「栃木」カテゴリーの記事一覧
栃木の"人気もの"
栃木県民ならびに周辺の茨城県民や福島県民がお買い物に行くのが
インターパーク宇都宮南。
北関東最大の複合型ショッピングセンターです。
行ってみると、本当に広い!!!
敷地内の駐車場収容台数は1万台以上に達し、
駐車場で迷ってしまいそうなほどでしたが、
その中にある無印良品に行ってきました。
平日の午前中だったのですが、お子様連れのお母さんたちで
賑わっていましたよ。
さて、そんな宇都宮インターパークビレッジ店の人気商品を伺ってみました。
なかでもオールインワン美容液ジェルは、洗顔後にそれひとつをつければいい
ということでとても便利なんです!
子育てで忙しいお母さん、朝時間のないOLさん、
私のようなめんどくさがり屋さんなどにピッタリですね。
そう、私たちキャラバン隊の一人もこれ愛用しているんですが、
とにかくお肌がしっとりしますよ。
続いて、地元出身のスタッフに宇都宮の情報を聞いてみると、
やっぱり出てきました、餃子の話題!
もともと宇都宮が餃子の街として知られるようになったのは、
1990年に、町興しにつなげられるキーワードを探していた市の職員が、
総務庁統計局の家計調査年報において「餃子購入額」で
同市が常に上位に挙がっていることに注目し、
餃子による町興しを提案したのがきっかけだそう。
地元の人には「正嗣(まさし)」と「みんみん」が人気だそうですが、
時間のない人にお薦めの場所を紹介していただきました。
宇都宮餃子会に加盟する27店の味が味わえる、「来らっせ」。
日替わりで、2個ずつ5店の味を1皿で
楽しめるプレートもありました。
観光客はもちろん、地元の人たちにも人気の場所だそうですよ。
さて、他に栃木といって思い浮かぶものといえば
「いちご」です。
栃木県は昭和43年産から平成22年産まで、
43年間連続日本一のいちごの生産量を誇る県なのです。
県央部から南部に広がる関東平野の肥沃な大地とキレイな水、
そして冬の日照時間が長いことがいちごの生育に向いているのだそう。
さらに、地下水の豊富な芳賀町にある、「きみじまいちご園」で伺った話によると、
地下水を利用した自然のウォーターカーテンで、ビニールハウスを暖め、
長い間、甘いいちごが収穫できるようにしているんだそうです。
ちなみに、いちごは、実はビタミンCの宝庫。
ビタミンCが100g中62mgも含まれていて、
中程度の大きさのいちごを1日9~10粒ほど食べれば、
必要なビタミンCがとれてしまうとか。
オレンジやグレープフルーツよりも、ビタミンCが多いというから驚きですね。
他に栃木の人気ものといえば、これ↓
「レモン牛乳」
てっきりレモンの酸っぱい味がするのかと思って飲んでみると、
レモンは風味程度で、酸っぱいわけではありませんでした。
宇都宮市の老舗製乳メーカー「関東牛乳」が
第二次世界大戦後、間もない頃に開発し、
同市内の牛乳販売店のほか学校の購買部や運動会など学校行事での販売を通して
売れ筋商品となったそうです。
最後に、栃木の郷土料理。
「ちたけそば」
チチタケというきのこと、炒めた茄子だけが入った
シンプルなものでしたが、
チチタケから出るだしが風味豊かでとても美味しかったです。
ちなみに日本産のチチタケは貴重で、松茸よりも高額で
売られていることもあるそうです。
他にも、佐野市周辺には「佐野ラーメン」、
日光市では「ゆば料理」など、
各地域に"人気もの"がありました。
みなさんの地域には、どんな"人気もの"がいますか?
