この星の反対側から来た人々
1895年、西洋文明に絶望し、精神的に追い詰められたフランスの画家ゴーギャンは、南太平洋のタヒチで大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を描き上げました。
文明の飛躍的な発展と引き換えに、現代人は自己のアイデンティティを喪失させてしまったのではないかと思います。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
この問いをしなければならないのは、僕たちが自分たちの「物語」から切り離されてしまったからではないかと思います。
この10月に、RFJ(Rainforest Foundation Japan /NPO法人熱帯森林保護団体)の代表の南研子さんらによる招聘で、南米アマゾンの先住民であるカヤポ族の大長老ラオーニとその孫であるブライリとベポが、破壊が進むアマゾンの森林保護を訴えるために来日しました。
カヤポ族の大長老ラオーニは、1989年にイギリスのロック歌手スティングと共にアマゾンの森林保護を訴えるワールドツアーを行いました。その時のワールドツアーで日本滞在中に南研子さんと出会い、それからRFJの森林保護活動が始まったそうです。
「25年間も活動を続けて来ましたが、アマゾンはますますひどい状況です。」と、南研子さんはその現状を話してくれました。
今回のツアーで通訳を務める鴨川の里山に暮らす友人の下郷さとみさんと無印良品くらしの良品研究所とのご縁によって、僕は光栄にも彼らと東京の丸の内にある千葉商科大学のサテライト教室で行われる公開講座で、一緒にトークさせていただくことになりました。
ウンテッドニーの占拠
今ふりかえると、アマゾンの先住民と共通の文化を持つ北米先住民との出会いが、僕が里山に暮らす原点になりました。
24年前の1990年22才の僕は、アメリカ合衆国サウスダコタ州にあるスー族のリザベーション(居留地)を旅していました。
長くなるので割愛しますが、ご縁あって僕はスー族のリトルスカイさんの家の横にテントを張らせてもらい、しばらく滞在しました。360度見渡す限り広がる大平原にポツンと建つ小さな家で、リトルスカイのお母さんは4人の子どもを育てながら、たくましく暮らしていました。その時、リトルスカイのお父さんは些細なことで刑務所へ入れられていました。
彼は1973年に起きた「ウンテッドニーの占拠」の戦士でした。
「ウンテッドニーの占拠」とは、先住民に対する圧倒的な差別と不平等、権力による弾圧や日常的な暴力にとうとう怒りが爆発し、アメリカ先住民が部族を超えネットワークし、人として生きる権利を守るため武装決起したのです。
当時、リザベーション内にある病院へ出産のため妊婦が入院するとみんな流産したと聞きました。また、先住民が殺されても白人は無罪となり、まったく無実の先住民が投獄され、人間として認められず教科書には「野蛮人」と表現されていたそうです。権力がひとつの民族を暴力的に弾圧している苦痛をテレビや本で知るのではなく、僕はその時始めて「体験」し、衝撃を受けました。そして、その事実を隠している現代のゆがんだ社会構造に気づくきっかけとなりました。
日本もアイヌ民族や琉球民族に同じことをしてきましたし、それは今でも世界中で行われています。僕が学んできた歴史の教科書には書かれていない真実が地層のように足元に積み重なり、実は僕が知っているコトは地表のほんの数ミリなのだと思い知らされました。
ウンテッドニーという土地は、ゴーギャンが大作を描いた同時代の1890年に、無対抗のスー族の老人から女子供を含む300名以上が騎兵隊に大虐殺された悲劇の土地です。先住民にとって忘れることの出来ない土地であるウンテッドニーで、83年後の1973年に先住民の誇り高き戦士たちが「今日は死ぬには良い日だ」と覚悟を決めて、全先民族の自由と平等のため、戦いのノロシを上げたのです。FBIと空軍のヘリコプターと戦闘機、そして陸軍の戦車にまで包囲され、71日間の銃撃戦の末、「ウンテッドニーの占拠」は幕を閉じました。しかし、当時彼らのメッセージはメディアを通じてアメリカ全土のみならず世界中に広まったそうです。
「もう、白人になろうともがくのはやめようではないか。私たちは今日、インディアンとして生きることを選んだ。このニュースを見ているすべてのインディアン兄弟姉妹たちよ。私たちと共に、インディアンとして生きる道を歩き始めよう。」
(「聖なる魂 現代アメリカン・インディアン指導者デニス・バンクスは語る」森田ゆり・著/朝日新聞社)
遠くを見つめる眼差し
僕がお世話になったリトルスカイのお母さんは極貧にもかかわらず、彼女の澄んだ美しい瞳は常に遠くを見つめ、高い誇りに満ちていました。僕はその姿に圧倒され、なんて堂々と生きているのだろうと感動しました。
