21世紀のアジア型田園都市
鴨川棚田トラスト第2回のイベントは、無農薬栽培のお米づくりで一番大変な作業である田の草とりと里山散策を行いました。
天気予報では前日まで雨の予報でしたので今回は雨を覚悟していましたが、よほど日頃の行いが良い"晴れ男"と"晴れ女"が集まったようで、当日は雨が降らず曇空に時おり薄日のさす過しやすい1日となりました。
僕は集落内のお気に入りの場所に、「紫陽花の田んぼ」、「ヤマモモの田んぼ」、「トトロの小道」、「円形劇場の棚田」、「コロボックル山」、「ふくろうの森」等々、密かに色々な名前をつけています。
「トトロの小道」を発見した時は、本当に雑木林からトトロが出てきそうなこの道をドキドキしながら、歩いたのを昨日のことのように憶えています。
また、ギリシャの島々を旅していた時に出会った円形劇場のような棚田を「円形劇場の棚田」と名付け、ここを歩くたびに僕の目には棚田の向こうにエーゲ海の青い海が広がり、地中海の潮風が吹き抜けていくのです。
そんな風に名前を付けることで、何気ない日常にイマジネーションの色が添えられ、野良仕事へ向かう小さな時間も楽しくなります。
だから今回の鴨川棚田トラストでは、僕のとっておきの場所である「トトロの小道」と「円形劇場の棚田」を参加した皆さんにご案内しました。
里山が溶かす心の氷
以前、僕はシュタイナー治療教育家の山下直樹先生と一緒に、児童養護施設の子供たちの受け入れをしていたことがありました。
現在、全国に児童養護施設は590あり、2才から18才までの子供たち約30000人が生活していますが、この20年間で児童虐待数が50倍に膨れ上がり、施設には虐待された多くの子供たちが保護されて共同生活を送っています。悲しいことにその数は増え続け、今では日本中で施設が足りないそうです。
児童虐待の6割が実母で3割が実父によって行われ、しかも保護されている子供たちは氷山の一角で、水面下にはもっと多くの児童虐待が存在していると聞きました。
その事実を知った時、僕はなんて社会になってしまったのだろうと衝撃を受けました。世界第3位の経済大国の豊かで平和な日本のはずなのに、こんな悲惨なことがおきていたとは、それまで全く知りませんでした。
親が子を、子が親を殺してしまう事件が起こる日本社会のことを聞いたアマゾンの先住民の長老は、もし本当にそんなことが起きているのなら、あなた達の社会はいずれ滅びるだろうと言ったそうです。
現代社会の歪みは自然環境のみならず、社会の宝である子供たちまで傷つけていたのです。
実の親に暴力を受け、心に深い傷を負った子供たちは、想像を絶する体験をしてきたことでしょう。
痛々しいほど心を閉じてしまった少女、心身ともに傷だらけの少年、箸が転がっただけで泣き崩れる少女・・・とてつもない恐ろしい体験をしてきた子供たちに、一体何が出来るのだろうかと僕は戸惑いました。
しかし、子供たちと一緒に「トトロの小道」や「円形劇場の棚田」を散歩したり、みんなでピザを焼いて食べ、お話しを読み聞かせ、絵を描いたり、また裏山の「コロボックル山」へ登り、「ふくろうの森」を歩いたり、みかんをもいだりしているうちに子供たちの瞳がキラキラと輝いていくのを感じました。最初は、なんでこんな田舎に連れて来んだと文句を言っていた子供も、ほとんど口を開かない子供も、帰る頃には「あ~楽しかった」、「もう、帰るの?」と言って笑ってくれました。
僕が何か特別なことをしなくても、里山全体が傷ついた子供たちを優しく包み、氷のように固く凍ってしまった子供たちの心を、少しずつ溶かしていくようでした。
傷ついた子供たちの心はそう簡単に癒せるものではないでしょうが、1日だけでも楽しんでもらえたことにホッと胸をなでおろし、同時に里山の持つ癒しの力に驚きました。
北欧から学ぶこと
児童虐待の原因は一言では表せず、核家族、都市化、育児の孤立とストレス、貧困と格差社会、離婚、望まれない出産、周囲のサポート不在等々、沢山の要因が重なり合っていると言われています。僕たち夫婦も山間部での核家族の育児に、とても苦労した経験があるので、その大変さが身に沁みてわかります。
世界で子育てしやすい国のトップを占めているのは1位ノルウェー、2位フィンランド、3位アイスランド、4位デンマーク、5位スウェーデンとすべて北欧です。それぞれ特徴は異なりますが、共通しているのが手厚い育児への国家的なサポートです。
