各国・各地で「千葉・鴨川 ─里山という「いのちの彫刻」─」
棚田の村へ入ると、まるで時計の針を戻していくように過去へとタイムトラベルしていきます。しかし、ここでの暮らしから見えるのは、過去を突き抜けた「未来の風景」です。

2015収穫祭 ─つながり、輪となり、ひとつになる─

2015年10月30日

最高の秋晴れとなった10月3日土曜日、2015年鴨川棚田トラストの収穫祭は開催されました。

会場は釜沼北集落の里山全体で、今年も里山オリエンテーリングを行いました。

参加者のみなさんはイラストマップを片手に、炭焼き小屋、みかん畑、棚田でスタンプを押しながらスタンプラリーを楽しんでいただき、のんびりと秋の里山を散策してもらいました。

里山はつくり物のテーマパークにはない楽しみがあり、虫を見つけたり、どんぐりを拾ったり、沢山の発見をしながら子どもたちは大喜びで遊んでいます。何もない里山の農村とは、本当に宝物だといつも思います。

与えられた遊びではなく、自然の中で自由に遊ぶ体験は心を解き放し、この身体感覚が子どもたちの20~30年後の大人になった時に、きっと大きな影響を与えることでしょう。

古民家ゆうぎつかでは鴨川の友人たちが出店してくれ、藁珈琲堂の自家焙煎コーヒーや手づくりスイーツ、かまどの火の天然酵母パン、諸国良品でもネット販売しているFUSABUSAのたまちちプリン、「天水棚田でつくる自然酒の会」でコラボレーションしている蔵元寺田本家の自然酒等々、地元の美味しいものが集まりました。

そして、昼食は「こころ」の木村夫妻の新米づくしランチです。
メニューは新米の団子汁、人参フライとカボチャコロッケ 魚介のカレーソースがけ、自家製干し大根の煮物、まほろば豚の自家製味噌漬け、飛龍頭、いちじくの胡麻ソースがけ、花豆の蜜煮(自家製醤油)、そして今年の鴨川棚田トラストで育てた無農薬無化学肥料・天日干し・天水棚田の長狭米の新米ごはんです。

今回は収穫祭を祝って、みんなで乾杯をしました。
車の運転でない人は寺田本家の自然酒を一杯やりながら、「こころ」の新米ランチを堪能していただきました。東京で和食のお店を開いていた木村さんの料理は、日本酒にとても良く合うのです。

昼食のあとは、「七つ風」がお祝いの演奏とオリジナルの物語「シュロと鳥」を上演してくれました。

「七つ風」のメンバーは、鴨川と東京を往復し、芸術活動とお米づくりを平行して行っている20代の僕の素敵な友人たちです。

午後の光が差し込む古民家に、リュートやアイリッシュハープ、コンサーティーナのやさしい音色が響き、自然との共生と本当の自由をテーマとした「シュロと鳥」のお話しは深く心に染み入りました。

