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大和と琉球を結ぶ国道58号線 鹿児島県トカラ列島の旅その1

2017年01月18日

トカラ列島は秘島好きにはよく知られた島だ。海賊キッドの財宝伝説が残る宝島、1960年代にヒッピーコミューン"バンヤン・アシュラマ"が築かれた諏訪之瀬島、戦後の密貿易の中継地となった口之島など個性的な島が多い。
けれど、秘島好きでなければ、島への起点となる奄美大島・名瀬地区の人たちにさえ、いまいちよく知られていないのも事実。
「トカラ列島行きってここから船が出てるんですか?」
「いやぁ、名前は聞いたことあるんですけど、行ったことはないですねぇ」
「そこって何があるんですか?」
こんな調子である。奄美大島と屋久島という圧倒的知名度を誇る島々の間に挟まれたトカラ列島の影は驚くほどに薄い。
だいたいトカラ列島行きのフェリーだけは、鹿児島航路や沖縄航路、周辺の離島航路が発着する名瀬新港からでなく、町外れから深夜3時にひっそりと出港するのだ。周辺には待合室も、切符売り場もない。これでは地元民にすら知られていないのも無理はない。これが今から僕が向かおうとしているトカラ列島の立ち位置である。

トカラ列島は鹿児島郡十島村に属する七つの有人島の総称だ。南北160kmに延びる島々は日本一長い村でもある。もともとその名の通り、鹿児島本土にも近い硫黄島、黒島、竹島を含む10の有人島から成る村だったが、戦後、北緯30度線を基準にアメリカ軍によって南北に分断された。昔は"じっとうそん"、今は"としまむら"。十島村という名前はその当時の名残である。

トカラ列島のアクセスは、週2回鹿児島と奄美大島を往復する村営船としまのみ。仮に七島全てを制覇しようとすれば、それだけで相当の時間を要してしまう。それにやはり天候が崩れると欠航も多い。
そんなアクセスの難しさだけでも旅心をくすぐるには十分だったけれど、僕がここを訪れてみようと思った理由は他にも二つあった。
これまでも東京都の青ヶ島や沖縄県の南大東島など、アクセスが困難で時間もかかる孤島や秘島を旅してきた。けれど、それらの島々ですら、お金とタイミングさえ合えば今の時代ヘリコプターや飛行機が就航している。トカラ列島にはそれも存在しない。人の移動や、物流の全てを完全に船に頼るトカラ列島は純然たる島の性格を持ち合わせているのではないか、そんな予感がしたからだ。
もう一つ。那覇の国際通りの外れから出ている国道58号線は、海を越えてこの奄美大島を通り、種子島、そして鹿児島市へと続いている。いわば琉球文化と大和文化を結ぶ海道だ。間に点在するトカラの島々を巡って鹿児島へ辿り着くことができれば、それらの移ろいを体で感じ取れるかもしれないと思ったのだ。

フェリーとしまの乗客は工事作業員に、各島の住人、そして若干名の観光客と僕という僻地に行くときのお馴染みのメンバー構成で、定刻通りに名瀬港を出発した。まずはトカラ列島の中心であり、最大の島である中之島を目指す。

宝島、小宝島、悪石島、諏訪之瀬島の順に寄港を繰り返し、中之島に到着したのは午後1時前だった。時刻表では午前11時5分到着のダイヤが組まれているけれど、各島での荷物の積み下ろしの関係もあるから、時間はあってないようなものだった。
島の正面にはトカラ富士の別名を持つ列島最高峰979mの御岳(おたけ)が悠然と構えていた。フェリーが定刻通り到着していれば、登りに行こうと思っていたけれど、この時間帯ではちょっと難しそうだ。

この日は日曜日ということもあって、港には島の子供たちも集まっていてけっこうな賑わいを見せていた。
「おかえりー!」
「また来てくださいねぇ」
再会や別れの言葉が聞こえてくる一方で、素早く船内に入り込んで自動販売機でビールを買い込む姿もあった。島に商店は一軒しかなく、営業時間も変則的なので、船がやって来たらこうして買い出しをするのだ。フェリーとしまは交通手段であり、移動する商店でもある。

活況を呈す輪の中で明らかに日本人ではない金髪の人影もあった。今時、田舎でも外国人を見かけるのは珍しくないけれど、こんな離島にまで足を延ばしているなんて。
「すみません、彼らも旅行者なんですか?」
近くにいた女性に尋ねてみた。
「そうなんです、何日か前にヨットでやって来たんですよ」
「よ、ヨット!?」
それはいったいどういうことなのだと女性に質問する前に、外国人の彼らは僕がよそ者だと気が付いたらしく、彼らの方から声をかけてきた。
イタリアとフランスの若者だった。
話を聞いてみれば彼らは他のメンバーと共にニュージーランドから遥々一年半をかけてやって来たそうだ。パプアニューギニアやフィリピン、台湾、沖縄の島々を巡って、ここまで北上してきたらしい。
すごい。そんなことってできるんだ。
僕はこのトカラ列島に、琉球と大和を結ぶ海の道をテーマとしてやって来たわけだけれど、それを軽々と超えるスケール感で海の道を体現している彼らに深い感銘を受けたし、シンパシーも感じた。
以前、僕は中米のパナマから南米のコロンビアへ、ヨットに乗って渡ったことがあって、ヨットのスピード感を知っていただけに衝撃は大きかった。太平洋の波の厳しさはカリブ海の比ではないだろうことも想像できた。
聞きたいことは山ほどあったのだが、彼らは夕方には出発してしまうらしい。僕は僕でまずは村役場の中之島出張所に出向かなければならなかったので、出発前にはヨットに見送りに行く約束をして一旦彼らと別れた。

