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幻想自転車道でぐるりと一周 韓国済州島の旅その4

2016年09月28日

小さな入江に守られたハンドクビーチは波も穏やかで済州島のビーチでは一番好みだった。浅瀬が遠くまで続いているおかげで、エメラルドブルーの水面が一際目立つ。透明度はもちろん抜群で、海の中をちょこまかと泳ぐ魚影も容易く捉えることができる。

このビーチの駐車場に佇む赤い電話ボックスが済州幻想自転車道の最後のチェックポイントだ。

重たいガラス扉を開けて、熱気のこもる室内で手早くスタンプを押すと、ノートには10個のスタンプが出揃った。あとは最初のチェックポイントまで走れば幻想自転車道の走破と済州島一周を完走したことになる。

この日は7月最後の日曜日ということで、ゴールの済州市までの各ビーチはどこも海水浴客で溢れかえっていた。
通り過ぎてきた他のビーチでもそうだったけれど、韓国では肌を思い切り露出させて海に出ている人はほとんどいない。みんなラッシュガードの類を上に羽織っていたり、帽子をかぶっていたり、何らかの日焼け対策を必ずしている。中国では、貧しい労働者階級を連想させることから日焼けはあまり好まれない傾向があったけれど、恐らく韓国でも同じ理由なのだろう。来る前は、サマーベッドに寝転んで日光浴をしているスタイル抜群の韓流美女を楽しみにしていたというのに、そんな美女はついぞ一度も見かけていない。
対して一昔まで日焼けは健康の象徴だった日本。日焼け止めも塗らずに走っていた僕の足はすっかりサンダル型の日焼け跡ができていた。ビーチでの過ごし方一つとっても、お国柄の違いが見て取れるのが面白い。

浜辺から聞こえる賑やかな歓声の頭上には、飛行機の姿がちらほら目立つようになってきて、空を切り裂く轟音も少しずつ大きく響くようになってきた。済州市まであと少し。長くて暑かった夏の旅もあとちょっとだ。

市内中心部に向かうにつれて徐々に交通量が激しくなる。車の運転は相変わらず荒く、飛び出してくる車に何度か轢かれそうになって肝を冷やした。息つく暇もないような激流に飲み込まれていると、いつの間にか自転車道を示す水色のラインも見失ってしまった。
とはいえ、この道もそう見当外れのところに伸びているわけでもなさそうだったから、しばらく激流に流されるようにしていくと、狙い通り空港近くの見覚えのある道に出た。

そこからスタート地点の赤い電話ボックスまでは僅か5分の距離だ。公園の隅にあるそれは数日前と同様、ほとんど誰からの衆目を集めるわけでもなくポツンと佇んでいた。
僕にとっても"ゴールした"感には乏しいゴールで、せめて電話ボックスを写真に収めようとすると、公園に車を停めて龍頭岩を見に行こうとする観光客からは「なんでそんなものを撮っているんだろう?」という目で見られてしまった。

それでも今再び目の前に伸びている水色のラインを見つめていると、来た時とは違う不思議な充足感が得られた。この線を伝った先に僕が出会った済州島の情景が広がっているのだ。折り畳み自転車好きのキムさん、ビッグダディゲストハウスのみんな、パンクで困っていた大学生の二人、チェーン切れを直してくれた職人気質の親父さん…。色々な人に会った。誰もが自転車とこの道を介さなければ出会えなかった人たちばかりだ。

実を言うと済州島に来る前は、今回の旅が果たしてただ物見遊山で走っておしまいの旅になってしまわないか、一抹の不安があった。
僕は韓国の自転車道が日本も見習う点がたくさんある素晴らしい自転車道であることを、この済州島の旅その1でも紹介しているけれど、行き届いた整備が、何もかもを自己完結で済ませ、スムーズに事を運んでしまう事に物足りなさを感じていたのも事実だった。信号が少なく、車との接触事故の危険もなく、道沿いに見どころを網羅し、安心して自転車に乗れる道は"走る"楽しさには満ちていたとしても、"旅する"感覚には少し遠い。

その点、済州島の自転車道は、本土から離れているおかげもあってか、整備され過ぎていなかったのが良かった。インフォメーションセンターの人すらその存在をよく分かっておらず、10箇所のチェックポイントはどこも存在感のない無人の電話ボックスだ。
事前に調べたとあるニュースサイトでは、この自転車道の整備には数十億円が使われたと書かれていたが、それは大袈裟だろう。僕が走った限り、新しく自転車道を作ったような箇所はほとんどなくて、もともとあった道路を水色のペンキで繋いだような道ばかりだった。完成度、という点では本土のそれとは大きな開きがある。
しかし、そんな自転車道だったから普段の済州島と観光地としての済州島が切り分けられることなく目の前に展開されていたのが僕にとっては好みだった。荒々しい運転にヒヤヒヤしなくちゃいけないのは、懲り懲りだけれど。

島を一周する環状路だったから、道を見失っても海岸沿いを走っていればいずれまた自転車道にぶつかるという気楽さもよかった。だから血眼になって水色のラインを追わなくたっていい。これが、縦断路のような一方向への道だと、いつの間にか自転車道を見失わないように走ることが目的になってしまうことがあって、走るというよりも走らされているような窮屈さがあった。範囲の限定された島だから、自転車道との相性が良かったのだ。

