幻想自転車道でぐるりと一周 韓国済州島の旅その1
「ついで」というにはちょっとやり過ぎだということは自分でも分かっているつもりだ。
対馬の比田勝港から船に乗り込んだ僕は釜山へと降り立った。日本の果てまで来てしまうと博多に船で戻るより、そのまま韓国へと渡ったほうが、福島の家に帰るのにはずっと便がよかったのだ。ジェットフォイルに揺られてたったの1時間。そこはもう異国だった。
そしてせっかく韓国までやって来たのだ。ならばこの国の島も走ってやろうと企てた。
狙いを定めたのは「韓国のハワイ」こと済州島だ。
火山活動によって形成された島は朝鮮半島とは異なる生態系や歴史を持つ。中心には韓国最高峰(実効支配をしている地域において)の漢拏山(ハルラサン)が聳える同国最大の島。
約240kmの島をぐるりと一周して、それから1950mの漢拏山に登れば島を平面的にも立体的にも感じることができるのではないか。そんなイメージし易い規模感が僕には魅力的に映った。
少し調べてみると、済州島には島を一周するサイクリングロードがあるらしい。自然環境が豊かな済州島ではアウトドアアクティビティが盛んで、「オルレ」というウォーキングコースやトレッキングコースがいくつも整備されている。オルレは済州島方言で"家に通じる細い道"という意味で、転じてハイキングコースになったのだとか。その自転車版オルレがちょうど昨年に完全開通したそうなのだ。
もともと韓国では国を挙げて自転車道の整備に力を入れている。李明博政権時代に掲げられたグリーンニューディール政策という河川再開発の下、各地に自転車道が作られた。
この韓国の自転車道のすごいところはなんといっても"繋がっている"ことだ。日本にも自転車道が各地にあるけれど、それはどうしても細切れの道で、途中で切れてしまったり、行き止まりになってしまう。手入れの行き届いていない廃道も多い。
その点、韓国は最初から最後まで手入れされた自転車道がちゃんと繋がっているのだ。
僕は以前、この自転車道に沿ってソウル近郊の仁川から釜山までを走ったことがあるけれど、それだけでいたく感動したものだ。開けた気持ちいい川沿いを走り、廃線になった鉄道トンネルを抜け、山間に抱かれた温泉街を通る、ただ走るだけでない"楽しめる"自転車道だった。
これは地方自治体だけが自転車道作りに奮闘するのではなくて、国を挙げてのバックアップがあった賜物だと思う。河川再開発事業自体は多額の負債が嵩み、環境破壊や水質汚濁も発生し、批判的な意見も多いけれど自転車道に関して言えば見習う点も多い。僕が訪れた国の中で走りやすい自転車道大国といえば、ベルギー、オランダが真っ先に思い浮かぶけれど、韓国もなかなか負けていないのだ。延伸が続く自転車道は2019年までに韓国国内をくまなく結ぶという。
ただ、完成したばかりの済州島一周道の情報は、いかんせん新し過ぎるのか日本語の情報も英語の情報も手に入らなかった。自転車道を管理している団体のホームページは韓国語だったから、ハングル文字が読めない僕にはさっぱり分からない。オンライン翻訳を駆使してみたが、返ってくる訳はむちゃくちゃで全く意味不明だった。
唯一分かったことといえば自転車道の名前が「チェジュファンタジーバイクパス」だということ。
済州島幻想自転車道、か。それならば僕がその幻を解き明かしてやろうじゃないか。こうして僕のやり過ぎ韓国「ついで」旅が幕を開けたのだった。
著しい温気が漂う夏の釜山は、冬に滞在した時とは違って見えた。しゅんと落ち着き払ってがらりとしていたはずの駅前は、賑やかな人通りを取り戻していた。どう見ても紛い物のブランド服が並ぶ地下街の洋服屋、ハングル文字に漢字、キリル文字が入り乱れる多国籍タウン草梁洞、妖しい光の溢れるカフェの前に座り込んだ客引きのオババ。アジアらしい喧騒と猥雑さがそこかしこに溢れていた。