無印良品との出会い

収穫祭で僕は、光栄にも良品計画の金井会長と一緒にトークをさせていただきました。

無印良品との出会いは、今から1年9ヶ月前の去年の2014年1月と、本当につい最近のことです。
その前に2013年の12月に、千葉県成田市の古民家カフェ風楽(ふら)で、「緑の党」の成田市議会議員である会津素子さんが企画された緑の党共同代表(当時)であり、オーガニックバー「たまには月でも眺めましょ」を経営し、「減速して生きる ダウンシフターズ」著者の高坂勝さんとの対談トークイベントに呼ばれたのがきっかけでした。
トーク終了後、交流会で僕はたまたま隣に座っていた女性と話をしました。
「今まで僕は、NPOやNGOなど市民団体と多くつながりを持って活動してきたけど、これからは企業ともコラボしていきたいんだ。」
311の時に福島や東北で見た瓦礫の山と、人々の流す絶望の涙は僕の脳裏から消えず、このままでは日本はダメになると強い危機感を抱きました。
持続可能な共生社会を創ろうと鴨川の里山でコツコツと十数年間活動してきましたが、これからはNPOやNGOだけでなくもっと広く、より多くの人々と共に、この活動を社会化していこうと思うようになりました。
それには市民団体だけでなく、「哲学のある企業」とコラボすることが良いと思ったのです。
山の中の小さなNPOが発信する力と、日本のみならず世界にその名が知られる「哲学のある企業」と共に発信する力とでは、その波及効果は違います。
すると、隣に座っている女性はこう言いました。
「無印良品だったら、可能性があると思います。」
「えっ、そうなんですか!?」
もちろん無印良品は知っていましたし、我が家でも無印良品の商品が好きで使っていましたが、その時は正直どんな可能性があるのか全くわかりませんでした。
しかし後日、「くらしの良品研究所」を良く知るその女性から、WEBサイトの案内が送られてきて、僕はそのサイトを見て大変驚きました。
一般企業が生活者の立場に立って、こんなに深い視点を持っているのかと。
「くらしの良品研究所」のトップページには、こんなメッセージが書かれています。

"くりかえし原点、くりかえし未来"

「日本の美意識」が世界へ輸出される

無印良品は1980年、西武セゾングループの元代表の堤清二さんと日本デザイン界の巨匠であるグラフィックデザイナーの田中一光さんが、消費社会へのアンチテーゼとして「簡素は時に豪華を凌駕する」をテーマに誕生しました。
そして、「自然と、無名で、シンプルに、地球大」、「自然、当然、無印」、「無印良品は見立てである」、「無印良品は背景なのである」等々、僕が言うまでもなく無印良品の思想は、田中一光さん、小池一子さん、深澤直人さん、杉本貴志さん、原研哉さん等々、第一線で活躍するデザイナーやアートディレクターたちによって表現されてきました。
生活者がいかに豊かに暮らせるかを考え、生活美学の専門店として「感じよい暮らし」を探求し続けている無印良品とは、日本でも稀有な企業といえるでしょう。
そして、その商品やデザインは海外で高く評価され、ヨーロッパ、アジア、アメリカなど世界中に店舗数を増やし、今や世界のMUJIとなっています。
今まで日本は、車などの「工業製品」やアニメなどの「文化」を輸出してきましたが、無印良品は「日本の美意識」を輸出しはじめたのだと思います。
その「日本の美意識」や「モノづくりニッポン」のルーツは、農山漁村の暮らしにあると僕は思っています。
繊細で、きめ細かく、丁寧で、自然と共生してきた感性と美意識が「モノづくりニッポン」を育て、トヨタやジブリを生み、そして無印良品を生んだのではないでしょうか。
その無印良品社内にある「くらしの良品研究所」は、変化する時代のさざなみのような小さな波にも光を当て、生活者と共に「感じよい暮らし」や「ほんとうの豊かさ」について考え、コラボレーションする場であり、無印良品の根幹にある「思想」を常に磨いている場なのだと思います。

絶望から生まれた希望

早速、僕は企画書を書いて、成田の講演会から一ヶ月後の2014年1月に、誰も知り合いのいない良品計画本社へ、メールで企画書を送りました。
そして、なんとメールして2時間後、僕の携帯電話が鳴りました。
「もしもし、無印良品の金井です。そちらに、すぐ行こうと思います。」
僕は、無印良品の金井さんとは一体誰なのかな? と思っていると、再び電話が鳴りました。
「くらしの良品研究所の担当の者ですが。… 今、社長の金井から電話があったと思いますが、そちらへ伺いたいと思いますので、スケジュールのご相談をさせてください。」
えっ! 今の電話の人、社長だったの? と僕はびっくりしました。
企画書を送ってから2時間後に電話をくれた人が、現会長の金井政明さんでした。

