地元で愛され続ける、駄菓子屋さん
富山市街から車で30分ほど行ったところに、
「八尾(やつお)」という、城下町のような雰囲気のただよう町があります。
9月の頭には「おわら風の盆」という、富山を代表する祭りが開催され、
3日間で観光客約25万人が訪れ、賑わうようです。
この町に、ふらっと訪れた私たち。
その日は偶然にも、八尾のもう一つのお祭り、
「曳山祭」の開催日でした。
江戸時代中期から続いているというこのお祭りは、
町内で6地区ごとに保管されている自慢の曳山(山車)が一斉にお目見えし、
町中で曳かれるというもので、
その日は年に一度の記念すべき日だったのです。
「○○ちゃん、久しぶり~!」
「父ちゃん、こっち!こっち!」
至る所からこんな掛け声が響き合っています。
お祭りの日ならではの、今日だけは許された開放的な雰囲気がたまりません。
毎日がお祭りのような都心では、もうこのワクワク感は
味わいにくいのかもしれませんね。
夜も更け、町中を巡った曳山が蔵に戻る頃、宿へ戻ろうと帰路につくと、
通りの一角にひっそりと開いているお店がありました。
中に入ると、そこは駄菓子屋さんでした。
夜9時を回って、開いている駄菓子屋さんがあることに驚きましたが、
さらに驚かされたのが、そこで働いていたおばあちゃんの年齢。
このおばあちゃん、なんと今年98歳を迎えるんだとか!
こんな遅い時間まで、立って店番されるなんて、
どれだけ元気なんでしょう。
しかも、この駄菓子屋さん、この地で60年以上も続いているそうです。
おばあちゃんに、それだけ長く続けられる秘訣を聞くと、
「わたしゃ子供が大好きでねぇ。逆に子供から元気をもらっているんだよ」
と、笑顔で答えてくれました。
我々が旅路の途中だということを伝えると、
「ありゃ、そうですかぁ。わたしゃ、この通り老いぼれなもんでねぇ。
宿まで見送りに行きたいけど、行けなくて申し訳ないねぇ」
と、本当に申し訳なさそうに言うんです。
あまりにも優しいおばあちゃんの態度に心打たれた私たちは、
その日以来、おばあちゃんのことが頭から離れませんでした。
八尾を離れる日、私たちは今一度、
そのおばあちゃんの元へ足を運んでみました。
「こどもや」と呼ばれる、その駄菓子屋さんの店内は、
元気な子供たちで、賑わっていました。
その時間、おばあちゃんは休憩中で、あいにく会うことはできませんでしたが、
息子さん夫婦にお話を伺うことができました。
「戦後、東京から帰郷した母と父は、問屋からお菓子を仕入れて、
少しずつ拡大して、今に至っているんですよ。
もちろん、単価の安いものなんでね。
儲かる商売じゃないから、大変な時期もあったと思います。
ただ、子供たちの憩いの場をなくしたくない、という母の想いがあるから、
今でも続けているんです」
確かに、今は閉店してしまった、私の地元の駄菓子屋さんも、
幼少期の憩いの場となっていたことを思い出しました。
少子化が押し寄せているのはこの町も同様ですが、
それでもお店が続いているのは、
何よりも地元の人に愛されているからではないでしょうか。
事実、私たちがこのお店に滞在中にも、ひっきりなしにお客さんが出入りしており、
なかには、孫と一緒に来るおじいちゃんの姿も。
「昔、来てくれていたお客さんが、
今度は自分の子供や孫を連れて来てくれるんですよ!」
60年余り続いているお店ならではの光景ですが、
後に、それもそのはずだと感じるシーンを目にしました。
お金を遣いすぎる子供に対し、きちんと叱っているんです。
「こらこら、ちゃんと自分で稼ぐようになったらにしなさい」
聞かない子に対しては、親に忠告することもあるんだとか。
あくまでも子供のためになることを前提としたこの姿勢こそが、
この地で60余年、祖父母から子供の世代にまで、
愛され続けている秘訣ではないでしょうか。
八尾の子供を愛し、愛されてきた駄菓子屋さん「こどもや」。
私たちも、またいつの日か、おばあちゃんに会いに、
必ずや戻ってきたいと思います。