MUJIキャラバン

未来へつなげる昔ながらの梅

2013年02月27日

おにぎりやお弁当でおなじみの「梅干し」。

中国では紀元前より、酸味として用いられており、
塩と並んで最古の調味料といわれています。

料理の味加減を表す「塩梅(あんばい)」の語源も、
塩と梅のバランスが良いことに由来するのだそう。

原料となる梅の国内シェア約6割を誇る和歌山県では、
例年より早く2月上旬に梅の花が咲き始めていました。

一年を通じて温暖な紀伊半島南西部に位置するみなべ町は、
梅の日本一の産地で、代表品種「南高梅」発祥の地でもあります。

南高梅が登場したのは昭和20年代のこと。

地域で栽培されていた114種類の梅の中から、
5年の歳月をかけ、最優良品種を選抜した結果、
最も風土に適した高田家の梅が選定されました。

その際、調査研究に深く関わった南部高等学校園芸科の努力に敬意を表し、
「南高梅」と名付けられたんだとか。

現在では、みなべ町で生産される梅の約8割を占めるそうです。

そんなみなべ町で、数ある梅農家のなかでも、
無農薬・無肥料栽培に挑む農家があると聞いて伺いました。

「てらがき農園」

減農薬栽培を手掛けていた父の後を継いだ、農園長の寺垣信男さんは、
枝の剪定作業まっただ中でした。

「こうして枝を切ってあげないと、梅の実に栄養が行き届かないんですよ。
大変ですが大切な仕事です」

幼い頃から農作業する父親の背中を見て育ったという信男さんは、
驚くほどのスピードで剪定を進めていらっしゃいました。

ただ、そこにはてらがき農園ならではの剪定のコツがありました。

強いものを残し、余計な枝をカットしていく考えは同様ですが、

一般的には開放自然型と呼ばれる形状に仕上げていくのに対し、

てらがき農園のものはこの通り↓

枝が上へ上へと向かっているのが分かるでしょうか?
これは、あえて下に生えてくる枝を剪定しているため。

こうすることによって実が付いても枝が垂れにくくなり、病気になりにくいんだとか。
農薬を与えずに育てるための工夫でした。

「それでも、農薬を使った場合と比べ、出荷できる品数は1/10程度です。
だからといって価格を10倍にするわけにいきません。
すべては、本当に体が喜ぶ梅を作るためです」

そもそも、てらがき農園が無農薬・無肥料に取り組み始めたのも、
お客さんの「これからも体に良い梅を作り続けてください」という
感謝の声からだったそうです。

どれだけ消毒をしても、毎年何かしらの病気が発生していたことから、
いっそ農薬を減らしてみようと実践し、減農薬栽培を確立。

そんな折にいただいたメッセージだったために、
減農薬でも罪悪感を覚えたんだそう。

完全無農薬に切り替えることに葛藤を覚えながらも、挑戦を始めた信男さんは、
有機肥料で栽培した作物が早く腐りやすいことを知り、無肥料にも挑みます。

今では納豆菌などを散布し、
病原体の繁殖を抑制したり、土壌改良に役立てたりしているようです。

「収穫したら、はい出荷ってわけにいかないのが、梅農家ならではですかね」

信男さんがそう話す通り、
てらがき農園では梅干しづくりまで手掛けていました。

最近では消費者が自分で加工する需要から、青梅で出荷することも増えているようですが、
それでも梅干しにする量の1/10にも満たないそう。

完熟の梅を、塩漬けにし、

これを2週間ほど天日干ししていきます。

ほとんどの農家では、3~4日ハウスで乾燥させ、等級分けされた梅を
二次加工業者へ卸し、そこで味の調整が行われ梅干しとして出荷されますが、
てらがき農園ではその後の工程すべてを自社で行っていました。

自社の蔵で3年間寝かせられた梅からは、自然に中の塩分が出て、
梅本来の酸味がきいた、昔ながらの梅干しに仕上がっていくのです。

一粒いただくと、まるで体が欲していたかのように、
口中から酸味が吸収されるような感覚で、
思わず種の中の"仁"までむさぼるように食べてしまいました。

自然にとって優しい栽培法で作られた梅は、
体にとっても優しいものでした。

「シンプルに考えるようにしているんです。
自然の恵みからいただく農業なら、ずっと続けていける。
梅の木が持つ本来の力で、実が付けられるようにお手伝いをするだけです」

今や3児の父となる信男さんは、
まるで子供を育てるような口調で梅についても話します。

次の世代、その次の世代にも続けられるようにと、
100年後も見据えた農業を追求していました。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

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