それから3カ月後、無印良品の各部門の部長や課長、研究所の関係者、アドバイザリーボードのそうそうたるメンバー14名が、池袋の本社から大型のタクシー2台に乗って、本当に山の中の我が家へやって来ました。
土砂降りの雨が降る4月のことでした。
そして、僕は良品計画の皆さんに、僕の「想い」をお話しました。
ビジネスやデザインの最前線で活躍する人たちにとって、里山での僕の取り組みやビジョンは、いささか突拍子もない話だったかもしれません。
しかし、良品計画の皆さんは1日辛抱強く僕の「想い」を聴いてくれました。
そして「何ができるかわかりませんが、やってみましょう」と言ってくださり、すぐにこのコラム「里山という『いのちの彫刻』」の連載が始まり、その翌月の5月から鴨川棚田トラスト、続いて夏からは「諸国良品」で鴨川のローカルフードのネット販売もスタートし、そして今年から日本中の田舎で起きている様々な取り組みや人々を紹介するローカルニッポンのサイトも始まりました。
僕にとって、これは311という絶望から生まれた希望の展開です。

どうして、無印良品は田舎に注目しているのですか

トークイベントで、僕は金井会長へ尋ねました。
「どうして、無印良品は田舎に注目しているのですか」

「社会には、農村で、山で、海で、街で、商店街で、社会の課題を解決しようと一所懸命に活動している人たちがいます。企業として何ができるか考えた時、そんな一所懸命な人たちを紹介することで、何か新たなつながりが生まれるのではないかと思い、以前からそんな取り組みをやってきました。」
「現代社会はもの凄いスピードでテクノロジーが発達し、人工知能もどんどん開発され、20年後には多くの仕事が消えると言われています。必然的に仕事や働き方も変化していくでしょう。」
「そして世界は今、食糧危機の時代を迎えているのです。食料自給率が39%の日本はいくら工業製品を輸出していても、突発的な異常気象により農作物が取れなくなった時、どこの国が日本へ食料を輸出してくれるでしょうか。みんな自国を守ることが精一杯で、他国へ輸出することなんてできないでしょう。」
金井会長は世界の動向を鋭敏にキャッチし、地球と日本の未来を見つめているからこそ、ローカルをとても重要視していました。

僕は、田んぼを一緒にやっているデンマーク人との先日の会話をお話しました。
「デンマークやヨーロッパ諸国も若者の農業離れなど色々問題はあると言っていましたが、食料はとても大事なのでヨーロッパではEU全体で農業を守り、食料自給率は多くの国が100%を超えているそうです。日本は、なぜ命の源である農業を守らないのか不思議だと、そのデンマーク人の彼は言っていました。」
僕も本当にそう思います。
棚田の多い中山間地域を多く抱える鴨川の農地の90%は水田です。しかし、鴨川市の全農家のうち、専業農家は20人もいないと聞きました。
米価は下がり続け日本人の主食であるお米づくりは、やればやるほど赤字なると言われています。大規模農業でなければ採算は取れず、必然的に小さな農地では経済的自立は不可能となります。だから、山間部の農村はいち早く過疎になり、限界集落となりました。

しかし、何度も繰り返しますが国土の73%、農地の40%は中山間地域といわれる里山なのです。そこには、コミュニティがあり、伝統があり、文化があり、美しい景観があり、その土地を愛する人々が暮らしているのです。それらが消えていくのは、あまりにももったいないことであり、それは日本文化の損失です。
長い人類史の中で文明は何度も滅んできましたが、人類は再び大地の上から再生して来たのです。
だからこそ、この里山集落は日本人が守るべき生命線と精神文化と美意識があり、そして文明が転換するための「最後の砦」なのだと僕は思っています。

