各国・各地で 風のしまたび

バイクパッキングで巡る日本の北限 北海道最果ての島旅その1

2016年10月05日

「隣、空いてますか?」
特急スーパー宗谷号が名寄に到着すると、小さな体に大きなリュックを背負った老女が乗り込んできた。明らかに道外の人間と分かる彼女は、旅の興奮をそのままに僕に話しかけた。
「50年振りに学生時代の同級生に会いにきたの。ぜんっぜん変わってなかったわ。今日は宗谷岬まで行こうと思ってるの。あなたはどこまで?」
「礼文島と利尻島です」
「あそこも素敵よねぇ」
お互いが旅行者であるという暗黙の了解で話が進み、共感が生まれる場所って夏の北海道以外になかなか無いだろうな、と思った。それも老若男女の壁を越えて。
今朝、札幌を出たときにはスーツのサラリーマンもちらほら見かけた車内には、もうすっかり旅行者しかいなくなっていた。日本中の渡り鳥たちが短い夏を求めて最果てを目指していた。

稚内は予想外に賑やかなところだった。最北端の駅に到着した列車を待ち構えていた撮り鉄たちに出迎えられ、駅舎の外に出るとキャンプ道具を積んだ5台のツーリング自転車が目についた。反対側にも2台あった。自転車の持ち主たちはどこかへ行ってしまっているようで、辺りには見当たらなかったが、この場所にいる全員が最果ての引力に引き付けられた仲間だと思うと嬉しくなった。夏の北海道も道北も初めてだったけれど、早くもこの場所が気に入った。

ゴロゴロとスーツケースを転がしてフェリーターミナルへと歩いていると、あるものを発見し、ますます旅のムードは高揚する。
「キリル文字だ!」
キリル文字はロシア圏で広く使われている文字である。今どき、顔文字の(゚д゚)とか(・з・)に使われている文字といった方が馴染みがあるかもしれない。
ロシア語ができるわけでもないのに僕はこの文字に妙な愛着があった。大好きな中央アジアやモンゴルで見かけていた文字ということもあるし、本国ロシアはVISAが取れずに結局行けなかった国でもある。僕にとってキリル文字は、懐旧の情と憧憬の念を併せ持った旅の文字だった。
「ここは日本の辺境で、海の向こうはサハリンなのだ」
僕は近くにロシア人が歩いていたりしないか、キョロキョロしながらターミナルの方へ向かった。

礼文島行きのフェリーが問題なく運行しているのを確認した時、僕はようやく胸をなで下ろすことができた。
というのも実はここにやって来るまでは台風に左右されっぱなしだったからだ。

事の始まりはまず仙台から苫小牧行きのフェリーだ。太平洋で発生した台風10号が前例のない動きで海上を彷徨っていたかと思ったら、狙い澄ましたかのように僕の北海道行きに合わせて北上を開始していた。
どうも島旅をする日に限って、極端な天気ばかりが続いてしまっている。
松島湾の旅では冷たい雨、三河湾の旅では強風による船の運休、とびしま海道の旅では電車が停まるほどの豪雨。前回の対馬・済州島の旅ではようやく晴れたかと思ったら、とろけてしまうような酷暑ときて、今回はとうとう台風を引き当てた。東北・北海道地方に直接上陸する台風は観測を開始してから初めてとのこと。ついには史上初まで呼び起こしてしまうなんてちょっとどうかしてる。
今回ばかりは、暑すぎず寒すぎず、夏の残り香と迫り来る秋が交錯する広い空の下での気持ちいい自転車旅と思っていたのに…。
各地で交通機関が混乱する中、幸いにもフェリーは出港時間を早めて運行を強行することになった。船内の大浴場の湯船がザッパンザッパンと波打ち、湯嵩が半分以下まで減ってしまう大時化の海に揉まれながら、朝四時に苫小牧に放り出された。

始発のバスで札幌の友人宅まで移動し、一泊させてもらう間に台風は日本海に抜け温帯低気圧へと変わったけれど、爪痕は凄まじく、道央・道東地方を切り刻んだ。
だから、今朝も「列車が止まってる、いや運行してる」との情報が錯綜し、かろうじて走っていたのがスーパー宗谷号だったから、ギリギリというか紙一重のところでやってきたのが稚内だったのだ。

そして今から乗ろうとしている礼文島行きのフェリーもこの便が三日振りの船とのことだそう。僕は嵐を呼ぶ男だったとしても、悪運だけは強いのかもしれない。フェリーは足止めをくっていたツアー観光客でいっぱいだった。

台風一過で澄んだ青空が見られるかと期待したけれど、空模様はあまり冴えたものではなかった。船からは対岸に浮かぶ利尻島のシンボル利尻山が見えたが、頂き付近には笠雲が停滞し、山麓にも雲がかかり、不穏な雰囲気を残したままだった。うねる波から伝わってくるように風も相当に強い。これが果たして台風の残滓なのか、それとも最果ての地が持つ土地の厳しさなのかは分からない。けれど、夏の季節はもう終わろうしていることは風の冷たさではっきりと分かった。