「ぶぉぉん!」歩行者を無視するかのようにアクセル全開のトラックが熱風を従えて通り去る。対馬の運転が韓国に近いなんて思っていたけれど、本国の運転はもっともっとパワフルだった。
地下鉄に乗り込むと、強烈な冷房が汗だくの体から一気に体温を奪う。このストレートさが妙に感慨深い。
そうだった、そうだったと目にするもの、耳にするもの、感じるもの一つ一つが懐かしい。
「あぁ、ここはガイコクだ」
久し振りに吸い込む異国の空気に僕は小躍りしたくなった。
前回も泊まった釜慶大学近くの宿を訪ねるとジョンさん家族が迎えてくれた。行く先々に知り合いがいるのは心強いことだなぁ、僕と世界の距離は昔よりもずっと縮まっている。
ところが有頂天になっていたら、コンセントの変換プラグを持ってくるのを忘れた事に気がついた。やれやれ、オマエは旅の初心者かよ、と自分に苦笑した。こうして見ると海外が身近過ぎるのも考えものかもしれない。まぁいい、チャガルチの海鮮市場を冷やかしに行くついでに、探しに行こう。
翌朝のフライトで済州島へと飛んだ。
本来は釜山から済州島への定期海路もあったはずだったけれど、一昨年前のセウォル号沈没事故以来、韓国のフェリー業界はかなり厳しい状況に晒されているようで、どうやら現在は運休しているようだった。済州島へは格安航空会社がいくつも就航しているので、時間もかかるフェリーは時代遅れになりつつあるのだろう。陸路ならではの旅情が失われつつあり、早くて安い空の旅が世の中の正解だと突きつけられているようで、何だかそれも寂しい気がする。
そんなこともあって大人しく飛行機にしたのだけれど、僕はこの時はまだ知らなかった。飛行機という選択が旅の最後にパワフルな韓国を強烈に印象つけることを
。
一時間のフライトで無事、島に降り立った僕は、荷物を受け取り、さっそく自転車を組み立てた。その一部始終をベンチで眺めていたおじさんが話しかけてくれた。が、韓国語だったのでよく分からなかった。するとおじさんはさっと言葉を英語に切り替えてくれた。
「いい自転車だね。島を一周するの?」
「ええ、そうです」と答えながら、流石だなぁと思った。これがもし日本人だったとすれば、話し掛けた相手が言葉の通じない外国人だと分かった瞬間に、苦笑いしながら遠ざかって行くことだろう。けれど、臆した色などまるで見せないのが韓国の胆力なのだ。こればかりは島も半島でも共通している。
そしてそんな物怖じしない人柄の多い韓国だから、自転車はこの地でも出会いのきっかけを作る良い手段になることを僕は改めて確信した。いける、チャリは国境を超えるのだ。
久し振りの右側通行は戸惑うことなく、すぐに慣れた。交通の流れに乗って市内を目指す。まずはそこに幻想自転車道の第一チェックポイントがあるはずだ。
龍頭岩という奇岩が見られる海に面した公園の中にそれはあった。
ロンドンを彷彿とさせる真っ赤な電話ボックス。中にスタンプが置いてあって、それを手帳に押していくのが基本ルールだ。これは韓国全土の自転車道で共通のルールで、スタンプが走破の証明になり、スタンプを全部集めると証明書を発行してもらえる仕組みになっている。
ところが肝心のスタンプを押す手帳を販売しているところが見当たらなかった。最初のチェックポイントだけにそういう場所があるのかと思ったけれど、それらしき場所はまるでない。近くに観光案内所があったので、そこで聞いてみたが、「何のこと?」といった様子で済州島の無料ガイドブックを渡すばかりである。幻想自転車道はのっけから、そして現地人にとっても濃い霧につつまれていたのだった。
仕方なく僕はノートの空いたページにスタンプを押して、走り出すことにした。地面には水色のラインが引かれていた。このラインが島をぐるりと一周して再びここまで繋がるはずだ。
ここが火山島だということを一発で理解させる黒く荒々しい火山岩の海岸線が延びていた。僕はハワイに行ったことはないけれど、本物のハワイもこんな海岸線が続いているのだろうか?
