世界に認められた、メイド・イン・ヤマガタ
山形出身の友人に、
「世界中から注目されているニットメーカーがある」
と聞いて、山形県のほぼ中央に位置する
寒河江(さがえ)市にやってきた私たち。
訪れた佐藤繊維株式会社で
東京出張から戻ったばかりの佐藤正樹社長に、
お話しを伺うことができました。
まずお会いしてみて、その若さとインパクトのあるファッションに衝撃。
お話いただくひと言ひと言に吸い込まれていきます。
「昔からある歴史や機械、ストーリーがあるからこそ今がある 」
そう始められた正樹社長。
さかのぼること80年以上前、もともと農家が多かったこの地域では、
冬に雪で作業ができないことから養蚕が盛んだったそうです。
しかし、その後洋服の文化が入ってきて、東京や愛知で紡績業が本格化。
羊を飼うためには大量の草と広大な敷地が必要なので、
東京や愛知では原料の羊毛(ウール)を輸入していました。
一方、山形では米作が盛んだったため、幸いにもワラがたくさんあり、
正樹社長の曾祖父が近所の各家庭に羊を数頭ずつ飼ってもらい、
手編み毛糸の製造・販売を始めたといいます。
その後、祖父の時代に工業化。
原料を輸入するようになり、糸づくりの量産が始まり、
父親の時代になると、セーターの販売もスタートしたそう。
しかし、時代の移り変わりとともに、セーターの価格はどんどん落ち、
2005年に正樹社長が就任した時も、厳しい時代は続いていました。
約20年前に400~500社あった紡績会社が、
現在三十数社にまで減ってしまっているんだそうです。
「先代から受け継いだものづくりを、次世代につなげることが僕の使命。
息子が継ぎたくなるような会社にするのが目標ですよ」
そう話す正樹社長の転機は、イタリアを訪れた時だったといいます。
「日本人は言われたことをやってきただけ。
もっと自分たちから情報発信していくべきだ。
クリエーターとして、これまでにないものを作ろう!」
そう決意して紡績機の改良から始めました。
最新鋭の機械は安定した糸を効率的に生産するのには適していますが、
個性的な糸を紡ぐことはできない。
そこでわざわざ古い機械を見つけてきて、それを改良して使うようにしました。
ヨーロッパでは効率化を図って
どんどん新しい機械に入れ替わっていく中で、
物を大切にする日本だからこそ、古い機械も見つかったんだとか。
また、同時に最高の原料も探し求め、世界中を自ら歩き回りました。
そして、2007年にイタリアのニット素材展示会で
オリジナルの糸を公表すると、
世界のラグジュアリーブランドの多くが注目。
さらに2009年1月には驚くべきニュースが!
オバマ大統領の就任式で、ミシェル夫人が着ていた
ニナ・リッチのカーディガンに
佐藤繊維が開発したモヘア糸が用いられていたのです。
その後も世界一細い糸の開発に成功した正樹社長は、
オリジナルブランドも起ち上げています。
「糸を細くすることで、セーター以外のアイテムが作れるようになりました。
ニット=セーターの歴史を変えることができたと思っています」
確かにニットと聞くと、モコモコのぬくぬくしたセーターを
思い浮かべてしまいますが、
これからの季節に着られるキャミソールや
ハンドバッグやブレスレットなどのアクセサリーも
同じニットでできているんですよね。
カラフルなニット商品は、
身につけるだけで気分がワクワクしてきそうです♪
「万人に喜ばれるものじゃなくって、変人に喜ばれるものを作らないとね。
玄人が求める"すげぇ"に応えられるか、だと思いますよ。
作り手が自分の強みを理解していないとダメ。
○○を作らせたら世界一!というブランディングをしないといけない。
仮に僕が別のものを作っていたとしても、売る自信がある」
そう、力強くおっしゃる正樹社長が放つオーラはまぶしいほど。
歴史や伝統を重んじながらも一方で、
ものづくりには発想の転換も必要なのかもしれません。
「自分の中の価値観を信じて、夢や目標を決めれば成功できる」
正樹社長の経験から来るこの言葉には、説得力がありました。
今後もメイド・イン・ジャパンならぬ、
「メイド・イン・ヤマガタ」から目が離せません。