農業は生命産業
山梨県の日本一といえば、
最高峰を誇る富士山は言わずもがな、
桃、すもも、ブドウの果樹類も!
年間日照時間の長い山梨では、その気候風土が果樹栽培に適しており、
"フルーツ王国"と呼ばれるほどです。
なかでも、日本で1000年以上の歴史を持つ日本固有のブドウ品種「甲州」は、
ワイン醸造用にも、勝沼を中心に積極的に栽培されています。
一般に、病害や収穫量が減ることから有機栽培は難しいとされるブドウですが、
50年ほど前から、ブドウの完全有機・無農薬栽培に取り組む生産者に
山梨市牧丘町でお会いしました。
「フルーツグローアー澤登」の澤登芳(かおる)さん。
葡萄愛好会の理事長を務める方です。
「はじめは重い農薬タンクを背負って作業するのが、
嫌だっただけなんですけどね(笑)」
今年、85歳を迎えられるという澤登さんは、
腰のリハビリ中にもかかわらず、終始笑顔でお話しくださいました。
もともと、農家の7男に生まれた澤登さんは、
桑とかいこ、こんにゃくだけだった町の産業の行く末を憂い、
牧丘町の農業関係の仕事に従事し、やがて家業を継ぐことに。
1955年には、気候風土が適しているブドウ栽培を試みはじめ、
巨峰などの栽培法を確立していきました。
以来、農薬から農家を解放しない限り
将来、農業をする者がいなくなってしまう、と危惧し、
完全無農薬でのブドウ栽培に取り組みはじめます。
その最中に、奥さんが急性農薬中毒で倒れ、九死に一生を得るという事件が発生。
こうして考案された施設が「サイドレスハウス」です。
その名の通り、サイドが開いている状態のハウスのことで、
ブドウと外気の温度差を利用して空気の対流を起こし、
ハウス内の湿度を下げる効果があります。
今も無農薬で作られている原生地中央アジアのブドウをヒントに、
湿度が病害の大きな要因ということを突き止め、
雨が避けられて低湿度に保てる環境を生み出したのです。
さらに病気に強い系統を選別しながらの品種改良も繰り返し、
約10年かけて、ブドウの完全無農薬栽培化に成功します。
また、品種に対してもこだわりがありました。
「亜寒帯から熱帯まで、ブドウほど世界中で作られているフルーツはありません。
しかも、それぞれの気候風土に合った品種を作っています。
日本では当然、日本の気候風土に適したものを作るべきなんです」
大きく「醸造用」と「生食用」の2つに分けられるブドウの品種のなかで、
醸造用には、得てして海外生まれの「カベルネ・ソーヴィニヨン」や
「シャルドネ」などが好まれますが、澤登さんのところで栽培されるブドウは、
育種家だった兄、故・澤登晴雄さんとともに開発された、日本固有の品種がほとんど。
なかでも、日本山ブドウ系の「小公子」は、糖度が高くアントシアニンが豊富で、
赤ワイン醸造用としても重宝されています。
同じく、日本山ブドウ系の「ワイングランド」は、ロゼワインの醸造に。
これらの品種を用い、酸化防止剤・防腐剤など一切の添加物を使用せずに、
委託醸造したオリジナルワインは、限定販売の幻のワインと呼ばれています。
また、澤登さんはキウイフルーツ栽培のパイオニアでもありました。
35年前に、キウイフルーツを尋ねて仲間とともにニュージーランドに出かけ、
以来、日本の果物として栽培できるように努力されてきました。
キウイフルーツは収穫から食べ頃まで、熟成期間が必要ですが、
食べ頃を迎えたキウイフルーツは絶妙の味わい♪
もちろん、キウイフルーツも無農薬栽培です。
「農業を"生命産業"として位置付けることが大切です。
日本には素晴らしい気候・風土の国土があるのに、
食料自給率が40%を切るのは、農業がないがしろにされてきた証拠。
生命を育てている産業として認識し、農業を推進していかないと日本は滅びます」
澤登さんがそう警鐘を鳴らすと、長女の早苗さんがこう続けます。
「そのためには、消費者に生産現場のことを伝えていかないと。
体を作り、健康でいるために食べているわけなので、
その食材がどう作られているかをもっと知ってもらいたいですね」
早苗さんは、農学博士の称号を持つ大学教授で、
東京の女子大で教鞭をとられています。
授業の中で有機農業を実践し、食の大切さを教えるのはもちろんのこと、
有機農業の実情を伝えるべく、実家の横に家を構え、
片道2時間かけて大学まで通っているそうです。
「食べるものは、人間の生命を維持するもの。
それに害があってはいけない。
幸いなことに子供たちがこうしてつないでくれている。後は任せようと思う!」
現在、畑作業は次女夫婦が担い、一家総出で畑を守っています。
父が培ったブドウの有機栽培は、確実に後世へとつながっていました。