山と共に生きる、それが当たり前
森の中で突然、熊に出くわしたらあなたならどうしますか? 冬の山に入って遭難したらどうやって生き残りますか? 「生きるすべを知っている人たち、それがマタギだ。」そう静かに語るのは、33歳という若さで根子集落に移住し、写真家として仕事をしながらもマタギとして生きる船橋陽馬さん。 北秋田阿仁地域はマタギ発祥の地と言われ、今でも十数人のマタギが山で猟をしながら暮らしています。 今回は今もなお秋田の山奥で続くマタギ文化、山と共に生きることが人々に当たり前に根付いている根子集落の魅力についてご紹介します。
仲間と共に真剣勝負、山の狩人マタギ
マタギとは、山に住み狩猟を生業とする男たちのことを言います。熊を捕るだけでなく季節のものを山から授かり、食べたり、必要な物を作ったりする生活スタイルです。 マタギが熊を捕るのは、猟期とよばれる冬から春。雪深い山に入り、わざわざ寒い時期に猟をするのには理由がありました。
1つは、木々の葉が落ち視界がよく、熊を追いやすいこと。もう1つは昔から万能薬として大変高価な"熊の胆(い)"が冬眠の間非常に大きくなることからその時期に猟をするのだそうです。
マタギはチームで猟をします。 声をかけ熊を山の下から尾根まで追う"セコ"、逃げてきた熊を尾根で待ち構えて銃を撃つ"ブッパ"、全てのメンバーを見渡し指示を出す総監督の"シカリ"による複数人で構成されます。 この中で最も重要な存在は、セコ。「熊を上手に追えるか追えないかで、熊を仕留められるかどうかが決まるんです」。と船橋さんは言います。セコは、ブッパがいるところまで声と走りだけで熊を誘導しなければならないため、山の地形や熊の動きを十分に理解していないといけません。狩りにおいて頭脳と体力をフルに活用するファンタジスタなのです。
厳格な山の掟を守るのも、マタギの特徴。 その1つが、「マタギ勘定」。 熊を捕ったらその場で解体し、鞄に分散して持ち帰ります。そのとき、全員に取り分を等分配することをマタギ勘定と言うのです。
「カメラを持ってついて行っただけの自分にも分けてくれて、その心意気に感動しました」。と船橋さん。 山からの授かり物をみんなで分け合うというのが心情に根付いているのです。
人間と自然は互角だ、それがマタギの信条
マタギは熊を仕留めた時、「勝負させてもらった」と言います。 アナグマは必ず穴の外に出してから撃ち、決して中にいる時には撃ちません。常にマタギは熊と対等な立場で真剣勝負をするのです。 だからこそ、熊を撃つことに後ろめたさはありません。「悲しい・可哀想という感情は、人間が上に立っているから感じることです。対等な勝負の勝ち負けの結果だから、そんな感情にはならないのです」。と船橋さんは言います。
カメラを持つマタギの誕生
今は山の中でマタギとして暮らす船橋さんも、最初からマタギになるつもりがあった訳ではありません。 秋田県の海側、男鹿で生まれ育った船橋さんは、東京や海外での生活を経て大学で学び写真家になりました。2012年、秋田に帰るきっかけとなったアートNPO『ゼロダテ』に出会い、 地域に滞在し作品を制作するレジデンスアーティストとして、地域の写真を撮り始めました。
2013年夏、作品展示をするため訪れた根子集落にて根子番楽に出会います。根子番楽は国の重要無形民族文化財にも指定されるこの集落に伝わる伝統舞踊。子どもからお年寄りまで集落全員が週に1回集まって舞を稽古し、本番にむけ練習している姿に感動したそう。
それがきっかけで、船橋さんは根子の人たちと触れ合うようになりました。「根子の方々は、野菜を持ってきてくれたり、お前昨日帰ってこなかったなぁなどと、いつも声をかけてくれるんです」。根子に、温かさや懐かしさを感じたのだと言います。 そうして、マタギ発祥の地である根子集落に惹かれ、次第にマタギの写真を撮り始めます。しかし、マタギは巻き狩りと呼ばれる、集団で熊を捕る伝統的なスタイルがあり、仲間意識がとても強い。
