美しき日本を残すために
吉野川の中流域「大歩危(おおぼけ)」渓谷。
そこから剣山へと抜ける途中に、その地はありました。
日本三大秘境の一つにして、
平家落人伝説の里ともいわれる徳島県「祖谷(いや)」。
その深い渓谷にうっそうと朝もやがかる様は、
しばしば日本の「桃源郷」と呼ばれるほどです。
今から40年ほど前、この地を訪れ、
魅了された一人の青い目の青年がいました。
現東洋文化研究者、アレックス・カー氏です。
父親の仕事の関係で、12歳から2年間ほど横浜で暮らしていたアレックス氏は、
イエール大学在学中、再び日本へと留学。
その頃に祖谷を訪れ、その眺望と人々の暮らしに魅了されます。
「ここには"日本の原風景"がある」
そう考えるようになったアレックス氏は、
100軒以上の空き家を回って一つの茅葺き家屋に巡り合い、
親に借金までして、その古民家を購入しました。
地域住民とともに茅を葺き替え改修し、
そこを「篪庵(ちいおり)」と名付けます。
アレックス氏は日本文化の研究、および海外への紹介に励み、
一方で、篪庵は外国人来訪者のための家屋として使用されてきました。
そんな篪庵の価値やアレックスの思いに、市や国が賛同し協力することになり、
大改修工事が実現され、正式に古民家宿として、生まれ変わることになったのです。
改修には日本全国から、アレックス氏の活動に関心のある若者が集まり、
約40年前と同様、地元の方々とともに進められました。
こうして今夏、ゲストハウス「篪庵(ちいおり)」としてオープン。
外観は完全なる茅葺きの古民家ですが、
中に入ると、まるで戦に備える本陣のような佇まいになっていました。
内部の飾りや調度品は、すべてアレックス氏がこれまで集めてきたものだそう。
その重厚感あふれる趣だけでも圧倒される雰囲気ですが、
驚いたのが床暖房をはじめ、ハイテクを駆使した仕立てになっているのです。
入り口は、鍵の受け渡しの面倒を省くための、
番号入力によるセキュリティキー。
台所はIHが導入されたシステムキッチンを配備。
ウォッシュレットのトイレに、シャワールーム、
お風呂場にはヒノキ風呂がありました。
古民家にハイテクの設備。
そのギャップに驚きを隠せませんでしたが、
これらはすべてアレックス氏の考えに基づいていました。
彼は、日本に必要なものは、古いものを大切にしようとする意識と、
古い建屋を保存するために、現代人が快適に暮らせるように改修する技術、
と説いているのです。
思えば、ヨーロッパの街並みがなぜ、美しいと感じるのか。
それは、現代の用途に合わせた使い方をしながらも、
昔ながらの街並みを保存しているからのように感じます。
アレックス氏によると、
欧米の石の建物は、一度ヒビが入ると改修が困難なようですが、
それを技術でカバーしているとのこと。
家屋改修のための技術を進め、"きれい"な状態で
古い街並みを残していくことが日本の今後にとって何よりも大切、
とアレックス氏は語っています。
彼のプロデュースによって近くの落合集落に今年オープンした、
「浮生(ふしょう)」「晴耕(せいこう)」「雨読(うどく)」といった古民家宿にも、
篪庵と同じコンセプトが取り入れられていました。
これらの古民家改修に携わり、
今もこの祖谷で働く「篪庵トラスト」の笹川さんは、
取り組みについての想いをこう語ります。
「アレックスは、観光バスが停まるような観光地としての開発ではなく、
人々の暮らしのなかにこそ、その土地の魅力があるという考えに基づいて、
こうした宿泊施設をオープンさせました。
ここを拠点に祖谷での暮らしを体験してもらって、
やがてこの地に移り住んでくる若者が増えてくるといいですよね」
現に笹川さんも、この取り組みに共感して、
祖谷へ移住してきた一人です。
現代の日本が取り残してきた土地にこそ、
本来の日本の姿が残っている。
こうした視点を得るためにも、
時に外からの目線が必要だということを、
祖谷は気付かせてくれました。