里山に煙る「森の文明」
去年から、僕は友人たちと長老たちから炭焼き窯を引き継ぎました。
この炭窯は、かつてこの地域で作られていた伝統的な土と石の窯を、耐火レンガと大谷石で現代的に改良した最新バージョンの清澄型炭焼き窯です。
村の長老たち4人が15年間で300回焼いてきた窯ですが、とうとう一昨年のある時、窯の天井にヒビが入り、また長老たちも90才に近づき、これを機に引退しようということになったのです。
Photo by satomi shimogo
ある冬の朝、炭焼き小屋で長老たちがそんな相談をしている時、僕に電話をかけてきました。
「林さんよ〜、今、窯でみんなといるんだけどよ~、ちょっと相談があるんだけども、時間があったら、ちょっくら来てくんねか?」
炭焼きのリーダーであった故きんざさんからでした。
炭焼き小屋へ行くと、4人の長老たちが炭火に当たりながら、輪になって座っていました。薄暗い炭焼き小屋のなかに、赤く燃える炭火がチロチロと揺れ、長老たちの顔を照らしていました。
僕はその輪の中へ入れてもらい、ビールケースをひっくり返した椅子に座り、炭火に当たると、きんざさんが静かに語り始めました。
「実はよう、もう俺達も随分年を取ったし、窯の天井にもヒビが入り、これで炭焼きを引退しようと思うんだ。でも、もし林さんが引き継いでくれるなら、窯を修理してこの炭小屋ごと全部譲ろうと、今、仲間たちと話していたんだ。」
長老のこんぴらさんが、目をキラキラさせて続けてこう言いました。
「この村から煙を絶やしちゃいけないよ。俺は、そう思うよ。炭焼きの煙がのぼるのは、この村が元気な証拠さ。ホントだよ。」
長老の手に残る「火の文化」
人類は火を手にしてから、文明が始まったとも言われています。
エジプト、ギリシャ、メソポタミアなどの古代文明は、高度な文明を築きましたが森林破壊によって滅んだと言われています。一方、日本では森の資源を上手に利用して、自然を破壊することなく暮らしてきました。
石器時代から縄文そして弥生の時代を経て、人は森へ入り、狩りをし、木を切り、田畑をつくり、家を建て、村をつくり、そして里山文化をつくりあげてきたのです。
炎が立たず、煙が出なく安定した火力がある炭は約2000年以上も前から焼かれていたそうです。煮炊きから、酒造り、鍛冶、暖房と、炭は1950年代まで主要な燃料として使われ、家の中心には囲炉裏があり、かまどや火鉢でも利用し、火は常に家族の真ん中にありました。
その日本の「火の文化」が、今はまだ長老たちの「手」にかろうじて残されています。それは、古代から連綿と続いてきた「森の文明」の記憶です。
しかし、80代より下の世代になると、時代は高度経済成長期に突入し、効率的でないとされた伝統的な暮らしや文化は急速に薄れてしまいました。
311直後、福島の原子力発電所が爆発し日本中がパニックに陥った時、長老たちはいつものように里山で静かに野良仕事をしていました。里山の長老たちは「お金と石油と電気」がなくても、"生きる力"を持っています。
「こんな時だからこそ、食べ物をつくらなくちゃ」
「俺達は何もかも失っても、"この手"があれば生きていけるよ。」
と、笑いながら深いシワの刻まれたゴツゴツした手のひらを見せてくれました。
戦前、戦中、戦後の激動の時代を生きてきた長老たちは、まるで宮﨑駿監督の映画「風の谷のナウシカ」に出てくる風の谷の住民のように、たくましく見えました。
地球規模の環境破壊が問題となり、「持続可能性」が全世界共通の合言葉となっている現代社会において、この里山文化は日本が世界に貢献できる文化であり、重要な意味を持つと思っています。
「ぜひ、引き継がせてもらいます。」
と、僕は答えていました。
どうやって維持し、運営していくかはわかりません。でも、やむにやまれず、これはとにかく引き継ぐしかないと、心が叫びました。
炭焼きを引き継いだ半農半Xたち
でも、炭焼きは一人では大変だし、この里山文化をみんなと共有したい。すぐ友人たちに電話をし、声をかけると8人の仲間が集まってくれました。
みんな移住者もしくは都会と鴨川を往復する2地域居住者です。
仕事も色々で、NPO、カフェオーナー兼デザイナー、塾講師、陶芸家、ライター、鍼灸師、シェア農園主催者、林業家など里山を愛する半農半Xたちです。そして、なんと炭焼き仲間には女性もいます。以前のコラム「この星の反対側から来た人々」で南米アマゾンの先住民カヤポ族を連れてきたライターの下郷さとみさんです。また、「注連縄を綯う透明な季節」でワークショップの講師をしてくれたカフェ草の畑中亨くんも、一緒に炭を焼いています。
それから炭窯を大修理し、炭焼き技術を長老たちから学び始めました。
しかし、炭焼きは甘くはありません。