栃木の職人魂にふれる
栃木は京都に次いで伝統工芸品の数が多いそうです。
徳川家康公を祀る日光東照宮の建立のために、
日本全国から集められた優秀な棟梁たちが、その後定住したため、
手先の器用な人たちが多かったことが、一つの要因といわれています。
今回はそんな伝統工芸品を作る職人を訪ねました。
まずは、着物でも最高級品として知られる、結城紬。
結城紬というと、茨城県の結城市を想像しますが、
実際は、結城市から栃木県の小山市、
茨城県下妻市にかけた一帯が産地となっています。
この地域は、昔から養蚕業が盛んで、
1本1本の糸を繭から紡いで作られる紬は、本当に軽くて柔らかいんです。
真綿絹を原料に、地機を使い、人によって織られるその代物は、
2010年、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
「1mmでも模様がズレると、金額に雲泥のような差が出るのが結城紬。
使い心地の良さは変わらないんですけどね」
紬の染め職人の大久保さんから発せられた言葉からは、
作り手としての職人魂と、使い手としての気持ちの両面を感じました。
職人気質で、芸術的な技術を見せてくださったのが、
日光市でお会いした木地師の鈴木さん。
鈴木さんの手にかかれば、みるみるうちに
大きな丸太も生活雑貨へと形を変えていきます。
中にはこんなものまで。
この形の急須を、いっさい接着することなく作りだすのですから、
その技術力は相当なものです。
「私は、言われた通りのものを作りだすことはできるんですけどね。
アイデアをひねり出すのは苦手なんですよ」
こうした技術を生かすのは、
新しい時代にどのようにそれを活用していくか。
そのアイデアが重要なのかもしれません。
日光下駄職人の山本さんは、
伝統工芸を今の時代にアレンジする職人でした。
江戸時代、格式を重んじる寺社では、
社内参入の際、草履を履くことが原則でしたが、
日光エリアでは石や雪、また坂道も多く草履では不便だったため、
草履の下に木の下駄をつけた御免下駄(日光下駄の原型)が考案されました。
その履きやすさゆえに、明治中期には広く一般にも普及したようです。
山本さんは、この日光下駄を、現代においても普段使いしやすいように、
ソールに改良を加えるなど、さらに進化させています。
実際履いてみると、その履き心地の良さに納得。
草履部分の竹皮の清涼感と、鼻緒のフィット感は、
ゴムサンダルよりも気持ちが良い感覚です。
「結局はお客さんに良いと思ってもらわなければ、
伝統工芸品とはいえ、意味がないからね」
伝統を守る立場ながらも、その柔軟な姿勢には、驚きを隠せませんでした。
実際、こうした技術を目の当たりにすると、
伝統工芸は守るべき文化だと素直に感じます。
しかし、今日の生活スタイルの変化によって、
日常生活の中で取り入れられるものと、取り入れられないものがあります。
伝統工芸を今後も残すためには、時代のニーズに合わせて、
その技術の活用方法を変化させるなど、様々なヒントはあるはずです。
麻をもっと身近に
古くから、人間のくらしと共にあった麻。
かつては、日本でも全国各地で生産され、
織物や袋、綱、紐などの原料として利用されてきましたが、
戦後、化学繊維の台頭による需要の減少によって、ほとんどの地域で生産が途絶えました。
現在に残る生産地域は、岐阜県や滋賀県、群馬県の一部と栃木県。
その中でも、日本最大の麻の産地、栃木県鹿沼市永野(旧粟野町)を訪れました。
良質な麻が育つ土壌は、一般的には痩せた土地と呼ばれる、砂礫地で水はけが良い土壌。
栃木県のこの界隈は、台風や雹害の少ない地域としても、適地であるそうです。
この地で収穫された麻は「野州麻」と呼ばれ、
昔から品質の高い国産麻として知られています。
そんな野州麻を見に行くと、3月末に種まきをしたばかりで、
今はちょうど芽が生えてきたところでした。
「これが、7月中旬の収穫期には、2m30cm程度にまで大きくなるんです」
そう教えてくださったのは、この地で8代にわたって麻の生産を続けている、
大森家の芳紀さん。
失われつつある麻の文化を現代に伝えるべく、
9年ほど前から麻を原料にした和紙づくりを始め、
その和紙を使ったランプも手掛けています。
家族で営むカフェでは、大森さんの作ったランプで
あたたかみのある雰囲気に包まれるなか、
麻の実の入ったピザを食べることもできました。
現在、国産麻の用途の7割程度は神事用(しめ縄や鈴縄など)、
残り3割も弓道用の弓具や、日光下駄の縫紐、
喧嘩凧などの特殊な用途が多いんだそう。
「育ちが早くて丈夫な繊維である麻を、
今一度、生活の身近なところに感じてほしかったんです」
大森さんは、麻紙づくりを始めたきっかけを、そう語ってくださいました。
しかも、麻紙の原料は、
麻を紡績の原料(セイマ)になるように精製する過程でできる「オアカ」。
昔は堆肥として、使われていたようですが、
1kgのセイマを作るのに、1.5kgのオアカができるため、
今では堆肥としても使いきれていなかったそうなのです。
その製法も、稲わらやぬかを使って発酵させ、
麻から繊維を取り出すという、自然の原理を利用したやり方。
「化学製品を使ってみたこともあるのですが、やっぱり繊維が傷んでしまうんですよね」
麻の繊維は丈夫であるという特徴を活かすために、
徹底的にこだわりぬく姿勢には脱帽でした。
昔から人のくらしを支え続けてきた、麻。
丈夫で、通気性も良く、濡れても乾きやすいため、
現代のくらしの中でも、もっとたくさん活用できるシーンがあるはずです。
無印良品でも、麻を使ったくらしのキャンペーンが始まりました。
麻のある生活、初めてみませんか?
