普遍的な「豊かさ」とは
7月の鴨川棚田トラストは、田の草とりとすがい縄づくりを行いました。
今回は、我が家に入りきらないほどたくさんの方にお申込みいただき、誠に残念ですが抽選になってしまい、参加できなかった方にお詫び申し上げます。今後、申し込みされた方全員をなんとか受け入れられるように考えていきたいと思います。
そして、なんと今月も梅雨の中休みとなり、奇跡的に雨を間逃れました。
午前中の作業は、2回目の田の草とりです。田植えから約一ヶ月半が経った今の時期、稲は分けつが始まりだいぶ伸びてきました。すくっと伸びた稲の葉は、背筋を伸ばした青年のように水田に立ち上がり、すがすがしい姿です。
その稲の下に生えている大きくなったコナギやヒエを抜いていきます。もうこの時期の作業は、伸びた稲の葉先が腕に当たると肌荒れを起こすので、長袖が好ましいです。
水田にジャブジャブとみんなで入ると、しばらくして蛇があらわれました!
ヤマカガシという背中に鮮やかな赤い模様のある毒蛇です。山の中の棚田は蛇が出やすいので、周りの草をキレイに刈っておいたのですが、それでも潜んでいたのです。
普段、静かな里山の棚田へ突然40数名もの老若男女が楽しそうに田んぼに入って来たので、驚いたのは蛇の方でしょう。(笑)
ヤマカガシは、素早くシュルシュルシュル~と田んぼの水面を泳いでいきます。みんな逃げて~!
僕やスタッフが追いかけるとヤマカガシはシュルシュルシュル~と人がいる方へ向かって逃げていきます。
ああ~、そっちへ行ったよ~、気をつけて~! と大騒ぎです。
すると、良品計画のツワモノのAさんが蛇へ向かっていき、なんと素手でエイヤッと蛇の首を掴み、つかまえたのでした!(良い子は絶対に真似しないでくださいね)
みんな、ええ~! と驚きましたが、Aさんがヤマカガシの頭と尻尾を引っ張りぎゅうっと伸ばし、ニコニコとみんなこれが毒蛇だよ~と言うと、大人たちはドン引きでビビっているのに、子供たちは興味津々で見に行きました。もう、Aさんは子供たちのヒーローです!(良い大人も決して真似しないでくださいね)
いや〜、本当に自然界と人間とは予測がつきません。(笑)
そう、自然は甘くはありません。里山ではマムシやヤマカガシ、スズメバチなど毒を持った生物に出くわすことがありますが、出会ったらすみやかに逃げることが一番です。なにせ、ここは都会と違って人間の方が圧倒的に少数派なのですから。
里山にいると、この世界は人間中心ではないということを、改めて思い出させてくれます。
暑くもなく寒くもなくという過ごしやすい天候の中、6枚の棚田の田の草とりはみるみるうちに終了しました。やはり、手作業の農業は人海戦術ですね。40数名もの人が一緒に作業すれば、早いものです。僕一人ではきっと1週間かかったであろう作業が半日で終わりました。
長老に聞くと、機械化されていない頃、お米づくりは集落全体で行い、田植えなど人手が必要な時は隣近所の子供からお年寄りまで家族総出で作業し、手伝いに来てもらった家は「さなぶり」と言ってご馳走を振る舞ったそうです。特に田植えは「ハレの日」で、かつて肉や魚を食べる習慣がほとんどなかった山里の食卓に、この日だけは魚の煮物が出たそうです。鴨川と言っても海から20〜30キロメートル内陸へ入ったここ大山地区では、海方面とは全く異なる食文化を持っていました。車がなかった頃は、20~30キロメートルを移動することは滅多になく、「歩いて行ける範囲」が生活の文化圏だったのでしょう。
この日常的に「歩いていける範囲」とは5キロくらいでしょうか、それがきっと村のサイズになったと思われます。5キロ圏内でとれたものを食べて、その中で資源とエネルギーを循環させ、コミュニティを持続的に存続されることが出来たのが日本の稲作文化です。ほんの70年くらい前までは、当たり前に日本中の農山漁村の各地域で独自の文化を育み、自然を破壊することなく自給自足して暮らすことが出来ていたのです。
貨幣経済もほとんどなく、就職もなく、テレビも車もなく、電気も石油もなかった頃、子供たちは野山を駆けずりまわり、大人たちは晴れた日には田畑で働き、雨の日にはお堂へ集まり笛や太鼓の練習をし、毎月のようにあるお祭りでその芸能を披露し、村中でお祝いしていたそうです。大家族で、村には子供たちがたくさんいて、それはそれは活気に満ちて賑やかだったといいます。
長老に聞く昔の暮らしぶりは、僕にとって異国のことのように思え、かつてアジアを旅した時の風景が蘇ります。
