紅花染め
今から約300年前に京都で始まった舞妓さんの紅。
インドの女性が額に付けるビンディや、身につけるサリー。
これらの染料にはかつて、同じこの花が使われていました。
「紅花」です。
日本へは7世紀初め、シルクロードを渡って、
染色技術とともに中国から渡ってきたといわれています。
江戸時代、その土地や風土が紅花の栽培に適していた山形県は、
全国生産量の約50%以上を占めるほどの最大の産地に。
山形の内陸で採れた紅花は「最上紅花」と呼ばれ、
最上川を利用して日本海沿岸の酒田に運ばれ、
北前舟の西廻り航路で、京都や大阪へと送られていきました。
当時は金と同じぐらい貴重な染料として取引され、帰りの船には、
陶磁器や美術品、塩、茶、海産物などが積まれてきました。
その返り荷の一つであった雛人形は、
県内の至る所に配置・保管されています。
また当時、この紅花を主とした交易で、
一大財を築き上げた商人たちの家城が現存しており、
当時の面影を見ることができます。
酒田の大商人、本間家などは殿様より力を持っていたと聞きますから、
紅花がどれだけ高価なものであったか想像がつきますね。
紅花から抽出できる色素は黄色と紅色の2色ですが、
そのうち、紅色が占める割合は1%未満。高いはずです。
これに藍色を加え、三原色のすべてがそろうと
染め方によって、大きく6色の色を出すことが可能になるんです。
ご覧の通り、鮮やかな色合い。
こうして、自然の色で染め上げられた紅花染めは、
見ていてもいっこうに飽きがこないから不思議です。
「植物はそれぞれに色合い、色素、風合いというものが違います。
だから同じものがない。
そこが今も植物染めが続いている魅力なのだと思います」
そう、職人も紅花染めの魅力を語ります。
明治時代に入り、外国産の化学染料が輸入され、
急速に姿を消していった紅花産業ですが、
山形県では県花にも認定し、今でもその文化を守り続けています。
昨日のブログでご紹介した佐藤繊維(株)でも、
紅花染めのストールを開発し、世界へ発信。
こうした新たな取り組みで、
歴史が受け継がれていくといいですね。