人の手と時が紡ぐ、絹のようなうどん
「佐藤養助」。この名前を知らない秋田県人はほとんどいないでしょう。その人物は、政治家でも芸能人でもなく、うどんを作る職人です。うどんと言えば、讃岐うどんや水沢うどんを思い浮かべますが、北国秋田県にも日本一高いうどんとして名を馳せる"稲庭うどん"があります。秋田県湯沢市稲庭町で155年もの間、一子相伝の製法を受け継ぎ、うどんを作り続けている佐藤養助商店。今回はそんな稲庭うどんの旨さの秘密をご紹介します。
職人の技と想いを伝える、稲庭うどん
秋田といえば米どころですが、沿岸部にはなぜか「能代うどん」や「本荘うどん」などのうどん文化が残っています。それは江戸時代、北前船という交易船にのって、うどんを作る製法が西からやってきたからだと言われています。うどんといっても稲庭うどんの製法は素麺に近く、素麺発祥の地である三輪素麺の技法が伝わったのではないかという説もあります。稲庭うどんが誕生したのは今から350年前の寛文5年、宗家である佐藤吉左衛門家が製法を一子相伝、門外不出のものとし、うどん作りが始まりました。その後、二代佐藤養助に技法は受け継がれ、現在七代にわたって本物の味わいが継承されています。もともとは雪深い寒冷地での保存食として食されていましたが、明治時代に宮内省にお買い上げを賜わりしたところから高価なものをして名を高めました。
「忠実に働くの忠でタダシです」。と、笑顔で自己紹介してくれたのは佐藤養助商店でうどんを作り続けて23年の髙橋忠さん。きっかけはただひたすらにうどんが美味しかったから、そんなうどんを自分も作りたいと思い、始めたのだそうです。現在は六十名以上の職人を束ねる工場長を務めています。「うどんは体の一部みたいなものです」。と、積み重ねてきた歴史を感じる髙橋さんの一言。うどん作りの伝統の技術はどれも繊細なものばかりで、感覚で覚えなければならないところも多く、何度も失敗しては先輩たちに教わり経験を積んだのだそうです。「うどんは生き物だから自分が足りなかったことが結果として目に見えてくる、奥が深いんです」。うどんのどんなところが生き物なのか、一子相伝の技術とはどのようなものなのかを知りたくて、実際に工場見学をさせてもらいました。
うどんの言うことに耳を傾ける
一般的なうどん作りの工程と違い稲庭うどんの製造工程は、「練る・綯う・延ばす・干す」という工程に分かれ、そのどれもが手造りであり、全行程の合間で生地は寝かされ熟成の時を過ごします。一つの稲庭うどんが製品になるまでにかかる時間は3日間、一つひとつじっくりと手仕事で仕上げられます。
一番最初の工程であり、最も稲庭うどん作りで重要な工程が「練る」という生地作りの段階で、またの名を「生地を鍛える」と言うそうです。稲庭うどんの特徴はその見た目の細さとは対照的なしっかりとしたコシのある食感と独特の歯ごたえ、それを生み出す秘密がこの作業に隠れています。稲庭うどんの味や見た目に最適な選び抜かれた小麦粉と塩水のみを混ぜ合わせて生地は作られます。青い容器の中に入っている生地はなんと15kgほどの重さがあります。それを繰り返し、繰り返し、何度も手練りします。
しっかりと生地の中に空気を入れ込むようにして練り込むこの作業が生地にコシを生むポイントです。稲庭うどんの断面をよく見てみると気泡を見ることができます。それはこの練りの作業で空気をたくさん生地の中に取り込んでいるからです。稲庭うどんが乾麺なのに三分で茹で上がるのはこの気泡のおかげだそうで、機械ではこの気泡を作り出すことはできません。「重たい生地を持ち上げ、ひっくり返し、これでもかと何度も揉みあげるので初めの頃は箸も持てないくらい筋肉痛になります」。という話を伺い、鍛えるという意味がわかりました。男たちが生地を練り上げる姿は迫力があり、見た目にも惹きつけられる作業でした。
鍛えられた生地は小巻という工程で細長くされ、渦巻き状にまとめられます。その後熟成を経て、「綯う」という工程に入ります。二本の棒に交互に生地をちょっとずつよりながら巻きつける手綯い作業で、均等な太さで綯いながらもスピードも早くやらなければならないため、熟練の技が光ります。まるで糸を紡ぐかのように編みこまれた麺はつぶしという工程で引き延ばされます。
熟成を再度経て、稲庭うどん作りで最も美しい作業「延ばす」という工程に入ります。けたにかけられた40cmほどの麺を手を使ってさすりながら伸ばしていきます。麺は絹糸のような細さになり長さも120cm程度まで延ばされます。この延ばす作業、見た目の美しさの反面、非常に難しい作業だそうです。これは生地ごとに差が出るもので、さらに気温・湿度・天候などなど様々な要因を見極めて延ばしていかなければなりません。「まだ延ばすなってうどんが言っているうちは、延ばせないんです」。職人たちはうどんの声を聞き、うどんに合わせて作業を進めていました。この繊細さがうどんを生きものと言わせる所以でした。
そして最終段階の「干す」は十年以上の熟練の技と勘をもった職人にしかできない工程です。麺の中に水分が残らぬよう温度管理をし、乾燥の時間を見極めます。「乾かしすぎるとうどんがちぎれて落ちてしまうんです」。そのギリギリのタイミングを見極めるため、うどんに合わせて休憩をとるというのが職人たちにとっての当たり前なのだそうです。
完成した麺は長さを揃えて裁断され、一つひとつ人の手によって仕分けされ製品となっていきます。変わらぬ製法と完全なる手作業だからこそ作り出される稲庭うどんに感動しました。
進化と継承
伝統を受け継ぐことはもちろんですが、佐藤養助商店は今もなお進化し続けています。一子相伝の技と伝統、うどんの味を全国の皆様に広く伝えたいという思いから今では首都圏や秋田を中心とした12店舗の直営店があります。近年はその味を海外の方にも伝えたいということで、香港・台湾への展開も始まっています。
お店に来てもらうだけではなく、こちらから届けに行こうということで2tトラックを使用した移動厨房車を作っています。食べたいけどお店に行けないという人のために福祉施設へ慰問し、うどんを振舞ったり、地方のイベントに参加してうどんを販売しているそうです。「初めて移動厨房車で長距離を走った時、釜のネジが緩んで取れちゃって、水が漏れてしまい大変でした」。という失敗を活かし、2号車を作り、北海道や大阪などさらに遠くまで遠征できるようにしたそうです。
食べてもらうだけではなく、実際に体験してもらおうということで、地元の小学生や中学生、遠方からの観光客の方向けに体験工房で実際に稲庭うどん作りをすることができます。実際に体験したうどんは後日配送してもらうことも可能です。旅の思い出に作って見るのもいいかもしれません。
体験工房は年中予約を受け入れていますが、中でもおすすめの時期は秋。小安峡と呼ばれる紅葉の名所が近くにあり、紅や黄に彩られた渓谷や滝、大噴湯がみどころです。渓谷の周辺は温泉郷になっており、様々な温泉に入ることもできます。
のんびりとした秋の秋田を楽しみながら、絶品麺に会いに来ませんか?