革新する高岡の伝統
大みそか、日本全国で響き渡った除夜の鐘。
昔から慣れ親しんでいるせいか、
この音色を聞くと、年越しの気分が一気にわく気がします。
実はこの除夜の鐘、その多くが、
富山県高岡市で作られていることをご存じでしょうか。
高岡は全国で生産される銅器の約95%を占める一大産地。
江戸時代、加賀藩2代藩主の前田利長によって町が開かれて以来、
鋳鉄の原料となる砂鉄、燃料の薪炭、保温材のわら灰、
鋳型をつくる川砂などを得やすかった高岡は、
鋳物の産地として発展を遂げていきます。
高岡駅近くに建立されている「高岡大仏」は、
高岡の職人の技術を結集してつくられたものでした。
そんな高岡の地で、鋳物の技術を活かしつつ、
革新的なものづくりを続ける企業があります。
今年、創業98年を迎える鋳物製造の老舗
「株式会社 能作」。
「うちには営業はいないけど、富山県民がみんな営業してくれるんですよ」
5代目を担う能作克治社長がそう語ります。
能作が最近世を騒がせ、富山県民が胸を張って「富山産だよ」
と周りに話したくなるものが、こちら。
錫製の曲がる器です。
金属なのに、人の力で自在に曲げられます。
使う用途に合わせて、形状も自由自在。
「食器=硬い」という固定観念を見事に覆されましたが、
こうした革新的な器が生まれた背景には、
挑戦し続ける伝統産業の姿勢がありました。
「日本の伝統産業はもう下火といわれていた時代にも、
私たちは横ばいか、少し右肩上がりの業績でした。
日本のものづくりの技術は世界一なんです」
福井出身の新聞記者から一転、婿養子として能作に入社した能作社長は、
17年間、職人として高岡の鋳造技術を教わったといいます。
「富山では、県外から来た人のことを"旅の人"って呼ぶんですよ。
言い換えれば"よそ者"です。ただ、同業者には教えないようなことも、
僕には教えてくれた。だから僕は、そんな高岡に恩返しがしたいんです」
グローバル経済が進み、中国の台頭が顕著に見られるなか、
高岡銅器も他産地と同様に、衰退の一途をたどっていました。
そんななか、能作社長がとった戦略は、多品種少量生産。
それも、一度は機械化した工場を、今一度手作りに戻すほどの徹底ぶり。
「少ロットでも、品質の良さで勝負するしかないと思ったんです。
手作りに戻すことで、職人の技術もさらに磨かれるようになっていきました」
工場に保管されている4000にも及ぶ鋳型が、
まさにその戦略を物語っていました。
ひたすら技術を磨き続けていくなか、やがて能作社長に
「ユーザーの声も聞きたい」という想いが芽生えていきます。
「当時は問屋さんから言われたものを作るだけでした。
ただ、売れなくなったら、末端は何もできないんですよね」
その状況に歯がゆさを覚えていたと話す能作社長のもとに、
2001年、東京で展示会開催のチャンスが訪れます。
それまで仏具や花器を手掛けていた能作でしたが、
これを機に社長直々に新しい製品の開発に乗り出し、
作り上げたのが、このハンドベルでした。
「これが大失敗だったんです。
だいたい家でハンドベル鳴らして奥さん呼んだ日には、
代わりに皿でも飛んできそうでしょ(笑)」
しかし、このハンドベルを見たある店員さんからのアドバイスで、
またたく間にヒットする商品が生まれるのです。
それが「風鈴」。
「風鈴は"鉄"だっていう、勝手な固定観念があったんですね。
私たちが手掛けていたのは"真鍮"でしたから。
この時に、売り場の店員さんはユーザーの志向を知っているんだな、
ということを学びました」
この学びから、今度は「身近な食器を作ってほしい」
という店員さんからの依頼に耳を傾ける能作社長。
真鍮や青銅は口にする食器としては適しておらず、
そこで、考えられたのが「錫」でした。
「当時、高岡の技術では錫は鋳造できないといわれていました。
それを実現できたのも、技術を磨いてきたからでしょう。
ただ、錫100%だとどうしても柔らかすぎて、曲がってしまったんですね」
それを、特徴と捉えるまでに、さほど時間はかからなかったそう。
「曲がるんなら曲げて使えば?
とデザイナーの小泉誠さんにアドバイスいただいたんです。
なるほど、とすぐに受け入れられたのも、
私自身が異業種出身だったからかもしれませんね。
以来、一歩俯瞰して見ることが大事、ということを知りました」
こうして錫100%の、曲がる器が誕生したのです。
今では、高級レストランから特注で発注がくるほど、
売り上げも青銅や真鍮をしのぐまで伸びてきているんだとか。
最近では、金属製の日用品になじみのある欧米を中心に仕掛けも始め、
Made in Japanを、また、高岡の名を世界に広めていっています。
そして、今になってあのハンドベルが海外で売れ出しているそう。
「高岡がなければ、能作は絶対に成り立たない。
そういった意味でも、"伝えられる生産者"でなければなりません。
そのためには、モノの良さはもちろんのこと、コトと心が大切。
コトとは、高岡の伝統産業の技術。そして、心とは職人の想いです。
これからも"攻める"伝統産業であり続けたい」
終始、穏やかなトーンで話される能作社長でしたが、
その内に秘める想いには、並々ならぬ熱意を感じました。
「これからは"競争"ではなく、"共想""共創"の時代。
高岡の同業者と協力して頑張っていきたいですね」
革新し続ける伝統産業の背景には、
高岡に対する誇りと感謝の念が込められていました。