済州島はほぼフラットの周径約240kmの島である。普段から乗り込んでいる自転車乗りなら、一日で走りきってしまえるサイズ感の島を合計4日間かけて走った。
20インチの小さな自転車だからなかなか距離が稼げない。昔と違って体力も随分落ちているから、無理やり押し切るような走りもできなくなった。
どちらかといえば狙ってゆっくり走ったというよりも、やむを得ずゆっくり走らざるを得なかった部分があるけれど、そんなスローさが、かえって走り抜けるだけじゃあ気がつけないことや出会えないことをたくさん教えてくれたように思う。

今回の旅で特にハマったのが昼寝だ。道沿いには韓国様式の東屋をよく見かけていたから、暑い時間帯はよくそこに寝転がっていた。ちょっとした日陰でも、気持ちいい風がそよぐし、まるで冷蔵庫のようにクーラーが効きすぎているコンビニよりずっと体にやさしい。そこで小一時間を過ごすと、いくらか体力が回復した。
それは次の目的地へと進むための体力というよりも、道上で何かに気付いた時に立ち止まれるような体力だ。自転車は進むよりも、止まる時の方がよっぽど体力と精神力を使う。気持ちよく坂を下っている時に道辺で何かを発見したら、その気持ちよさを引き換えにしてもギュッとブレーキを引けるかどうか、ここに自転車旅の極意が隠されているのだと僕は思うのだ。
サイクリングと自転車旅は似ているようで違う。前へ前へと進むことがサイクリングの楽しさならば、立ち止まれば立ち止まるほど面白くなっていくのが自転車旅だ。

島という小宇宙ならではの自由さと、小径自転車のスローさとがうまく噛み合って、そこに韓国というパワフルでストレートな異国のエッセンスが加わった自転車道、それが僕なりに走った済州幻想自転車道の正体なのかもしれない。

空港近くのホステルに宿を取った後は、夕暮れの市内をぶらついて、それから焼肉屋に入り、済州島名産の黒豚で小さな祝宴を開いた。

最終日は島の中心に聳える漢拏山を登りにいった。
登山路の大半は見通しの効かない鬱蒼とした森とササの中を歩くこととなったが、高度を上げるにつれ、あの忌々しいまでの暑さが少しずつ和らいで植生も変化していった。かつての台湾旅でも感じたことだけれど、南国の旅は水平だけでなく、垂直に旅してみるとまた新しい発見がある。

韓国最高峰の山頂の火口には白鹿潭という小さな池があった。かつて白鹿たちがこの池の水を飲みながら遊んだという伝説が残っている。
島の真ん中に聳える山なので、晴れれば島全体を見渡すことができるはずだったけれど、この時間になると雲が滞留し始め、周囲の見通しが利かなかった。
残念な天気にも関わらず、火口の展望台には数多くの韓国人登山客がひしめいていた。赤や黄色の派手なアウトドアウェアに身を包み、ザックにぶら下げたスピーカーからは日本でも聴き覚えのあるK-POPが流れてきて、目にも耳にも賑々しい。海であろうと山であろうとどこでだって賑やかだ。
「ちょっとアンタ!悪いけど写真撮ってくれる!?」
山頂の空気を味わおうとしていると、オバさんにスマホを渡され、撮影を頼まれた。やれやれ、ここでも彼らは旅情にふける時間をあたえてくれないのだな。でも、それは悪い気分ではなかった。そんな人々に囲まれていたから、僕の旅は最初から最後まで一人旅の孤独を感じることなく、終わらせられそうだったのだから。

ところが、済州島を発ち、乗換先の釜山の空港に立ち寄った時、僕の韓国旅には素晴らしいオチがついた。
乗換のために荷物を一度受け取らなければならなかったので、ターンテーブルで荷物を待っていたのだが、出てきたスーツケースを見て驚いた。

パッカーン、と綺麗にスーツケースの天板が割られてしまっていた。
思えば行きの飛行機の時もスーツケースの側面に小さな穴が開けられてしまっていたので、前兆があったといえばあった。しかし、まぁ、こうも見事に壊してくれるとは一体どんな扱い方をしているんだろう…。何も荷物の扱いまでパワフルじゃなくてもいいんじゃないですかねぇ。旅の思い出に、というにはちょっと痛すぎるお土産であった。

(次週からは北海道の島の旅をお送りいたします)

幻想自転車道でぐるりと一周 韓国済州島の旅その3

2016年09月21日

済州島三日目のこの日は、これまでで一番体調がよかった。日差しは相変わらず殺人的で暑さに慣れたわけではなかったけれど、この気候下での水分の取り方や休憩のタイミングの勘所がようやく分かってきたというか、少しは消耗を抑えながら走れるようになっていた。昨日まではほとんど冷麺しか受け付けていなかった食事も、他の料理を食べられるぐらいまで回復していた。

今朝、出発した西帰浦(ソギポ)は、ちょうど島一周の中間地点。なんとか島一周の目処がついたこともあって、ペダルを踏み込む足はいつもより力がみなぎっていた。

が、好事魔多し。
いつだってそう事はうまく運ばないのが僕の旅である。

海岸線沿いに現れたやや傾斜のきつい坂道を登ろうと立ち漕ぎ態勢に入った時、「バッキーン!」と大きな金属音が響いた。数日前にも耳にした聞き覚えのある音。対馬で直してもらったチェーンが再び破断してしまったのだ。今回もまた周りには何にもないところで。対馬での修理は応急処置だったとはいえ、何もこんなところで切れることはないだろう。どうやら旅の神様はこうやって僕にいたずらをするのが好きみたいだ。

