秋田の風土が育んだ、極上の味わい
遡ること400年前の江戸時代、年貢と言えばお米でした。
しかし秋田県北部の比内地域ではその美味しさから年貢としてお殿様に納められていた地鶏がいました。
それが比内鶏です。秋田を代表するきりたんぽ鍋にはなくてはならない存在であるこのブランド鶏を代々育て続けている養鶏家4代目の高橋浩司さん。
年間1万羽の比内地鶏をたった1人で手塩にかけて育てています。
「ブランドとして完成されたものに挑戦するプレッシャーはありますが、やりがいはすごくあります」。そう笑顔で語る高橋さんの地鶏にかける想いと、比内地鶏の美味さの秘訣をご紹介します。
比内鶏と比内地鶏
鹿児島県の薩摩地鶏、愛知県の名古屋コーチンと並び日本三大地鶏として全国的に名前が知られている比内地鶏。
もともとは"比内鶏"と呼ばれ、広く北秋田地域で飼育されていましたが、その学術的な価値を認められ、昭和17年に国の天然記念物に指定されました。そこで比内鶏のもつ肉質や食味をなんとか残しつつも新しい食用の鶏を作ろうということになり、比内鶏とロードアイランドレッドを交配させて"比内地鶏"が誕生しました。
「比内鶏は食べちゃダメ、比内地鶏は食べてよし。ま、正式名称は秋田比内地鶏だけどね。」と笑う高橋さん。
趣味で飼っているという貴重な比内鶏も写真を撮影させて頂きました。
やはり観賞用というだけあって、一際美しい羽。
高橋さんの1日の始まりは、朝5時過ぎに起きて、鶏舎の鶏を数えることから始まります。
数百羽〜数千羽が1つの鶏舎で飼育されていて、毎朝1羽1羽の顔を見て調子をうかがいます。
「鶏は人間と一緒なんです。鶏によってえさを食べる場所も決まってきたり、顔つきも全然違います」
と、まるで自分の子どもを見ているかのような優しい顔で高橋さんは語ります。
ヒナから出荷される大きさまでに成長する期間は5ヶ月。
毎年1年の始まりであるお正月になると、数千羽のヒナたちが高橋さんの鶏舎に運ばれてきます。
手のひらに乗るくらいとても小さなヒナを見るとポケットに入れて持って帰りたいと思うくらい可愛いのだそうです。
「5ヶ月たったら離れて行ってしまうので、思う存分食べさせてあげます」。と親心を見せる高橋さん。
ヒナは1ヶ月経つと、鳩くらいの大きさまであっという間に成長します。
大きな粒を選り好んで食べると太りすぎてしまうこともあるようで、ばらつきなく育てるために時折ダイエットさせられる鶏もいるそうです。
臆病で繊細な秋田美人たち
道路から少し離れた場所に遮光率99%の真っ白なシートで覆われた鶏舎が並びます。
「実は鶏はめちゃくちゃ臆病なんです。透明なシートだと空を飛ぶカラスやトンビが見えて驚いてしまいますし、音にも敏感なのでなるべく静かなところで育てています」と、細心の注意を常に払っていることを教えてくれました。
実は比内地鶏として飼育されている鶏のほとんどは雌です。
雄の肉は少し固さがあり、一般的にはミンチにされてつくねなどに調理され食べられているそうです。
「みんな美人だべ」と、高橋さんは鶏を見つめながら誇らしげに語ります。
"仕上げ"と呼ばれる出荷前の段階の鶏たちはどこか気品があり、歩く姿にも落ち着きを感じます。
羽にもきらきらとした光沢が見えるようになると美味しい肉になったしるしです。
ブランドを受け継ぐ誇りある仕事
高橋さんは、「これがほんとの羽交い締めだよ。」と得意げに群れから1羽の鶏をすくいあげて微笑みます。
養鶏家になって12年、鶏の扱いも慣れたものです。しかし、近年は時代の変化とともに養鶏を続けることへの難しさが増しています。高齢化が進み養鶏家が減少しているうえ、飼料の高騰で昔のような利益を出すこともできなくなってきています。それでもなお比内地鶏を育て続ける魅力の1つは、受け継がれてきたブランドを育てているという誇りだと言います。愛情一杯に育てた鶏たちが全国に比内地鶏として並ぶ、そしてたくさんのお客さんに食べてもらう。そうやって比内地鶏のファンが増えて行くことが何よりのやりがいなのです。
北秋田の伝統食きりたんぽ鍋はお客さんへのふるまい料理として昔から作られてきました。
お客さんが来る前日に比内地鶏をさばいて、鶏ガラからじっくり出汁をとり、余分な脂肪がなく、適度な歯ごたえと風味のある肉を具材としてきりたんぽ鍋を作ります。
「先週うちにお客さんが来たときも、2羽さばいてきりたんぽ鍋にして食べたんだよ」と、季節を問わず、鍋を楽しんでいることを教えてくれました。"薄くスライスして塩こしょうで焼いて食べる"という養鶏家ならではの贅沢な食べ方もあるのだそうです。一度食べたら病み付きになる比内地鶏。きれいな水と秋田の風土で元気いっぱい育った古の地鶏を、ぜひ一度ご賞味ください。