山で木を切ることは危険な作業だし、伐採した重たい木を運び、割り、焼き、温度管理等々、真っ黒になって一連の作業をすると一週間はかかります。
これだけ手間と時間がかかる炭を焼いても生活が出来るほどの収入にはなりません。今まで長老たちが売っていた値段で計算すると時給400円位にしかなりませんし、安価な輸入の炭も売られています。これじゃ誰もやらないのは当たり前です。かつて戦後間もない頃は、炭を焼くと校長先生の月給よりも稼いだそうです。その頃、里山は綺麗に管理され、それは公園のように美しかったそうです。
8人の仲間たちも他の仕事があり、なかなか集まれないのが現状です。なので、僕らは今年から千葉県の最低賃金である時給700円を目指し、里山フェアトレードとして適正価格に値上げさせてもらいました。
現代社会の叫び
日本は国土の約70%が森林なのに、目の前にある森の資源を使わず、世界中から木材を集め、中国や東南アジアから炭を輸入しています。石油を燃料とする大型タンカーで、はるか遠くの国から運ばれてくるそれらの商品は、日本のものより安いのです。
だから、日本の林業は衰退して、誰も山へは入らなくなり、山は荒れ、増えた獣は田畑を荒らし、益々耕作放棄地が増え、村は限界集落となっていくという悪循環が起きています。
そして、日本中の過疎地域の農山漁村に原発が建てられてしまいました。莫大な補助金という飴と引き換えに。
今の社会構造そのものが、持続可能に出来ていません。
"そんなことは、わかっているよ。
でも、しょうがないじゃないか。
金にならなきゃ、食っていけないじゃないか!"
と、現代社会のゆがみに苦しむそんな叫びが聞こえてきます。
この悩ましい問題をどうしたら良いのだろうか。
原子力から、原始力へ
"でも、やるしかない。
とにかく、この「森の文明」というバトンを受け取ろう、あとのことは走りながら考えよう。
きっと、この里山には未来を拓く「答え」がある。
里山一千年の知恵を、「森の文明」を、今この「手」に引き継いでいこう。"
いつものごとく、僕はウルトラポジティブに走りだしました。
実は、この炭焼きを引き継いだメンバーは311の直後、鴨川で東北支援のボランティア「大山支援村」を一緒に運営した友人たちで、そこに311以降都会から移住してきた友人たちが合流した仲間たちなのです。
311から一週間後、僕らは地元の廃校を市から借り受け、福島からの被災者を受け入れる避難所をつくり、そして東北へも何度も足を運び、たくさんの絶望の涙に出会いました。
あの時、僕らは「現代文明の光と影」を思い知らされました。
都会の繁栄を支えているのは、水と空気と大地を守り、食べ物をつくっている田舎の農山漁村です。しかし、国民の生命を支えている農山漁村は、守られるどころか切り捨てられ、社会の負である原発や廃棄物まで押し付けられ、どんどん疲弊しています。
でも僕らは、意志を持ってここに暮らすことを選び、"原子力から原始力へ"歩んでいこうと思います。
そして、都会や文明を否定するのではなく、分断されていた世界をつなぎ直し、より良い関係性を築きたいと思っています。
だからこそ、里山で仲間たちと楽しく炭を焼くのです。
炭焼きをするといっても、僕らは過去へ戻るわけではありません。
ドイツの作家ミヒャエル・エンデの傑作「モモ」で、主人公のモモは"後ろ向きに歩く"ことで前進していくことに気づきました。それは、現代社会の壁を突破するヒントに思えます。
僕らが農村で伝統的な暮らしの知恵を継承することは、前進するためなのです。
誰かが犠牲になるエネルギーではなく、自然と調和した「火の文化」を里山で、自分たちの手に取り戻したいと思っています。
炭焼きは里山文化のシンボル
森林国の日本にとって、炭焼きは持続可能な里山文化のシンボルです。 里山のカシ、ナラ、クヌギ、シイ、マテバシイなどの広葉樹を伐採し、炭に焼き、そして15年後に伐採した場所へ再び戻ると、広葉樹林が再生しています。「ひこばえ」と言って切り株から伸びた広葉樹の枝は、15年くらい経つと炭焼きに適した丁度良い腕ぐらいの太さになっています。それを再び炭に焼くことで、持続的に燃料の確保が出来ます。また、人が管理する里山は日差しが入り、明るい森になるため、必然的に動物は奥山へ棲み、人の暮らす里へは降りてきません。現在、日本中の農村で動物の被害は重大な問題となり、この10年で猪、鹿、猿が爆発的に増え、耕作放棄地の増加に拍車がかかり、疲弊する限界集落のトドメを指すと言われています。僕も経験がありますが、手塩にかけた農作物を収穫前に荒らされた時は、本当に大変なショックです。僕の暮らす集落は電気柵を山側に数キロにわたって設置してあり、なんとか防いでいますが、高齢化の進む限界集落で、いつまで電気柵の維持管理ができるかはわかりません。里山を明るい森に再生する事は、日本中の緊急課題でもあるのです。
