各国・各地で 風のしまたび

大陸に最も近い日本最前線へ 長崎県対馬海峡の旅その1

2016年08月17日

とてつもなく安いチケットを手に入れてしまった。
インターネットでたまたま見つけた成田から佐賀への空の便がたったの1100円だ。家から成田空港へ向かうバスの方が高いくらいだから、この値段で飛行機に乗れるなんて信じ難い話だったけれど、四の五の言う前に飛びついてしまった。まだ目的地も決まっていないのに。
チケットを買った後、地図を広げて次の島を考えてみると、佐賀空港から福岡まではそれほど距離が離れていないことが分かった。福岡まで出れば博多港から壱岐島、対馬への船が出ているはずだ。
前回の瀬戸内海の旅で下蒲刈島の朝鮮通信使博物館を訪れていた僕は、大陸に最も近いこの島々におおいに興味があった。日本の果て、それは言い換えれば日本の最前線である。歴史的にも大陸からの中継地として存在したこの二島には、他の島にはない「大陸のにおい」みたいなものを感じられるんじゃないか、そう思った。それに対馬は南北で約100kmと、島のサイズ感も自転車にとってかなり走りごたえがありそうだ。
「よしっ、決めた!」
目的と行き方の順序が逆な気もするけれど、とにかく今回は対馬海峡の旅と行こうじゃないか。

梅雨明け直後の博多はピーカン照りの青空が広がっていた。ここで一泊して翌朝のフェリーでまずは壱岐島に行く。今晩は寝るだけだから、なるべく安くて港に近いところと予約を入れた安宿に向かうと、宿の入っている建物の一階には思いがけず対馬市の出張所とアンテナショップが入っていた。
周りにもたくさんビルや建物があるにも関わらずこんなところで、適当に決めた行き先と適当に決めた宿が重なるなんて。
どういうわけか旅ではこういう偶然がときどき起こる。そして偶然が起こった時ほど面白い旅になりやすい。
「こりゃあ、呼ばれてるな」
まだ島に行ってもいないのに今回の旅が必ずや良い旅になる、そんな確信めいたものを感じて僕はなんだか嬉しくなった。

翌日の博多港は小中学生の夏休み最初の週末を迎えて大混雑をしていた。壱岐・対馬行きのフェリーを待つ人々は海水浴客の他に釣り竿やクーラーボックスを抱えた客も多い。
「壱岐島は8年ぶりっちゃけん」
「バリ楽しみ!」
浮足立った喧騒の中からそんな会話が聞こえてくる。福岡の人にとっては壱岐も対馬も身近な島々のようで、日本の最前線だなんて鼻息荒くしているのは僕ぐらいなものだった。
いや、その僕は鼻息荒くどころか、気息奄々でぐったりとしていた。立っているのがやっとなくらい頭がクラクラとする。理由を書くのがくだらない気もするけれど、前夜の深酒が原因である。
旅の自転車仲間が博多のタイレストランで働いていた。せっかく博多まで来たので、そこに顔を出した僕は「0時には帰る」と宣言したにも関わらず、それが1時になり、2時になり、宿に戻ったのは結局朝の4時前だったのだ。
せっかく旅の前から順調な流れが来ていたというのに、結局は自分のせいで旅のスタートとしては過去最低の体調になってしまった。タイのシンハービールを片手に調子よく語り込んでいた昨晩の、いやほんの数時間前の自分を呪う。まったく、自分の刹那主義に今まで何度後悔したことだろう。嗚呼…。

国内線フェリーターミナルの向かいにはカメリアラインの船が停泊していた。自転車世界一周の旅から帰ってきた時に乗った船だ。あれからたった8ヶ月で、まさかまた自転車を持ってこの港から船に乗るとは思わなかった。ただ、今はそんな感慨よりも…
「ど、どこか横になるところ…」
定刻通り出発した定期船ちくし号は、二等部屋の座敷の隅に倒れこんだ息も絶え絶えの僕を壱岐島へと運んでいくのであった。