「そっちがそういうつもりなら、こっちはそれに抗ってやる!」
半ば開き直った僕はキックボードの要領で地面を蹴って進むことにした。勢いに任せて思い切り蹴ると時速20km以上のスピードが出た。
「おぉ!けっこう出るじゃん!」
ゴールの済州島まで残り100kmを切っている。あとは坂らしい坂もないはずだから、もうこれで押し切ってやる!
「うぉぉー!」
…と鼻息荒く走り出した僕だったが、30分後には汗だくになってがっくりとうなだれていた。
小径車は抵抗が大きいのですぐにスピードが落ちてしまう。スピードを維持するにはひたすら地面を蹴り続けるしかなく、あっという間にバテてしまった。まさかこんなことになるとは思っていなかったから飲み物も既に空っぽだった。
なによりアスファルトからの輻射熱がとてつもなく強烈だ。サドルに跨っていたときよりも10数センチ低いだけなのに全然違う。やっぱりこの状態で走るには無理があった。というか、いつの間にかこの旅で一番キツい状況に陥っているじゃないか。

息も絶え絶えでやっと到着した小さな町のコンビニに駆け込み、スポーツドリンクを買ってその場で一気に飲んだ。味がどうこうというよりも、キンキンに冷えた液体が喉を通る感触だけで生き返ったような思いだった。うまい。
人心地がついたところで自転車屋がないか尋ねてみると、店員やその場に居合わせたお客が知恵を持ち寄って、一枚の地図を書いてくれた。縮尺もアバウトでシンプルな手書きの地図ながら、それは自転車屋へ至るための必要なランドマークが欠かさず記されたパーフェクトな地図だった。

ただ、こう言っては失礼かもしれないが、教えられた自転車屋は年季の入った自転車や廃材が転がるガラクタ屋のような店構えだった。現れた店主もつっけんどんで、僕が切れたチェーンを渡すと、何も言わずポイッと床に放り投げた。そんな態度を見て、こりゃあ訪ねる店を間違えたかな、と心の中で苦虫を噛み潰した。

しかし店主の親父さんの腕前はなかなかのものだった。チェーンカッターも使わず、ハンマーとその辺に落ちていた釘で曲がったチェーン部分を切り離して、チェーンリンクを取り付けてチェーンを元通りに繋いだ。自転車屋の前に釘がバラバラと転がっているのはどういうことなのだとツッコミどころはあるにせよ、親父さんの仕事は惚れ惚れするぐらい手際が良かった。

ただ、問題は修理代金だ。チェーンリンクもつけてもらってしまっているし、親父さんのぶっきらぼうな態度も気になる。なにせここまで親父さんは一言も僕と口を聞いてくれていないのだ。徹底的な愛国者主義なのかもしれない。外国人の僕に足元を見た金額をふっかけてきたらどうしよう?
恐る恐る「いくらですか?」と訊いてみた。おじさんはその表情を崩すことなく「オチェンウォン」と言った。
コテンとよろけそうになった。
オチェンウォンとは5,000ウォンである。邦貨にして僅か450円。ほとんどチェーンリンクの部品代ぐらいなもので、ぼったくりどころか、とんでもない激安価格じゃないか。僕は親父さんを勘違いしていたようで、彼は単に口数少ない職人気質なのだった。
「カムサハムニダ!」と心の限りの感謝を伝えると親父さんは「アニョ」と言った。アニョは「No」という意味だから、彼風に言いかえてみれば「いいってことよ」といったところだろうか。
何だか嬉しくなった僕は写真を撮っていいか訊いてみた。親父さんは何か言ったがそれ以上の韓国語は分からない。でも多分、「一枚だけだからな」そう言ったような気がする。彼は気恥ずかしそうにポーズを取ると、僕のカメラに収まった。

それからコンビニに戻って、店員たちにも自転車が直ったことを伝えに行った。彼らもまた事の顛末を耳にして一安心したように笑ってくれた。

旅の神様は意地悪だ。僕をからかうようにあの手この手で行く手を阻んでくる。それはいつも順風満帆にスイスイ先へ進んでいるような時ばかりだ。でも、僕の苦境を空から散々笑った後には、必ず助け舟も出してくれるのが僕の旅の神様である。もしかするとそれは、単なるいたずら心だけではなくて「そんなまっしぐらにゴールを目指さないで、もう少し土地や人と関わりを持ちながら旅してみたらどうだい?」と言う神様なりの親切心なのかもしれない。
それにいつも事が一段落すると、そこに残るのは心地よい充実感だけだから、恨みつらみは一切残らない。アメとムチのさじ加減が絶妙なのだ。

一時間半振りに復活した自転車の上から浴びる浜風はとても小気味よかった。
「これだよ、これ!」
徒歩より10数センチだけ高い位置から眺める海は、さっきよりも実に青々と、輝いて見えるのだった。

島の最東部・城山(ソンサン)に到着したのは結局夕方前だった。海に突き出た城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)は10万年前の海底噴火でできあがり、火山島済州島を代表する景観の一つだ。