救荒作物、そば
救荒作物ってご存じですか?
米・麦のような主食となる作物が凶作時でも、生育して、
ある程度の収穫量を得られる作物のことです。
以前に記した「雑穀ごはん」でも登場した「あわ」や「ひえ」、
また、慣れ親しまれている食では「そば」もそれにあたります。
そばは75日間程度で成熟する短期作物のため、二毛作も多く、
先述の麻の裏作としても多く作られているようです。
そんな特性のため、そばは日本各地で作られていますが、
栃木県日光市で、初めてのそば打ちを体験してきました。
元々、米の穫れなかったこの地域では、
そば打ちができないと、お嫁に行くことができなかったそうですよ!
まず、そば粉8に対して、小麦粉2を混ぜた粉に
卵と、サラダオイルを少し加え、混ぜます。
水を少しずつ加えながら、
耳たぶと同じぐらいの柔らかさになるまでこねていきます。
これが結構な重労働 。
ふっくらと弾力のある状態までこねあげたら、
今度はそれを少しずつ引いていきます。
手早く伸ばしていかなければ、「そばが風邪を引く」と呼ばれる
そば粉が乾いて、ひからびる状態になってしまうため、
休んでいる暇はありません。
切らずに均等な状態に伸ばしていくためには、
絶妙な力加減が求められるため、難しいんです。
1回目の引きは思いっきり失敗してしまい、
こね直す結果となりました。
2回目の引きでなんとかまとめ上げたそばを、
何層かに折り重ね、そば包丁で切っていきます。
薄く切らないと、きしめんのように太い麺になってしまうと言われましたが、
結果、出来上がったそばは
この太さになってしまいました!
初めてにしては、そばの形に仕上がっただけよかったですが、
太さ、長さともに、お店で出てくるそばにはない形ですね。
ただ、そのコシは、今まで味わったことのないほどで、
美味しく頂けました。
そばの生産の背景を知ったうえで、自らの手で打ったそばのため、
美味しく感じたのかもしれません。
モノの背景を知ることは、
モノの価値を再認識することにつながりますね。
自然体のワインづくり
栃木県足利市にひとつのワイナリーがあります。
「ココ・ファーム・ワイナリー」
ここで造られているのは、2000年の九州沖縄サミット、
2008年の北海道洞爺湖サミットで、各国首脳やそのご夫人達に振る舞われた、
100%日本のぶどうからできたワインです。
今回そのワイナリーのぶどう畑を訪れてみて、まず気づいたことがありました。
それは、畑がかなりの急斜面にあったのです。
1950年代に始まったこのぶどう畑ですが、
もともと計算や読み書きが苦手な子供たちとその担任教師
(ココ・ファーム・ワイナリー創設者の川田昇さん)が
山を切り開いてスタートした場所でした。
川田さんは、子供たちに農業体験を通じて、自分の仕事に誇りをもたせようと、
「一年中仕事が尽きない作物=ぶどう」を選んだそうです。
こうして始まったぶどう畑は開墾以来、除草剤が撒かれたことがないといいます。
「今でこそ、無農薬・有機栽培に注目が集まっていますが、
私たちはただ農薬を買うお金がなかっただけなんですよ。
草は手で刈り、置いておけば肥料になりますし。
ぶどうにかける袋は、もったいないから洗ってまた使っていただけですが、
"エコ"って褒められて(笑)」
そう、当時を知るココ・ファーム・ワイナリーの牛窪さんは語ってくださいました。
その後、1980年代に入り、生食用のぶどうづくりからワインづくりに転換。
当時、日本でワインはまだ珍しく、川田さんは
普段かっこ悪いと思われがちな子供たちに、
"かっこいい"仕事をさせてあげたかったのだそうです。
自然のままにできたぶどうを使った、ワインづくりは当然自然体で。
天然酵母を使った、低温醸造です。
このワイン貯蔵庫は夏でも冬でも温度が15℃前後だそうですが、
ここも山を掘ってつくった天然貯蔵庫。
そんなワインが、ソムリエの田崎真也氏の目に留まりました。
ラベルを隠したブラインドテイスティングで良い評価をいただき、
沖縄サミットの晩餐会で振る舞われるワインとして
選ばれるきっかけとなりました。
世界に認められた味は、自然の中で出来上がった味だったのです。
ココ・ファーム・ワイナリーを訪れて、
いいものづくりというのは、買い手のことだけを考えるのではなく、
作り手のことも考える中で、生まれるものだと感じました。
益子焼を体感!
