各国・各地で「千葉・鴨川 ─里山という「いのちの彫刻」─」
棚田の村へ入ると、まるで時計の針を戻していくように過去へとタイムトラベルしていきます。しかし、ここでの暮らしから見えるのは、過去を突き抜けた「未来の風景」です。

田の草とりから見えるもの

2014年06月25日

梅雨の中休みで晴天に恵まれた6月14日土曜日、鴨川棚田トラストの第2回目は田の草とりを行いました。

集落の人に田の草とりイベントのコトを話すと、目を丸くして驚きます。
「ええっー、そんなコトをやりにわざわざ都会から人が来るのかい!? 子供の頃、散々やったけどありゃ〜きつい仕事だったよ〜。学校から帰るとやらされてさ〜、泣く泣くやっていると、ばあちゃんがもういいよって開放してくれてさぁ、おやじに見つからないように遊びにいったもんさ~。」と、集落の長老は目を細めて話してくれました。
鴨川棚田トラストでは、環境保全型の有機無農薬栽培でお米を育てているため、除草剤を使わずに田の草とりを行います。有機栽培の田んぼで一番大変な作業とも言えるこの田の草とりを体験すると、今までと全く違う世界が見えてきます。大げさに聞こえるかもしれませんが田の草とりからは、僕たちが今、歴史のどんな地点にいるのか見えてくる気がします。

国際エネルギー機関(IEA)は2006年にオイルピークが過ぎたことを認めました。それは石油の生産量が減少し価格の高騰が起こり、世界中でエネルギーの争奪戦が始まっていることを意味します。20世紀は戦争の世紀と呼ばれましたが、21世紀になっても戦争は終わりません。
産業革命以降、社会は地下資源及び石油によって発展して来ました。直接石油が原料でなくても、石油によって資源が輸送されていることも含めると工業製品の95%は石油によってつくられています。農業も同じで、「石油を食べている」と言われるほど食料生産は石油によって成り立っています。
高齢化の進む農業でもなんとか農地を維持できるのは、トラクター、農薬、化学肥料があるからです。化学肥料の原料となるリン酸やカリウムは海外の鉱山から輸入され、農薬やトラクターをつくる過程でも石油を使い、農機具は石油を燃料とします。
もし、日本に石油の輸入が突然止まったら、餓死者が出てしまうかもしれないほど、日本の農業も石油に依存しています。
もちろん石油に依存した農業は持続可能ではありませんが、といってもすぐにシフトすることも出来ません。ソ連崩壊後、石油の輸入がストップしたキューバで、フィデル・カストロが10年かけて有機農業国に大転換したように、そのシフトには時間がかかるでしょう。

小さな農

オイルピークが過ぎ、農家の高齢化と人口減少が進む日本において、非農家の都市住民が田舎へ通いながら「小さな農」を楽しむことは、日本の農や食を支える一つの力になる可能性を秘めています。ドイツのクラインガルテン、ロシアのダーチャ、デンマークのコロニヘーヴ、チェコのザハラダ、アメリカのコミュニティガーデン等々、日本より前に工業化した欧米では都市住民が市民農園や農園付きの小屋を田舎に持つことはとてもポピュラーです。ソ連崩壊後のロシアで餓死者がでなかったのはダーチャのおかげと言われているほど、この「小さな農」は災害時にサバイバル機能を発揮し、レジャー、食育、環境保全、コミュニティの育成、自給による安心と保険、耕作放棄地の再生等々、様々な側面を持っています。
「大きな農」はもちろん大切ですが、中山間地域の小さな農地での週末農園的な「小さな農」が広がっていったら、それは新しい日本の文化になるのではないかと思っています。この10年間で、関東のみならず日本中で市民農園や都市と田舎をつなぐ都市農村交流はとても盛んになりました。工業化から経済成長を経て成熟社会へ向かう時、人は「小さな農」のある暮らしへ豊かさを求めていくのかもしれません。

