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大陸に最も近い日本最前線へ 長崎県対馬海峡の旅その3

2016年08月31日

朝、舟橋さんが近くにある烏帽子岳展望台へと連れて行ってくれた。
複雑に入り組むリアス式海岸と幾重に連なる山々は対馬ならではの絶景である。条件が重なればここから韓国の影を望むこともできるそうだ。

「でも、最近はすっかり見えづらくなっちゃいましたね」
原因は大陸から風に乗ってやってくる黄砂とPM2.5の微粒子。対馬の人々にとってこれらは決して遠い海の向こうの話ではなくて喫緊の問題なのだ。大陸の矢面に立つとはこういう側面もある。

対馬の北の果て比田勝地区へは二通りの行き方がある。一つは昨日走った国道382号を北上する道、もう一つは少し引き返したところから海岸沿いの県道を走る道だ。舟橋さんや、つたやのお母さんに話を聞いてみると、どうやらメインルートの国道は山々を突っ切るように延びているので、島を走っている感覚には乏しいらしい。景色を楽しむなら県道の方がおすすめとのことだ。道幅もそれ程変わらず、それなのに交通量も少ない。僕はこの裏街道を行くことにした。

途中まで舟橋さんが車で伴走してくれ、僕の走行写真を撮ってくれた。セルフポートレートは普段、撮ろう撮ろうと思っていても結局手間で撮り損ねていることが多いので心遣いが嬉しい。でも、いつも僕が坂道を必死で登っている先で待ち構えているあたり、この男はけっこう意地が悪いような…。いや、きっとそれは気のせいで、それだけ僕らは打ち解けたということにしておこう。

「比田勝まで? 昨日も見たよ!」
休憩中、ガスの配達をしているおじさんに声を掛けられた。島の縦貫路が二つしかなく、経済の中心が南の厳原と北の比田勝に分かれている対馬では、往来する車は案外同じ車ばかりのようだ。
そんな道を真っ赤なスーツケースを曳いた折りたたみ自転車で走っていれば当然目立つ。でも僕にしてみればそれを狙って真っ赤なスーツケースを選んだ節があるから、作戦通りでもあった。自転車は移動手段であると同時にコミュニケーションの手段でもある。こんな風に島人の意識に食い込んでいけるのがこの自転車の良いところだ。

山を切り拓いたような場所に建つ小さな商業施設で舟橋さんとお別れすることになった。対馬に到着した時から、今の今まで気にかけてくれて本当に有り難い限りだった。
「またいつでも来てくださいね」
僕にとっての記憶に残る土地というのは、目を引くような景勝地や豪華絢爛な夕ご飯にありついた時以上に、その場所に住む人とどれだけ触れ合うことができたかに大きく左右されていると思う。人を通じて土地を感じ、その場所を知っていく、そんなプロセスが土地の記憶を僕に形成してくれる。
「また近いうちに。でも次は、もうちょっと季節を選んで来ますね」

舟橋さんと握手を交わし別れると、すぐにトンネルに差し掛かった。すると、暗闇の向こうから軽トラックが猛然と僕の方に突っ込んできた。ピィーっと勢い良くクラクションを鳴らしながら突撃してきた車の運転手はさっきのガス屋のおじさんだった。
「頑張って!気をつけてー!!」。
こんな狭いトンネルの中でそんな運転をしていたら、いつか事故に合ってしまうぞと余計な心配をしながらも僕は、そのストレートに突き刺さるおじさんの応援に気合を注入されたような気持ちになった。
対馬のたった2本しかない縦貫路。それは走れば走るほど、この島の素顔に迫ることのできる道なのだった。

ところが、そんな意気揚々とした気持ちになって15分も経たない時だった。

バキン!
次に現れたトンネルの中で激しい金属音が鳴ると、ペダルが空回りするようになった。チェーンでも外れてしまったのだろうか? トンネルを抜けるまでは自転車の惰力に任せて進むことにして、トンネルを出たところで確認してみると…
なんとチェーンが切れていた。
「ウソだろ!?」
世界一周の旅でもチェーンが切れたことはなかったのに、こんなところで…。しかも比較的新しいチェーンなのに切れてしまうなんて、いったい対馬の山道はどれだけ険しいというのだ。

そんな理由もあったから、まさかチェーンが切れるとは思ってもおらず、今回はチェーンを繋ぐ工具は持ってきていなかった。しかもここは日本の果ての幹線道路から外れた裏街道。自転車屋なんてまず存在しない。かといって押して比田勝港まで行くにも残り30kmも山道が残っている。抜き差しならない大ピンチが突然降って湧いてきたのだった。

「どうしよう」
悩んだ挙げ句、来た道を引き返すことにした。舟橋さんの話によれば、この先には民家はあっても商店の類はほとんどないと言っていたし、それならばさっき通り過ぎた集落の方が可能性があるように思えた。

キックボードの要領で自転車を蹴り押して2kmほど戻ると、小さな自動車整備工場を発見した。
そこを訪ね、情けない顔で「チェーンが切れちゃって…」と事情を話した。おじさんは直せるとは答えずに何だか進まない表情を浮かべているように見えたが、そそくさと工場の奥の引出しを開けるとチェーンカッターを取り出した。
「おぉ!これなら!」
工具はバイク用のもので、自転車用とは少し勝手が違っていたけれど、炎天下の下、おじさんはあれこれ工夫してなんとかチェーンを繋いでくれた。よかった、自転車が復活した!