礼文島香深港に着いてすぐ、土産物屋から自転車の入ったスーツケースを利尻島の郵便局へと送った。
稚内で見かけた自転車乗りたちに感化されたわけではないけれど、今回はスーツケースは使わず、自転車にキャンプ道具を括り付けて旅をするつもりだ。最小限に荷物をとどめれば、テントや寝袋、自炊道具や着替えも全部ハンドルバッグとサドルバッグで収まりきる。これならば面倒な荷台の取り付けもいらない。
最近は軽量な旅道具を組み合わせて、軽快な自転車旅を目指すバイクパッキングというスタイルが流行ってきているけれど、これを折り畳み自転車で実践したら、それはもう世界中どこにでも気軽に行けてしまう旅の形が作れるんじゃないかと閃いたのだ。日本での旅ならば、道中不要なスーツケースは旅の終点の郵便局に局留めで送っておけばいい。

自転車を組み立てていると、土産物屋の店主に話しかけられた。
「今日はどこに泊まるの?」
「少し行ったキャンプ場にしようと思ってますけど」
「香深井のところだろ?あそこは時々すごい風が吹くから気をつけろよ。こないだも女の子がテント飛ばされちゃったみたいだから」
どうやら風が強いのは毎日のことのようだ。
「それで、女の子は大丈夫だったんですか?」と尋ねると、「樺太まで飛んでいっちゃったよ」と店主が言うものだから、最果てならではのユーモアに僕は笑わされてしまった。

日暮れが迫りつつある礼文島の海岸沿いを走り出した。吹き付ける北東からの強風が、消波ブロックにぶつかって砕け散った波の飛沫を頬まで運んでくる。磯の香りも濃厚だ。
しかし、思った通りペダリングは軽い。スーツケースを曳いているときに感じる、後ろに引き戻されるような抵抗がなく、体と自転車が一体感を持って前に進んでいく。

途中、島唯一のコンビニで今日、明日の食料を買い込んだ。三日間船が無かったということは、三日間納品がなかったということだろう。ほとんどスッカラカンになった店内では、今しがた稚内から到着したばかりの商品の品出しで大わらわだった。

前日まで台風が猛威を奮っていたこともあって、緑が丘公園キャンプ場に泊まっている人間は誰もいなかった。とはいえ、フェリーにあれだけ人が乗っていたにも関わらず、全く誰もいないとは予想外だったので、僕は肩透かしをくった気分だった。

雲はかかっていても、雨の心配はなさそうだったから、フライシートはかけずにテントを組立てた。インナーテントだけで過ごした方が新鮮な空気が循環して気持ちがいいし、翌日、結露や朝露で濡れたシートを乾かす手間も省けるから僕はできるだけフライシートはかけない派だ。

アルコールストーブに火をかけて湯を沸かしながら、ぼんやり暮れゆく空を眺めているとフェリーでも見かけたカップルがやって来た。歩きながら島を旅しているようだ。礼文島はトレッキングが盛んであり、この香深井地区からスコトン岬を目指す「愛とロマンの8時間コース」は島のゴールデンコースと言ってもいい。

「貸し切りですね」と声を掛けて軽い会話をしていると、鍋を持った男がヘッドランプをピカピカ光らせながらやって来た。キャンプ場の管理人かと思ったが、彼も客らしい。はて、どこにもテントは見当たらなかったけれど…。聞けば、台風が来た時に管理人小屋に避難させてもらって以来、そっちで寝泊まりしているとのこと。彼が言うには前夜はキャンプ場に備え付けてある据え置きの木製テーブルが吹き飛ぶほどの風が吹いたそうだ。
でも、そんな天気が続いたというのにどうしてこの島に居続けているのだろう?
尋ねてみると、彼は目をらんらんと輝かせて「釣りっす」と答えた。
「ここは僕みたいな素人でも鮭の一本釣りができちゃうんですよ!去年初めてやったんですけど、簡単に釣れちゃったもんだから…ハマってまた来ちゃったんです」
確かに鮭のような大物がいとも簡単に釣れてしまったら、礼文島にまた来たくなる気持ちも分からなくもない。
「でも今年は全然ですね。去年よりも鮭の戻りが遅いみたいなんです。たぶんあと一週間待てば違うみたいですけど。明日は北の方に場所を変えようかなと思ってるところです」
並々ならぬ鮭への思いに感心しまった。

チャリダーにトレッカーに釣りキチに。
誰もいないと思ったキャンプ場だったけれど、色々な旅人がいるじゃないか。全く別のスタイルの旅をしている旅人が、キャンプ場という一つの場所に集い、出会う。それぞれの旅を受け入れてくれる懐の深さが北海道であり、最果ての島なのだろうなぁと思った。

(次週に続く。北海道最果ての島旅は全4回を予定しています)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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