つくしんぼ
森に春の陽気が満ちてくると、土の中からいろいろな命が芽吹いてきます。まっ先に春を告げるのは前号のブログ(春の顔)でご紹介した蕗の薹ですが、日あたりの良いところでは、つくしの坊やも顔を出してきました。
つくし、つくしんぼ、筆の花、つくづくし、といろいろな呼び名がありますが、帽子をかぶったあの姿は、「つくしんぼ」と呼びたい気分。なんだかドングリの坊やにも通じる愛らしさがあると思いませんか?
古名の「つくづくし」は、いかにも雅な感じ。源氏物語には、宇治山の阿闍梨が傷心の中の君のもとへ「蕨、つくづくし、をかしきを籠に入れて」贈ったとあり、春の旬の食材として貴族たちにも貴ばれていたようです。
貴族の雅とはほど遠いわが家でも、つくしんぼは春を告げる食材として欠かせません。この時季になると「下を向いて歩こう」を実践。犬の散歩をしながらも、目はつくしを探して歩き回ることになります。
子どもの頃、やわらかな春の陽射しが降り注ぐ川の土手には、たくさんのつくしが生えていました。ポケットがふくれあがるほど摘んで持ち帰ると、母がそれを料理してくれるのですが、ただし、子どもたちが「自分の手でハカマを取る」という条件付き。細かく根気のいるこの作業は、手先の不器用な私には結構なハードルで、ハカマを取らないままにひからびさせて捨ててしまったこともありました。自分の手で摘み取ったものが、生かされないままに、捨てられていく・・・その時のうしろめたい気持ちは、今でもはっきり憶えています。今にして考えると、母は、小さなつくし一つに命があることを教えるために、そして芽生えてきた命をいたずらに摘み取らないために、あの面倒な作業を子どもたちに課していたのかもしれません。
不器用さは子どもの頃と変わっていない私ですが、今、いそいそとつくしを摘めるのは、「ハカマ取り」を手伝ってくれる家族がいるから。そして、春が来るたびにつくしを料理するのは、母が作ってくれた「春の味」を自分の中にとどめ、子どもにも伝えたいからなのかもしれません。わが家では煮付けや卵とじで食べますが、ネットで検索していたら、砂糖で煮て半干しした後でグラニュー糖をまぶした「つくしのかりんとう」というのもありました。みなさん、それぞれ楽しんでいらっしゃるんですね。
つくしんぼだけではありません。ユキノシタ、たんぽぽ、クローバー、スイバ、そして空の青をそのまま映したようなオオイヌノフグリ・・・この時季、森ではたくさんの野の花が競うように芽生えてきます。
そして、下のほうばかりに気を取られて歩いていると、突然の気配に驚くことも。物音のする方に目をやると、鹿の群れが森の中を走り回っています。
ながいながい冬の後、さまざまな命がほとばしる森。大好きな季節の始まりです。