田舎から新しい日本の煙(サイン)が上がる

収穫祭には、良品計画のアドバイザリーボードの原研哉さんも来てくださいました。

日本デザインセンターの代表であり、武蔵野美術大学教授、国内外で数々のデザイン賞を受賞し、日本を代表するグラフィックデザイナーである原研哉さんは、これからの田舎についての話をしてくれました。
「高度経済成長の頃は工業化を進め日本中の沿岸に工業地帯をつくり、そこから公害の煙をモクモクと立ち上げました。
しかし、これからは田舎から温泉の湯けむりをモクモクと立ち上げ、日本の田舎の素晴らしさを海外の人に観光してもらう時代です。こんなに温泉が出る国は、世界中でも日本とアイスランドくらいです。さらに、日本の田舎の食文化の豊かさと言ったら、他に類を見ません。懐石料理だけでなく、地方独特の田舎料理は、本当においしく素晴らしいものがあります。今、海外からの観光客は1400万人です。外国の人たちは東京や京都以外にも、日本の田舎へ足を運んでいるのです。その数は年々増え、2020年の東京オリンピックまでには2000万人になると言われていましたが、実際には今年達成してしまいそうです。」
「また、インターネットの時代となり、ネットさえつながれば、どこでも仕事ができるようになりました。スカイプを繋げば、どこにいても会議はできますし、これからは都会と田舎を行き来し、仕事の合間に農を楽しむ『新しい働き方』も可能になると思います。」
「今、社会が大きく変化する過程にいます。その変化する社会において、デザイナーは、『モノ』をデザインするだけでなく、『コト』もデザインする役割もあると思っています。」

こんぴらさんこそ、無印良品

7月の鴨川棚田トラストでのすがい縄づくりの講師として来てくださった長老のこんぴらさんも、僕は収穫祭へお招きしました。
何度伝えても無印良品という名前を憶えてくれないこんぴらさんは、お昼ごろ古民家ゆうぎつかへ到着すると、「今日は、『ムジルシナントカ』の収穫祭にお招き頂き、ありがとうございます。」と皆さんに挨拶してくれました。
南房総には無印良品は一店舗もなく、88年間里山から出たことのない長老にとって無印良品は、見たことも、聞いたことも、嗅いだこともない未知の『ムジルシナントカ』なのです。

里山の働き者のこんぴらさんは毎晩夜の7時に寝て、夜中の2時に起きて、新聞広告の裏に心の思いを毎日書き綴っています。
太陽と大地と共に生きるこんぴらさんが今朝書いた「こんぴら語録」を読ませていただきました。

~大自然に活かされていることに感謝する~ 2015.10.3

善因善果 悪因悪果(ぜんいんぜんか あくいんあっか)、蒔かぬ種は生えぬ、と言われますように、良いことを考えていれば良い結果が生じ、そうでない考えであれば自分が困難にぶつかるのではないでしょうかね。
人生は成るようにしかならないんだよ。いくら夢中になってお金を貯めてみたって病気にでもなればまたたく間に使ってしまうんだよ。それだったら当たり前の生活に満足感を持ってみなさんと普通のお付き合いができれば、最大の幸福ではないかね。
私は考えます。
健全なる身体は健全な心から生じると思われる。日々明るい気持ちを持っていれば、自然と健康が保たれると信じています。
真の豊かさを求めて、いきいきと生活していきましょうよ。
焦らず、諦めることなく、平々凡々と生きていきたい、それが私の生き方だ。
今日は大勢の皆さまとお付き合いできて、本当にうれしく思います。
人は1人では絶対に生きていけませんね。すべての人が関わり合って、かつ生かされているんだと思うと、私も何か一つくらい他人様のお役に立てないかと考えていますが、お世話になっている方が多いような気がいたします。
私の夢はね、先祖代々守られてきた田畑や、この大自然を荒らすことなく次の世代につないでいくのが仕事であると思って、及ばずながらも日々努力しているところです。
どうか、皆さんのお力で今耕作している土地は全部荒らすことなく次の世代までも受け継いでいって、この土地に住んで良かったと思えるような自然環境をつくっていきましょう。合掌