それだけに麓には観光客向けの町が広がっているのだが、ここで圧倒的に幅を利かせているのは韓国人ではなくて中国人だった。5台、10台では到底収まらない数の観光バスが次から次へと現れ、町の各所では餐厅(レストラン)、客桟(ゲストハウス)といった漢字があちこちに掲げられている。店員も僕を中国人だと思って片言の中国語で接客をしてきた。まぁこれは文字も言葉もほとんど分からない韓国語より、中国語の方が多少明るい僕にとっては大助かりなのだけれど。

済州島だけの訪問に関してはVISAなし渡航が認められ、上海からは1時間、北京からでも2時間半程度のフライトで済むアクセスの良さも手伝って今や年間300万人以上の中国人観光客がやって来ているそうだ。対馬が韓国人にとってふらっと行ける外国であったように、済州島は中国人にとって気軽に行ける外国なのだ。中国からの飛行機増に対応するため、2025年を目処に新たな空港も建設するそうだ。
島を八割近く周ってきて分かってきたが、中国人を見かける割合は玄関口となる北の済州市より南の西帰浦あたりで顕著だ。かなりの建物が中国人向けあるいは中国人所有の建物となっていた。それは表立って見えにくいところから中国化が徐々に進んでいるのではないだろうか、という印象さえ受けるほどだった。
同時に島の住人との軋轢も近年増えている。実際、僕が宿にチェックインしようとした時も、先にやって来ていた中国人旅行者と宿のオーナーが揉めていて、僕も仲裁に入るほどだった。外国人観光客が経済の潤いを島にもたらしつつも、文化の摩擦に揺れる。対馬でもそうだったけれど、済州島でも状況は同じだった。

一方で日本人は全く見かけない。統計上は年間5万人の渡航者がいるそうだけれど、恐らくツアー客がほとんどで僕のような自由旅行者は皆無なのだろう。初日のビッグダディゲストハウスでは三年前のオープン以来僕が二人目、昨日と今日の宿に関しては僕が初めての日本人客だと言っていた。直行便も少なく割高になるので、よほど韓国に思い入れがある人でなければ大抵、沖縄やハワイに行くのだろう。近いようで遠い外国のリゾート。それが日本人にとって済州島の今の立ち位置だった。

翌日。まだ町が眠りについている朝5時に城山日出峰に登った。その名が示す通り、この山は韓国有数の日の出スポット。僕以外にもたくさんの人が御来光を拝むべく、チラチラとヘッドランプに明かりを灯らせて遊歩道を登っていた。
夜明け前といえど、蒸し蒸しした湿度がまとわりつく噴火口の縁で日の出を待つ。対馬は今頃日の出を迎えているだろうかとか、東京はもうセミがうるさく鳴いている頃だろうかと海の向こう側に想像を巡らせているうちに、空がオレンジ色に染まり始めた。

残念ながら水平線上には雲が停滞していて、すっきりとした御来光とは行かなかったけれど、日の出から5分もすると、この旅中さんざん僕を苦しめ続けた太陽がぐんぐんと野心的に高度をあげて姿を現した。
今日も暑くて眩しい真夏の一日が始まるのだ。

そんな太陽を眺めながら僕は小さな願掛けをした。
「済州島一周まであと一日。最後くらいは何事もなくスムーズに走れますように」
いたずら好きな旅の神様だから、その願いを聞き入れてくれるかどうかは定かではないけれど。

(次週に続く。済州島一周の旅は全4回を予定しています)

幻想自転車道でぐるりと一周 韓国済州島の旅その2

2016年09月14日

やって来た宿はビッグダディゲストハウスという名前だった。
ガラス張りの扉を覗くと、向こう側には存在感のある大男が二人いた。まさに名は体を表すがごとし。ただ、どっちが本物のビッグダディで、どっちが小ビッグダディなのだろうか? たぶんフロントで細々と作業をしている方が小ビッグダディで、後ろでどっしり構えているのがビッグダディだろう。

「伊藤さん、ようこそ」
なんと小ビッグダディこと、チェくんは日本語が話せた。昼間のキムさんといい、今日は日本語話者によく会う一日だ。ここは韓国だというのに僕は日本語ばかり話している。
「でも、大学の時以来だから、ほとんど忘れちゃいました」
大柄な体なのに謙虚な物腰のチェくんは何だか可笑しい。彼は相部屋料金なのに誰も使っていない部屋を与えてくれたり、洗濯機を使わせてくれたりと何かと世話を焼いてくれた。
そして思いがけず「シャワーを浴びたら下で一緒に晩ご飯を食べましょう」と夕食に誘ってくれた。

シャワーですっきりした後、一階のカフェに行くと、早めに閉店した店内では、ビッグダディ氏の家族とチェくんらスタッフを囲んで、サムゲタンが振る舞われた。サムゲタンは鶏を一匹まるまる使ったものだったから、僕のようなぽっと出の者がお相伴に預かるのは流石に気が引けてしまったのだけれど、オーナーのビッグダディ氏は「気にしないでいいから、たくさん食べて!」と太っ腹だ。
「飲み物もフリードリンクだよ! 好きなだけ飲んでいいけど、でもセルフサービスね」
ビッグダディ氏はいたずらっぽく笑った。彼がビッグなのは、そのなりだけではないようだったから、僕はもう遠慮をすることはよそうと思った。好きなだけ食べて、好きなだけ飲んでいいなら、セルフサービスぐらい喜んで、だ。