猛々しい磯辺とは対照的に海の透明度は高く、エメラルド色の水面があちこちに見られた。
晴れ渡った空には飛行機が轟音を響かせながらひっきりなしに行き来している。
険しい景観と美しい色、忙しない音が並び立つ済州島はなかなかユニークな島のようだ。
幻想自転車道は意外なくらいサイクリストが多かった。タイトな自転車用ウェアに身を包み、首元に巻いたネックスカーフをマスク代わりにし、サングラスをかけて徹底的に顔を隠すスタイルは韓国のみならず、中国、台湾でもお馴染みの格好だ。東アジアスタイルと言ってもいい格好のサイクリストを頻繁に目にした。
自転車はマウンテンバイクが多い。右側通行の国なので、海を眺めながら走るために島を反時計周りに周るものがほとんどだった。
海水浴客にとってはベストシーズンの夏の済州島も、サイクリストにとっては過酷な季節だった。強烈な太陽光線がみるみるうちに体力を奪い、重たい湿度が枷のように手足を引っ張る。さらに僕は佐賀空港からここまでの一週間、ずっと炎天下の下で行動していたので疲労もピークに達し、バテバテだった。
たまらずコンビニに駆け込む。韓国のコンビニは店内に椅子とテーブルがあるので休憩には打ってつけだったけれど、今度は効き過ぎの強烈な冷房が体力を奪う。
中も外も「適度」がない韓国。これには参った。
韓国人サイクリストたちもこの気候にはかなりヤラレているようで、はじめの頃は「アンニョンハセヨー!」と溌剌と挨拶を交わしていたのに、抜きつ抜かれつを繰り返していくうちに次第に表情が曇り、「
ハイ」となり、「
」と仕舞には声も出なくなっていた。意識がぼんやりとし、こうなるともう何のために走ってるのかさえも朦朧としてくる始末であった。
もういつ倒れてもおかしくない状態でフラフラと走っていると、「ちょっと!ちょっと待って!!」と自転車に乗った40歳ぐらいのおじさんが僕を止めた。
「その自転車どこで買ったの!?」
日本語がペラペラの韓国人だった。
キムさんは大の自転車好きで、最近は特に折り畳みチャリにハマっているらしい。話を聞けば、ちょうど二週間前にサイクリストのためのカフェとゲストハウスをオープンさせたそうで、お店の前をちょうど僕が通りかかったのを見かけて追いかけてきたそうなのだ。
「あの自転車はバイクフライデーだと思って追い掛けてきたけど、やっぱりそうだったね」
僕の自転車は量販されていない少しマニアックなブランドにも関わらず、一瞬見ただけでそれを判別したキムさんの自転車熱は本物だ。
「ちょっと僕のお店で休んでいきませんか?」
と誘ってもらえたので、疲労困憊の僕はカフェで一休みさせてもらうことにした。
来た道を引き返すと、お店までは1km近くあった。そんな距離をお店をほっぽりだして追いかけてくるなんて。
「伊藤さんはミニベロなのに速いんだから。追いかけるのが大変だったよぉ」
キムさんは笑ってそう言っていたけれど、僕からしてみればそこまでして追いかけて来る情熱の瞬発力の方が驚きだ。やっぱり韓国のパワフルさやストレートさは日本とはまるで違っている。
何もかもが新しいカフェでレモネードとキウイジュースをご馳走になった。カフェの隣にはキムさん自慢の自転車コレクションが展示してあった。
「昔はロードバイクも乗っていたけど、日本に住んでた時にミニベロにハマっちゃって。もう見てるだけで幸せになれちゃうよ」
「スピードを出すだけじゃない色々な楽しみ方がありますもんね、ミニベロって」
「そう、それ!それが僕が一番好きなところ。伊藤さん、話が合うね」
あれこれ自転車話に花が咲いてしまって、少しのつもりが結局二時間以上休憩させてもらってしまっていた。
「ほんと、会えてよかったです」
キムさんが肩をポンと叩きながらそう言った。彼の言葉は最後までストレートすぎて、なんだかこちらが気恥ずかしくなってしまうようだった。でもその真っ直ぐさが韓国を旅していることを如実に実感させる。
固い握手を交わして走りだすと、キムさんは僕が見えなくなるまでずっと手を振って見送ってくれた。
すっかり日も暮れかかった海沿いの道は、気温も日差しもだいぶ和らいでいた。昼と比べれば遥かに走り易い。今日は残り15kmだ、1時間もあれば着くだろう。ギアを一段上げてペースを上げた。このペダルの軽さはきっと、傾いた太陽のおかげだけではないだろうな、と思いながら。
(次週に続く。韓国済州島の旅は全4回を予定しています)