「何年も使ってない工具だったから、ちゃんと動くか心配だったけど直って良かったよ」
チェーンの油で手を真っ黒にしたおじさんは汗を拭いながらこの時になって初めて笑った。
「昨日も厳原の方で走ってるのを見かけたし、比田勝まで行くんでしょう? ここで直せなかったらと思うとちょっと緊張しちゃったよぉ」
最初におじさんが険しい顔をしていた理由はこれだったのだ。
隣で一緒に一部始終を眺めていた奥さんも「良かったねぇ」とパチパチ拍手して喜んでくれた。
そればかりか最後には「お代はつけとくから。また来てくれたときでいいよ」と言われてしまった。恩に着ます。ありがとうございます。
ここでも僕は島の人たちに見られていた。チェーン切れのアクシデントはともかく、島人の意識に食い込んだ自転車が旅を進めてくれる、人を結びつけてくれる。僕はこういう旅がしたかったのだった。気がつけば僕にとって対馬はもうすでに随分と記憶に残る島になっている。

おじさんと奥さんに見送られて、再び走り出す。
さっきのトンネルを抜けた先の道端には地蔵様が四体祀られていた。
「そうか、これは地蔵様が見守られていたのかもしれないなぁ」
立ち止まり、何気なく来た道を振り返ると、トンネルの名前が書かれた看板が掲げられていた。「地蔵峠トンネル」という名前だった。
そこから先の道は話通り何もない小さな漁村続きだったので、もう少し先でチェーンが切れていたら、本当に身動きがとれなかったことだろう。その先を案じた地蔵様が敢えてあそこでチェーンを切ってくれたのかもしれない。いや、切ってくれたに違いない。

長閑な空気の漂う裏街道を走り抜け、比田勝港まで残り10kmを切ったあたりで風を感じるようになった。連なる山々に妨げられて動きの少なかった空気が、僅かに海の爽やかさを含み、それから湿度が飛ばされているのを感じた。もうすぐ開けた海に出る、島の先まであと少しだ。

比田勝港に到着したのは午後6時過ぎのことだった。順調、とは行かなかったけれど、充実した旅だった。

港近くのゲストハウスに投宿すると、案内してくれた従業員は韓国人だったし、開いた宿帳に書かれた名前もほとんどがハングル文字だった。シャワーを浴びてあたりを散歩に出かけると、僕と同じように夕涼みの散歩に出歩いているのは韓国人観光客ばかりである。ハングル文字の看板や広告は厳原に比べても格段に増え、日本語よりも目立つ。

景色や建物の形は間違いなく日本のものだったけれど、韓国の影は間違いなく強まっている。対馬はグラデーションの島だと僕は言ったけれど、対馬の島内にもグラデーションが存在していたのだ。

路地を少し入ったところにある食堂に寄った。冷やし中華を頼むと「はいよ、冷麺ね」とおじいさんは復唱した。
「まるで韓国みたいですね」
「この辺じゃ、冷やし中華のことを冷麺って言うんだよ。そういう兄ちゃんは韓国から来たのかい?」
「いいえ、福島から来ました」
「ふ、福島っ!? これまた遠いところから来たなぁ」
ここに暮らす人々にとって東北は韓国よりもずっと遠い異国の地なのだ。
テレビに流れるローカルニュースでは明日の天気予報が流れていた。それをぼんやりと見ていたお客さんがボヤいた。
「まったくこんなところで長崎の天気をやっても意味がないよなぁ」

翌日は早起きして、北の外れにある展望台へと自転車を走らせた。韓国式の建物からは釜山の街並みを見通すことができる。
しかし、前の日の烏帽子岳展望台と同じように空にはもやがかかり、分厚い雲も停滞していてよく分からない。

その代わりに足元に見える小さな島から甲高いラッパの音が響いていた。釜山の街は見えないとしても、ここが日本の最果てであり、国防の最前線であるということを感じさせる自衛隊駐屯地から聞こえるラッパの音だった。

船に乗るために比田勝に戻り、港のそばで自転車をスーツケースへと仕舞った。スーツケースパッキングというのはお得なもので、自転車を仕舞ってしまえば手荷物扱いとなるため、自転車料金を別で取られることがないのだ。
ところが今回ばかりはいつもと勝手が違っていた。チケットを購入するときのことだ。
「お客様はそのスーツケースに自転車をお入れなさってますよね?自転車は折りたたみであっても別途1000円徴収しています」
あちゃあ、すぐそこで梱包していたから自転車を見られていたか。でもまぁルールはルールだからきちんと支払うか、とお金を払いながらも、旅の最後で少しけちがついたような気分でもあった。

程なくして乗船時間がやってきた。僕以外は韓国人しか見当たらない列に並び、自分の番を待っていると、さっきチケットを売ってくれたお姉さんが列の整理にあたっていた。僕と目が合った彼女は少し申し訳なさそうな顔をしてこう言った。
「実は昨日、車を運転していたら、スーツケースを曳いて自転車に乗っているところを見ちゃったんです。だから…」
なるほどなぁ、そういうことか。
そういうことなら仕方がない、きっとこれは有名税みたいなものだ。赤いスーツケースは島の素顔に触れるには最適な乗り物だ。でもまぁ、知られ過ぎると、たまにはこういうこともある。とはいえそれも決して悪くはないな、このスーツケース自転車は普段、もらい過ぎなくらいに色々なものを島からもらっているのだから。
そう思いながら僕は、スーツケースを船へと転がしたのだった。

(次週からは韓国の島の旅をお送りします)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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