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バイクパッキングで巡る日本の北限 北海道最果ての島旅その3

2016年10月19日

船泊にある日本最北のキャンプ場・久種湖畔キャンプ場で一泊した翌日は、金田ノ岬経由で香深港へと戻り、お昼の船で南の利尻島へと渡った。

島の語源となったアイヌ語で高い山を意味する「リイシリ」の名の通り、島の中心には1721メートルの利尻山がどかっと居座っている。この火山は別名、利尻富士とも呼ばれ、とがった三角錐の山容をもつらしい。らしい、と言ったのは相変わらず今日も空が冴えず、山の全貌が隠されたままだからだ。

昼食がまだだったので、まずは鴛泊(おしどまり)港近くの食堂へ。名産のウニ丼を食べてやろうと入ったのだが、3500円という値段に尻込みしてしまった。実は前日も礼文島北西部のスカイ岬でウニ丼を食べようとしていたのだけれど、ちょうどツアーバスが訪れた後ということで、売り切れで食べられずじまいだった。そこのウニ丼は2500円で、まぁそんなものかな、と思っていたのだが、さすがに3500円は予算オーバーである。仕方がない、ウニとは縁がなかった、ということにしておこう。結局、800円のとろろ昆布ラーメンを注文した。

腹ごしらえをして出発。地形が険しく、島の東側以外はほとんど道路がないため往復の旅となった礼文島とは異なり、利尻山を頂点とした円錐形のこの島の周縁部には環状路が延びている。海を眺めながら走るには、時計回りが良かったのかもしれないけれど、今夜泊まるキャンプ場までの距離を考えて、逆回りで行くことにした。

地形もそうだけれど、町の表情も礼文島とずいぶん違っていることには少なからず意表をつかれた。港からすぐの利尻富士町の繁華街にはコンビニの他にホームセンターが2軒もあった。いくつかある個人商店も「かろうじて」じゃなく「ちゃんと」営業している。家並みも古い木造小屋は見当たらず、現代的な家々が多く、暮らしぶりは悪くなさそうに見える。礼文島のような辺境っぽさはすっかり失われていた。
かつてはニシン漁で栄え、近年は昆布やウニを中心とした漁業と観光がなりわいの中心という構造は礼文島ともほとんど変わりはないはずなのだけれど…。例え隣り合う島だとしても、それぞれの島に漂う空気感の差異には毎度のことながらハッとさせられる。

町の外れに出ると、前方に見覚えのある影を発見した。長野のおじさんだ。「おぉー」とおじさんもこちらに気付いて手を挙げてくれた。道路を挟んで立ち話をすると、彼は僕が今目指している島のもう一つの港の沓形(くつがた)から走ってきたそうだ。今晩は鴛泊に泊まるそうなので、僕とは真逆のルートということになる。
「それじゃあ明日も会うかもしれないですねぇ」
礼文島も利尻島も観光が盛んなだけあって、地元の人は観光客には割と無頓着だ。土地の人間との関わりが希薄になりがちな分、おじさんと交わす何気ない会話が嬉しい。本当にまた明日も再会できたら、と思う。

沓形へと至る北西部は比較的なだらかな原野帯だった。秋色に染まりつつある草原を、追い風を受けながら軽快に飛ばしていると、またもや向こう側から自転車らしきシルエットが近づいてくるのが見えた。
ただでさえ重たそうなフル装備の自転車に、さらにバックパックを背負った自転車乗りは外国人だった。
ズータンと名乗った彼がドイツからの旅行者だと聞いた僕は、あぁやっぱりなと一人勝手に納得した。これまで世界中いろいろな国の自転車旅行者と会ってきたけれど、荷物がやたら多いのは決まって日本人かドイツ人だったからだ。生真面目で相性がいいと言われる両国だが、こういう部分でも何かと共通点がある。恐らくカバンの中には自転車の工具一式からスペアパーツ、冬期用のウェアまで一通り入っているのだろう。
聞けばもう半年も日本を旅しているそうだ。日本海側をずっと北上してきて、今は北海道を周遊中らしい。あれ、でもVISAはどうしているのだろう? と尋ねてみると、
「ワーキングホリデーVISAだよ。でもずっと旅してばかりだけどね」
と教えてくれた。なるほど、その手があったか。
それだけ長い時間をかけて、くまなく走ってくれているのだから、日本を気に入ってくれているのだろう。ただし、北海道はともかくとして、交通量も多く、道も狭い日本の自転車旅はストレスを感じたりしていないだろうか、とも気になった。同じ自転車乗りとして、僕はたびたびそう感じることがある。
ズータンくんは「確かに道は狭いね」と肯定をした上で、こう答えた。
「標識が日本語だけの時もあるから時々迷うことけれど、もし迷ったとしても道を尋ねると日本人はすごく親切に道案内してくれるんだ。わざわざ一緒に走ってくれたりね。だから大変とは感じたことがないよ」
僕と彼とでは見えている景色が違うんだな、と思った。僕は日本語の読み書きができるから道に迷うことはほとんどない。彼の場合は違う。言葉が分からないから迷う。でも、手助けしてくれる人がいるから結果として、その困難をクリアしている。
僕は道路というハードを直接見ているのに対して、彼は人を介して道路を見ているのだ。その違いが与える道への印象の差に気付かされた。

