イタリアから里山へ
今から16年前の1998年のことです。世界放浪中に出会ったイタリア人の農夫ダリオは、僕にこんな話をしてくれました。
「もう、これ以上世界を旅するのは充分じゃないか。日本の農村へ行ってごらん。君の国には、世界中の国がお手本にするような素晴らしい文化があるんだよ。」
その時、僕はまだ若すぎて、その言葉の持つ深い意味がわかりませんでした。しかし、自然農法の提唱者である福岡正信さんの著書「わら1本の革命」からインスピレーションを得てつくり上げたダリオが家族と暮らす農園の美しさは、僕の価値観を変えるインパクトを充分に持っていました。
イタリアからヨーロッパを駆け抜け、僕とパートナーは国土の約70%が森林である奇跡の島国、日本へ戻りました。そして日本の農村をめぐる中、屋久島のゲストハウスで、北国からトレッキングに来ていた若い女性にこう言われたのです。
「あなたたち、農村に住みたいのなら千葉の鴨川がいいわよ。気候は温暖で、海の幸と山の幸に恵まれ、1年中花が咲き、野菜はなんでも育ち、おいしいお米がとれ、村人は優しく、わたしは雪国で生まれ育っているから、雪の降らない鴨川に暮らすのが夢なの。」
「安房(あわ)」の国へ
その言葉の通り、僕らは屋久島から鴨川のある房総半島へ行くと、里山里海が織りなすその母性的なやわらかい風景に、すっかり魅了されました。
南房総は、かつて「安房(あわ)の国」と呼ばれていました。
古代語で「あ」は「始まり・天・父」を、「わ」は「調和・地・母」をあらわし、そのふたつを合わせた「あわ」という響きは女性性、総合的、親和性、全体性をあらわす特別な意味を持つそうです。
ここは、古代から豊かさを象徴する素晴らしい土地だったのです。
それからスルスルと導かれるように、鴨川の釜沼集落にある里山の南斜面の高台に建つ築200年の古民家「ゆうぎつか」へ移り住むことになりました。
そして、ここで子育てをし、棚田でお米をつくり、地元の人とお付き合いしながら暮らしていくうちに、ダリオが伝えてくれた言葉の真意を少しずつ理解するようになりました。
里山という「いのちの彫刻」
現代文明は1秒間にサッカーグランド1面の森を消滅させているそうです。
しかし、日本人は長い時間をかけて、人と原生的な自然との中間に位置する「里山」という持続可能な文化を育んできました。
そこは、集落を取り巻くように山、雑木林、杉林、竹林、田畑、果樹、小川、ため池など、複雑で豊かな空間がパッチワークのようにデザインされています。里山は、人が適切に手を入れ、管理してはじめて、その機能を充分に発揮することができます。
かつて人々は、食べ物や水だけでなく、家を建てるための資材や道具の材料、燃料となるエネルギーなど暮らしに必要なものを、資源を枯渇させることなく、すべて里山で得ていました。さらに、その豊かな自然環境は様々な動植物のすみかとなり、水源を確保し、土砂崩れや洪水を防止するなどの役目もありました。
里山は、自然と共生するための知恵と文化が凝縮された日本人にとって心の原風景であり、その美しい景観は日本人の美意識が何世代もかけて創造してきた「いのちの彫刻」といえるかも知れません。
里山からみえる「未来の風景」
今、この美しい釜沼集落の田畑を守る人のほとんどが70~80代の高齢者となり、ここはコミュニティの半数以上が65才以上のいわゆる限界集落と呼ばれる過疎地域となってしまいました。
しかし、僕にとってここから見えるのは「未来の風景」なのです。
これから里山暮らしの1年間を通して、この小さな集落だからこそ見える「未来の風景」をお伝えしていきたいと思います。
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