日本には全国にやきものの産地があります。
やきものが始まったのは今から約1万2000年前といわれていますが、
日本でやきものが盛んになったのには、
日本人の生活スタイルが関係していたようなのです。
定着型の農耕民族は、食料を保存するのに瓶や壺が必要でした。
一方、狩猟民族の国は、移動が多い生活なので、
重くて割れやすい、やきものを使う習慣は広がらなかったといいます。
2012年2月、Found MUJI青山では、
"日本の10窯"と題して、日本国内の10カ所の陶磁器の産地で作った器を
販売するイベントを行いましたが、
今回はその10窯のひとつである「益子焼」の産地、
栃木県芳賀郡益子町を訪れました。
益子焼について教えていただいたのは、
益子最大の窯元「つかもと」、企画課の関さん。
現在の企画担当になる前は、17年間陶芸職人をされていた方です。
益子焼についてご紹介する前に、まずはやきものの基本、
陶器と磁器の違いについて。
「陶器は粘土、磁器は石の粉を使ったやきものと考えていただくと
分かりやすいかもしれません」
陶器は粘土が原料で、厚手であるために
"熱しにくく冷めにくい"ので、
熱いお茶や汁物を入れるのに向いているそうです。
一方の磁器は、薄くて丈夫なのですが、
"熱を伝えやすく、冷めやすい"のだとか。
また、磁器は型に流し込みやすい一方で、
陶器は粘土で粘り気があって型に流し込めないため、
小~中量生産しかできないといいます。
ちなみに、益子焼は代表的な陶器の種類のひとつで、
江戸時代末期に、現在の茨城県笠間市で修業した陶工が
益子町に窯を築いたことが始まりといわれているそうです。
当初は水がめ・火鉢・壺などの日用道具が主だったのですが、
その後、ふだん使いのできる食器づくりに移っていったのだそう。
実際に作っているところを見せていただき、
続いて、私たちキャラバン隊も挑戦!
職人さんがやるのを見ていると、スルスルと粘土の形が変化していき、
一見簡単そうにも思えたのですが
いざ、自分でやってみると手に力が入ってしまい
思うような形づくりができません。
それでも職人さんに助けていただきながら、なんとか形になりました!
焼き上がって手元に届くのは約1ヶ月半後だそうですが、
どんな仕上がりになったか楽しみです。
さて、MUJIキャラバンでは、今後も日本のやきものの産地を
出来るだけ訪ねたいと思います。
それぞれの土地に伝わる器との出会いにご期待ください。
美しい燃料、「菊炭」
かつては一般家庭でも、燃料として使われていた「炭」。
高度経済成長にともない、ガスや石油が普及するにつれ、
その用途は飲食店や、バーベキューなどのレジャーへと移り変わってゆきました。
炭火はじっくりと焼き上げることができるため、
それ自体をうたい文句にしている飲食店も少なくありません。
同じように、炭火でじっくりと温める茶道の世界では、
見た目の美しさも求められるようです。
その茶道で使われる炭が、菊炭と呼ばれる
割れ目が菊の花を思わせる模様の炭です。
東の佐倉炭、西の池田炭と広く名が知られていたこの菊炭も、
今や数えるほどの窯元しか生産をしていません。
その希少な生産者の一つである、
栃木県芳賀郡にある市貝町木炭組合の片岡さんにお話を伺いました。
「小さい頃から、窯から煙が上っているのを見て育ちましたからね。
私の代で、廃れさせてしまいたくなかった」
西の池田炭は、愛媛の内子や大阪の能勢に窯元が残っているようですが、
東の佐倉炭は、震災の影響を受けた福島を除くと、ここ芳賀郡しかないようなのです。
そんな片岡さんの窯は、昔ながらの石窯で、
薪をくべる伝統的な製法を守っていらっしゃいました。
木の水分量や状態に応じて、窯の焚き方や温度を調節し、
一度、火をつけたら、生き物のように見守らなくてはならないんだそう。
主の素材はクヌギ。
「この界隈には、自然のクヌギがたくさん生えています。
クヌギは切ってあげないと、木が死んでしまうんです。
切ってあげれば、また6~7年で新木が生えてくる。
そういう意味でも炭は、理に適った自然エネルギーなんですよ」
森林伐採につながるのでは、と一瞬でも考えた自分の無知さを恥じました。
こうして出来上がった片岡さんの茶道炭がこちら。
「下野菊花炭」
菊の花のような美しさです。
火つき・火持ちも良いようで、
ずっと眺めていても飽きることの無い模様をしていました。
燃料にも美しさを求めるのは、日本人の美に対する感性を象徴するかのようです。
「ガソリンでも、レギュラーとハイオクを混ぜるわけにいかないですよね。
炭も同じで、良いものを作り続けなくてはならないんです」
片岡さんの炭づくりに対する信念を感じる言葉でした。
省エネが叫ばれる昨今、何のエネルギーを使うのか?
消費者である我々も、もう一度考え直す必要がありそうですね。