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自衛隊員をやめて、みかん農家を継いだ田中さん

2015年02月11日

宮崎県日南市塚田地区。懐かしい昭和の面影が残る集落を通り抜けると、一本道の両側に鮮やかなオレンジ色が見えてきます。これが昭和30年頃から代々続く、田中さんのみかん畑です。みかん農家の3代目として先祖伝来の土地をまもり、8haもの土地で6種類の柑橘が大切に育てられています。様々な世代、特に同世代に愛されるみかんづくりを目指している田中さんに、みかんに対する想いを伺ってきました。

自衛隊員とみかん

福岡で自衛隊として働いた後、不動産会社に勤めていた田中さん。農業の大変さは小さい頃からみていたので、後は継ぎたくないと考えていたと言います。しかし、ハードな日々の仕事に、「これで本当にいいのかな」と将来を考え始めたころお兄さんが家系図づくりなど実家のことをやり始めたのがきっかけとなり、田中さん自身も家族の伝統とか、先祖代々紡いできたものを絶やしたくないという気持ちがあることに気がついたのだそうです。「他の人に比べても、そういう気持ちは強いと思っているんですよ。他の会社の為に頑張るくらいなら、自分の家の為に頑張りたい」。熱い気持ちが湧いてきたら、すぐ実行したいと思う性格なのだと、後継となる決意を語ってくださいました。

みかん農家を継ぐことを決意し、福岡から日南市に帰省した田中さん。仕事が形になるまで、ほとんど遊ばず毎日仕事に打ち込んだといいます。帰省して3ヶ月目。お父さんに農園の一部分の管理をさせて欲しいと頼み込んだところ、「まだ仕事を覚えていないのに、そんなにできないでしょ」と言われたことがバネとなり、さらに打ち込むこと2年。仕事を覚えるのに10年かかるところを、見事に仕上げて見せたのです。「仕事が終わったあと、家でも父を質問攻めにしました。仕事場と家しか往復しないで、自分が経営していきたい! ってアピールを続けながら作業をしていたんですよ」。個人経営だからメンタルも鍛えられるし、まるで修行のようだったと、田中さんは振り返ります。現在は実質ご自身がメインで、8ha程の農園を管理を任されるほどに。

自然な育て方で美味しいみかんを

一番忙しい時期は朝の5時半に起床するという田中さん。1時間ほど読書をして、7時過ぎに山に出ると、日が暮れるまで作業をしています。人工的な操作を極力しない田中さんのみかん栽培は、作業としてはごくシンプルなものです。それは最低限の肥料と、最低限の予防と、そして収穫だけ。「どうしたら自然に成長していくのかを理解した上で、適した作業をするのが一番良いというのが持論です。成長に逆らったやりかたをしても、効率が悪いですから」。例えば普通のみかんだったら、水分が少ない方が味が濃くなって美味しいのだそう。「となれば木を植える段階で、観賞用みたいな鉢をそのまま土に植えるイメージ。全部ゴムのパッドで横に排水穴が付いていて、水が横に行かないようにしちゃう」。

農業のプロフェッショナル集団を

農業者の人生のモデルを作って、それを見せたいと考えている田中さんの次のステップは、協力者を増やすことです。仲間が増えてきたら、それがプロフェッショナル集団になると考えているそう。農業者の家に生まれたから、農家での生き方を提示していきたい。自分がこの立場でできることをやることで、一つの農家としてのモデルになったらいいなと田中さん。「あんなふうに頑張りたいとか思われたらいいし。それとまあ、農業でうちを代々残していきたいというのもある。そういうモチベーションでいます」。

明るく冷静にみかん普及の野望を抱く田中さん。近い将来、色々なチャレンジが実を結び、たくさんの世代に愛されるといいなと思うのでした。

田中伸佳さん(寿柑橘園)プロフィール
宮崎県日南市出身の26歳。昭和30年頃から続くみかん農家の3代目として日南市塚田(つかだ)地区に保有する8haの土地で6種類の柑橘を栽培している。先祖代々残る土地で育てるみかんをまもりながら、様々な世代、特に同世代に愛されるみかんづくりを目指している。

  • プロフィール 久志尚太郎
    音楽やアート、旅や食が好きです。
    高校時代のアメリカ留学を経て、20代前半に世界25カ国放浪。
    25歳から宮崎県串間市で人口1000人高齢化50%の村での田舎暮らしを経験し、現在は東京を拠点に都会と田舎、世界と日本を行ったり来たりしています。

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