村人全員が農家であり芸術家である「バリモデル」という言葉があります。日本も70年くらい前までは、そうだったのではないかと思いをはせます。
目をつむると美しい田園風景と共に、質素で慎ましくも「豊か」に暮らす情景が浮かびます。
昔見た黒澤明監督の映画「夢」に出てくる「水車のある村」の美しいシーンを思い出します。あらすじは、旅先で静かな川が流れる水車の村に着くと、壊れた水車を直している老人に出会い、この村人たちが近代技術を拒み自然を大切にしていると説かれ、旅人は興味を惹かれます。そして、村で老人の初恋の人であった老婆の葬式が行われ、村人は嘆き悲しむ代わりに、良い人生を最後まで送ったことを喜び祝い行進します。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故から4年後の1990年に公開されたこの映画は8本の短編集となっており、戦争や原発について痛烈なメッセージが込められていました。そして映画の最後の短編がこの「水車のある村」なのです。311後の今だからこそ、黒澤監督の一番伝えたかったメッセージが痛いほどわかります。
「豊かさ」とは、時代、場所、文化、人々の価値観によって、まるで生き物のように変化します。
しかし、種を植え育て収穫するという自然界と共に流れる時間、水と空気と大地と太陽のめぐみにあふれる空間、そしてお互い様で助け合うコミュニティのある暮らしには、普遍的な「豊かさ」があるのではないかと、里山に暮らしていると感じます。
「こんな便利な世の中になるとは、想像もつかなかったよ。でも、もしかしたら、あの頃のほうが良かったのかもしれないよ。」と話してくれた長老の言葉が耳に残っています。
と言っても、昔だけを美化するつもりはありませんし、実際過去へ戻ることも出来ません。
日々の暮らしから、「自然と文明」のちょうど良いバランスを見つけていきたいです。高い科学技術を持ちながらも、伝統文化がまだかろうじて残っている日本という国は、それができる世界でも稀な国だと思うのです。
猪カレーに込められた「動物との共生」への願い
昼食は、里山の恵みである猪肉とかぼちゃの2種類のカレーと夏野菜のサラダでした。今回のランチを作ってくれたのは「レプラコーン」というチーム名で面白いコトを里山でやっている渡辺恵さんと福田由起さんです。築300年の古民家でアイリッシュの音楽会や影絵ミュージカルを開いたり、村の長老のみかんを販売したり、囲炉裏で飲み会を開いたり、今回のように料理のケータリングをしたりと、2人で里山に新しい風を吹かせています。「レプラコーン」とはアイルランドに伝わる小人の妖精のことですので、その名の通り2人の活動は風のように自由です。スパイシーに柔らかく煮こまれた猪肉の里山カレーはおかわり続出で、あっという間になくなってしまうほどの美味しさでした。
今や爆発的に増え、農地を荒らし、日本中の農村の困り者となった猪、猿、鹿は疲弊する限界集落にとどめを刺すと言われるほど深刻です。原因は多層的にいくつもの問題が重なり合っています。荒れる山林、増加する耕作放棄地、農家の後継者不足、猟師の高齢化、そしてますます増える獣被害に嫌気が差してまた農地が放棄されるという悪循環のループが止まりません。この10年間で、鴨川の田畑は動物から守るための電気柵だらけになってしまいました。しかし、電気柵はあくまで応急処置でしかありません。僕の暮らす釜沼北集落も、年3回集落総出の草刈り、竹や枝の伐採、傷んだ柵の補修等々、維持管理は高齢化の進む農村では年々負担が大きくなっています。
根本的な解決に向けて、たくさんの課題を乗り越えなければなりません。荒れた山林を再生するために人工的な植林と広葉樹のバランスを取り戻し、間伐材の活用、雑木は薪利用や炭に焼き、建材に利用できない木はバイオマス燃料とし、里山を光の入る明るい森林に再生することで、動物たちを奥山へ戻します。そして、同時に後継者不足の解消として農村で暮らしていける雇用の創出、動物のすみかとなってしまう耕作放棄地の再生、猟師の育成、衛生的な食肉加工所の設置、ジビエ料理が食べられるレストランや流通の仕組みづくり等々、地域全体が一体となっての長期的な取り組みが必要です。
この人間と動物の共生は里山のみならず、海も空もサバンナも現代社会において世界共通の課題ですが、なんとか知恵を絞り、森林を再生し、美味しく食べて、解決に向かっていきたいと願っています。
手仕事に流れる時間の密度
