ペンキの塗り替え
今年は、例年より冬じたくが遅れています。カレンダーの日付が進んでも夏のような暑さが続いたため、なんとなく切迫感に欠け、だらだらと過ごしてしまいました。夏の間からぼちぼち始めてはいたのですが、ベランダの手すりやベンチのペンキ塗り替えも、まだ完了してはいません。ここに来て急に気温が下がり、やや焦り気味。というのも、ペンキ塗りは気温が15~20℃の晴れた日がいいと言われ、特に水性塗料は5℃以下で塗ると箇単にはがれてしまうと聞いたからです。このところ、森の朝は気温10℃を下回っています。急がなければ 。
森は癒しの場ですが、一方で、冬場は自然の厳しさを実感する場でもあります。そんな中で暮らそうと思うと、家のメンテナンスは重要な仕事。当地ではほとんどの家が森の風景になじむ木造ですが、それだけに、こまめな手入れが欠かせません。特に、冬を迎える前のペンキ塗りは重要課題。冬の間に積もった雪が浸み込んで、ベランダや階段が潰れたり朽ち果てたりした家を、何軒も見てきたからです。
作家の武田泰淳は、生前、私の住んでいる隣の別荘地に山荘を構えて定住していました。奥さんの武田百合子さんが当時の山の暮らしぶりを記した「富士日記」の中に、泰淳の文として、こんなくだりがあります。
「ペンキとは要するにハッキリと『自然』に対する抵抗である。雨で腐る木材を守るばかりでなく、雑多な色彩の中で、単色を主張する、そのことがすでに抵抗である。 (中略) ベランダの手すりを塗っただけで、急に、家の存在が明確になるのは不思議なくらいだ。存在しているぞと主張でき、安心できることになる 」
私の場合は、ただ雨風や雪から護りたいという想いだったのですが、いざ塗ってみると、泰淳の書いている通り、「一種特別の魅力があって、やりだしたら止められなく」なりました。自然の中に絵を描くような快感というのでしょうか。家が古びていくにつれて、家ごと自然の中にさらされていくような頼りない感覚も生まれていたので、自然との間に一線を画して家の存在を確認したかったのかもしれません。
最初の内は、自然と一線を画すために黄色やブルーなどの色を選んで塗っていました。でも、しばらくすると、なんとなく落ち着かなくなってきます。泰淳の言う通り、「植物の色、土の色、すべては雑色であって、ペンキほどの原色はありえない」のですから、わざわざ目立つ色など選ぶこともなかったのです。
「わが家の色」が決まったのは、いつごろからでしょうか。いまでは、壁は白に近い淡いクリーム色、柱や床はチョコレートブラウン、ポイント的にグリーンと決め、それ以外の色は使わないようにしています。
ペンキを塗り替えて生まれ変わったベンチは、家族や猫の「ホッとスポット」になります。ひなたぼっこをしたり、お茶をのんだり、本を読んだり、時にはお昼寝したり 仲秋の名月の日は、お供えの台にもなりました。
これらのベンチは、実はみんな家人の手作りです。ツーバイフォーの材木を買ってきて、カットして、形にして、ペンキやニスを塗る。市販品のようにスマートではありませんが、欲しいサイズ、好きな色に仕上げられるのは、手作りならでは。なにより、作ること自体を楽しんでいるようです。
室内用と屋外用とつくりは同じなのですが、室内用は風雨にさらされないので、仕上げにニスを塗るだけ。仕事部屋に置いて資料を広げる台にしたり、急なお客さまのときにはダイニングテーブル用の椅子にしたり(ダイニングテーブルに合わせて使えるよう、高さは最初から合わせてつくります)、お天気のよい日はベランダに持ち出したり いろいろ活躍してくれています。
「お店では絶対に買えない」と家人が自慢するのは、ベランダに造り付けたベンチです。いくつかありますが、特に写真の一人掛けベンチは、場所をとらず、宙に浮いたような面白さもあって、家族みんなのお気に入り。つくって10年近くになりますが、まめにペンキの塗り替えをすることで風雨にさらされる場所でありながら、いまだ健在です。
自分で手を動かして欲しいものをつくり、そして、こまめに手入れする。それが結構楽しいことだと気づいたのは、森に移り住んでからでした。お金さえ出せば何でも手に入る東京の暮らしでは、できないことがあると「お金のせい」にしていたかもしれません。「自分でできる」ことに気づけば、できることは広がっていくんですね。