各国・各地で「北秋田 ─白き良き、秋田─」

甘くてふんわり、思い出の味

2014年08月13日

冷やしても固くならず、甘くてフワフワ。暑い夏に食べるのにぴったりなお餅が、北秋田にはあります。
40年以上前からマタギの保存食としてこの地域に親しまれている"バター餅"。
いつから作り始めたのかその詳しい歴史は文献などに残っておらず、各家庭で代々母から子へ口づてに伝えられてきた家庭の味です。
夏は農家、冬はマタギをしていた今は亡きご主人と立ち上げた「精まい屋」。今回は、娘さんとともに伝統の味を作り続ける柴田悦子さんのお話。

北秋田地域では古くからマタギと言われる狩人が、命をいただいた野生動物から薬を作り、全国に売り歩いていました。
薬を売り歩いてアイヌの住む土地に行ったマタギが薬とバターを交換し、栄養たっぷりのバターを餅とまぜて食べ始めたのがバター餅の発祥と言われています。

確かな手仕事でつくる、ふんわり感

メディアに取り上げられたことで、すっかり北秋田の名物となった"バター餅"。
今では年中休むことなく作っているバター餅ですが、もともとは自分たちで育てた餅米を秋に収穫し、冬の間のマタギの猟期に作っていたました。
「マタギだったお父さんが好きだったから、山に入るときはいつも持たせてたのよ」。と、柴田さんは大好きなご主人との思い出を語ってくれました。
バターが入っていることで寒い冬でも固くならず、お餅は腹持ちが良いので山歩きにぴったりだったそうです。

柴田さんの1日は朝4時過ぎに起きて、餅米を炊くことから始まります。
餅米を蒸かし終えたら、お昼までの間ひたすらバター餅を作ります。多い日には1日に100パック作ることも。餅をつく機械は全部で4台。「目が離せないのよ。何回ついても同じ時はないし、機械によっても性格が違うの」。夏と冬でも柔らかさは違って、気温と湿度でも微妙に違いが出ます。ここで長年のテクニックがものを言います。手触りや見た目の色だけで絶妙な柔らかさの具合を見極めるのだそうです。

受け継がれてきた親子のレシピ

機械でつかれて丸くなっていく餅から時折何かを摘み取る柴田さん。
「たまに餅米の中にうるち米が入っていてそれを摘んでいるのよ。どれだけ機械でこねてもうるち米の粒の食感は残ってしまうの。だから1つ1つ手作業で選り分けてるわ」。とこだわりを語ってくれました。

お餅に混ぜ込む材料はどの家庭も同じで、バター・塩・砂糖・小麦粉・卵の5種類。
この5つの配分が各家庭によって違い、バター餅の味を決めるポイントになっています。
「夏は塩も多めに入れてます。甘みも増すしさっぱりと食べられますよ」。と季節によって分量も調整しているのだそう。

もともとリンゴ農家の元に生まれ育った柴田さんは、マタギである旦那さんに出会ってバター餅づくりを始めました。
2人で仲良く1日10パック作っては地元の道の駅などで売っていたのだそう。
ご主人の亡き後は、娘さんの力を借りて2人で作業を分担してのバター餅作り。
「私、切るのは苦手なんです。切って詰めるのは娘の仕事よ」。と少し照れくさそうに語る柴田さん。
お餅をものさしで正確な長さに測り、素早く切り分けパックに詰めて行く娘さん。親子ならではの息のあった作業です。

詰まっているのは知恵と愛情

家庭で食べる郷土菓子だったバター餅を商品化するにあたって様々な苦労がありました。
例えば、北秋田の名物となった今では海を越えた台湾からも注文がくるようになり、日持ちさせることが必須となりました。添加物を使いたくないという柴田さんのバター餅は、10日たってもカビが生えないくらい日持ちがするように試行錯誤を繰り返し、進化しました。もちろん、その進化のための様々なアイデアは企業秘密(笑)。数十年かけて今のレシピを作り上げてきたのだそうです。
「農家は作業に集中している間に色んなことを考えます。そのときに色んなアイデアが生まれるんです」。と笑顔で語る柴田さん。

ふんわりもちもち、地元で愛されている「精まい屋」のバター餅は、郷土の味から全国へと広がりを見せています。注文が沢山来て休む暇がないという柴田さんの笑顔はどこか幸せそう。
「大好きなお父さんが大好きだったバター餅をつくることは、私の生き甲斐なの。娘と力を合わせてこれからも頑張っていきたいわ」。と希望に満ちた表情で話してくれる柴田さん。
雪深いマタギの里では、バター餅と温かい柴田さんの笑顔が待っています。

[関連サイト] 秋林商店

  • プロフィール 武田昌大
    新しいもの・面白いものが好きで大学卒業後、デジタルコンテンツクリエイティブ業界に携わる。25歳の頃からふるさとである秋田県北秋田市をベースに農業活性や古民家活性に取り組む。
    新しい田舎を作り世界にワクワクを発信していきます。

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