ちなみに後で知ったのだけれど、その日は伏日(ポンナル)という年に三日ある暑気払いの日だった。ちょうど日本でいう土用の丑の日みたいなもので、ウナギの代わりにこっちではサムゲタンを食べるのだそうだ。医食同源の考え方が韓国の食には根付いているので、一番暑い時期に薬膳料理であるサムゲタンを食べるのは理に叶っている。

みんなで食卓を囲んでいたところに他の宿泊者である金髪の女子大生ホジョンちゃんと、リトアニア出身のモニカちゃんも加わった。2年前にソウルの大学に留学していたというモニカちゃんは韓国語が堪能だった。
二人は仲良く宿のキッチンを借りてカレーを作っていたので、僕は学生時代の友達同士かと思っていたけれど、この宿で知り合って意気投合したそうだ。居心地のいい宿は得てしてお客同士の距離感も縮めてくれる。
彼女たちの作ったカレーまでご馳走になりながら、テーブルの上では様々な話題が飛び交った。お互いの国の印象のことや行儀作法のこと、昔の旅のこと…。ホジョンちゃんが英語で会話を切り出し、モニカちゃんは韓国語で話を広げ、チェくんが日本語に訳してくれ、僕は英語で答える。誰も母語を使っていない図がなかなかインターナショナルだ。
「旅だなぁ」と思った。年代も育ったバックグラウンド違うのに、出会った瞬間からこうして盛り上がれるのは旅だからという以外、説明がつかない。柄にもなく「一期一会」なんて言葉が浮かんでしまうのだ。
そんな賑やかなテーブルを、ビッグダディ氏が子供をあやしながら、満更でもなさそうな表情で眺めていた。

宴もお開きになる頃、チェくんが何気なくこう呟いたのをよく覚えている。
「家族みたいに付き合えて、こんなに楽しく働ける仕事は始めてです」
本心なんだろうな、と思った。客の僕ですらすぐにこの宿が気に入ったのだから、働いている人間にとってもきっと気兼ねなく働ける環境であるに違いない。

ビッグなハートのビッグダディゲストハウスに、自転車好きのキムさんに。済州島一周の旅は初日からいい出会いが続いて、そして色々なものをご馳走になってばかりの一日だったなと思いながら、僕はベッドへと潜った。

翌朝は朝9時に出発した。しかし今日は今日とてべらぼうな暑さだ。
「あっちぃよぉ…」
この旅で何度暑いと口にしただろう。状況を憂いていても仕方がないのだけれど、文句を言って息抜きでもしなければ、僕も自転車もとろけてしまいそうだった。おまけに今日は強い向かい風まで吹いているのだからスバラシイ天気に恵まれている。

島の環状線には路線バスが頻繁に通っていた。自転車をスーツケースに仕舞ってバスに飛び乗れば、1時間で今日の目的地にも、それこそゴールの済州市にも戻ることができるだろう。
そんな逃げ道がすぐそこにあるものだから、暑さに対する覚悟が揺らぐ。なまじ僕の自転車がコンパクトに持ち運びできてしまうから、心に隙ができてしまうのだ。最高の乗り物と思っていたスーツケース自転車にこんな弱点があるとは…。

ヘトヘトになって辿り着いた4つ目のチェックポイントでスタンプを押すと、進路はようやく風下方面へと変わった。前方には目を見張るような巨大な岩山の山房山(サンバンサン)が現れた。

このあたりは島でも有数の観光地のようで、ツアーバスが大挙して停まっている。セグウェイに乗ったツアー客がスルスルと道路を滑っていった。
「あぁ、僕もあんな乗り物が良かった…」

泣き言を言いながら走っていると、自転車乗りが二人、前方に立ち往生していた。パンクでもしたのだろうか?
パンク修理をするぐらいの工具なら持ってきている。もらってばかりの韓国旅だったから、ここはその恩を返す絶好のチャンスだと思い、僕はブレーキレバーを引いた。
「メイ アイ ヘルプ ユー?」
若い男の子二人組は突然現れたガイコクジンにギョッとした表情を浮かべた。言葉も通じていないようだったので僕は慌ててカバンからパンク修理キットを取り出してみせると、二人はようやく状況を理解してくれた。
まぁ普通に考えて、パンクして困っている時に調度良くパンク修理ができる人間が現れて、しかもそれが外国人だなんて想像しようがないだろう。僕だって済州島で韓国人の自転車修理を手伝うなんて思いもしていなかったわけだし。

ところが困ったことにタイヤを外してみるとパンクはスネークバイトだった。
スネークバイトとは、段差などを乗り越える際にチューブとリムが噛み込んでしまい起こるパンクのことで、文字通り蛇の噛み跡のような切り傷が二つつく。今回は相当激しく打ち付けたようでバックリと大きな切り傷がついていた。
果たして僕の持っているパッチで修理できるだろうか? スネークバイトはタイヤの空気圧がしっかりしていれば起こりにくいパンクなので、僕はこの手のパンクは予期していなかった。
「…ちょっと余計な仕事を引き受けてしまったかもしれないなぁ」
まじまじと見つめる二人の視線は、すでに突然現れたガイコクジンからピンチに颯爽と現れたヒーローへ注ぐものに変わっている。やっぱり直せませんでした、なんてどの口が言えようか。

