各国・各地で「千葉・鴨川 ─里山という「いのちの彫刻」─」
棚田の村へ入ると、まるで時計の針を戻していくように過去へとタイムトラベルしていきます。しかし、ここでの暮らしから見えるのは、過去を突き抜けた「未来の風景」です。

光を収穫する

2014年10月08日

晴天に恵まれた秋晴れの9月23日火曜日秋分の日、たくさんの方に来ていただき、鴨川棚田トラストの稲刈りを行いました。
黄金に染まった棚田は、まるで太陽が降りてきたように、まぶしく輝いています。

土手には彼岸花が燃えるように赤く咲き、青空とのコンストラクトは鮮やかで、まさに絵に描いたような、これぞニッポンの秋という風景です。

「米」という漢字の起源は諸説あり、米作りは八十八回もの手間を掛けるからという説もありますが、「光」が変化して「米」になったという説もあると友人の発酵料理家「なかじ」から聞いたことがあります。確かに似ていますね、光と米の漢字の形が。
また、地球上に一番あるエネルギーは太陽エネルギーで、そのエネルギーを最も効率良く蓄えるのが植物です。
だから、お米は太陽が姿を変えた「光の化身」であり、稲刈りは太陽の「光を収穫する」とも言えるのです。
太陽の光をこの手でつかむコトができる稲刈りとは、なんて宇宙的な行為なのだろうと想像力が掻き立てられます。

天皇献上米の長狭米は郷土の誇り

この地域のお米は長狭米(ながさまい)と呼ばれ、明治4年(1871年)の明治天皇即位に行われた大嘗祭の献上米に選ばれたお米です。
北に清澄山系、南に嶺岡山系に挟まれ、真ん中に加茂川が流れ、東西に細長い長狭地域の田園は、日の出から日の入りまで日照時間が長く、稲にとっては最高の条件です。また、嶺岡山系および長狭地域は蛇紋岩が多く、その重粘土の土壌は豊富にミネラル分を含み、そして重粘土だからこそ水分と栄養分をギュッと逃さず、香り高く、もっちりと粘りのある美味しいお米となるのです。その長狭米は冷めてもおいしいと、昔から江戸前のお寿司屋さんにとても人気があります。
さらに、鴨川棚田トラストは日本でも珍しい雨水だけで耕作している天水棚田です。天水棚田は水の管理が大変で、作業効率も悪く苦労の多い田んぼですが、純粋な天然水のみで稲を育てるため、とても貴重なお米なのです。

無限のおもちゃ箱

稲刈りを始める前に、この地域の伝統的なやり方をお伝えしました。稲刈りなど農作業は土地によってやり方が異なり、それぞれの風土気候に育まれた知恵と歴史と文化が詰まっています。農とは、人と自然をつなぐ文化なのです。

7月にみんなでつくった「すがい縄」で、刈り取った稲わらを交互に束ねます。そして、その束ねた稲わらを組んだ竹に掛けて、「はざかけ」と呼ばれる天日干しを行います。
そのまま約一週間、太陽光と自然風でゆっくりと乾燥させます。その間、さらに茎からの栄養分がお米に行き渡り、天日干しは機械乾燥より旨味が増します。
しかし、この「はざかけ」を行うには、とても手間がかかるため、機械化され高齢化のすすむ農村ではほとんど見られなくなりました。
人と自然がつくる一週間だけあらわれるこの「はざかけ」のある里山風景は、今では日本の文化的遺産だと僕は思っています。

それから、みんなでザックザックと稲刈りを始めました。
どこからか、風に乗って金木犀のうっとりするような甘い香りが運ばれてきます。

子どもたちはカエルを追いかけたり、バッタをつかまえたり、枯れ草を集めて、道に並べたり、「はざかけ」の竹をお神輿のように、みんなでワッショイワッショイと運んだり、棚田を縦横無尽に走り回って、里山に笑い声が響きます。
与えられたおもちゃではなく、自然の中でイマジネーションを全開にして、次々と自由に新しい遊びを創造する子どもたちは実に楽しそうです。
子どもたちにとって、里山の棚田は無限のおもちゃ箱であり、博物館であり、美術館であり、遊園地でもあるのです。

昼食は近所で、うつわや+カフェ草(そう)を営む友人の畑中夫妻にケータリングをお願いしました。メニューはこんがりと焼いて皮を剥いたなすが、トロッとしておいしい「焼きなすとひよこ豆のカレー」です。
そして、ご飯はお店の目の前にある棚田で無農薬・無肥料で自家栽培したインディカの香り米「プリンセスサリー」を混ぜて炊いたものです。
カレーの材料はできる限り地元の野菜を使い、オーガニックのスパイスを用いた優しい味わいのビーガンカレーです。
付け合わせは、かぼちゃにスパイスを使って調理し、ココナッツで仕上げたものと自家製のピクルス、そしてスープはかぼちゃ(バターナッツかぼちゃ)の冷たい豆乳ポタージュです。

