」という言葉に、うれしくなって思わず長居してしまいました。
勧められて、手まで洗わせていただくことに。
ここで"くらしのヒント"を発見。
改めて「手を洗う」ことはなんと気持ちの良いことでしょうか!
心まで清浄になるよう。そして贅沢な気分。
郡上の水と、いい子に育った石鹸。
「1番手間のかかる作り方ですが、地域の素材を活かした
石鹸を作ることが出来るんです。」と上田さん。
「何よりこの集落の原料で作ったモノを外に出すことで、
外部とのつながりが生まれれば嬉しいです。」
土地に根ざしたものづくりは、良い商品を生み出すためだけでなく、
本当にその地を愛しているからこそのものだなぁと羨ましくもありました。
それから、アトリエキクさんの石鹸に使われている、
日本酒の蔵元へ連れて行っていただきました。
同じ郡上市にある、創業元文5年の布屋さんで造られていたのは、
お花の名前がついた日本酒。
杜氏にお話を伺うと、なんとこれらのお酒は
天然のお花から採った酵母を使って、造られていたんです!
自然界の花から天然優良酵母を分離する方法は、
東京農業大学短大の長年の研究により、
世界で初めて確立されたものなんだとか。
地元の人同士のコラボレーションによって生まれたこの石鹸は、
間違いなく、この土地の自慢になると思います。
でもどうして、出会う皆さんがこんなに優しいのでしょう。
帰りに「布屋」さんからキャラバンカーで出発するとき、試飲の会のために
この蔵を訪れていた皆さんが両手を振って見送ってくださいました。
やっぱり、「いい子になぁーれ!」のせいでしょうか。
美濃の和紙職人
石徹白洋品店で見つけたこの「ふみ箱」。
手すき和紙のテクスチャーに一目惚れしてしまいました。
こんなに素敵な箱に保存する物は、どんな物でもその者にとっては
宝物になってしまうのではないでしょうか。
箱には、中にしまう物の価値を左右しかねない不思議な力があります。
この和紙を作っている美濃和紙の職人、加納さんを訪ねました。
和紙といえば最古のものでは正倉院に残る1300年前のもの
があるとされていますが、美濃の和紙はその中でも高品質とされ、
江戸幕府御用達の障子紙として発展してきたそうです。
美濃は水が豊富な上、山と川しかない地域だったため
数千人もの人々が紙すきに従事されていたようですが、
今現在ではごくわずかの方しか残っていないといいます。
そういえば、日本の家屋の象徴のひとつでもある障子を、
現在では見ることが少なくなっています。
加納さんは、東京での「カミノシゴト展」をはじめとする
国内外で積極的な取り組みを行い、
美濃和紙の振興と再生に取り組んでいらっしゃいます。
その加納さんに和紙の作り方を簡単に教わりました。
まずは、紙の原料が何かご存じでしょうか。
楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)
といわれる木の皮が主な原料とされています。
まずはそれらをしっかり干した後、
写真に見えるコンクリート製のプールのような設備に水を張って晒します。
(かつてはこれを川の水と日光で晒したそう)
そして、次に釜で煮ます。
やわらかくなった繊維を水で洗って手でちりをとります。
この取り出した不純物がいわゆる「ちり紙」の原料となるのだからびっくり。
原料を木槌で叩いて繊維をほぐします。美濃独特の叩解(こうかい)という作業です。
だんだんと紙に近づいてきましたが、次がいよいよ紙漉きです。
原料とトロロアオイから抽出した粘液と水を混ぜ、簀桁(すけた)で漉きます。
前後左右に揺り動かして、繊維と繊維を絡ませます。
何十枚、何百枚も重ねて圧搾をして水分を絞った後、とち板に貼って天日で干します。
この板は、百年前からのものだそう。
そして、手に持っている刷毛(はけ)を作れる職人は
日本には最後の一人の方しか残っていないとのこと。
こうして昔ながらの手すきの和紙が出来上がります。
「冬の紙はぱりっと、夏の紙はふわっとするのが魅力です」
と加納さん。
夏は湿気を吸い、冬にははきだす和紙。
「和紙は寝かす」と言われるように、
時間が経つほど味わいが出て古紙ほど価値が出ます。
柿渋や藍染など、楽しみ方もさまざま。
「もの作りというより、素材を作っているという意識でやっています」
という言葉のとおり、
うちわや灯りのシェードから、表具といわれるインテリア素材にまで
