「秋津野ガルテン」にきてら
今回の舞台は、和歌山県中南部に位置する田辺市上秋津(かみあきつ)地区。
昔からこの地域は、みかんと梅の里として知られ、
私たちが訪れた2月上旬は、ちょうど梅の花が咲き始めた頃、
山の斜面にはみかんの果実が輝いていました。
その日は地域の農家レストランがリニューアルオープンするということで、
ランチをしに行ってみると、そこは木造建ての小学校の校舎でした。
平成に入り、この地域には外部から人が移り住み、人口が急増。
上秋津小学校も手狭になり、近くに新校舎が建てられました。
旧校舎はそのまま解体される予定でしたが、
「地域資源を生かそう」と、住民がお金を出し合って買い取ったといいます。
ドイツ語で"庭"を意味する「秋津野ガルテン」と名付けられたその場所は、
レストラン「みかん畑」のほかにも、スイーツ工房兼ショップの「バレンシア畑」、
みかんの歴史やいろはについて展示している「からたち」に
宿泊施設も兼ね備えていました。
「この地域は、もともと愛郷心が強い人が多くて。
昔からコミュニティづくりに力を入れてきました」
先述した平成初めの人口増加によって、
新旧住民の間にトラブルが増え、それを解決するために、
子ども会や消防団、PTAなど11地区の地域団体が集まって
「秋津野塾」を平成6年に設立したのだと、
秋津野ガルテン専務取締役の木村則夫さんが教えてくださいます。
「地域活動にはそれなりに活動資金が必要で、
当時はまだ珍しかった『直売所』を作ろうって話になったんです。
行政に訴えたけど認めてもらえず、結局地元の有志が31人、
各人10万円ずつ出資して10坪ないプレハブからスタートしました」
しかし、すぐにうまくはいきません。設立して半年で倒産の危機に
。
「みかんの里でみかんが売れるものか」といわれていたそう。
そんな危機を救ったのが、「秋津野まるごとセット」でした。
最初は地元の人がお歳暮などのギフトに購入し、
それをもらった人がリピートするようになりました。
その後は、それまで農協に出荷していて
ほとんど利益の得られなかったジュース用果実を、
自分たちで輸入した機械でジュースに加工することで、
それまでの約10~15倍の利益が得られるように。
地元の方言で「来てね!」を表す「きてら」という名の直売所は
20坪に拡大し、現在では年商およそ1.5億円、年間6万人が訪れる場所になりました。
「『きてら』と『秋津野ガルテン』が相互に影響しています。
地域資源の生かし方を考えて、我々が物語を作って情報発信していかないと。
今は"価値"の時代であり、"選択"の時代。
地域が面白いなぁと思って、若い人に選んでもらえるようにね」
「きてら」代表取締役社長兼
「秋津野ガルテン」代表取締役副社長の玉井常貴さんが話すと、
木村さんもこう続けます。
「粘り強く、いろんな方向から玉を進めてやってきました。
自分たちでお金を出してやってきたのがよかったのかもしれませんね」
住民が主体になり、地域でお金が回る仕組みを作った秋津野地区。
農家だけでなく、商売人もサラリーマンも、
立場の違う人々が皆、それぞれの得意分野を生かして活動してきました。
そして、そこには「外に出て行った人をどうにか引き戻したい」
という共通の想いがありました。