午後からは、すがい縄づくりを行いました。
すがい縄とは稲刈りの時、刈り取った稲藁を束ねて縛るための縄のことです。約1反6枚の棚田では数百本のすがい縄が必要になります。
すがい縄を40数名へ一度に教えるのは難しいので、僕の師匠である長老2人に来て頂きました。「こんぴら」さんという屋号の柴崎栄一さんは86才、「かわばた」さんという屋号の柴崎五一さんは82才ですが、まだまだ現役バリバリのお百姓です。
集落内では同じ苗字が多く、また江戸時代は武士以外苗字を名乗ることが許されなかった名残もあり、この地域では今でも家につけられた名前である屋号で呼び合うことが多いのです。うちの古民家には「ゆうぎつか」という屋号が付いており、「勇木塚」「勇気塚」とも書くそうです。だから、僕も集落では「ゆうぎつか」さんと呼ばれたりします。
「ゆうぎつか」の庭でわらないを始めると、稲藁の何とも言えない香ばしい草の香りが天然のアロマとなり、心を落ち着かせてくれます。
長老の手さばきはさすがで、まるで手からすがい縄がスルスルと生まれるようです。
みんな、最初はなかなか上手くできませんが、コツをつかむと突然面白いようにでき始めます。
そう言えば僕も初めてすがい縄ができた時、とても感動したのをおぼえています。お金を払えば何でも手に入る今の時代、自分の手でモノをつくる機会はほとんどなくなりましたが、こうして自分の手で「無から有を創造する体験」は、たとえどんなに小さなモノでもうれしいものです。
稲刈り前の夜なべ仕事だったこのすがい縄づくりは、家族のコミュニケーションの時間であり、親から子への文化の継承であり、生きる知恵を学ぶ大切な教育の場だったことでしょう。
真剣に黙々と手を動かし、時には楽しくおしゃべりしなら行うこの手仕事に流れる時間には、「頭と心と身体」をつなげる密度があり、僕は好きな時間です。
時間が経つに連れ、みんなだんだんできるようになり、おかげさまで数百本のすがい縄ができました。
さあ、これで次回9月23日火曜日秋分の日は、黄金色に輝く棚田でいよいよ稲刈です。
里山のレイン・ダンス
この地域は日本でも珍しい天水棚田といって、雨水だけで稲作を行います。そのため、夏の真っ盛りに大山地区の聖地である高蔵神社へ神輿が集まり、雨乞いの神楽を奉納し、雨の恵みをもたらします。
若い頃、アメリカ先住民スー族の土地を旅した時に、こんな話を聞いたことがあります。スー族の人々は、大自然とつながり、グレート・スピリットに自然の再生と部族への和平を祈願するサンダンスという聖なる儀式を行います。サウスダコタ州の大平原で、4日間行われるサンダンスの真上だけ雨雲がよけていき、そこだけ雨が降らないのだと話してくれました。
人々の精神と自然界がつながっているという考えは、その時大変驚きましたが、この里山に暮らすようになって、それは当たり前のことかもしれないと思うようになりました。
なぜなら大山の祭りでは、神楽を踊ると結構雨が降るのですから。
8月は棚田トラストの農作業がないので、稲の様子を見がてら8月9日土曜日に行われる大山のお祭(高蔵神社例大祭)へいらっしゃいませんか?
11時頃から大山不動尊の境内に3基の神輿が集結し、雨太鼓そして神楽の舞いを見ることができます。また、夕方6時からは釜沼北集落の屋台小屋から大山公民館(旧大山小学校)まで山車を引きます。この山車を引くことも高齢化の進む集落にとって、年々きびしくなっていますのでお手伝いは大歓迎です。(集落に戻ってくるのは夜の10時なってしまいますが!)
グラウンドには、綿菓子や焼きそば、かき氷などを売る色鮮やかなテキ屋のテントが並び、さらに大山地区全6集落の山車が集まり、提灯の明かりが揺れる中、夜空にお囃子がにぎやかに響きます。
まったく観光化されず、まるで映画のように素朴な大山のお祭りに参加すると、今がいつの時代なのか忘れてしまいます。そしてアメリカ大陸の大平原での祈りと同じ環太平洋文化圏共通の精神性を、1万年の時を超えてこの里山で感じることができるような気がするのです。
Photo by Hirono Masuda
[関連サイト]
友人の下郷さとみさんのブログから
百一姓blog「村祭り 高蔵神社/大山不動尊 例大祭」
[宿泊案内]
お祭りは鴨川棚田トラストのイベントではないので、宿泊を希望される方はご自分でご予約をお願いいたします。
棚田百選大山千枚田の宿泊「大山青少年研修センター」
千葉県南房総 | 鴨川農家民泊組合