「間もなく壱岐島、郷ノ浦に入港いたします」
甲高い船内アナウンスでハッと目が覚めた。2時間ちょっとの睡眠だったが、頭からだいぶ重たいものが無くなっている。これなら何とか走れそうだ。それに壱岐島はそれ程大きくないはずだから、サクッと島を周って今日は早めに休めもう。なんていったって明日からは日本離島番付でいえば大関級に大きい対馬が待ち構えているのだから。

乗船していた客の大半は壱岐島で僕と同じように下船した。港は一時、ここは新宿か? と思うようなラッシュに揉まれたけれど、出口で彼らを待つ民宿の送迎バスに乗り込むとあっという間に消え去ってしまった。残ったのは突き刺すような太陽光線と、この暑さでも元気なセミの声だけ。そこにポツンと僕だけが取り残された。

「珍しい自転車ですねぇ」
自転車を組み立てていると、港の中からおじさんが出てきて声をかけてくれた。観光案内所の人のようだ。
「えぇ、ここは暑いですね。ところでこの島の地図ってありますか?」
「ありますよ」とおじさんは親切にも自転車用や車用など何種類もの地図を持ってきてくれ、地図を見ながら景色のいいルートや見どころを教えてくれた。
と、ここで何気なくおじさんに島の大きさを尋ねた時、驚愕の事実が発覚する。
「島を一周しようと思っているんですけど、だいたい30kmぐらいですかねぇ?」
「このあいだ島を一周するウルトラマラソンがありましたが、その時の島一周コースは100km近くありましたよ」
「…えぇっと…まじっすか?」

小さいと思っていた壱岐島だったが、それは北にある対馬が巨大すぎるから小振りに見えるだけであって、実際にはなかなか大きな島だったのだ。
100kmといえば世界一周の時、僕が一日をかけて走る距離の目安だったが、時刻はすでに13時過ぎである。海岸線に沿って島を一周するつもりはないけれど、それでも一周70km~80kmはあるだろう。今日は4分の3周地点にある民宿に泊まる予定だ。早めに走りを切り上げて、今夜はゆっくり休もうと思っていた計画は脆くも崩れたではないか。というか出し抜けに島旅始まって以来の史上最大の戦いを突きつけられた気分である。行き当たりばったりで行き先を決めると、やっぱりこういうところでボロが出る。
「は、走らなきゃいけないんだよな…」
今度は別な意味で頭がクラクラとしてきた。

郷ノ浦でうにめしの昼ご飯を食べたあと本格的に島を走り出した。
おじさんは「平坦な島ですから、走りやすいはずですよ」と言っていたし、船から見えた島の影もそれほど山がちな地形には見えなかったけれど、自転車で走ってみると島の印象は随分違った。
猛烈な坂道は確かに少ないけれど、緩く長い坂道がダラダラと繰り返される。島の規模感が実際には小島ではなくて、緩やかで大きな広がりを持つ島だったから平坦に見えるだけだったのだ。20インチの自転車だからそれが余計に強く感じる(そして既に満身創痍の体調だということもおおいに関係ある)

そればかりかこれほどまでに大陸や本土のような土地の広がりを感じる島がこれまであっただろうか?
海岸沿いのなだらかな丘陵に沿って段々の棚田が連なり、内陸に目を向ければこの時期は田畑の緑が鮮やかに土地を染め上げている。険しい山がないから、海のミネラルが風に乗って島中に満遍なく行き届いてこの豊かな島を作り上げているのだろう。ペダルを回すのをやめて少し立ち止まってみると、清々しい風が柔らかく通り抜けた。
後で分かったことだが壱岐は長崎県でも2番目に大きな穀倉地を持つのだそうだ。さらに調べてみると耕地面積率は48.1%で日本平均の12.1%と比べてみても飛び抜けている。