「山の民の暮らしを撮るにはコミュニケーションが大事だ。みんなの背中を追って写真を撮らないと、納得いくものが撮れない」。そう考えた船橋さんは、猟友会の門を叩きます。
そこでマタギのカリスマ松橋吉太郎さん(82歳)との出会いが待ち受けていました。「このおじいちゃんが山に行くの? 道無き道をいくなんて想像もつかない」と思っていた船橋さん。しかし、一緒に山へ入った時、吉太郎さんが全く息を上げないことに衝撃を覚えたそうです。パワフルなだけではなく、シカリというマタギのリーダーをつとめる吉太郎さんは、周囲からの信頼も厚く、穏やかでいつも笑顔。そんな吉太郎さんの魅力に惹かれ、この人がマタギをやっているうちに山のことを聞かなければと決心したのだと言います。
トンネルを抜ければ、古き良き里
マタギのありのままの姿を撮影するため、船橋さんは雪深い根子集落へ移り住みました。周囲を山に囲まれ、他の町に出る方法はたった1つのトンネルだけです。
昔からこの集落の人々は外との交流があまりなく、集落で助け合って暮らしてきました。 そのためヨソモノの船橋さんも最初は馴染めませんでしたが、今では集落の人々と仲良く暮らしています。 心を開いてもらうコツは"とにかく集落の人が集まる時には顔を出す、そしてなんでも手伝う"ということ。 集落の行事にはできるだけ顔を出し、おじいちゃんおばあちゃんに混じってグランドゴルフをしたりしてコミュニケーションをとっています。 「去年初めて冬を越したけど、死ぬかと思いましたね。もう嫌だ(笑)」と笑う船橋さん。 根子集落の冬は一段と厳しいものがあり、初めての冬は水道の凍結や屋根の雪下ろしで苦労したそうです。 そんな厳しい冬も、集落の人が雪下ろしを手伝ってくれて乗り越えることができました。人と人との繋がりがこの集落の魅力の1つなのです。 資源があって、番楽があって、他の地域とちょっと違う、そんな根子集落をもっと知ってもらいたいという想いから、最近は地域コーディネーターとしても働き始めました。 日々地域の魅力を写真として発信するtumblr「matagi-moriyoshi」も運営しています。「この地域の人々や暮らしを外に伝える、自分を通して人が来てくれたらいいな。外から人を呼ぶきっかけづくりをしていきたいんです」。と将来への希望を語ってくれました。
船橋さんの今後の展望は2つ。1つは写真家としてマタギを撮り続けること。マタギを撮る写真家が世の中にいたとしても、マタギの世界に入って撮っている人は他にはいません。「唯一無二のカメラを持つマタギとして、マタギのありのままを写していきたい」と、船橋さんは言います。
もう1つは、一人前のマタギとして認められること。 マタギはすべて自然のもので生活しています。ウサギを捕ろうと思ったら藁をとってきて罠を作る。マタギは山で暮らす知恵を持っていて何でも作れてしまいます。「山ほど豊かな場所はありません。都会の人はなんでも手に入るって思ってるかもしれないけど、山は生きることに必要なものは全て手に入る。彼らの暮らしを自分に取り入れられたら、自分も一人前のマタギになれる気がするんです」と、船橋さんは語ります。
本当に寒くて本当に雪深い秋田。その山の暮らしは直接来て見て触れてみないと全てはわかりません。ぜひ冬の秋田に来てみてください。耳を澄ませば船橋さんが熊と勝負している鉄砲の音が聞こえるかもしれません。
[お知らせ]
船橋さんの撮影したマタギの写真が、今年8月9日(土)~10月13日(月・祝)で開催されるKAMIOANI PROJECT AKITA 2014にて展示されます。是非秋田に来て彼の作品をご覧下さい。