多様性であることの豊かさ

5月に植えた稲は少し大きくなり、人間で言ったら小学生くらいでしょうか。有機無農薬栽培の稲作は、なんといってもこの初期の草とりが重要です。幼い頃こそ大切に、丁寧に育ててあげれば、あとは自然に大きく成長してくれます。これはまるで子育てのようです。シュタイナー教育やモンテッソーリ教育は、幼児教育をとても重要視します。日本でも昔から「三つ子の魂百まで」というように、幼児体験がその存在の芯を育て、人格形成に大きく影響を与えるのでしょう。
環境保全型の有機農業がなぜ良いかというと、一日に約100種の生物が絶滅している現代社会で、ミクロからマクロまでの多様な生物がそれぞれの役割を活かし合い調和し、土だけでなく人間も含めその地域の生態系全体が豊かになるからです。これも、人間社会と似ています。多様な世代、国籍、民族、性、障がいのある人とない人、思想、宗教、文化が共存し、認め合い、尊重し合うことは豊かで平和な社会です。

農の持つ魔法

田の草とりは田んぼに入り、腰を曲げ、手のひらを熊手のようにして、稲の周りをグルグルとかき回しながら、前進していきます。すると、生え始めたばかりのヒエやコナギがプカプカと浮いてきます。そして手に絡みついた雑草を田んぼの外へ投げるか、田んぼの中に埋めて肥料とします。また手除草だけでなく、伝統的な除草機の田車(たぐるま)やデッキブラシ、チェーン除草など色々な方法があります。
この作業をみんなで一列に並んで進めていきます。腰をかがめての全身運動できつい作業ですが、みんなでワイワイやると楽しいものです。
お昼休憩には、棚田にあるはっさくをもいで古民家の縁側で食べました。爽やかな甘さのはっさくは、いつも大人気です。

昼食は、地元の料理家「もみじの手」の守井三奈子さんが里山の旬の食材と雑穀を組み合わせた美味しい料理をつくってくれました。メニューは、高きびの中華風レタスづつみ、蒸しかぼちゃと大根を添えたつぶそばのコフタ、トマト味噌ペンネ、ジャガイモの味噌煮、キャベツときゅうりのゆかり和え、きびご飯、キャベツとあおさ海苔のスープです。

そして、昼食後も再び田の草とりです。
里山に囲まれた円形劇場のように良く響く棚田で虫や鳥の歌声を聞きながら、黙々と身体を動かしていると、そのうち心がカラッポになる時があります。
その感覚は何と言ったらいいのか、解放されている状態というか、つながっている一体感というか、とにかく自由で気持ちが良いのです。
そして心身にエネルギーが満ち、感性が研ぎ澄まされ、心が落ち着きます。
これはある意味で究極の快楽です。
これが「農の持つ魔法」だと僕は思っています。

今までとは全く違う発想で物事を観ると、案外楽しく現代社会の壁を乗り越えられるのではないかと楽観的に思うことがあります。
物理学者のアルベルト・アインシュタインはこう言っています。
"問題を創りだした時と同じ思考では、その問題を解決することは出来ない"
そして詩人宮沢賢治は「農民芸術概論」でこう表現しました。
"われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか"
農も生活も一つの大きな芸術としてみたら、毎日がワクワクするし、創造的で楽しくなるでしょう。そして、そんな一人ひとりの生活の質の変化から新しい世界が芽吹いてくるのではないかと思います。

次回は田の草とりとすがい縄づくりを行います。
すがい縄とはこの地域の伝統的な稲刈り前の手仕事で、稲刈り時に刈り取った稲藁を束ねてしばるための縄のことです。
今では稲刈りも機械化されコンバインで刈り取るので、すがい縄をつくることはなくなりましたが、これをマスターすると縄や鍋じき等の簡単なわら細工がつくれるようになります。
自分の手でモノをつくることは楽しいものです。
難しくないので、ぜひ伝統的な藁をなう技術をマスターしてください。
そして、農作業や手仕事の中にある「美」や「発見」を、みんなで楽しみたいと思います。 初夏の里山でお待ちしています。

Photo by Yuka Watanabe

  • プロフィール 林良樹
    千葉・鴨川の里山に暮らし、「美しい村が美しい地球を創る」をテーマに、釜沼北棚田オーナー制、無印良品 鴨川里山トラスト、釜沼木炭生産組合、地域通貨あわマネーなど、人と自然、都会と田舎をつなぐ多様な活動を行っています。
    NPO法人うず 理事長

最新の記事一覧