富士山の山じまい
前回の「湖畔の祭り」では、時代の空気を映した新しいお祭りをご紹介しましたが、今回は隣町の富士吉田に伝わる伝統的なお祭りをご紹介しましょう。
毎年8月26日・27日は富士山の「山じまい」を告げる「鎮火祭」。日本三大奇祭のひとつで、北口本宮富士浅間神社と諏訪神社の神様を市中にお迎えして今年の登山の無事を感謝するお祭りです。
富士山麓ならではの特徴は、お神輿に富士山がかたどられていること。いわゆる神輿型の「大神輿」と「富士御影(通称:お山さん)」の2基があり、富士山を模した「お山さん」は、決して神輿の前に出ることはないのだそうです。
「吉田の火祭り」の通称で呼ばれるように、このお祭りの圧巻は「火」。お神輿が市中を練り歩き「お旅所」に到着した後、70本余りの大松明(高さ約3メートル)と家ごとに井桁に組まれた松明に次々と点火され、その燃え盛る火で通りは「炎の川」と化し、幻想的な世界を映し出します。
火祭りの由来には諸説あるようですが、浅間神社の祭神「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」が猛火の中で皇子を出産したという故事と、古くから地元に伝わる火焚き行事がひとつになったものとか。火焚き行事には、農作物に来る害虫を焼き払う意味もあったようです。
白装束を身にまとった一団に出会いました。白衣を着て鈴を振り、六根清浄(ろっこんしょうじょう)を唱えながら富士登山するという「富士講」の人たちです。その祈りの姿は、どこか神々しく、見ていて身が引き締まる感じ。「まつり」の本来の意味を思い起こさせるものでした。
記録に残っているだけでも220年以上つづくお祭りですから、地元では年に一度の行事として人々の生活の中に組み込まれています。お盆やお正月にふるさとに帰るように、このお祭りを目当てに帰省する人も多いとか。自分の家の前に置く松明の井桁組みは、小さな子どもも混じって家族総出で行っていました。
そして、松明を焚きながら、庭先や店先で親戚や仲間が集まっての宴会(それを羨ましそうに眺める観光客の姿も、また印象的でした)。神に感謝し、神に供えたご馳走をみんなでともにいただくという日本の祭りの原点は、まだまだ生きています。
一方、その年に近親の人が亡くなるなど不幸のあった人は、お神輿や松明を見たり触れたりしてはいけない、という不文律もあるのだとか。そのため、該当する人は「手間とり」と称して、26日・27日の祭りの両日はいまでも外泊をしたり家にこもったりするといいます。一族郎党集まって賑やかにお祭りを祝うのは、一年を無事に過ごせたことへの感謝の気持ちでもあるんですね。
町内ごとに異なる祭り半纏も見どころのひとつです。競うように意匠を凝らし、着ている人たちがみんな胸を張っているところもカッコいい。子どもたちも祭り半纏を着込んで、みんなサマになっています。
お祭りを本気で楽しむ大人たちの姿を見ながら、子どもたちも自身もそれを楽しんで成長していけば、伝統はごく自然に受け継がれていくのでしょう。
この火祭りが終わると、富士山も山じまいとなり、富士北麓の短い夏はおしまい。神社近くの野原では、ススキの穂が秋風に揺れていました。これから始まる長い冬に向けて、そろそろ支度にかかります。