各国・各地で「千葉・鴨川 ─里山という「いのちの彫刻」─」
棚田の村へ入ると、まるで時計の針を戻していくように過去へとタイムトラベルしていきます。しかし、ここでの暮らしから見えるのは、過去を突き抜けた「未来の風景」です。

鴨川里山トラスト ~地縁血縁を超えた「みんなのふるさと」~

2016年04月06日

2014年から無印良品くらしの良品研究所とNPO法人うずが行ってきた「鴨川棚田トラスト」は今年から棚田のみならず、畑、果樹園、雑木林、炭焼き小屋、古民家などがある里山全体の「時間と空間」を、価値ある社会の共有財産として保全するため、「鴨川里山トラスト」と名称を変更して活動の幅を広げます。

そして都市に暮らす人々と共に、天水棚でつくる「有機米の会」(NPOうず・無印良品共催)、大豆の種まきからはじめる「手づくり味噌の会」(NPOうず・無印良品共催)、「手づくり醤油の会」(NPOうず・無印良品共催)、「自然酒の会」(NPOうず主催・無印良品協力)等々、日本の食文化や手仕事を通して、高齢化にともない維持管理が困難となっている里山空間を総合的に保全していきます。

そして、豊かな自然環境・伝統的なくらしの文化・人と自然が調和した美しい日本の原風景を、未来の世代へ手渡し、地縁血縁を超えた「みんなのふるさと」を創りたいと願っています。
そんな想いから、くらしの良品研究所とNPO法人うずは「鴨川里山トラスト」をスタートさせます。

里山再考

以前にもお伝えしましたが、鴨川棚田トラストが始まった時の文章をもう一度紹介させてください。

「日本には僕の暮らす釜沼北集落のような中山間地域が、実はたくさんあります。中山間地域とは、国土の73%、農地の40%、農家の44%、集落の52%を占め、下流域の都市住民や多くの人々の水と空気と食糧を守るとても重要な地域です。しかし、山間部の地形は斜面が多く小さな農地であるため農産物の生産量も少なく、農業だけで生計を建てるのが難しく、戦後は都市部へと人口が流失してしまいました。その農村からの人口が、急速に工業化する日本の労働力となり、戦後の復興を成し遂げ経済大国となりましたが、それと引き換えに真っ先に過疎となった地域でもあります。そして現在、農家は国民の3%にも満たない260万人となり、農家の平均年齢は66才(釜沼集落で60代は若手と呼ばれます)、食糧自給率39%、耕作放棄地は埼玉県と同じ面積の38万6千ヘクタール、限界集落は7878集落となり、日本人の食を支える命の土台が足元から揺らいでしまいました。これから10年20年30年後、人口が減少する社会で、消滅していく集落も出てくることでしょう。それは命の土台が崩れるばかりでなく、日本の歴史と文化を丸ごと失うことも意味しています。」

なので日本人にとって里山空間の存続とは、重要な現代的意味を持っています。それは日本だけではなく、アジアにとって、世界にとっても重要な意味を持っていると僕は思っています。
「ルック・イースト」と、アジアの新興国は日本を見習えと、農業社会から工業社会へ変化し急速に経済発展しています。
だからこそ、日本が変わる必要があるのです。

日本人のソウルフード

かつては、どこの家でも田んぼの畦(あぜ)に、畦大豆(あぜだいず)と言って大豆も植えていたと長老から聞きました。日本では、田んぼでお米と同時に大豆も育て、日本食の基本であるお米と味噌と醤油を各家庭で自給していました。また、酒税法ができるまでは、当たり前にお酒も自給していたそうです。
日本人は田畑で食べ物を育て、薪で大豆やお米を炊き、日本独自の発酵食品をつくり、里山の自然に寄り添って暮らしてきました。
つまり、里山と田んぼとは日本人のアイデンティティーであり、米、味噌、醤油、酒は日本人のソウルフードです。

「鴨川里山トラスト」では、これから日本人のソウルフードを参加型で手づくりしていきます。
そして、食の多様化が進む中、里山の自然環境と共に「日本の食文化」も継承していきたいと思っています。
お子さんを連れて、または友人や恋人と、もちろん1人でも、ここ鴨川の里山を自分のふるさとと思って、安心して帰って来てください。
5月7日土曜日は雨水だけで耕作する天水棚田にて田植えを行います。
みなさまのご参加を、心よりお待ちしております。

Photo by Ikuya Sasaki・Hirono Masuda

  • プロフィール 林良樹
    千葉・鴨川の里山に暮らし、「美しい村が美しい地球を創る」をテーマに、釜沼北棚田オーナー制、無印良品 鴨川里山トラスト、釜沼木炭生産組合、地域通貨あわマネーなど、人と自然、都会と田舎をつなぐ多様な活動を行っています。
    NPO法人うず 理事長

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