どうする、おもてなし
もわ萌亜さんの "ミニマルライフへの険しい道" を見守っている、絵の中の猫、エマです。
西日本豪雨で災害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。もわさんも、一瞬にして、家や家財道具を失ってしまった方々の気持ちを想うと、不用品という言葉さえ簡単に使うのがためらわれています。当面必要なものだけでも、リサイクル品が活用できるしくみがあるといいですね。
もわ萌亜さんの "ゆるりとした"ミニマルライフの進捗状況は、といえば、食器類が終わったところみたいですよ。5~6種類あった普段使いのグラスも、2つに絞り、洋食器はボールとお皿、和食器は、飯碗とお椀、豆皿、小鉢、それと、骨董市で購入したなます皿と湯呑み。湯呑みやぐい呑、蕎麦猪口としても使われていた通称「みじんこ」と呼ばれている模様のは、時々、ワインにも。ソース類や薬味も入れたりして重宝している様子。
あとは、来客用のものをどうするか、です。どのくらい保管しておいたらいいいのか。もわ萌亜さん、もわもわし始めています。もしからしたら、ミニマルライフの関門の一つなんじゃないですか~。ハレの時は、外でということも多くなってきているので、あまり考える必要はなくなってきましたね。ただ、友人や家族を家に招いての食事。その辺の食器をどうするかが、その人のミニマルライフに関係してくるわけですね。話題のレストランや料理屋さんを、皆で訪ね歩くというのも楽しいものです。来客用は考えないというのもOK。ただ、たまには家でおもてなしをしたいということもありますよね。家でのプチパーティは、自分のセンスも問われますし、確かに、もわもわしますね。もわ萌亜さ~ん。
"もの"と人との繋がり
話はガラリと変わりますが、もわ萌亜さんの脳裏には、最近、時代劇に登場してくる、山里に簡素な庵を結び、隠遁生活を送る知恵者の姿が、よく頭に浮かぶんですって。多くは、白髭を蓄えた、人生を悟った老人。あまり人にも会わない質素な生活、究極のミニマルライフを実践している人です。
どうして、そんなシーンが頭に浮かぶのですか? 大丈夫でしょうかね~。もわ萌亜さんには、無理、無理、とても無理ですよ~。
えっ、もちろんわかっている。家族や友人たちとの関係のなかでの"もの"について考えているんですって。それ、どういう意味ですか。"もの"って、思い出だと思うって、今言いました? もうちょっと説明してください、もわ萌亜さん。
"もの"は、今までの自分を表しているし、ある意味で過去。ある"もの"を処分するかどうか考える時、手に入れた時の自分や、プレゼントしてくれた人のことが思い出される。それが時を経て、生活の一部から自分の一部になっていき、自分を表現していく"もの"になっていく。そういった"もの"とどう別れるか。"もの"は、人と違って、持ち主が完璧にコントロールできるはずなのに、皮肉なことにそれが非常に難しい。もわもわしてしまう。
ああ、だから、隠遁者のことが頭に浮かんだんですね。もわ萌亜さん、やっとわかりましたよ。自分から人との関係を求めない生き方を選んでいるから、ものに執着しないっていうこともある、ということですね。何やら複雑になってきましたよ、もわ萌亜さん。人間は複雑な動物なんだから仕方がないって。それは、エマも認めますよ。ほんとに複雑というか、不可解!
一期一会という言葉のように、人だけでなく、"もの"とも出会いがありますね。エマも、もわ萌亜さんとの劇的な出会いを思い出しました。人との別れは、自分だけでなく相手の意思もあるけれども、"もの"は、持ち主の意思に依るんですね。そこで、もわ萌亜さん、悩み中のもわもわする"もの"は、自然に別れる時がくるのを待つことにしました。