和紙は多用途に利用されます。
加納さんは用途に合わせた紙を作ることで、
それぞれの職人とコラボレーションしてものを作っているんですね。
最後にこの仕事の魅力を尋ねたところ、即座に
「和紙が嫌いな人はいないんです」
と答えてくれました。
非常に根気が必要な仕事ではありますが、どんな人にも愛される和紙。
加納さんの人柄自体が、和紙のような雰囲気で、やさしく包まれるようでした。
石徹白洋品店
住まう人が300人にも満たない、岐阜県郡上市白鳥町石徹白(いとしろ)。
今週は「MUJIキャラバン特別編」として、日本三名山のひとつに数えられる
霊峰白山の裾野にある小さな集落のレポートをお届けします。
石徹白は岐阜県と福井県の県境に位置し、山々に降り注いだ雨を恵みとする、
水の流れの絶えない美しい地域です。
この地を訪れるきっかけとなったのは、昨年からここに移り住んで小さな洋品店を営む
平野馨生里(かおり)さんを訪ねたことに始まります。
カンボジアの小さな集落で絹織物を復興させる取り組みを続けている
森本喜久男さんと無印良品の商品開発担当が交流する中で、
石徹白にもその土地の恵みや伝承文化を引き継ごうとしている
若い女性の存在があることを知り、取材をさせていただくことになりました。
これが、今年5月にOPENした平野さんの洋品店です。
古い民家を改修して設けられた店内。
古い柱の味わいを活かした素敵なしつらえです。
この場所は、なんとかつては馬小屋だったそうですよ。
平野さんはこの地に根ざした素材を使った洋服や雑貨を作り、販売しています。
どれもゆっくりと丁寧に作られたものばかり。
また、壁には石徹白に古くから伝わる野良着、
「さっくり」と「たつけ」が展示されていました。
「さっくり」は、山仕事で重いものを背負っても背中が痛くないよう、
分厚い木綿生地が用いられていて、縫い糸は二本どりでしっかりと縫われています。
「たつけ」は、しゃがんだり立ったりの動作の多い農作業にぴったりのデザインです。
土地の人々に愛されるものを土地の素材を活かして作りたいと願う
彼女の指針でもあるそうです。そして、これが復刻版として今回試作したもの。
まさにこれはFound MUJI。
古いのに新しい、そして懐かしいのにオシャレ。
機能的でありながらリラックスウェアでもあります。
(残念ながら試作品ですので、まだ販売はされていません。)
「土地の皆さんに教わりながら作ったことが、本当に楽しかった〜」
型紙もなく、かろうじて作り方を引き継いでいた地元の女性たちに教わりながら、
平野さんはその時間を楽しみながら一緒に作り上げたそうです。
この原型となった「さっくり」と「たつけ」は、
この地の文化を守り続けている一軒のお宅の倉庫から発見されたと聞き、
翌日伺ってみました。
その名も、「古い物資料館」。
そこでは、とても素敵なお母さんに、これらの道具にまつわるお話や、
人々が守ってきた白山信仰のことを伺うことができました。
この土地の人々がとても清らかな心で、くらしを営んできたことがひしひしと伝わりました。
ちなみに息子さんは、「ここで雇用を生み出したい」と建設業を営むこの地域のリーダー。
「ここで仕事が成り立たないなら、この仕事をやる意味はない」
と熱く語っていただきました。
この地に多く残る、石徹白の姓を引き継ぐ方です。
小雨の中、この土地の中心である"白山中居神社"を訪れました。
平野さんのご主人も一緒です。
杉の巨木に囲まれた、とても静かで荘厳な場所でした。
今も地域の人たちによって大切に守られていることがよく分かりました。
雨が上がり、緑はより深くとても美しい姿です。
平野さんは、東京での仕事に就いた後に故郷の岐阜に戻り、
改めて服飾の技術を学ばれました。
その原点には、冒頭でご紹介した大学時代に何度も訪れた
カンボジアの集落でみた絹織物の光景があるそうです。
これからの夢は、ここで素材を育て、紡いで、丁寧なもの作りを一貫して行うこと。
そこにはもちろん、人の繋がりが欠かせません。
「気持ちいいくらしをしたい」
とおっしゃる平野さんの瞳はとても澄んでいました。
とかく正しさに囚われがちな私たちにとって、
気持ちがいいかどうかを感じ取る人間の心の中にこそ、
本当に普遍と言えるセンサーがあるのではないか
ということを思わずにいられませんでした。