しかし、結局のところパンクは直せなかった。パッチを二枚使って傷を塞いだものの、タイヤに空気を入れると、パッチが大きな傷から漏れ出そうとする高圧の空気に耐えられず膨らんで剥がれてしまう。 ブシューっと勢い良く抜けていく空気の音と共に、ヒーローへの期待もあっという間に抜けていく。ガイコクジンでもヒーローでもなければ僕は何なのだ?
幸いなことといえば彼らは近くのホテルでアルバイトする大学生だったということ。もし二人が僕と同じように済州島一周に挑戦するサイクリストだったら、さぞ更に気まずい空気が流れただろう。
「気にしないでください。自転車屋で直しますから。そこにカフェがあるから行きましょう。お礼にご馳走します」
逆に僕が励まされてしまったばかりか、カフェで紅茶をご馳走してくれた。こちらのカフェは、日本よりも高いくらいなのに。何だか僕はヒーローの名を語る詐欺師みたいなやつだな、と思った。気が付くと何もしていないのにも関わらず、またご馳走してもらう立場になっている僕であった。

緩い坂道の途中、コンビニに立ち寄っておにぎりを一つだけ買った。
「コッピ?」
店内のテーブルに座り、おにぎりを食べているとレジのお姉さんからそう尋ねられた。コッピとはコーヒーのことだ。おにぎり一つじゃ商売にならないから、コーヒーぐらい買ったらどうだ? ということかもしれなかったけれど、僕は「要らないよ」と首を振った。
すると彼女は足元からペットボトルと紙コップを取り上げて、僕に見せた。そして、一旦奥に消えたかと思うと茹でトウモロコシを丸々一本持ってきて僕に手渡した。
「サビスー(サービスです)」
どうやらコーヒーでも買ったらどうだ? ではなくて、飲み物もなしで大丈夫? それにおにぎり一つじゃ足りないでしょう? ということだったのだ。

サービスですよ、と言う彼女に僕はかつての韓国縦断旅の記憶が重なった。
飛び込んだモーテルが予算オーバーでどうしようかと悩んでいた時に同じように「サビスー」と一方的に値下げしてくれたオバちゃんがいたり、雪がチラつく寒い日に立ち寄ったコンビニのお母さんが僕の手を握って暖めてくれたかと思えば、「サビスー」とレジの飴玉をポケットに押し込んでくれたこともあった。
いつも強引なくらいの心遣いだったけれど、それが僕は単純に嬉しかった。言葉に障害がある時はこのぐらい積極的な方が分かりやすくて心に響く。僕と韓国の旅の相性はけっこう良かったのだ。それは半島でも島でも変わらなかった。

「マシッソヨ!(美味しいです)」僕の知っている数少ない韓国語で、せめてもの気持ちを伝えるとお姉さんは「ベリー ベリー カムサハムニダ」と言って艶っぽくウインクをした。
そして「島を一周したらまたここに寄るのよ! 約束ね」と言って僕に向かって小指を立てた。
かなわないなぁ。やっぱり今日も僕はもらってばかりだ。

幻想自転車道でぐるりと一周 韓国済州島の旅その1

2016年09月07日

「ついで」というにはちょっとやり過ぎだということは自分でも分かっているつもりだ。

対馬の比田勝港から船に乗り込んだ僕は釜山へと降り立った。日本の果てまで来てしまうと博多に船で戻るより、そのまま韓国へと渡ったほうが、福島の家に帰るのにはずっと便がよかったのだ。ジェットフォイルに揺られてたったの1時間。そこはもう異国だった。

そしてせっかく韓国までやって来たのだ。ならばこの国の島も走ってやろうと企てた。
狙いを定めたのは「韓国のハワイ」こと済州島だ。
火山活動によって形成された島は朝鮮半島とは異なる生態系や歴史を持つ。中心には韓国最高峰(実効支配をしている地域において)の漢拏山(ハルラサン)が聳える同国最大の島。
約240kmの島をぐるりと一周して、それから1950mの漢拏山に登れば島を平面的にも立体的にも感じることができるのではないか。そんなイメージし易い規模感が僕には魅力的に映った。

少し調べてみると、済州島には島を一周するサイクリングロードがあるらしい。自然環境が豊かな済州島ではアウトドアアクティビティが盛んで、「オルレ」というウォーキングコースやトレッキングコースがいくつも整備されている。オルレは済州島方言で"家に通じる細い道"という意味で、転じてハイキングコースになったのだとか。その自転車版オルレがちょうど昨年に完全開通したそうなのだ。

もともと韓国では国を挙げて自転車道の整備に力を入れている。李明博政権時代に掲げられたグリーンニューディール政策という河川再開発の下、各地に自転車道が作られた。
この韓国の自転車道のすごいところはなんといっても"繋がっている"ことだ。日本にも自転車道が各地にあるけれど、それはどうしても細切れの道で、途中で切れてしまったり、行き止まりになってしまう。手入れの行き届いていない廃道も多い。
その点、韓国は最初から最後まで手入れされた自転車道がちゃんと繋がっているのだ。
僕は以前、この自転車道に沿ってソウル近郊の仁川から釜山までを走ったことがあるけれど、それだけでいたく感動したものだ。開けた気持ちいい川沿いを走り、廃線になった鉄道トンネルを抜け、山間に抱かれた温泉街を通る、ただ走るだけでない"楽しめる"自転車道だった。

