各国・各地で「千葉・鴨川 ─里山という「いのちの彫刻」─」
棚田の村へ入ると、まるで時計の針を戻していくように過去へとタイムトラベルしていきます。しかし、ここでの暮らしから見えるのは、過去を突き抜けた「未来の風景」です。

農閑期の小旅行

2016年02月24日

「天水棚田でつくる自然酒の会」の最終回は、蔵元寺田本家への蔵見学でした。
数日前に寺田本家の担当の方から、天気予報では雪になるかもしれませんねと心配のお電話をいただきましたがが、ありがたいことに当日の1月31日日曜日は驚くほどの晴天になりました。
東京からはエコツーリズム・ネットワークの「リボーン」さんが、天ぷら油の廃油で走るバイオディーゼルバスを出してくれ、鴨川からもマイクロバスを出し、蔵見学はなんと80名にもなってしまいました。寺田本家さんからは40名くらいでお願いしますと言われていたのに、スミマセンでした寺田本家さん!

路上の皮膚感覚

鴨川からのマイクロバスには、自然酒の会の会員である集落の長老や鴨川の友人・知人たちが19名ほど参加してくれました。
僕らはちょっとした遠足気分で、ワクワクしながらバスに乗り込みました。
その中には、無印良品くらしの良品研究所で「自転車世界1週Found紀行」のブログを連載していた伊藤篤史さんも乗っていました。

実は蔵見学の前日、世界一周の旅から帰国したばかりの伊藤さんが我が家へ遊びに来ることになったのです。
旅から戻った伊藤さんは現在31才で、ちょうど僕が旅から戻り鴨川へ移住した年齢と同じだったので、なんだか他人とは思えない伊藤さんに僕は旅のお話し会を依頼し、蔵見学へもお誘いしたのでした。
走行距離75136km、延べ100カ国以上を4年間かけて自転車で世界を旅してきた伊藤さんは路上で撮影した沢山の写真を見せてくれながら、自転車での旅でしか感じられない実体験を話してくれました。

それはテレビ、新聞、雑誌、インターネットでも、決して知ることの出来ないリアルでザラザラとした「路上の皮膚感覚」で、僕も20代の旅を追体験しながら聞かせてもらいました。

「匿名性」から「実名性」へ

「風の人」と「土の人」が合わさり、長い時間をかけて地域独特の風土ができあがります。
里山でお米をつくり続けていくうちに、僕はだんだん「土の人」になっていき、僕の中の旅人である「風の人」の感覚と、地に足をつけた「土の人」の感覚の両方がミックスしていきました。
「土の人」になるということは、その土地の自然と文化とコミュニティと自分が一体化していく感覚です。
釜沼北集落の田畑や森は僕の肉体、雨や水は血液、光や影は心、風や雲は息、そしてコミュニティは僕の一部となり、この土地全体が僕の存在と分断されることのない延長線上にあり、僕はまさに大地に根を張る樹木となる感覚なのです。

かつて、都会の数百万人の中で暮らしていた時や異国の地を旅していた時、僕は「風の人」であり、「匿名性」で生きていました。
しかし、今は苦楽を共にする釜沼北集落25世帯の顔の見える関係性の中で、僕には役割があり、義務があり、責任があり、僕は林良樹という「実名性」で生きています。
伊藤さんのお話しを聞きながら、僕は里山に移り住んだ17年間の心境の変化を噛み締めていました。

物質文明への挑戦

鴨川から高速道路を3時間ほど北上し、千葉県神崎町にある蔵元寺田本家に到着すると24代目当主寺田優(まさる)さんが迎えてくれ、酒蔵を案内して頂きました。

効率と利益だけを求める会社経営は、いずれ人も社会もダメにすると確信した先代の寺田啓佐さんはあえて機械化を辞め、手間のかかる伝統的な昔ながらの自然酒造りに180度方向転換しました。

いろんな菌が存在しているのが自然界であり、一つの菌しか存在できない方が不自然であり、多様性のある空間の方が生命力は強いのです、だからうちはすべての雑菌と仲良く発酵するから大丈夫なのですよ、と優さんは笑顔で言いながら酒蔵では普通ご法度なのですが、参加者全員を麹室へ入れてくれました。