炭は多孔性構造で内部面積が1gにテニスコート2~3面分があると言われるため、現代では燃料だけではなく、消臭、除湿、水質浄化、土壌改良、洗濯、炊飯、電磁波対策、食品、建築、インテリア、アート等、様々な場面で利用されています。
また茶道では、千利休により炭が芸術の域にまで高められました。
日本独自の美意識である茶道の世界観には、侘び寂び(わびさび)があります。侘び寂びとは、必要でないものを全て削ぎ落とした完璧なまでのシンプルさ。
自然を愛し、四季の移ろいを感じ、あるがままの姿を受け入れる心。
虚飾を全て捨て去ってそこに残る清らかな美しさです。
里山での素朴できめ細かく、繊細で丁寧な百姓の暮らしに、僕は侘び寂びの原点があるように思います。
一石三鳥の里山スローフード
僕らは時々、長老たちと一緒に炭焼き小屋で、炭火を囲んで地元の山海の幸を炙りながら、楽しい食事会を開きます。
時には、小さな子供たちも一緒になり、過疎の集落に子供たちのにぎやかな笑い声が響きます。
そんな時、長老のこんぴらさんはいつも「こんぴら語録」を持ってきてくれます
「林さん、昨日はこんなの書いたんだ」
87 才になる長老のこんぴらさんは、毎晩夜の7時に寝ると真夜中の2時に目覚め、新聞広告の白い裏紙に、湧き上がる想いを書きつづっています。
僕らは、よく炭火を囲んで「こんぴら語録」を読ませてもらいます。内容がとても素晴らしいので、いくつかここでご紹介します。
"私はもっともっと年寄りも子供も共に学べる社会をつくりたいと思います 一緒に考え 働き コミュニケーションをはかりながら
もっともっと楽しく働けるような社会づくりにはげみませう
共存共栄の里づくりを目指していきませう
明日に夢の持てる村づくりに努めませう
手作りの村を目指そう
今日一日が少しでも良いことがあるように 笑顔になるように"
"永久に平和が続くように 祈るがのように 語り続けたい 合掌する 絶対に戦争をしてはならない どんなことになろうとも すべてを話し合いで解決するより道はない 冷静に判断できる人間をたくさん増やさなければ"
"人はすべての人にやさしく接するようにすることが
世界の平和につながるんだ"
"持続的社会の形成を考えることが大事だ
子供たちの感性を高めるような教育をみんなで行う夢のある空間づくりを
人は心だ お金は1人で貯めるのでは意味は無い
余裕ができたならば公共のために少しは貢献してもよいのではないでせうかね そうすることによって 社会全体が明るく住みよい環境に変わってゆくならば
お金の価値観も生じるではないでせうかね
貯金をしておいても使わなければタダのお金だよ お金は通貨なんだね どんどん利用しなければ何の役にも立っていないことになるんではないか
地域のためにみんなで知恵を出し合って
より良い環境づくりはげんで参りませう
先人の残したかけがえのない文化を守りながら 新しい文化と混ぜ合わせてやるならば より良い生活空間が出来ると思う
いずれにしても1人だけで良くなれる筈がない 周りが全体良くならなければ安心しては暮らしてはゆけないんだね
それならば皆で力を合わせて居心地の良い場所を作り上げていかなければならない 私の夢はみんなで楽しくいきいきと暮らせる社会だ 合掌"
"みんなで力を合わせれば 大きな事業も出来ると思います
都会の若者が住んで暮らしたいと思えるような場所づくりに力を合わせて頑張ろうよ 私の一生かけての願いでもあります"
地球上では、今もどこかで悲しい出来事が起きていますが、この小さな集楽で平和に暮らし希望を持っている人たちがいます。
そして、火を囲みながら、世代を超えて、僕らは夢を語り合います。
現代の日常生活で炭を使う機会は少なくなりましたが、たまには里山の炭火で山海の幸を炙りったり、鍋などをつつきながら、友人たちと楽しい食事会はいかがでしょうか?
炭火の遠赤外線でじっくりと焼く料理はとても美味しく、楽しく火を囲むことで和も生まれ、里山の自然環境もきれいになり、伝統文化も継承され、一石三鳥の里山スローフードとなります。
僕らが焼いた里山の炭の販売をはじめましたので、希望される方はぜひご連絡ください。
Photo by Yoshiki Hayashi
[里山の炭の販売のお知らせ]
里山の炭をお求めの方は、お手数ですが以下のメールかFacebookページにてお問い合わせください。
お問い合わせ先:
釜沼木炭生産組合 林良樹
(E-mail) awanoniji@gmail.com
(Facebook)
「釜沼木炭生産組合」https://www.facebook.com/kamanumamokutan
「林良樹」https://www.facebook.com/yoshiki.hayashi0328