「良い出会いばかりだったよ」と語るズータンくんの言葉通り、彼の自転車に取り付けてあるドイツ製の防水カバンの側面には、彼が出会ってきた人たちからのメッセージがマジックでびっしりと書き込まれていた。
僕も何か一言とペンを渡されたので、「Safe Ride」の言葉から書き連ねていこうとしたら、それを見たズータンくんが
「この日本語って『キヲツケテ』でしょ。日本人は必ず言うよね。だからすぐに覚えた日本語だよ」
と言って笑っていた。
僕が彼の荷物を見てドイツ人らしいなぁと思っていたように、彼もまた僕のメッセージを見てやっぱり日本人だなぁと思ったに違いない。

ズータンくんと談笑していると、さらにもう一人、自転車に乗ったノッポのアメリカ人が現れた。自転車は島の宿でレンタルしたもので、東京から陸路はすべてヒッチハイクでここまでやって来たそうだ。
「日本のヒッチハイクは簡単だよ」
彼はこともなげに言ってのけた。

こんな僻地に外国人が二人。それも二人ともいわゆる普通の旅行者ではない。やっぱりこんなところまでやって来ると、日本人、外国人問わず面白い旅人がぐっと増える。これがある意味、辺境旅の魅力なのだと思う。島の雰囲気は礼文島とはずいぶん違っているとは言え、最果ての引力は健在だったのだ。

思わず30分ほど話が盛り上がった後、彼らと別れ、再び一人になって走り出した。彼らと話すのに夢中で気が付かなかったけれど、絶えず吹き続けていた北西の風が利尻山にかかる雲を吹き飛ばしかけているところだった。
「あとちょっと、あとちょっと…」
僕の願いが通じたのか、風はぐいぐいと山から雲を引き剥がし、とうとう利尻山の全貌を明らかにした。最果ての島旅3日目にしてついにこの目で捉えたその姿は、鋭く尖ったピークが空を突き刺した、まさに利尻島の主そのものという圧倒的な迫力だった。

文筆家・深田久弥(ふかたきゅうや)の著書「日本百名山」の第一話はこの利尻山から始まる。作中では「島全体が一つの山を形成し、しかもその高さが1700メートルもあるような山は、日本には利尻岳以外にはない。(中略)こんなみごとな海上の山は利尻岳である」と絶賛されている。
たしかに火山島は数あれど、これほどまでに問答無用の堂々とした凛々しさを持つ山は日本のみならず、世界を見渡しても少ないのではないだろうか。
ヒグマやヘビが生息しない利尻島だが、100年ほど前に北海道本島から海を泳いで渡ってきたクマがいた。そのクマは本島で起きた山火事から逃れるためにやってきたそうだけれど、クマにとっても利尻山の秀麗な山容は格好のランドマークになったに違いない。それにしても最短距離でも20kmはある利尻水道を泳いだというクマの体力には驚かされてしまうけど。

沓形港のそばの岬に張り出したキャンプ場に到着する頃には、山頂付近のむき出しになった山肌が真っ赤に染まりはじめ、夕焼けはクライマックスを迎えようとしていた。

手早くテントを張った僕は、敷地の高台にあった無人のビジターセンターからその様子を眺めることにした。
しばらくすると、近くのホテルに泊まっているというツアー客の年配女性二人組もやってきた(なんと僕の実家の隣町出身だという二人だった)。「やっと見えましたねぇ」と言葉を交わしながら一緒になって見つめる山の上には、北海道の広い空も顔を覗かせている。
きっと僕達だけでなくて、長野のおじさんも、ズータンくんも、あのアメリカ人の彼も今ごろ島のどこかでこの落日に燃ゆる利尻山に見入っていることだろう。いや、利尻島にいる全ての旅人の視線がこの山に集まっているかもしれない。そう思うと一人旅の孤独感は瞬く間に消え去って、利尻山を通じて繋がっているような気もしてくるのだった。

(次週へ続く。北海道最果ての島旅は全4回を予定しています)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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