風のしまたび
みなさん、お久しぶりです。
「自転車世界1周Found紀行」で海外各地の様子をサドルの上からお伝えしてきた伊藤篤史です。
旅を終えて、あっという間に四カ月が経ちました。その間は旅で出会った友人やお世話になった人を訪ねて、相変わらず日本をあちこち旅していました。結婚して子供が生まれた人、新しい土地で新しい事に挑戦しようとしている人、手の届かない遠い世界に行ってしまった人。当たり前ですが、周りの人たちにも変化がありました。
僕は日本を離れていた四年六カ月を長かったとは思っていませんでしたが、彼らに再会することでようやく、流れた時間の重みが分かったような気がします。自分を知る人間は、僕自身の写し鏡でもあったのです。
「久しぶりの日本はどう?」
みんなに口々に訊ねられました。逆説的ですが、この質問こそが僕が日本に戻ってきたことを感じさせた言葉でした。
というのも世界を旅していた時も、現地の人々が僕にかけてくれる第一声というのは地域によって不思議と偏りがあったからです。南米では「職業はなんだ?」と、中央アジアでは「どこから来たんだ?」、アフリカでは「(自転車に乗ってるのは)大会か何かか?」。挨拶や名前を名乗る前にこんな言葉が交わされることもしばしばだったから、めいめいに日本はどうかと聞かれることこそが、この国に戻ってきたことを実感させたのです。
そして、食事の際には、前日には何を食べたかを確かめた上で旬の食材や、その土地の名物をご馳走してくれる気遣いに、あぁここはやはり仁慈に満ちた国なのだなぁと思わざるを得ませんでした。
言葉や振る舞いによっても、その土地らしさという見えない境界線は線引きされるものなのかもしれません。
旅の最中でも見えない境界線で区切られたあちらとこちらを感じ分けられるシーンが多くありました。
古い歴史ある建物に一歩足を踏み入れた時に変わる空気や、白人と黒人で住む場所が分かれていた街、赤道を跨いだ北半球と南半球では、季節も太陽の昇り方も、見える星も違っていました。
その中で最も身近にあった境界線は国境線でした。
人為的に引かれた国境線を除けば、国境線の多くは山の稜線や川に沿って引かれていることが多く、そこを跨ぐと人が変わり、言葉が変わり、空気が変わりました。
昔は道や橋を作る技術も今より乏しかったため、現代よりももっとお互いそれぞれで完結する世界観が築かれていたのだと想像します。
世界は大なり小なりの境界線で区切られていることの連続だということを実感した日々でした。
けれど陸路を行く旅だったから、国境線では区切ることのできない様々なつながりを発見することもありました。
それは民族だったり料理だったり風習だったり。時にそれは大陸を超えて発見することもあり、世界はやっぱり緩やかにつながっているということも強く実感したのです。
ここで友人たちから訊ねられた「日本はどう?」という質問に答えるとすれば、この国は海という強力な境界線で外界から寸断された島嶼国家であるが故に良くも悪くも「日本らしさ」があるなと僕は感じています。
生まれた国ということを差し引いても、この国は独特で不思議な雰囲気を持っていると感じます。
しかし、ここが島国ならば、日本という一括りではなくて、その島々一つ一つも海の境界線で区切られているのではないか、それぞれに独自の土地らしさがあるのではないか、そんな風にも思いました。
一島一島にフォーカスを当てていくと、興味深い島の個性が見えてくる気がしています。
旅の最中に訪れた島々のことを振り返ってみても、島として存在する土地は実に個性的な場所ばかりでした。
アンデス山脈の懐、深い青を湛えたチチカカ湖に浮かぶ太陽の島には、インカ帝国初代皇帝の伝説が残っていて、また、葦を重ねて作られた浮島のウロス島にはウル族が今も文明から一歩距離を置いて生活していました。
南米大陸の果てフエゴ島には、遥か昔にベーリング海峡を越え、この地に辿り着いたモンゴロイドの末裔ヤマナ族がかつて暮らし、同じように南極から流れ着いたコウテイペンギンが暮らすコロニーもありました。
マルマラ海に浮かぶプリンセス諸島はビザンチン時代の王子の幽閉所で、今日ではイスタンブールからの避暑地として賑わっています。
馬車が島内唯一の交通機関で、かっぽかっぽとのんびりとした足音があたりの景色をセピア色に染めあげます。
他にも台湾、香港、イースター島、ペナン島、オメテぺ島、グレートブリテン島など、大陸を巡る旅の中でも思いがけず多くの島々を訪れていました。
これらの島々がどこもきらりと光る個性を持つ場所ばかりだった、それが水の境界線で区切られていたからこそ育まれた魅力だとするのなら、今度は日本を舞台に旅をしてみても、十分な面白さがあるのではないでしょうか。
調べてみると我らがこの島嶼国家には6847の離島が存在するそうです。
それぞれの島にそれぞれの歴史があって栄枯盛衰があり、そしてそれらを紡ぐ人や料理、風習がある。また、大陸の旅でそうだったように、もし島と島、あるいは島と本土との間にも水の境界線を超えたつながりを発見していくことが出来たら、これもまた興味深く思います。
境界線の内で育まれた土地らしさと、境界線を越えた外との繋がり。この相反する二つの事を発見する島旅を、今度は日本を舞台にしてやってみたいと思います。
土地らしさとは「風土」とも言い換えることが出来ますが、そういえば最近、この言葉について教えられることがありました。風土とは、風の人が種を運んで来て、土の人が耕して育んでいくもので、どちらかが欠けても育たないもの、なのだそうです。
もうお気づきかと思いますが、僕はまだまだ風の人でありたいようです。
風の人として訪れる島旅の魅力を、この場を借りてみなさんにお伝えしていきたいと思います。
ところで島に上陸してしまうと、途端に困ってしまうのが現地での足。
島を気ままに旅するために、今回の相棒もやっぱり自転車にすることにしました。
20インチの折り畳み式自転車は、電車や船にひょいっと載せられて、現地では颯爽と島風を切れてしまうフットワークの軽さは、島旅にうってつけの乗り物。
あせらず、気負わず、のんびりとした島時間を、この自転車と一緒に過ごして行こうと思います。
大陸の旅から島の旅へ。 線の旅は点の旅へ。 どこかの島でこの自転車を見かけた際は、どうぞ声をかけてくださいね。
それでは次回は、宮城県松島湾の浦戸諸島からお届けします。