これは地方自治体だけが自転車道作りに奮闘するのではなくて、国を挙げてのバックアップがあった賜物だと思う。河川再開発事業自体は多額の負債が嵩み、環境破壊や水質汚濁も発生し、批判的な意見も多いけれど自転車道に関して言えば見習う点も多い。僕が訪れた国の中で走りやすい自転車道大国といえば、ベルギー、オランダが真っ先に思い浮かぶけれど、韓国もなかなか負けていないのだ。延伸が続く自転車道は2019年までに韓国国内をくまなく結ぶという。

ただ、完成したばかりの済州島一周道の情報は、いかんせん新し過ぎるのか日本語の情報も英語の情報も手に入らなかった。自転車道を管理している団体のホームページは韓国語だったから、ハングル文字が読めない僕にはさっぱり分からない。オンライン翻訳を駆使してみたが、返ってくる訳はむちゃくちゃで全く意味不明だった。
唯一分かったことといえば自転車道の名前が「チェジュファンタジーバイクパス」だということ。
済州島幻想自転車道、か。それならば僕がその幻を解き明かしてやろうじゃないか。こうして僕のやり過ぎ韓国「ついで」旅が幕を開けたのだった。

著しい温気が漂う夏の釜山は、冬に滞在した時とは違って見えた。しゅんと落ち着き払ってがらりとしていたはずの駅前は、賑やかな人通りを取り戻していた。どう見ても紛い物のブランド服が並ぶ地下街の洋服屋、ハングル文字に漢字、キリル文字が入り乱れる多国籍タウン草梁洞、妖しい光の溢れるカフェの前に座り込んだ客引きのオババ。アジアらしい喧騒と猥雑さがそこかしこに溢れていた。
「ぶぉぉん!」歩行者を無視するかのようにアクセル全開のトラックが熱風を従えて通り去る。対馬の運転が韓国に近いなんて思っていたけれど、本国の運転はもっともっとパワフルだった。
地下鉄に乗り込むと、強烈な冷房が汗だくの体から一気に体温を奪う。このストレートさが妙に感慨深い。
そうだった、そうだったと目にするもの、耳にするもの、感じるもの一つ一つが懐かしい。
「あぁ、ここはガイコクだ」
久し振りに吸い込む異国の空気に僕は小躍りしたくなった。

前回も泊まった釜慶大学近くの宿を訪ねるとジョンさん家族が迎えてくれた。行く先々に知り合いがいるのは心強いことだなぁ、僕と世界の距離は昔よりもずっと縮まっている。

ところが有頂天になっていたら、コンセントの変換プラグを持ってくるのを忘れた事に気がついた。やれやれ、オマエは旅の初心者かよ、と自分に苦笑した。こうして見ると海外が身近過ぎるのも考えものかもしれない。まぁいい、チャガルチの海鮮市場を冷やかしに行くついでに、探しに行こう。

翌朝のフライトで済州島へと飛んだ。
本来は釜山から済州島への定期海路もあったはずだったけれど、一昨年前のセウォル号沈没事故以来、韓国のフェリー業界はかなり厳しい状況に晒されているようで、どうやら現在は運休しているようだった。済州島へは格安航空会社がいくつも就航しているので、時間もかかるフェリーは時代遅れになりつつあるのだろう。陸路ならではの旅情が失われつつあり、早くて安い空の旅が世の中の正解だと突きつけられているようで、何だかそれも寂しい気がする。
そんなこともあって大人しく飛行機にしたのだけれど、僕はこの時はまだ知らなかった。飛行機という選択が旅の最後にパワフルな韓国を強烈に印象つけることを…。

一時間のフライトで無事、島に降り立った僕は、荷物を受け取り、さっそく自転車を組み立てた。その一部始終をベンチで眺めていたおじさんが話しかけてくれた。が、韓国語だったのでよく分からなかった。するとおじさんはさっと言葉を英語に切り替えてくれた。
「いい自転車だね。島を一周するの?」
「ええ、そうです」と答えながら、流石だなぁと思った。これがもし日本人だったとすれば、話し掛けた相手が言葉の通じない外国人だと分かった瞬間に、苦笑いしながら遠ざかって行くことだろう。けれど、臆した色などまるで見せないのが韓国の胆力なのだ。こればかりは島も半島でも共通している。
そしてそんな物怖じしない人柄の多い韓国だから、自転車はこの地でも出会いのきっかけを作る良い手段になることを僕は改めて確信した。いける、チャリは国境を超えるのだ。

久し振りの右側通行は戸惑うことなく、すぐに慣れた。交通の流れに乗って市内を目指す。まずはそこに幻想自転車道の第一チェックポイントがあるはずだ。

龍頭岩という奇岩が見られる海に面した公園の中にそれはあった。
ロンドンを彷彿とさせる真っ赤な電話ボックス。中にスタンプが置いてあって、それを手帳に押していくのが基本ルールだ。これは韓国全土の自転車道で共通のルールで、スタンプが走破の証明になり、スタンプを全部集めると証明書を発行してもらえる仕組みになっている。

