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大陸に最も近い日本最前線へ 長崎県対馬海峡の旅その2

2016年08月24日

カーテンを開けると、真夏の太陽は既に高いところに昇ってギラギラと照っていた。まだ朝の7時だというのに、今日は昨日にも勝る暑い一日になりそうだった。
対馬にはお昼のフェリーで渡る予定だ。手早く朝食をいただいた後は、気ままに島を散策しながら港を目指すことにした。

朝の筒城浜海水浴場は人気がなくほとんどプライベートビーチだった。意外に、といったら失礼なのかもしれないけれど海は澄んだミルキーブルーをしている。昨日の船にあれだけたくさんの観光客が乗っていた理由が分かる気がする。福岡近隣の人にとって壱岐島は沖縄よりもずっと手軽に行けるビーチリゾートなのだろう。

それから昨日は駆け足で走り抜けてしまった原の辻遺跡近辺をもう一度訪ねてみた。夕焼けに染まる田園も素晴らしかったけれど、一面に緑の絨毯を敷き詰めた日中も圧巻だった。
秋には色合いを黄金に変えてこれまた見事そうである。

海に田園に、それから太陽に、壱岐島の彩りはシンプルだけど眩しいくらいに鮮やかだ。

ドコドコドコドコ…
島を一周し、郷ノ浦港へと戻る坂を下っていると何やら只ならぬ重低音が響いてきた。それから何十人もの声が重なった野太い声。一体何事だと音のする方へ行ってみると、そこではド派手な神輿が3基、水でびしょ濡れの法被と鉢巻を巻いた男たちによって担がれていた。

「よぉかぃた、よぉかぃた!よぉかぃた、よぉかぃた!」
勇ましい掛け声が郷ノ浦地区に轟く。参加者は男だけで、一体何のお祭りだろう。
「壱岐の山笠だよ」
交通整理にあたっていたお巡りさんが教えてくれた。山笠、といえば博多の祭りのはずだけれど、こんな分派も存在していたのか。博多山笠はテレビで見たことしかなかったけれど、こっちの山笠も負けず劣らず熱気がすごい。今年で279年目の伝統を誇る壱岐島最大のお祭りらしい。ちなみに掛け声は「よく担いだ」の意味だそうで、ちゃんと担げ、ということなのだろう。実際にこれだけ大きくて更に人が乗っている山笠は相当に重たそうだ。

せっかくのお祭りだったのでしばらく見学をしていきたかったけれど、そろそろ船の時間だった。
山笠の人混みを抜け出し、港へ戻ると観光案内所のおじさんに再会した。
「男岳神社に行ってきましたよ!でもそこで日が暮れかけちゃって、大変でした」
おじさんは「そうでしたか」と笑って話を聞いてくれた。そうだ、こういう会話がしたかったのだ。諦めないで神社に行ってよかったと改めて思う。
「壱岐は見どころがたくさんありますね。一日半じゃあ全く足りませんでした」
「またいつでも来てください。お待ちしてますよ」
各地の島を訪れる度に、再訪しなくちゃいけない場所がどんどん増えていくな、そんな嬉しい悲鳴を心の中で叫びながら、やがてやってきたフェリーきずなに乗り込み、壱岐島を後にした。

対馬の玄関口・厳原港に着いて真っ先に目についたのは、海に向かってどっしりと座り込んだ巨大な岩塊だった。
「すごっ…!」
下蒲刈島の朝鮮通信使博物館で見た絵と一緒だと思った。あそこに展示されていた図画もまた、この岩とそっくりな屏風のようにそそり立つ岩山が描かれていたのだ。島の約90%が300~500mの山地に覆われ、島の可住地面積は10.8%、耕地面積率に至っては僅かに1.2%しかない超が付く山岳列島。セットで見られることも多い壱岐島とは対極の性格を持つのが対馬なのだ。そのシンボルとも言えるような岩塊が目の前に鎮座していた。

「伊藤さん、ようこそ!」
港前で自転車を組み立てていると、不意に声をかけられた。ギョッとして振り返ると長身に縁メガネをかけた僕と同年代の男性が立っていた。
この島の観光協会に勤める舟橋さんだった。

実は先日、福岡に住む友人に今度対馬に行くことを伝えたら、「それなら友達がいるよ!」と紹介されていたのが舟橋さんだったのだ。僕と福岡の友人は世界旅で出会った仲で、友人と舟橋さんは昔の仕事仲間かつ、同じ時期に世界旅をしていた間柄だった。
その舟橋さんとは今晩彼の住む対馬中部の豊玉地区で会う予定だったのだが、仕事の隙を見つけて一足先に会いに来てくれたようだった。

