未来へつなげる昔ながらの梅
おにぎりやお弁当でおなじみの「梅干し」。
中国では紀元前より、酸味として用いられており、
塩と並んで最古の調味料といわれています。
料理の味加減を表す「塩梅(あんばい)」の語源も、
塩と梅のバランスが良いことに由来するのだそう。
原料となる梅の国内シェア約6割を誇る和歌山県では、
例年より早く2月上旬に梅の花が咲き始めていました。
一年を通じて温暖な紀伊半島南西部に位置するみなべ町は、
梅の日本一の産地で、代表品種「南高梅」発祥の地でもあります。
南高梅が登場したのは昭和20年代のこと。
地域で栽培されていた114種類の梅の中から、
5年の歳月をかけ、最優良品種を選抜した結果、
最も風土に適した高田家の梅が選定されました。
その際、調査研究に深く関わった南部高等学校園芸科の努力に敬意を表し、
「南高梅」と名付けられたんだとか。
現在では、みなべ町で生産される梅の約8割を占めるそうです。
そんなみなべ町で、数ある梅農家のなかでも、
無農薬・無肥料栽培に挑む農家があると聞いて伺いました。
「てらがき農園」
減農薬栽培を手掛けていた父の後を継いだ、農園長の寺垣信男さんは、
枝の剪定作業まっただ中でした。
「こうして枝を切ってあげないと、梅の実に栄養が行き届かないんですよ。
大変ですが大切な仕事です」
幼い頃から農作業する父親の背中を見て育ったという信男さんは、
驚くほどのスピードで剪定を進めていらっしゃいました。
ただ、そこにはてらがき農園ならではの剪定のコツがありました。
強いものを残し、余計な枝をカットしていく考えは同様ですが、
一般的には開放自然型と呼ばれる形状に仕上げていくのに対し、
てらがき農園のものはこの通り↓
枝が上へ上へと向かっているのが分かるでしょうか?
これは、あえて下に生えてくる枝を剪定しているため。
こうすることによって実が付いても枝が垂れにくくなり、病気になりにくいんだとか。
農薬を与えずに育てるための工夫でした。
「それでも、農薬を使った場合と比べ、出荷できる品数は1/10程度です。
だからといって価格を10倍にするわけにいきません。
すべては、本当に体が喜ぶ梅を作るためです」
そもそも、てらがき農園が無農薬・無肥料に取り組み始めたのも、
お客さんの「これからも体に良い梅を作り続けてください」という
感謝の声からだったそうです。
どれだけ消毒をしても、毎年何かしらの病気が発生していたことから、
いっそ農薬を減らしてみようと実践し、減農薬栽培を確立。
そんな折にいただいたメッセージだったために、
減農薬でも罪悪感を覚えたんだそう。
完全無農薬に切り替えることに葛藤を覚えながらも、挑戦を始めた信男さんは、
有機肥料で栽培した作物が早く腐りやすいことを知り、無肥料にも挑みます。
今では納豆菌などを散布し、
病原体の繁殖を抑制したり、土壌改良に役立てたりしているようです。
「収穫したら、はい出荷ってわけにいかないのが、梅農家ならではですかね」
信男さんがそう話す通り、
てらがき農園では梅干しづくりまで手掛けていました。
最近では消費者が自分で加工する需要から、青梅で出荷することも増えているようですが、
それでも梅干しにする量の1/10にも満たないそう。
完熟の梅を、塩漬けにし、
これを2週間ほど天日干ししていきます。
ほとんどの農家では、3~4日ハウスで乾燥させ、等級分けされた梅を
二次加工業者へ卸し、そこで味の調整が行われ梅干しとして出荷されますが、
てらがき農園ではその後の工程すべてを自社で行っていました。
自社の蔵で3年間寝かせられた梅からは、自然に中の塩分が出て、
梅本来の酸味がきいた、昔ながらの梅干しに仕上がっていくのです。
一粒いただくと、まるで体が欲していたかのように、
口中から酸味が吸収されるような感覚で、
思わず種の中の"仁"までむさぼるように食べてしまいました。
自然にとって優しい栽培法で作られた梅は、
体にとっても優しいものでした。
「シンプルに考えるようにしているんです。
自然の恵みからいただく農業なら、ずっと続けていける。
梅の木が持つ本来の力で、実が付けられるようにお手伝いをするだけです」
今や3児の父となる信男さんは、
まるで子供を育てるような口調で梅についても話します。
次の世代、その次の世代にも続けられるようにと、
100年後も見据えた農業を追求していました。