各国・各地で「千葉・鴨川 ─里山という「いのちの彫刻」─」
棚田の村へ入ると、まるで時計の針を戻していくように過去へとタイムトラベルしていきます。しかし、ここでの暮らしから見えるのは、過去を突き抜けた「未来の風景」です。

注連縄を綯う透明な季節

2015年01月28日

冬の里山はキリッと冷たい空気が澄みわたり、視界が透明になり、光をより強く感じます。生き物たちの活動も鈍くなり、空を飛ぶ鳥の羽ばたく音が聞こえるほどの心地よい静寂に包まれます。
耳に届く音、鼻をかすめる匂い、目に写る色、肌に触れる空気・・・里山の季節の移り変わりは日々美しく、寒いのは苦手ですが、ここで暮らすようになり冬もまた好きになりました。

暮れも押し迫った12月23日火曜日の祝日に、注連縄づくり&みかん狩りを行いました。
機械化された近代農業は、稲刈りをコンバインという大型の機械で行うため、稲を刈っている最中に稲わらは粉々に粉砕され、肥料として田んぼにまかれてしまい、今では長いままの稲わらは農村でさえ残っていません。
しかし、鴨川棚田トラストの稲刈りは手刈りのため、稲わらが残るので注連縄かざり用にキレイな稲わらをこの日のために保管しておきました。

新しい注連縄のデザイン

この地域の伝統的な注連縄かざりは、大きく立派なデザインで農家の家には良く似合いますが、都会のマンションや住宅等には大きすぎるので、今回つくる注連縄かざりは、友人の畑中亨くんが現代的に新しくデザインしてくれました。
彼は5年前に東京から鴨川の里山へ家族で移住し、棚田の見渡せる素晴らしい土地で「うつわや&カフェ草so」を営みながら、書籍のデザインもしつつ、目の前の棚田で自給用のお米をつくって暮らしています。
そして講師陣は、亨くんの奥さんの美亜子さん、僕と友人の吉田源くんと、全員農村出身者ではない若い世代です。
今までは、注連縄かざりの講師は長老のきんざさんにお願いしていましたが、前回のコラムで書いたようにお亡くなりになってしまったので、長老の持つ熟練の技にはまだまだ達しませんが、師匠亡き後のチャレンジとして僕らだけで注連縄づくりのワークショップを開催することにしたのです。
いつかはこういう日が来ると覚悟はしていましたが、その日は思っていたより早く訪れました。
僕らは伝統的な里山文化の危機を感じ、NPOの仲間たちで冊子「里山の教科書」を制作したと前にお伝えしましたが、その冊子の制作メンバーは今回の注連縄ワークショップのスタッフと同じメンバーで、里山に暮らす半農半Xたちです。文章は僕、編集は米山美穂さんと僕のパートナーの菜穂子、デザインは亨くん、写真は美亜子さんと、都会で養ったキャリアとセンスを思う存分に発揮しました。今の時代は、都会にいなくても人的ネットワークとネット環境さえあれば、どこにいても素敵な本がつくれます。

稲作民族のDNA

注連縄ワークショップの開始前、参加者の方に稲わらを綯う「わらない」経験の有無を尋ねると、全員が初めての方でした。そりゃそうですよね、僕も里山に暮らすまでは、稲すらさわったことはありませんでしたから。
最初はみなさん初めての「わらない」に苦戦していましたが、日本人のDNAに稲作民族の記憶が残っているのでしょうか、驚くことにしばらくするとスルスルと出来るようになっていくのです。
親子で子供たちと一緒に、またはカップル同士や友人たちと、時には真剣に、時にはワイワイとおしゃべりしながらする手仕事はとても楽しい時間です。
集中して夢中になって手を動かしているとあっという間に、お昼になりました。

冬の里山ごはん

昼食は、料理家の米山美穂さんの里山ごはんです。
美穂さんも東京から8年前に、鴨川の隣の鋸南町の山奥へ家族で移住してきました。美穂さんとご主人は山から木を切るところから始め、ハーフビルドで素敵な土と木の平屋を数年がかりで建てました。そして自然農をしながら、「るんた」という屋号で雑穀を取り入れたベジタリアン料理のケータリングや出店、自宅で予約制の食事会、料理教室等を開催し、またコミュニティカフェ&スペースawanovaを友人と毎月新月の日にオープンし、地域コミュニティの場づくりも積極的に行っています。
今回のランチは、冬至カボチャとヒエのカレーコロッケ、ゴボウのフライ、キヌア入り菜花と人参のナムル、カブのローストもちキビ添え、大根の自家製醤油漬け柚子風味、鴨川冬野菜たっぷりの根菜汁、もちアワ・もちキビ入りごはんです。調味料も含め、ほとんどこの地域で手に入る食材で、こんなに豊かで美味しい食事をつくってくれました。そして、いつも盛り付けがキレイで、お皿に盛られた料理はとても絵になります。