また、音楽の響きは微生物に良い影響を与えると言われ、モーツァルトやビートルズを流す酒蔵もあるそうですが、寺田本家では杜氏が仕事唄を歌ってお酒を仕込みます。
歌う杜氏たちの"心の良い状態"が響きとなって、それが微生物にも伝わり、結果良いお酒になるのではないかと思いますと言い、良く響く木造の酒蔵で、優さんは伝統的な仕事唄を伸びのある声で歌ってくれました。

人間界の都合ではなく、微生物にあわせ、唄にあわせ、自然界にあわせて仕事をする寺田本家のお酒造りとは、行き詰った物質文明へ挑戦しているように感じ、僕は涙が出そうなほど感動しました。

提げ重パーティー

寺田本家での昼食は、提げ重(さげじゅう)スタイルといって各自おにぎりとおかずを一品持ち寄り、それをみんなでシェアしました。提げ重とは、かつて外食産業がなかった農村では集まりがあると、各家から料理を詰めた重箱を持ち寄ったと長老から聞きました。
外食産業が少ない鴨川の里山では、今でも僕らは良くやるスタイルです。
昼食会では、80名もの参加者が持ち寄った多種多様な料理がズラリと並び、テーブルの上は壮観です。

日本酒好きが80名も集まり、しかも青空の下で美味しい料理と共に寺田本家のお酒が自由に試飲できるとなると、それはもう至福の時間です。
みんなが持参した手料理に舌鼓を打ちながら、寺田本家のいろんな自然酒を飲み比べ、それは、それは楽しい宴が始まりました。
しかし、試飲のはずのお酒は次々となくなり、すみませ~ん、もう一本!と元気な声がかかり、次々と新しいお酒が運ばれていきます。
あれ・・・? いつの間にか試飲のレベルを超え、大宴会となっていきましたが、酒飲みの勢いは、もう止まりません。
そのうち、この酒代を主催者の僕が支払うのだという現実を思い出しました・・・・ヒィー!

何があっても笑っちゃう

しかし、ここで止めたら暴動が起こるだろうと、僕は覚悟を決めました。
その時、ふと、先代の寺田啓佐さんのメッセージを思い出しました。

「『何があっても笑っちゃう』という心境になれたら、何もかもがうれしいことになる。楽しいことになる。そして、ありがたいことになっていく。おもしろくても、おもしろくなくても笑っちゃえば、苦がなくなって、道が開けるのだ。」(「発酵道」著・寺田啓佐/河出書房新社)

そうだ、笑っちゃおう!うふふで発酵だ!
僕は心配するのをやめて、その場を心から楽しみました。

「風の人」と「土の人」

いつの時代にも、どんな場所にも「風の人」と「土の人」は存在し、それぞれが出会うことで、その土地の風土が育まれていきます。
ユーラシア大陸からシルクロードを経て、東の辺境にある最果ての列島に、農耕、宗教、製鉄、芸術等々、様々な文化が辿り着きました。
太平洋に突き出た房総半島は、黒潮に乗ってユーラシアの大陸文化とミクロネシアやポリネシアの海洋文化が「風の人」に伝えられ、そこに先住民である「土の人」の縄文文化が融合して、長い時間をかけて独自の風土をゆっくりと発酵させていきました。
そして戦後、欧米文化が急速に浸透し、今また新たな風土へ変容しつつある過程にいます。
蔵見学が終了し、鴨川へ向かう帰りの車中は「風の人」と「土の人」が楽しく語り合いながら、引き続き宴会となりました。
これから僕の暮らす里山では、どんな風土が育まれるでしょうか、楽しみです。
農閑期の小旅行のバスのなかで、そんなことを思いながら僕は帰路につきました。

Photo by Yoshiki Hayashi

  • プロフィール 林良樹
    千葉・鴨川の里山に暮らし、「美しい村が美しい地球を創る」をテーマに、釜沼北棚田オーナー制、無印良品 鴨川里山トラスト、釜沼木炭生産組合、地域通貨あわマネーなど、人と自然、都会と田舎をつなぐ多様な活動を行っています。
    NPO法人うず 理事長

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