「きっと話も合うと思うから」と言ってくれていた友人の言葉通り、舟橋さんとは初対面という感覚がなかった。
「なかなか対馬まで来てくれる人って少ないから。会えて嬉しいです」
気取らない柔らかな当たりの良さが、元旅人ならではだなと思った。
しかしまぁ、日本で二十数年暮らしていて交わることのなかった二人が、世界旅をキーワードにこの日本の辺境とも呼べる場所で出会ったのだ。彼を紹介してくれた福岡の友人とはケニアで知り合った。アフリカの縁が地球を一周してここに繋がっていることはなかなかに面白い。やっぱり旅はしておくものだな、とつくづく思った。 ちなみに福岡の宿のある建物に入っていた、よりあい処対馬は彼の勤め先の出張所とのことだった。やっぱり世間は狭い。

ただ、それにしても…

「ちょーっと、暑すぎじゃないっすかねぇ」
ちょっとどころの話ではない。対馬は壱岐島を遥かに上回るとんでもない暑さだった。舟橋さん曰く「今日は今年一番」とのことだ。山だらけだから風が流れず湿度が停滞し、空気が重い。立っているだけで体力を奪われる殺人的暑さだ。厳原には僕らを除いて人っ子一人歩いていない。前回の瀬戸内海旅は雨に泣かされただけに晴れは有り難いのだけど、加減ってものがあるだろう…。

「お昼ご飯食べました?」
舟橋さんが誘ってくれた。船の中で簡単な昼食は摂っていたのだけど、この暑さだ。今から走り出すのは自殺行為に近い。エアコンの効いた場所で少し様子を見ようと、近くにある名物ハンバーガー屋へと連れて行ってくれた。

「対馬バーガー」は照り焼き系の甘いソースに対馬名産のひじきやイカが入ったハンバーガーだ。ひじきにイカと聞いた当初は眉唾モノだったけれど、食べてみるとハンバーガーにイカの歯ごたえは新鮮だったし、ほんのり口に広がるひじきの風味も面白い。

(ニオイにつられてカメラを構える前に食べてしまったので、写真は舟橋さんの勤める対馬観光物産協会より写真をお借りしました)

このお店は対馬に2店舗を構えるだけでなく、この春には釜山にも新店をオープンしたそうだ。島外初出店は福岡でもなければ長崎でもなく、韓国とは。さすがは大陸に最も近い島だ。
店長のキヨさんもユーモラスだ。
「こんな暑い時によく自転車で対馬走ろうと思いましたねぇ!」
と僕をからかうけれど、本当は対馬に観光客を呼び込もうと精力的に活動をしている人物なのである。ハンバーガー事業だけでなく、この秋には対馬ボーダーアイランドフェスティバルを主催する中心メンバーでもある。この音楽フェスティバルには日本のアーティストのみならず、韓国からもミュージシャンを呼んで行われる日韓合同イベントでもあるそうだ。
対馬は年間20万人以上の外国人観光客が訪れる日本有数の国際スポットだ。対馬から日本に出入国する外国人は成田や関空といった日本の代表的な玄関口に続いてなんと第9位。そのほとんどが韓国人のため、島の観光と韓国人観光客は今や切っても切り離せない関係なのだ。
対馬バーガーを食べている間も韓国からの若者が三人お店にやってきていた。片手に持ったスマホではモンスター探しゲームをやっている。韓国では地図データが国によって統制されているため、この手のゲームで遊ぶことはできない。釜山からちょっくらゲームをしに船で渡ってきたのだろうか?
日本の辺境の先に繋がっている大陸。対馬は興味深い場所だ。

結局、午後4時半までキヨさんのお店で涼ませてもらった後、重い腰を上げることにした。とろけるような日差しは弱まったような、変わってないような、よく分からない感じだったけれど、今日もこれから山だらけの道を40km漕がなければならない。もし走り切れないようであれば舟橋さんが仕事帰りに車で拾ってくれるというので昨日よりはだいぶ気が楽だ。とはいえ、そんな僕の以前の旅を知っている彼にそんな情けない姿を見せられない気もするけれど。