世界でただ一つの注連縄かざり

午後からは、午前中につくった注連縄の輪に3本の垂れを差し込み、紙垂をつけて、稲穂と赤い実を飾り、みなさん見事に美しい注連縄かざりを完成させました。こんなにシンプルなデザインの注連縄かざりは、以外と売っていないものです。

小さな注連縄かざりですが、世界でただ一つの注連縄かざりを自分の手で完成させると、お米を食べる日本人として、なんだか誇らしい気持ちになります。みなさん笑顔がこぼれ、ホクホク顔になりました。
かつては、どこの家でも注連縄かざりをつくるのは当たり前だったと長老たちから聞きましたが、今ではほとんどつくらなくなってしまったそうです。
でも、こうして農村出身者でない僕らが、長老から教わったおかげで注連縄かざりをお伝えすることができて、本当にうれしく思います。

暮らしを彩る手仕事の「時間」

「農」は食べ物をつくる産業だけではなく、土地に根ざした「生活文化」なのだと、里山に暮らして思うようになりました。だから、注連縄をつくることも広い意味で、「農」の一部だと僕は思っています。
現代社会は便利になり、お金を出せば何でも買える時代ですが、手仕事の「生活文化」は、大切に残しておきたいものです。
実際、効率重視で考えれば買った方が安いのですが、日々の暮らしを彩る手仕事の「時間」は、忙しい現代社会において、実は逆に豊かで贅沢なことだと思います。

また、注連縄かざりの材料は紙垂以外、すべて身近にある里山で手に入ります。注連縄をところどころ縛る紐でさえ、この辺りで「マニラ麻」と呼んでいる長い繊維の取れる植物です。
村のお年寄りたちから暮らしの「知恵」と「技術」を学んでおけば、わら、竹、すすき、落ち葉から雑木にいたるまで、里山にある資源をすべて有効利用することができます。そして、その資源をさらに現代的にイノベーションすれば、里山が「何もない田舎」ではなく、「日本の宝物」として見直されるでしょう。

いやしのみかん狩り

注連縄かざりを終えた後、みかん狩りをしに古民家ゆうぎつかのすぐ下にある里山の南斜面にあるみかん畑へ歩いて行きました。
一口に温州みかんといっても、1本1本の木によって味が異なるので、みなさんそれぞれの木のみかんを食べて味見をしながら、気に入ったみかんを自分で収穫し、袋に詰めてもらいました。大人たちがみかん狩りをしている間、子供たちはみかんを食べながら、元気にみかん畑を走りまわっています。
長老のきんざさんから引き継いだこの美しいみかん畑を、僕は「桃源郷みかん」と名付け、これから大切に守っていこうと思っています。と同時に、多くの人にもこのみかん畑に来ていただき、この土地の素晴らしさを体感してもらいたいと思い、みかん狩りを行うことにしました。
旅が好きな僕は、かつて世界中アチコチと色々な土地を旅するうちに、地球上にはヴァイブレーションの高い素晴らしい土地があることを知りました。空気が気持ち良く流れ、マイナスイオンが豊富で、住んでいる人の健康にも良く、日当たりも良く、植物がよく育ち、人も集まり、場も繁栄し、良いエネルギーに満ちた土地です。
僕にとって、ここの里山もその一つです。
いるだけで気持ちが良いのに、さらにみかん狩りを楽しめば、心身ともにいやされ、きっと良いエネルギーが充電されるでしょう。

暮らしのリズム

お米をつくり稲刈り後に注連縄をかざることは、古代から日本人にとって1年を締めくくる「暮らしのリズム」であり、災いを祓い、幸と豊穣をもたらす歳神様をお迎えする日本独自の文化です。
稲わらを撚って注連縄をつくる時、自然界への感謝の気持ちが手のひらから、稲わらへ伝わっていくようです。
そして、注連縄は3本の撚った稲わらを合わせることで、人と自然と神の3つが合わさり三位一体となって、永遠に続く生命の螺旋を表現しているように思えます。
また、注連縄の姿は脱皮し、生まれ変わる生命エネルギーのシンボルである蛇や龍でもあり、輪にすることで完成された"生命の循環"と、始まりも終わりもない"永遠の時間"、そして"宇宙の調和"をも意味しています。 稲という植物には、日本の文化が凝縮していて、本当に驚きます。

文化とは、その土地で長い年月をかけて、人と自然が交感する「暮らしのリズム」から、ゆっくりと成長する樹のようなものだと、里山に暮らしていると肌で感じます。

今年もまた、棚田での"新しいお米づくり"が始まります。

Photo by hirono masuda

  • プロフィール 林良樹
    千葉・鴨川の里山に暮らし、「美しい村が美しい地球を創る」をテーマに、釜沼北棚田オーナー制、無印良品 鴨川里山トラスト、釜沼木炭生産組合、地域通貨あわマネーなど、人と自然、都会と田舎をつなぐ多様な活動を行っています。
    NPO法人うず 理事長

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