南インド的なスパイシーなカレーではありますが、畑中さんの創意工夫により子供でもおいしく食べられるマイルドな味で、みんなその美味しさに舌鼓を打ちました。
今回は参加者も多く、古民家の板の間、土間、縁側、庭へと人が溢れだし、みなさん思い思いの場所で、召し上がっていただきました。

お米づくりは人生と社会を変える

人間の根源的な不安や恐れに「死」の概念があるからでしょうか、稲穂がたわわに実った黄金の棚田を見ると、DNAレベルでの安心感があります。
明日突然、貨幣経済が破綻しても、電気と石油が突然ストップしても、食料と資源が世界中から輸入されなくても、食べ物と助け合えるコミュニティさえあれば、何が起きても大丈夫だって、腹の底から思えるのです。
鴨川へ移り住みお米づくりを始めて10年が経ち、なんと言ったらいいのでしょうか、僕の意識はどんどん大地とつながり、グラウディングしていくのです。

お米づくりは、1人でやると瞑想であり、みんなでワイワイやると楽しいお祭りです。
そして、心身共に健康になり、有機無農薬栽培なら生物多様性も守られ、農地や伝統文化も継承され、日本の四季を堪能でき、美しい景観は保全され、ほんの少しですが自給率も上がり、さらに美味しいお米が食べられ、自分や家族の命を支えることができるお米づくりとは、ホントにもういいことだらけなのです。
僕が都市と農村をつなげる理由には、棚田の保全活動という目的もありますが、こんないいことをより多くの人に知ってもらい、体験してもらいたいと思っているからです。最近は生まれも育ちも都会で、ふるさとのない都市住民が増えています。僕も鴨川で暮らすまではそうでしたが、お米づくりを体験しないなんて、日本人に生まれて来たのに本当にもったいないと思います。土の上で靴を脱ぎ、空の下で肩書をおろし、胸いっぱいにキレイな空気を吸い、政治家も、社長も、先生も、アーティストも、スポーツ選手も、えらい人も、えらくない人も、素の自分になって、すべての人がお米づくりを楽しんだら、人も社会も、もっと健康的になるのではないかと思っています。

「永遠」を食べる

我が家のトイレは手作りの「コンポストトイレ」です。
といっても昔の日本のポットントイレではなく、パーマカルチャーの手法を取り入れた我が家の「コンポストトイレ」は、匂いもほとんどせず、虫もわかず、水も消費せず、糞尿のみならず生ゴミや野菜くずなど家庭から出る有機物をすべて発酵させ、堆肥にしてくれるスグレモノです。江戸時代、糞尿は「養い水」と言って、貴重な栄養分として大切に利用される循環型社会でした。
現代社会では水洗トイレで大量の水を使い、下水や浄化槽へ流し、自治体の膨大な税金を使い、衛生センターでバクテリアに分解させ、最終的には河川や海へ放出し、貴重な「養い水」を捨て、世界中から栄養分を輸入しているのです。それが大量生産・大量消費・大量廃棄の現代文明の社会構造で、資源は循環しない一方通行となり、最終的にゴミは海や山へと捨てられています。そして、常に文明の犠牲になるのは、田舎の素晴らしい自然や世界中の美しい南の国々です。あまり知られていませんが、千葉県は産廃銀座と呼ばれ、人目に付かない山奥へ首都圏から大量のゴミが運び込まれています。千葉県の産廃マップを見ると悲しいことに千葉県はすでにビッシリと埋まり、もう捨てる場所がないほどですが、南房総の安房地域は交通の便が悪かったため奇跡的に守られている聖域でした。しかし、高速館山道が整備された現在、鴨川市の隣の鋸南町の砕石場跡地が放射能汚染土という最悪のゴミ捨て場として狙われています。そして、悪夢のように千葉県は許可してしまい、鋸南町の地元農家が中心となり住民は大反対しているにもかかわらず、受け入れの工事は進んでいます。このはかない束の間の繁栄を維持するため、無責任に未来永劫どれだけの生命や人々に迷惑をかけるのでしょうか。
今、僕たちの国は民主主義が問われています。
田舎の山里に暮らしていると、都会では決して見ることのない「現代文明の光と影」に直面します。この影の部分を見せないように、ありとあらゆる手段を使って、現代文明は発展して来たといえるでしょう。しかし、その現代文明のゆがみを大きく知らしめたのが911と311だったと思います。戦争と原発、そしてゴミは同じ共通の問題をはらんでいます。
話は大きくそれたように思われますが、だからコンポストトイレなのです。
家庭から出るうんこやおしっこを堆肥にして、田んぼへまき、お米を育て、それを食べるということは、人も自然も健康になり、資源循環することで、どこからも奪わず、どこも汚さず、世界がより平和へと向かっていくための小さくて大きな「一歩」なのだと思っています。
僕の体から出た「養い水」が土となり、その栄養分でお米が実り、そのお米を食べて命を養い、僕はまた「養い水」を土へ返します。
すると、僕は土になり、お米になり、終わりのない命のサイクルへ入り、「永遠」の一部となるのです。
だから、僕がつくったお米を食べるということは「永遠」を食べていることなのです。
それは、その土地の土と水と光と風と一体になる感覚です。
これが、アジアの植物的な感受性なのだと思います。
来たるべき循環型社会では、トイレは「きたない場所」から、人と自然をつなぎ、命の循環をつくる「きれいな場所」となり、これからトイレのデザインは文明の成熟度合いをはかるバロメーターになるかもしれません。
成熟社会では、きたない場所、弱い者、小さき者、声の届かぬ者、おそい部分、見えないところが無視されることなく、大切にされる社会へと移行していくのではないでしょうか。