その後、原さんはこう言いました。
「私たちは、もっと長老の話を聞いたほうがいいでしょう。」
時代は一回転し、高度経済成長時には遅れていると見捨てられてきた農村の暮らしは、今見直され、一周遅れのトップランナーとなったのです。
「無印良品を良いと思うのは、都市生活者に多いのかもしれません。村のご老人たちが無印良品を知らないというのは、ある意味で健全なことではないかと思います。」

原さんの言うように、もしかしたら消費社会に疲れた人々が、「これ『が』いいではなく、これ『で』いい」と最後に行き着くところが無印良品なのかもしれません。
すると、金井会長が言いました。
「こんぴらさんこそ、無印良品ですよ」
古民家に拍手が沸き起こりました。

無印良品は里山のようです

「シンプルではなくエンプティネス」、「無印良品はすべての人の思いを入れられる偉大な空っぽの器である」と、原さんは無印良品を表現されています。
無印良品は誰にとっても使いやすく、使う人が主人公となり、暮らしを豊かにしてくれ、若者から老夫婦まで、年齢を問わず、国籍を問わず、すべての人を受け入れる偉大な空っぽの器なのだと。
山の中で野良仕事ばかりしている門外漢の僕に無印良品を語る資格はないのですが、あえて言わせていただくと無印良品は里山と似ているところがあると思うのです。

僕は里山で暮らしていると、縄文から弥生を経て1千年、いや1万年以上かけて、この土地に生きてきた人々のスピリットが幾層にも重なっている「歴史のミルフィーユ」を垣間見ることがあります。
そんな「歴史のミルフィーユ」が積み重なっている里山とは、その土地に生きた無名の人々が創り上げてきた「偉大な空っぽの器」であり、その時間と空間は自然との共生という「普遍性」を持ち、原生の自然でもなく人工的な都市でもなく、自然と人との「中庸」であり、誰をも受け入れ、自然を破壊することなく、暮らしを豊かにしてくれる究極のアノニマス(匿名性)デザインなのだと思うのです。

手をつなごう

こんぴらさんは、突然立ち上がりこう言いました。
「みんな、手をつなごう。みんなで、輪になろう。」
その場にいるみんなは、隣の人と手をつなぎ始めました。
トークイベントでは古民家ゆうぎつかに人が入りきらず、庭にまで人が溢れていましたが、とにかくみんなで手をつなぎ、大きな輪ができました。

「私たちは、みんなつながっているんだよ。離れている人とも、ひとつなんだ。」と、こんぴらさんは少年のように目を輝かせて言いました。
隣人の温かい手のぬくもりを感じます。
「みんなでつながって協力して生きていきましょう。そして、みんなでつながって、どうかこの村を守ってください。」
そして、こんぴらさんは大きな声で「万歳~!」と両手を上げました。
みんなも、手をつないだまま万歳をして、トークは終了しました。
古民家ゆうぎつかには笑顔と拍手のうずが起こり、僕はハートが熱くなりました。

最後に今年の鴨川棚田トラストへ参加してくれた方々へ、一緒に育てた天水棚田の新米をお渡しして、収穫祭は幕を閉じました。
こうして沢山の人々と一緒にお米をつくり、この棚田を保全できたことを本当にありがたく思います。

里山で、集落の人と都会の人とNPOと企業とが垣根を超え、みんなで手をつなぎ、大きな輪となり、まさにひとつになりました。
この人とのつながりの輪が、一番の収穫なのかもしれません。

[関連サイト]
ブログ「こんぴら語録」~里山の長老からのメッセージ~
Facebookページ「こんぴら語録」

Photo by Hirono Masuda

  • プロフィール 林良樹
    千葉・鴨川の里山に暮らし、「美しい村が美しい地球を創る」をテーマに、釜沼北棚田オーナー制、無印良品 鴨川里山トラスト、釜沼木炭生産組合、地域通貨あわマネーなど、人と自然、都会と田舎をつなぐ多様な活動を行っています。
    NPO法人うず 理事長

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