自転車を組み立てて、出張所へ。ここでキャンプの申請をした。
僻地に来るとお約束のようなもので、島の宿は工事関係者の予約で埋まってしまっていた。島にはキャンプ場があったけれど、集落から離れている上に、手入れがされなくなって久しく、使える状態ではないという。その代わりにと提案してくれたのが、港近くの原っぱでのキャンプだった。当然、水周りの設備は無いけれど、出張所もそれほど遠くなく、24時間開放されているので、そこのトイレを使えばいいという。平穏な島だからこそ成り立つ村公認の野宿。おまけに近くには温泉もあるので、至れり尽くせりの野宿だ。

テントを張り終えた後は、再び出張所の方へ。
出張所の隣には小さな石碑が立っているのだが、それは今回、トカラ列島を旅するにあたってどうしても見ておきたいものだった。そこにはこう書かれている。
「汽船も亦(また)道路なり」
僕はフェリーでこの島にやって来たし、数日後にはまたフェリーに乗って次の島を目指す。海には道があることはこれまでも書いてきたけれど、海の道とは船そのものだったのだ。船以外に交通手段のないトカラ列島にこの石碑があるからこそ、この言葉は力強く訴えるものがあった。それにヨットの彼らに出会ったことにも、この石碑が持つ不思議な因縁をどこか感じてしまう。

それから、海に沿って自転車を走らせた。島には3つの集落があって、そのうち西集落と東集落が港に近い場所に位置している。
「こんにちは!どこへ行くんですか?」
小学生の女の子が元気に挨拶をしてくれた。
「乗せてー!」
間髪入れず、弟と思われる男の子が自転車の後ろに付けたトレーラーに跨ってくる。
僕が島外の人間だと分かっているにも関わらずの警戒心の無さに僕は嬉しくなった。
彼女たちと戯れていると、軽バンが通りがかった。よそ者が子供たちにちょっかいを出して苦い顔をされてしまうかな、と思ったら、その様子を見てニコニコ笑いながら行ってしまった。それだけで僕はこの島が良い島だと確信をした。

あてもなく自転車でぶらぶらと走っていると、前方に裸足でペタペタと歩く欧米人が現れた。彼はさっきの二人が言っていた他のメンバーで、リーダー格のトムというイギリス人だった。
少し立ち話をすると、今からヨットの方に戻るところだったので、彼についていってヨットの中を見せてもらうことにした。
ヨットは想像よりもずっと小さかった。キッチンやソーラーパネル、寝具など必要なものは揃っているが、しかしこれであの太平洋を越えてきたのかと思ってしまうほど小さくて頼りない。それでも大きなトラブルは起きなかったそうだ。

もともと出発当初は他のヨットもいた30人超の大きなグループだったらしい。途中で他のヨットはルートが変わったり、メンバーが入れ替わったりして、今は先の二人に、日本人と台湾人の女子を加えた五人組で旅をしているとのこと。日本に入国してもうすぐ3ヶ月。早く鹿児島に着いて滞在の延長手続きをしなきゃ、不法滞在になってしまうよと笑っていた。
旅の四方山話に耳を傾けていると、他のメンバーがぞろぞろと戻ってきた。商店が機能しているとは思い難い島なのに、島人から野菜や食料を仕入れていた。
その脇でイタリアの男の子が何かの皮をなめしていた。野生化した島のヤギの皮だそうだ。昨日、島の人間と一緒に獲ったものらしい。ということは肉は…?彼はお腹をポンっと叩いてみせた。彼らのたくましさに脱帽してしまった。

夕方になると、島の人間も彼らを見送りに続々とやってきた。島人たちとの記念撮影も終えてさぁ出発…かと思いきや、雑談をしていたり、夕ご飯を作り出したりと至ってマイペースで出発する気配がない。風がないから船が出せないそうだった。風がないだけでと思うかもしれないけれど、一時代前の帆船の時代は風待ちが当たり前だったのだ。
とっぷりと日が暮れて、もう今日は出発しないんじゃないか、と思い始めた頃、急にヨットが慌ただしくなった。風が吹き出したらしい。途端に出航体制が整うと、あっという間に離島。彼らは真っ黒に染まりつつある北の海に消えていった。
動力を持つ船が一般的な現代で、風まかせを地で行くヨットの旅はなかなか大変そうだけれど、今では滅多にできない贅沢な旅にも思えた。 今夜は屋久島へと海の道を刻んでいくという彼らの航海の無事を祈った。

(次週へ続く。鹿児島県トカラ列島の旅は全4回を予定しています)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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