種のゆくえ ~「手づくり味噌・醤油の会」味噌仕込み~
2月17日土曜日は、無印良品 鴨川里山トラスト「手づくり味噌・醤油の会」の味噌仕込みを行いました。
昨年の7月の大豆の種まきから始まり、12月の収穫そして乾燥、そして今年に入って1月の脱穀・選別を経て、やっとこの日を迎えました。
前日からみんなで育てた地大豆を冠水し、早朝から庭に設置したかまどに薪をくべ、大鍋で大豆を煮て、みんなが来るのを待っていました。
せっかくみんなで種を蒔いたのですが、今年も大豆栽培は失敗してしまい、足りない分は心を病んでいる人たちが快復するための空間を地域に創るNPO法人「スペースぴあ」の農園で育てている地大豆を分けてもらいました。
百姓は難しく、僕は毎年勉強です。
麹王子
麹は鴨川里山トラストで育てた有機米を使って、芝山麹店の及川くんに仕込んでもらいました。
千葉県佐倉市で生まれ育った及川くんは、おばあちゃんが1人で営んでいた芝山麹店を継ぐために、鴨川へ引っ越してきた「孫ターン」です。
赤ん坊の頃から麹仕込みを手伝う母親と一緒に鴨川へよく訪れていた彼は、小学生の時には芝山麹店を継ぐことを心に決めていたそうです。
地域の農家たちが持ってくるお米を丁寧に醸し、みんなに喜ばれる仕事、薄暗い麹室に漂う独特な甘い香り、人と微生物が共存する神秘、のどかな田園風景等々、おじいちゃんが早くに亡くなったのでおばあちゃんが1人で切り盛りする芝山麹店での体験は、幼い及川くんにとってそれらすべてが魅力的だったのでしょう。
中学を卒後後、すぐに麹店を継ぐことを父親に伝えると「バカヤロウ」と怒られ、彼はしぶしぶ高校へ行きました。
高校を卒業後、再び麹店を継ぐと言うとまた怒られ、彼はしぶしぶ東京農大醸造科へ行き、地域資源を発酵で活かして地域活性化をする研究をしました。
大学を卒業後、再び麹店を継ぐと言うと、さすがに両親もあきらめ、「そんなに好きならやりなさい」と、やっと認めてくれそうです。
晴れて鴨川へやってきた彼は、すぐに僕らの仲間たちに発見され、「鴨川に『麹王子』が来たぞ!」と、たちまち噂になりました。
そして、今では「安房手づくり醤油の会」の仲間たちと一緒に、原材料からオリジナルの鴨川産オーガニック醤油をつくる夢に向かって、おばあちゃんが引退した芝山麹店の再建を目指しています。何度聞いても及川くんのストーリーは面白いです。
幼い頃から麹一筋で真っ直ぐに鴨川へやってきた「麹王子」は、鴨川里山トラストの有機米を醸した米麹をキラキラした目で持ってきてくれました。
味噌づくり
まずは米麹と天日塩を混ぜて、麹をほぐしながら塩切り麹をつくります。
そして柔らかくに煮上がった大豆と塩切り麹をよく混ぜあわせます。
よく混ぜ合わせた具をミンサーマシーンへ入れて、すり潰していきます。
それを丸めて味噌団子をつくり、空気を抜くために樽のなかへ投げ込んでいきます。
これで、冷暗所にて約1年間熟成させて完成です。
大豆の種まきから熟成まで入れると1年8ヶ月後に、やっと味噌を食べることが出来ます。いつも思うのですが、この手づくり味噌の「時間」と「プロセス」は、現代人にとって大切なことだと思っています。
あの大豆
「あの大豆が、こうやって味噌になるんだ。大豆が味噌になることは、知識としては知っていたけど、こうやって自分で種まきからやってみると、なんだかスゲ~って思うよ!」
味噌を仕込みながら、参加者の若い男性は感動してくれました。
僕にとって、その言葉ほど嬉しいことはありません。
日本食の基本である醤油、味噌、豆腐、納豆、油あげ、きなこ等々の原材料である大豆の自給率は5%となってしまい、日本食を支えるためにアメリカ、カナダ、オーストラリア、ブラジル等々、世界中から大豆を輸入しています。
そのブラジルのアマゾンでは、グローバル化したアグリビジネスのために先住民の暮らす原生林が奪われています。
「あの大豆」は、僕らの暮らしと世界が密接に関わっていることを教えてくれます。
種子法廃止
でも、僕も偉そうなことは、全然言えません。
鴨川に暮らすまで、僕は大豆について一切考えたこともありませんでした。
現代社会では、モノのプロセスが見えにくくなっています。
それが、どこから来て、どこへ行くのか、見えにくい構造になっているのです。
まさか、日本食を支える味噌や醤油が海外に依存しているとは、多くの日本人は知りません。
また、これも多くの人が知らないことですが、今年の春から「種子法」が廃止されます。
僕たちの日本食を支えてきた米・麦・大豆。
これらの「主要農産物」を安定供給するために、優良な種子の生産・普及を「国が果たすべき役割」と定めていたのが種子法(主要農産物種子法)です。
しかし、農と食を支える種子法が廃止されると、国が守ってきた「種」が世界のグローバル市場に投げ出され、世界規模でアグリビジネスを展開する巨大な多国籍企業に飲み込まれ、「種」の多様性が失われていく可能性があります。
農作物をつくる時、1粒は「種取り」のため、1粒は「人が食べる」ため、1粒は鳥や虫達に「分け与えるため」に、農家は3粒の種を蒔くそうです。
昔から農家にとっては、「種取り」が一番重要なのだと集落の人に聞きました。
「種」によって人は生かされてきました。
「種子が消えれば食べ物も消える。そして君も」
これは国際的な種子貯蔵庫の創設に尽力されたスウェーデンの研究者ベント・スコウマン氏のメッセージです。
これからも、「手づくり味噌・醤油の会」では地大豆を育て、長い間それぞれの土地で繋いできた「種」を次世代へ手渡していきたいと思っています。
Photo by Yoshiki Hayashi