彼らは自分たちのことをアメリカ人とは言わず、「アイム スー(私はスーです)」と言いました。
スー族にとって、「スー」とは「人」を意味します。
日本人とかアメリカ人とかいう概念ではなく、地球に生きる1人の尊厳ある存在として、「私は地球に生きる人」ですと言った気がしました。
そして、彼らは「ミタクエ・オヤシン」(わたしたちは、すべてのものとつながっている)という高い精神文化を持っていました。自然界とコミュニケーションし、1本の木を切るのに7世代先の子どもたちのことまで考えると言います。
僕は初めて訪れたスー族の土地に、なぜかなつかしさを感じました。
そして、同時に自分のことが恥ずかしくなりました。
その時、僕は自分のことを「地球に生きる人」と、誇りを持って言うことが出来ませんでした。
この破壊的な世界で、どうやって生きたらいいのか僕にはわかりませんでした。僕はまさに「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の問いに答えられず、僕にはアイデンティティがありませんでした。
それから様々な国を旅して、9年後に辿り着いた場所が日本の里山だったのです。
「物語」を持っている人たち
ラオーニはこう言いました。
「昔、すべての人はひとつの言葉で話していた。しかし、今ではバラバラになってしまった。」
彼らはとても長い間語り継がれてきた、生きている「物語」を持っています。
「物語」が生きているとは、コミュニティが健全に機能していることです。
そしてコミュニティの中で「物語」が生きているということは、人間が自然と地球と宇宙と、すべての命と一つにつながっていることを教えてくれます。
それは頭で知っているというレベルの「知識」ではなく、もはや自分の血肉となった「知恵」なのです。
「物語」が生きている彼らにとって、アマゾンの森林は自分たちの命そのものであり聖域です。しかし、政府や企業はアマゾンを焼き払い、地平線まで続く広大な大豆畑や牛肉を輸出するための大牧場に変え、鉱山開発のため破壊し続けているそうです。「地球の肺」と呼ばれ、「生物遺伝子の宝庫」であるアマゾンの熱帯森林が破壊されるスピードは凄まじく、毎年四国の1.5倍の面積が消滅しているそうです。そして、その大豆や牛肉や鉱物資源は、先進国と呼ばれる日本や欧米諸国、さらに経済発展する新興国へ輸出されています。
アマゾンの森林破壊と日本は無縁ではありません。日本食の基本である醤油や味噌、豆腐や納豆の原材料である大豆の自給率が5%の日本は、ほとんどの大豆を輸入に頼り、輸入大豆の20%がブラジル産です。
また、地球の裏側の環境破壊は巡り回って異常気象を起こし、ここ近年頻発する豪雨や大型台風などによる自然災害が増え、今年の豪雨で鴨川棚田トラストの棚田も一部崩壊してしまいました。
青年ベポの闘い
11歳からカヤポ族の村を出て、今年町の学校を卒業した20才の青年ベポは、これから大学へ進学して、NGOの組織運営のため経営学を学び、ポルトガル語を習得し、インターネットを使いこなし、政府や企業が何をしているのかしっかりとチェックし、アマゾンを守るために現代文明の学問を学ぶそうです。
そして、ベポはこう言いました。
「祖父の頃の戦いは、怒りをあれわす黒いボディペインティングを全身にほどこし、伝統的な木製の剣を持ち、森に並んで抗議しましたが、僕らの時代の武器は紙とペンです。」
アマゾンの森に暮らすカヤポ族にも少しずつ文明が入り始めているといいます。
かつては手漕ぎのカヌーで川へ漁に行っていましたが、最近はモーター付きの船になり、スマホを持つ若者たちもいるそうです。電波は入らないので、スマホはパソコンのように使い町で音楽をダウンロードしたりするそうです。
そんな若者たちの姿を見て「文明の侵略」だと、なげく長老もいるそうです。
でも、ベポはこの文明のテクノロジーは「道具」なのだと言います。
パソコンもスマホも使いこなすベポは、「何事にも物事には、良い面と悪い面があり、テクノロジーも使い方を間違わなければ、素晴らしい役割を果たします。」と言いました。
また、こんな話もしてくれました。
「かつて村で暮らしていた時には、年長者の話を聞くことの大切さを理解していませんでした。しかし町で暮らすようになって、自分がカヤポ族の文化を持っていることの重要性に気づきました。どこにいようと、カヤポ族の文化のうえに僕がいるのです。だから、人が生きるうえで文化を持っていることは、とても大きな意味を持つのです。」
シャイではにかみ屋のベポですが20才の青年とは思えないほど、民族とアマゾンの未来について考え、真っ直ぐなまなざしで世界をみつめ、行動している彼の発言はとても素晴らしく、時にハッとさせられます。
今を生きる
「物語」を持っている人は、大地(地球)とつながっている「揺るぎない強さ」を持っています。そんな彼らは大地(地球)の子宮から「目に見えないへその緒」がつながっているようです。
