神の魚から生まれる、いにしえの調味料
「味噌や醤油のように、家庭の調味料としてしょっつるが食卓に並ぶこと。それが最終目標です」。そう闘志を燃やすのは、諸井醸造3代目の諸井秀樹さん。
今では当たり前のように食卓に並ぶ醤油ですが、昔は高級品で毎日使えるものではありませんでした。
秋田県男鹿半島の漁師の家では、水揚げした「鰰(ハタハタ)」を使って各家庭で魚醤"しょっつる"を造っていました。今回は日本三大魚醤の1つとして知られるしょっつるの味の秘密と、伝統の味を守り全国へ世界へ発信している「諸井醸造」のお話。
ハタハタとしょっつる
稲刈りが終わると、いよいよ冬へと季節が移り変わる秋田県。日本海では冬の訪れを告げる雷が轟き、その雷鳴と共に獲りきれないほどの魚がやってきます。
当時の漁師たちはその光景を見て、「霹靂神(はたたかみ)がつかわした魚」だと言い、その魚のことを鰰(ハタハタ)と呼ぶようになりました。秋田県を空から見下ろすとぴょこっと日本海に突き出ている男鹿半島。
この地域でハタハタ漁が盛んに行われ、やがて魚醤であるしょっつるが生まれました。
創業80年の諸井醸造がしょっつるを造り始めたのは1999年からで、諸井さんが当時35歳の頃。極端にハタハタの漁獲量が減り価格が高騰した1992年。「このままでは秋田のしょっつるが消えてしまう。伝統の味を後世に残したい」。と、考えた諸井さんは一念発起し、製造へと動き始めました。
しょっつるへのこだわりは2つ。「原料はハタハタと塩のみで造ること」と、「生臭くない、上品でまろやかな味を造ること」です。しょっつるはハタハタのもつ自己消化酵素により1年以上の時間をかけ熟成させます。「秋田の気候だと発酵に適した30度を越える日が1年に1週間ほどしかないから、うちでは3年かけてじっくり熟成させているよ」。と諸井さんは言います。
3年が経過したタンクの中では、魚の身は完全に溶け、尖った骨が沈み、もろみが浮いてきます。
熟成されたハタハタは、味噌のような色合いでドロドロの液状になります。この原液を布を使って濾過することで、琥珀色のしょっつるが生まれてくるのです。「10年以上熟成したしょっつるは香りがまろやかになって、しょっぱさの角が取れていい味に仕上がるんだ」。と、諸井さんの味への探求には余念がありません。
自然の力で旨味を引き出す
日本海まで歩いてすぐの場所に醸造所を構える諸井醸造の中には、タンクが20本並んでいます。良いしょっつるを造るために重要なのは、まず、鮮度のいいハタハタを使うこと。12月になると、港で水揚げされたばかりのハタハタが醸造所に運ばれます。直径2mのタンクの中は、5tのハタハタと塩でいっぱいに満たされます。「1tのハタハタから作れるしょっつるは、多くて500リットルくらい。調味料も保存料も何ひとつ加えない、まさに天然の旨味調味料なので、大量生産はできないんです」。と、諸井さんは語ります。
「失敗してないかどうか心配で、ついつい仕込み樽を見に行ってしまいます」。と、親心をみせる諸井さん。しょっつるの醸造において、人ができることは多くありません。時々、櫂棒でかき回して空気を入れ発酵の手助けをすること、温度や発酵環境に細心の注意を払って発酵がより良い状態で行われるようにすることくらいです。
あとはハタハタのもつ酵素の力と自然の力、これらを信じてひたすら待つことが諸井さんの仕事。だから気をもむことも多いのだと言います。
伝統を食卓に
能登の"いしる"、小豆島の"いかなご"に並び、日本三大魚醤のひとつとして名を馳せた秋田のしょっつる。
その食べ方で一番多いのは、しょっつる鍋です。ハタハタと野菜を煮る鍋料理で、その味付けにしょっつるは欠かせません。しかし、このしょっつる=しょっつる鍋というイメージが業界を苦戦させているのも現状です。
「しょっつるを一本買っても半分は鍋に使って、半分は腐らせて捨ててしまっている人がほとんど。調味料として様々なことに使えることを知ってもらいたい」。ということで諸井醸造ではしょっつるをただ販売するだけではなく食べ方まで提案をしています。ラーメンや炒め物の味付けなど、様々なレシピを商品と共に発信しています。
「キッチンの片隅に追いやられているしょっつるを愛着をもって食卓に置いてほしい」。そう願う諸井さんはこれからの展望について語ってくれました。魚醤とはそもそも魚介類を塩で保存発酵させたもののことで、塩辛なども魚醤の一種です。諸井さんは長年培ってきたしょっつる造りのノウハウを活かし、男鹿産の鯛を使ったしょっつる、男鹿産の烏賊を使ったしょっつるなど新しいしょっつる造りに取り組み始めているそうです。
「造り続けるためには努力が必要だ」と熱く語る諸井さんのお話を伺っていると、このままじゃダメだと諦めずに新しいことへと挑戦していこうという気持ちにさせられます。しょっつるが食卓に当たり前のように並ぶ日もきっと遠くないはずです。