島を取り囲む対馬海流からはイカやタイなどの海産物も豊富に採れる。それにここで育てられる壱岐牛は神戸牛や松阪牛といったブランド牛の元牛である。ついでに言うなら温泉だってある。
なんというか土地の持つポテンシャルが圧倒的なのだ。どこにも頼らず自給自足が可能な島。そんな島は多いようで実はけっこう限られる。
壱岐島には中国の魏志倭人伝に登場する一支国(いきこく)がかつて存在し、島の中心部には原の辻(はるのつじ)遺跡という王都の跡地が発見されているが、そんな王国が繁栄したのもなるほどと頷ける。実際に魏志倭人伝には「田地あり」と当時の記述がある。ただし、農耕技術がまだ発達していなかった当時は「田を耕せどなお食足らず」とも書かれているけれど。

一時間ほど走ると、不意に右手から冷涼な風が流れているのを感じて立ち止まった。巨大な横穴が四角く繰り抜かれている。奥は真っ暗で何も見えない。
入口の脇に1mを優に上回る弾頭が二つ置かれていた。一つは戦艦大和のもの、もう一つはここにあった黒崎砲台のものだそうだ。この巨大な弾頭が発射されることは一度もなかったそうだが、飛距離35kmを誇る巨大な弾頭は戦時下において周辺海域を牽制する大きな役目を果たしたのだという。今でこそのどかで懐かしい風景が広がる壱岐島に、いかめしい弾頭が存在する事実は、この場所がかつては死守すべき日本の生命線だったことを物語る。やはりここは日本の最前線だった。

横穴から吹き抜ける涼し気な風を浴びて休憩していると、若い男が二人現れた。こちらと目を合わせるわけこともなく手に持ったスマホを眺めながら会話をしていた。
「どう?」
「うん、たぶんこの辺」
どうやらちょうど前日から配信されたばかりのモンスターを捕まえるスマホゲームをやっているらしい。そういえば船から降りる時もけっこうな人がスマホをかざしてモンスター探しをしていた。なんでも壱岐島にはレアなモンスターがいるとかなんとか。最新のゲームが瞬時にこんな日本の果てまでをあまねく覆う、現代の情報テクノロジーの破壊力は末恐ろしい。
「けっ、こんなところに来てまでもゲームかよ」
僕の存在すら眼中にない二人に強い反発のようなものを覚えて、僕は砲台跡を去った。リアルを大事にしようぜ、リアルをよぉ…。

ところがそこからすぐ先のところで僕はぶったまげてしまった。なんとゲームをやらない僕の前にも巨大なモンスターが現れたのだ。
半島から出張ったところにそばだつ岩肌むき出しの山。その形は海を向いてそっぽを向く猿の姿にそっくりだったのだ。
「自然の造形だけでこんなに本物みたいな岩があるなんて…、ちょっと考えられないわ」
僕はすかさずカメラを取り出し、バシャバシャと猿岩の写真を撮った。撮りながら、あれっと思った。スマホ越しかファインダー越しかが違うだけで、僕も結局レンズ越しに現実世界を覗いているではないか。そんな自分に苦笑した。そしてあろうことかこんな言葉を心の中でつぶやいたのだから。
「壱岐の怪物サルイワー、ゲットだぜ!」

壱岐島の最北部、勝本に到着したのは夕方5時過ぎだった。時間も時間なのにこれで今日の行程はやっと折り返し地点である。ここから小舟ですぐのところに沖ノ島という絶景ビーチがあり、観光案内所のおじさんにも勧められていたが、立ち寄る余裕も体力もなさそうだった。暑さのピークは過ぎていたけれど、この時間でもなお汗が体中から止めど無く噴き出している。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
思えば帰国以来50km以上の長距離ツーリングはほぼしたことがなかったし、運動不足もいいところだったのだ。一応、自転車で世界一周をした経験があるつもりだけれど、今では壱岐島一周でこのザマだ。時間の経過とは残酷だ。