カヤポ族の大長老であり、アマゾン森林保護のリーダーであり、ブラジル先住民300部族80万人の精神的支柱であり、シャーマンであるラオーニは、目に見えないモノが見え、自然界の精霊が見えるといいます。
アポなしでブラジル大統領にも会える彼のことを、友人の下郷さとみさんは「アマゾンのダライ・ラマのような人」と表現していました。
彼は、まさに「物語」の語り部で、人類に地球のメッセンジャーとして、森の代弁者として、僕らの前にあらわれたのだと思います。
「アマゾンの森林は全人類のものです。地球に住む者として、私たちすべての人間のためにも、すべての命のためにも、全世界の人たちでアマゾンの森を守ってほしい」と呼びかけるラオーニのカヤポ語は、まさに言霊でした。
偉大なるメッセンジャーであるラオーニは、「普通の人」でもありました。
ラオーニは森で狩りをし、手仕事で生活道具をつくり、物語を語り、孫に囲まれ家族やコミュニティと共に大自然のなかで暮らしているたくましいお爺さんで、僕の村の長老たちと同じでした。
カヤポ族には、文字がありません、お金もありません、トイレもガスも水道もお風呂もありません。
「今」があるだけです。
だから、彼らは「今を生きる」のです。
文字がないので、彼らは記録を残しません。
僕は良い話を聞くとメモをとったりしますが、彼らはしません。
全身全霊で聴き、体内に記憶するのです。
それが、彼らの生き方です。
どちらが良い悪いではなく、まったく異なる次元、まったく異なる文明なのです。僕らの社会はこの意味の深さを理解できず、排除して来てしまったのです。しかし、行き詰まった現代社会は、今こそ彼らの言葉に耳を傾ける時でしょう。
あたらしい「物語」
カヤポ族の大長老ラオーニとブライリとベポたちは東京講演の翌日、鴨川の里山へ来てくれました。そして、僕の百姓の師匠である里山の長老たちにも会い、交流をしました。ラオーニは、日本とカヤポ族は共通の文化を持っていて、似ていると言いました。
有史以前、アジアからベーリング海峡を渡って、南北アメリカへ移動した同じ血が流れるモンゴロイドの僕らは、深い所でつながっているのだと思います。
そして、アマゾンの長老と里山の長老は同じことを言っていました。
"それぞれの文化と民族を尊重すること
コミュニティでお互い助け合い、友を大切にすること
戦争は絶対にしないこと(里山の長老たちは戦争体験者です)
自然を守り、自然と共に生きること
年長者を尊重し、彼らの話す「物語」に耳を傾けること"
とてもシンプルだけど、力強いメッセージでした。
難解な哲学ではなく、大地に生きる彼らの生きた言葉は、まるで音楽のように心に響きました。
「俺達は同じことを考えているな」と、アマゾンと里山の長老たちは、肩を抱き合って笑い合いました。
ベポが言うように、現代文明は悪い面だけではありません。
インターネットで連絡を取り合い、遠くアマゾンの村から小舟や車に揺られ、飛行機を乗り継ぎ、約一週間かけて2万キロの距離を超え、文化と民族と言葉を超え、地球の裏側に暮らす村の長老たちが「平和」について語り合い、理解し合えたことは100年前では考えられないことで、それは人類にとって素晴らしい進歩です。
人類の最高の創造とは、「平和」ではないでしょうか。
科学、宗教、芸術、建築、デザイン、教育、医療、政治、経済・・・人間のあらゆる創造活動は最終的に、「平和」という果実をこの世界にもたらしてくれると思います。
今、現代文明に生きる僕らには、あたらしい「物語」が必要です。
それぞれの土地で、それぞれの文化で、それぞれの言葉で語られる、借り物ではない、暮らしに根ざした自分たちの「物語」が。
そして、それはコミュニティの再創造をも意味します。
あたらしい「物語」を持つことで、僕たち現代人は「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の問いに答えることができるでしょう。
そして、僕はこの里山であたらしい「物語」を創ることが出来ると思っています。
現代のあたらしい「物語」の主人公は僕たち一人ひとりで、誰かが創ってくれるのではなく、僕たち一人ひとりが創るのです。
そのあたらしい「物語」は、僕たちにこう語りかけてくれるでしょう。
「我々は地球から来て 我々は地球であり 我々は地球へ還ります」
写真提供 NPO法人熱帯森林保護団体(RFJ:Rainforest Foundation Japan)
http://www.rainforestjp.com/
[イベントのお知らせ]
2014年12月23日(火・祝)に千葉県鴨川市釜沼にて、「鴨川棚田トラストの稲わらでの注連縄かざりづくり」「みかん畑でみかん狩り」のイベントを開催いたします。
12月5日(金)より申し込みを受け付けます。