ところが肝心のスタンプを押す手帳を販売しているところが見当たらなかった。最初のチェックポイントだけにそういう場所があるのかと思ったけれど、それらしき場所はまるでない。近くに観光案内所があったので、そこで聞いてみたが、「何のこと?」といった様子で済州島の無料ガイドブックを渡すばかりである。幻想自転車道はのっけから、そして現地人にとっても濃い霧につつまれていたのだった。
仕方なく僕はノートの空いたページにスタンプを押して、走り出すことにした。地面には水色のラインが引かれていた。このラインが島をぐるりと一周して再びここまで繋がるはずだ。

ここが火山島だということを一発で理解させる黒く荒々しい火山岩の海岸線が延びていた。僕はハワイに行ったことはないけれど、本物のハワイもこんな海岸線が続いているのだろうか?
猛々しい磯辺とは対照的に海の透明度は高く、エメラルド色の水面があちこちに見られた。
晴れ渡った空には飛行機が轟音を響かせながらひっきりなしに行き来している。
険しい景観と美しい色、忙しない音が並び立つ済州島はなかなかユニークな島のようだ。

幻想自転車道は意外なくらいサイクリストが多かった。タイトな自転車用ウェアに身を包み、首元に巻いたネックスカーフをマスク代わりにし、サングラスをかけて徹底的に顔を隠すスタイルは韓国のみならず、中国、台湾でもお馴染みの格好だ。東アジアスタイルと言ってもいい格好のサイクリストを頻繁に目にした。
自転車はマウンテンバイクが多い。右側通行の国なので、海を眺めながら走るために島を反時計周りに周るものがほとんどだった。

海水浴客にとってはベストシーズンの夏の済州島も、サイクリストにとっては過酷な季節だった。強烈な太陽光線がみるみるうちに体力を奪い、重たい湿度が枷のように手足を引っ張る。さらに僕は佐賀空港からここまでの一週間、ずっと炎天下の下で行動していたので疲労もピークに達し、バテバテだった。
たまらずコンビニに駆け込む。韓国のコンビニは店内に椅子とテーブルがあるので休憩には打ってつけだったけれど、今度は効き過ぎの強烈な冷房が体力を奪う。
中も外も「適度」がない韓国。これには参った。
韓国人サイクリストたちもこの気候にはかなりヤラレているようで、はじめの頃は「アンニョンハセヨー!」と溌剌と挨拶を交わしていたのに、抜きつ抜かれつを繰り返していくうちに次第に表情が曇り、「……ハイ」となり、「………」と仕舞には声も出なくなっていた。意識がぼんやりとし、こうなるともう何のために走ってるのかさえも朦朧としてくる始末であった。

もういつ倒れてもおかしくない状態でフラフラと走っていると、「ちょっと!ちょっと待って!!」と自転車に乗った40歳ぐらいのおじさんが僕を止めた。
「その自転車どこで買ったの!?」
日本語がペラペラの韓国人だった。
キムさんは大の自転車好きで、最近は特に折り畳みチャリにハマっているらしい。話を聞けば、ちょうど二週間前にサイクリストのためのカフェとゲストハウスをオープンさせたそうで、お店の前をちょうど僕が通りかかったのを見かけて追いかけてきたそうなのだ。
「あの自転車はバイクフライデーだと思って追い掛けてきたけど、やっぱりそうだったね」
僕の自転車は量販されていない少しマニアックなブランドにも関わらず、一瞬見ただけでそれを判別したキムさんの自転車熱は本物だ。
「ちょっと僕のお店で休んでいきませんか?」
と誘ってもらえたので、疲労困憊の僕はカフェで一休みさせてもらうことにした。

来た道を引き返すと、お店までは1km近くあった。そんな距離をお店をほっぽりだして追いかけてくるなんて。
「伊藤さんはミニベロなのに速いんだから。追いかけるのが大変だったよぉ」
キムさんは笑ってそう言っていたけれど、僕からしてみればそこまでして追いかけて来る情熱の瞬発力の方が驚きだ。やっぱり韓国のパワフルさやストレートさは日本とはまるで違っている。

何もかもが新しいカフェでレモネードとキウイジュースをご馳走になった。カフェの隣にはキムさん自慢の自転車コレクションが展示してあった。
「昔はロードバイクも乗っていたけど、日本に住んでた時にミニベロにハマっちゃって。もう見てるだけで幸せになれちゃうよ」
「スピードを出すだけじゃない色々な楽しみ方がありますもんね、ミニベロって」
「そう、それ!それが僕が一番好きなところ。伊藤さん、話が合うね」
あれこれ自転車話に花が咲いてしまって、少しのつもりが結局二時間以上休憩させてもらってしまっていた。

「ほんと、会えてよかったです」
キムさんが肩をポンと叩きながらそう言った。彼の言葉は最後までストレートすぎて、なんだかこちらが気恥ずかしくなってしまうようだった。でもその真っ直ぐさが韓国を旅していることを如実に実感させる。
固い握手を交わして走りだすと、キムさんは僕が見えなくなるまでずっと手を振って見送ってくれた。

すっかり日も暮れかかった海沿いの道は、気温も日差しもだいぶ和らいでいた。昼と比べれば遥かに走り易い。今日は残り15kmだ、1時間もあれば着くだろう。ギアを一段上げてペースを上げた。このペダルの軽さはきっと、傾いた太陽のおかげだけではないだろうな、と思いながら。

(次週に続く。韓国済州島の旅は全4回を予定しています)