あとはもうどこにも寄らずに最短距離で宿を目指そうと思っていたのだが、途中で「男岳神社」の看板が目に入った。ここはおじさんに一番のおすすめと言われていた場所である。神社のある男岳山全域が御神体であり、以前は入山すら禁止されていたそうで、山頂の神社には数百の石猿が奉納されているという。
「まぁ、猿岩は見たわけだし、ここはもういいかな」
と、ここもパスしようと思った。標高は低いといえど山を登るのも億劫だ。
ところが、ここを熱心に勧めてくれたおじさんの顔が浮かんでいつまでも離れなかった。きっと明日の船に乗る時も港でおじさんに会うだろう。その時僕は「いやぁ壱岐島は大きくて、おすすめの場所にはどこにも寄れませんでしたよぉ」なんてヘラヘラ笑いながら言い訳するのだろうか? それは嫌だな、と思った。ほんの僅かな時間だったとはいえ、この島の人間と関わったリアルな瞬間だ。それを大切にするのがそれこそリアルじゃないのか?
「…ええい、日暮れなんてもう知るかっ!」
僕は踵を返して、男岳神社の方面へとハンドルを切った。

海抜168mの男岳山の山頂に立つ神社にたどり着いたのは午後6時のことだった。夏の盛りの西日本はまだまだ明るかったけれど、日差しは確実に夕日の色を含んでいて、持ってあと一時間半というところだろう。
鳥居の手前では見猿、言わ猿、聞か猿の3匹が僕を迎えてくれた。

境内では社の裏手を囲うように、噂通り数百の石猿と数体の石牛が収められていた。これほどの猿が置かれているのは猿田彦命を祀る神社に由来しての事らしい。一方で、何故かキリスト教のマリア像と思われる石像もあった。像に刻印された日付は平成二年。明治時代以後、一般の人々にも入山が許されるようになり、少しずつかつての厳格さが失われ神仏習合が進んだ結果かもしれない。とはいえそれがマリア像というのは長崎県らしいといえば、らしい。

鳥居の隣に展望台があったので登ってみた。そこは壱岐島北部を一挙に見渡すことができる絶景地点だった。遠くに芦辺地区の集落が見える。僕の目指す石田地区は遥か向こうでここからは見えなかった。
でも、この展望台に立って、昼間よりもぐっと柔らかくなった夕風に身を預けていると、いつのまにか焦りはもう消えていた。二日酔いで朝からずっと受け身な姿勢だったところから、やっと抜け出せた不思議な満足感があった。夢中で走ったことで体の不純物がようやく全部排出され、心地よい疲労感は心持ちを軽くさせた。
「やけくそでも何でも、自分から動けばやっぱり変わるじゃん」
旅の流れを手放すのも引き寄せるのもやっぱり自分次第だったのだ。

宿のある石田地区に近い原の辻遺跡に差し掛かったのは日も完全に暮れかかった午後7時半前だった。このあたりは特に平野が目立ち、広大な田んぼが広がっている。平地が多いということは空が広いということだ。沈みそうでしぶとく粘る夕日がとてつもなく綺麗でいちいち立ち止まってしまう。かつてここに王国を築いた弥生人たちは、こんなにも贅沢な夕暮れを毎日過ごしていたというのか。少し羨ましくもあった。

「お待ちしてましたよぉ」
日が完全に落ちきると同時に民宿ひとみに到着した。今日の走行は結局53km。昼ご飯を食べて走り出したのが午後2時過ぎだったから、僕にとっては上々の記録である。 真っ先にひとっ風呂を浴びて、食堂に降りると、女将さんが見た目にも豪華絢爛な晩ご飯を用意してくれていた。魚はもちろん、お米から野菜まで全部壱岐島で採れたものだという。
苦戦はしたけれど、島を自転車で走って、この島のポテンシャルを肌で感じていた僕にとって願ってもないご馳走である。
食べきれない量かと思ったけれど、日中体を使っていただけに箸が進む。その食べ方は味わって食べるというよりも、胃袋にかき込むような体育会系の食べ方だったけれど美味かった。そして食後にかぶりついたスイカの瑞々しさったらなかった。
汗をかいて土地を感じて、体を使った分、土地のものを食らって前に進んでいく。自転車旅はやっぱりシンプルでいいなぁ。
でもその前に。日頃の不摂生も改めよう、そうしたらこんなに大変な思いもしなくて済むのだからと人生で何度目か分からない反省に浸る僕であった。

(次週に続く。長崎県対馬海峡の旅は全3回を予定しています)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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