未来へ、希望の種をまく

かつて、人々にとって「生きること」は「食べ物を手に入れる」ことであり、それは狩猟採集することであり、農作物を育てることでありました。その行為は自然界をコントロールするのではなく、尊重し、敬い、共生の精神文化を育んできました。
しかし現代社会は産業革命以降、農業社会から工業社会を経て情報社会へと移り変わり、「生きること」は「買う」ことになりました。
そして、人々は「生活者」から「消費者」となり、食べ物から、自然から、地球から「分断」されていきました。その「分断」は、地球環境の破壊という人類にとって「親殺し」の悲劇を生んでしまいました。
僕たちはもう一度、食べ物と、自然と、地球と「つながる」必要があると思っています。と言っても、明日からすべての人が都会を離れ、自然豊かな田舎で暮らすことも不可能です。
だからこそ、この鴨川棚田トラストのように都会と田舎がつながり、命が生まれる「生産の現場」と「良い関係性」を持つことが大切なのだと思っています。
都会と田舎、文明と非文明、伝統と革新、ローテクとハイテク、北と南、それぞれが否定して対立するのではなく、お互いが「つながり」、歩み寄り「良い関係性」を築くことが、地球規模の危機を乗り越える鍵になるでしょう。

特に子どもの頃に、この体験をすることは、その人格形成に大きな影響を及ぼし、その影響は未来に必ず波紋のように広がるでしょう。
稲刈りをする子どもたちの輝く姿は、まさに未来へ希望の種をまいているように、まぶしく見えました。
でも、それは子どもたちだけはなく、大人たちも同じです。
ゆっくりですが、その種はいつか必ず芽を出し、社会にステキな花を咲かせるでしょう。

この1年間、お米づくりに参加していただき、本当にありがとうございました。これからも鴨川の里山を通じて、多くの人々とたくさんのステキな「つながり」をつくっていきたいと思っています。

楽しく、おいしく、美しく。

10月のFound MUJI Marketでは、この長狭米の新米を販売しますので、ぜひ天皇献上米である「鴨川の誇り」をご賞味ください。
また、鴨川の老舗の鈴木鰹節店がつくるひじきとおかかを合わせた無添加で栄養満点のふりかけ「おかかひじき」(鴨川市の小中学校の給食に使われ、地元の子供達に食べられています)や、同じく鴨川の老舗の長谷屋商店のつくる房総沖で捕れたサバを里山のマテバシイの木でスモークした絶品「サバの照り焼きスモーク」の他、塩麹につけた「塩麹さば」、酢と塩だけで〆た房総スタイルの「しめさば」、さんまの酢漬けとおからを絡めた「さんまのうの花漬け」、酢漬けになっているので骨までやわらかくなって丸ごと食べられる「セグロイワシ胡麻漬」等々、黒潮流れる漁師町ならではの郷土料理も販売します。
ぜひ里山の幸である新米と一緒に、里海の幸もお楽しみください。

Photo by hirono masuda

[ネットストア]Found MUJI Market

[イベントのお知らせ]
10/25(土)、千葉商科大学 政策情報学部の特別講座として『里山人×アマゾン先住民 -ともに語りあう地球のもうひとつの未来-』を開催します。ブラジル・アマゾンの先住民大長老、同族青年リーダーと林良樹が語り合う異色の講座です。どなたでも無料で聴講できますので、奮ってご参加ください。

詳細はこちら:
千葉商科大学 > 【政策情報学部】CUC公開講座in丸の内 特別企画「里山人×アマゾン先住民 -ともに語りあう地球のもうひとつの未来-」のご案内

  • プロフィール 林良樹
    千葉・鴨川の里山に暮らし、「美しい村が美しい地球を創る」をテーマに、釜沼北棚田オーナー制、無印良品 鴨川里山トラスト、釜沼木炭生産組合、地域通貨あわマネーなど、人と自然、都会と田舎をつなぐ多様な活動を行っています。
    NPO法人うず 理事長

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