両親合わせて長期の育児休暇を取得でき、休暇中の給与が保証されるノルウェー、妊娠すると赤ちゃんのお世話から家族計画までを全てカバーする育児スターターキットが無料でもらえ、24時間保育が整っているフィンランド、大学までの教育費・医療費・出産費・出産後のアフターケア費をすべて無料化、さらに子ども手当までもらえるデンマーク、ベビーカーをどこでも押して移動できるように国全体をユニバーサルデザイン化しているスウェーデン等々、どの国の取り組みも羨ましい限りです。
どうしてこんなに子育てに手厚い支援があるかというと、それは女性議員の割合が半数近くを占めているので、必然的にお母さん目線の政策が反映された福祉の充実した国になっているそうです。
その点、我が国の女性議員の比率は先進国最低水準で1割もいなく、子育てやお母さんをサポートする仕組みはまだまだ行き届いていません。
世界幸福度ランキングでも上位はすべて北欧で、日本は46位です。
もちろん日本と北欧とでは、人口、文化、教育、税制度、国民の高い政治参加、成熟した民主主義等々、状況は異なりますが学ぶべきことは沢山あるでしょう。
子供がイキイキと幸せに育つことは、結果的に社会全体が幸福になると思うからです。
美味しいことは人生を豊かにしてくれる
昼食は「もみじの手」の守井美奈子さんにつくって頂いた旬の野菜をたっぷり使った色鮮やかな雑穀ランチです。先月、無印良品の有楽町店前で南房総オーガニックのマルシェに出店した「安房いろは農園」さんの有機野菜や鴨川の名産ひじきなど、房総の山海の幸を上手に調理してくれ、とても美味しく頂きました。
また、我が家の庭にたわわに実っているびわや甘夏を参加者のみなさんと収穫し、野性味あふれる里山の果実を味わいました。甘夏は田んぼ作業のおやつにし、残ったものはおみやげに持って帰ってもらいました。
青い空の下でおいしい空気を吸いながら、目の前にある旬の食材をすぐに頂けることは、とても贅沢なことです。
田舎の素晴らしさは、旬の食べ物が美味しいことです。
僕が田舎に暮らそうと思ったひとつに、食べ物が美味しいという理由がありました。世界を旅している時、様々な土地で色々な料理を食べましたが、南インドやイタリアの田舎で食べた料理は僕の人生を変えたほど美味しく、どんな高級な料理よりもお母さんのつくる田舎の家庭料理が一番美味しいと感じたからです。
美味しい食べ物は、人生を豊かにしてくれます。
そして、それは地域の農業が元気であるからこそ成り立つのだと、旅を通して知りました。
都市農村交流から定住へ
午後からは、田の草とりを行いました。
今回の参加者は21名と少なかったのですが、見事に棚田トラストの6枚の田の草とりを終えました。
人数が少ない時はコミュニケーションがとりやすいので、僕は参加者の方々といろいろとお話しながら、田の草とりを行いましました。
ある男性の方は都会で大企業に務めていましたが、身体を壊し休職しており、これを機に地方での就農を検討していると話してくれました。
そこで僕は、最近地方へ移住した友人のことや様々な農業研修、移住への足がかりについての話をしました。
こうした都市農村交流をしていると100人に1人くらいは、地方への移住希望者があらわれます。
去年の鴨川棚田トラストに何度も参加してくれた若いご夫婦も、うれしいことに現在移住へ向けて準備中です。
僕は都会も文明も否定はしておらず、お互いが良い関係性を築くことを望んでいます。だから都市農村交流で田舎へ遊びに来ることも、都会と田舎を往復する2地域居住も、または思い切って移住することも、どれも大歓迎なのです。
インターネットの普及により、どこにいても都会と変わらぬ情報サービスが手に入り、交通の便も良くなった今は、田舎への移動や移住もハードルが低くなりました。
都会には人口・若者・経済力・仕事・文化施設・教育機関があり、田舎には豊かな自然・農・食・伝統文化・広い空間・資源・コミュニティがあります。都会と田舎を結ぶことで、それぞれの良いところを合わせて、お互いの足りないものを補いあい、両方の課題を解決することにつながると、僕は思っています。
首都圏に人口の1/4の3千万人が集中し都会は過密になり、一方で田舎が過疎になり疲弊するのではなく、これからは地方特有の文化と自然環境を活かしながら、食、資源、エネルギー、経済を循環させた21世紀のアジア型田園都市社会を創造することが求められています。
そして、都会も田舎も北欧を参考にした子育てしやすい環境を創り、いつか児童虐待のない社会になることを願ってやみません。
Photo by Hirono Masuda