「対馬の人間は運転が荒いけん、気をつけて!」
そう忠告を受けていた通り、島を南北に結ぶ国道382号線沿いは結構スリリングだった。交通量も多く、みんな相当飛ばす。路肩は狭すぎてスーツケースを牽いた自転車は走れないので、片側一車線の車道に出なければならない。その僅か50cm隣をビュンビュンとスピードを落とさず抜き去っていく車。その運転っぷりはなんだか日本というよりは、もう韓国に近い大陸のパワフルさを彷彿とさせた。

かなり危険に思える対馬サイクリングだがサイクリストは多い。そのほとんどは韓国人サイクリストだ。釜山から北の比田勝港に入港し、対馬を縦断して厳原港まで走るのがポピュラーなようで、びっくりするぐらいたくさんの韓国人サイクリストとすれ違った。比田勝から厳原までは90km程度だから乗り込んでいる人ならば日帰りもできるし、一泊二日なら観光を織り込むこともできる。韓国人にとって「週末旅行で走り切れる異国の島」として存在しているのがこの対馬なのだ。
最も酷暑のこの日に見かけたサイクリストたちは皆一様にくたびれ果てていて、頭を垂れながらトボトボとペダルを回す姿が印象的だった。気温に加えてアップダウンがエンドレスの国道382はこの時期、酷道382号線であった。いや、彼らだけじゃなく、僕にとってもそうだから笑い事じゃない。

空港を過ぎたあたりから道は一層険しさを増した。真っ赤なアーチのかかった万関橋の手前に広場があったのでそこで休憩することにした。
対馬はこの万関橋のかかる海峡を境に南北に分かれていて、北側を上(かみ)、南側を下(しも)と呼ぶが、ここは人工的に掘削された運河である。南北に長い島なので、ここに運河を通すことで海上交通の円滑化を図った。時代は帝国主義を強めていった明治時代後半。主に軍船のための海路だった。

今では島の見どころの一つとなった万関橋にも韓国人観光客はひっきりなしにやって来ていた。広場に設置された看板や公衆トイレにもハングル語が溢れ、ともすればここは韓国かと勘違いしそうな様子だった。

おぼろげながら対馬の正体が見えてきたような気がする。おそらく対馬はグラデーションの島なのだ。日本でありながら韓国のようにも見える。韓国のように思うところがありながらも日本である。
僕はかつて世界一周の旅から帰って来るとき、釜山から福岡へのフェリーを使ったけれど、一晩寝て、起きたらすとんと韓国から日本へ切り替わってしまったことに僅かな違和感があったことを覚えている。その間を繋ぐ役目を果たすのが、対馬なのではないか。
爆発的に韓国人観光客が増えだしたのは、ここ数年のことらしいが古来より大陸への出口であり、入口でもあったこの島は混じり合いの場所だったのだ。
それはあちこちで見かける韓国人観光客やハングル語もそうだったし、彼らなくしては考えられない島の経済もそうだ。かなり荒い車の運転もそうかもしれない。好むと好まざるとにも関わらず、お互いの意識が向き合う場所だった。
海によって遮断されていると感じていた日本にもあった外界と混じり合う場所。対馬海峡の旅を始めようと思った理由の「大陸のにおい」ってこういうことなんじゃないかと思った。

対馬中部の豊玉地区に着いたのは午後7時半だった。予約を入れておいたこのあたり唯一の宿つたやホテルに投宿し、仕事を終えて帰ってきた舟橋さんと合流する。つたやホテルの息子さんが最近オープンさせたという近くの居酒屋に連れて行ってくれた。

午前は壱岐島、午後は対馬と今日もなかなかハードな走行だったので、ビールを一杯飲んだだけであっという間に酔っ払ってしまった。

じっくり話してみると、僕らには共通の知り合いが他にもたくさんいることが分かった。
「Uさんところとは、チリのイキケですっけ? あの北部の街のところ。あの宿でたまたま知り合って…」
「Tくんとは僕、ナミビアで会ったんですよ。誕生日どころか生まれた年も同じだったからすぐ意気投合しちゃって!」
さも当然のように話が盛り上がっていたけれど、よくよく考えたらチリだ、ナミビアだと話の規模感が少しおかしな話だったかもしれない。でも、いいのだ。そんなギャップが楽しい。
「インドはちょっと心が折れちゃいましたよ。だって毎朝テント開けたら50人ぐらいに囲まれてるんですもん」
「あっはっは。気持ち分かるなぁ、それ」
国境の島に相応しいグローバルな話題を酒の肴に、夜はふけていくのだった。
はて、一昨日の深酒の反省はどこへ行ったのやら…。

(次週に続く。長崎県対馬海峡の旅は全3回を予定しています)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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