石徹白人(いとしろびと)たち
今回のキャラバンを通じて分かったことは、
人は繋がっているということ、
そして集まってくるということ。
これは自然の摂理と言ってしまってもいいのかもしれませんね。
「石徹白洋品店」で紹介した平野馨生里(かおり)さんの周りにも、
石徹白を愛する多くの方が集まっています。
まずは馨生里さんにはあまりに近い存在ですが、
ご主人の彰秀(あきひで)さんの紹介から。
平野彰秀さんはNPO地域再生機構の副理事長として、
また岐阜県小水力利用推進協議会事務局長として、
石徹白の水資源を活かしたマイクロ水力発電事業の推進に従事されています。
馨生里(かおり)さんも、元はといえばこの水車の仕事に携わってこの地に巡り合ったそう。
「途中から難しいことが分からなくなったので、主人に引き継いだんです(笑)」
と馨生里さん。
2007年から導入されたこの事業は、今では石徹白のシンボルのような存在に。
様々に取材されて、石徹白のことをより多くの人に知ってもらう
きっかけになっているようです。
水力発電とはいっても形はさまざまですが、
2011年にはこのように美しい水車式が設置されています。
また、畦道の水路にはこんなタイプもありました。それにしてもすごい水量。
雨の日も雪の日も、昼も夜も流れる水路の水。
まだこれらの電力だけで自給するには至っていないそうですが、
この取り組みが地域の活性化に繋がることで、
将来的にはより多くの電力供給のできる設備を作ることを、
彰秀さんは目指していらっしゃいます。
「今あるものを活かしながら、焦らずに確実に前進していく」
という地域活性の王道を行くこの水力発電は、この土地にとってだけでなく、
エネルギー源のほとんどを海外からの輸入に頼るこの国にとっても
ヒントとなる取り組みに違いありません。
エネルギーの問題は、その地域の人々がまず自分自身の問題として捉えることが
始まりであることを我々に示してくれているようです。
次にご紹介したいのは今回のタイトルでもある
「石徹白人」のTシャツがお似合いの稲倉さん。
10年前にここに移り住み、2005年から無肥料無農薬の自然栽培で
ズッキーニ・ナス・ほうれん草などの野菜を育てていらっしゃいます。
農園の名は「サユ―ルイトシロ」。
除草剤などを使わず、畑に生えた雑草は人の手で
草刈りや草取りで除草されているそうですが、
「最初は草まるけ(だらけ)だったけど、
無肥料を続けると余計な草はだんだん生えなくなったよ」
と笑いながら話してくださいました。
また、そうして無肥料で育った野菜をその場でいただくと、その味の濃さにびっくり。
あまい、うまい、ちょっとにがい、重層に味が混在していてとてもおいしかったです。
稲倉さんに教わった中で印象的だったのは、土の話。
元々この農法を選んだのも「なぜ山林の木は肥料もやらずに育つのか」
ということを考えたからだそう。
今でも、弱い苗が土に植えられた途端に、ぐーっと伸びる姿を見て
「土の力は、すごい!」と実感されるそうです。
「一番かわいいのは成績がいい畑」
とユーモアも忘れない稲倉さん、とっても素敵でした。
続いても、大手情報関連企業から転職して農業を始めた黒木さん。
「えがおの畑」という農園を経営されています。
「畑は腸のようなもので、微生物をどう活性化させるかがポイント」
と教えてくれました。
そんな黒木さんは、無農薬栽培ですが肥料については
海水と野草などと合わせて液体肥料をご自身で作られています。
「ことさらに農法を宣伝するのではなく、いかにおいしいものを作るか」という姿勢で、
この地の高原気候に適した「ほおづき」を主力に栽培されています。
「ほおづき」はジャムにしても販売。
甘くてとてもおいしいだけでなく、色目も鮮やか。
まだ師匠から独立して2年という黒木さんですが、
これまでのサラリーマン生活は無駄ではないと言います。
むしろコスト意識や事業としての感覚は、最初から農業をやっていたのでは
持てなかったかもしれないと教えてくれました。
「えがおの畑」の名の通り、お忙しい中にも関わらず、
ずっと笑顔で答えてくださる爽やかな黒木さんでした。
先ほどの平野さんの水車横の加工所で、農作物を加工して販売する
特産品開発担当の伊豆原さん。
元々は東京でお勤めの後、公募でこの地域にやってきました。
半値品にしてしまうNG品を加工して粉末にしたコーンパウダーが一番のおすすめ。
粉末にしても色も香りも濃厚に残っていて、糖度が高く、
パンやケーキの原料に最適です。
伊豆原さんについて驚くのは、この地域のことや食材のことなら
何でもご存知などではと思うほどの知識。
そして細かな気配り。
どこに行っても石徹白人たちを繋いでいる伊豆原さん。
颯爽とキャップを被り、オープンカーで
キャラバンカーを先導して道案内してくださいました。
この地を訪れた日の夜、今週の特別編でご紹介する石徹白人たちの多くが、
集まってくださいました。
産業が衰退すると同時に人口が流出し、
基盤であるネットワークや共同体が機能低下した結果、
自然や文化を守ろうと努力してもまだまだ食べていくことは難しい現状。
しかし、また新たな方法で人と自然が向き合って繋がりあって暮らす中に、
都市の人々こそが羨むものがたくさん見出されています。
夜深くまでお話を伺う中で確信したのは、
「大切なもの」が失われゆくのはここだけではなく、
私たちの住む都市でも同じではないかということでした。
ここから学べることはまさに、私たち自身の問題なのではないでしょうか。